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Date: Sat, 1 Feb 97 22:21:28 -0800
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『律法を知らぬ者』

ヨハネ7:45-52による説教
'97.2.2.浪岡伝道所礼拝にて

祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あ の男を連れて来なかったのか」と言った。下役たちは、「今まで、あの人のように話 した人はいません」と答えた。(ヨハネによる福音書 7:45-46)

イエスは、祭で賑わうエルサレム神殿で「渇いている人はだれでも、私のもとに来 て飲みなさい!」と人々に呼び掛けた、「その人の内から生きた水が川となって流れ 出るようになる!」と。正義を求める者は、正義を行うようになる。自由を求める者 は、自由をもたらす者になる。希望を求める者は、それを語る者になる。癒されない 渇きを抱える者が、渇きを癒す者になるのだ! 、とイエスは宣言したのである。

それは、心に渇きを覚える人々にとって福音であった! 与えられない・手に入れる 事ができない、必要不可欠でありながらそれが奪われている。それら失われたものの 回復が約束された。回復するばかりでなく、それを分かち合う使命が与えられた。イ エスの言葉により、渇きの中に取り残されていた人々は、自分がここに存在する事の 意味・欠乏と渇きの中に生きなければならない苦悩の意義を悟る事ができた、「自分 は、これから渇きを癒す者として生きるため、これまで渇いてきたのだ」、と。

イエスを信じたのは、これまでの価値観では癒されない渇きに取り残された人々で あった。「それは運命だから仕方がない」「もっと苦しい思いをしている人が他にい るではないか」という、慰めに名を借りた切り捨ての言葉を浴びせられた人々であっ た。人々は、諦めの思いをもってその言葉を受け入れながら、しかし渇きが癒されな い苦しみを抱えて生きてきた。イエスの言葉に福音を見た人々は「今まで、この人の ように話した人はいない!」と直感したのであった。私のこの苦しみの意味を、誰が 語ってくれただろうか? 何より、この渇きを誰が受け止めてくれただろうか? イエス の言葉は、それらの苦悩を軽くしただけでなく、慰めと祝福とを与えたのだった。

しかし、このイエスの言葉を巡って、エルサレムの人々に対立が生じていた。イエ スを救い主と認める人々がいる一方で、イエスはメシアではありえないと考える人々 がいたのである。イエスを救い主と認めたのは、イエスの言葉に希望を見出だし、神 の救いの本質を直感した人々であった。それでは、イエスをメシアと認めなかったの はどんな人々だったのか。その視点から今日の聖書箇所を読んでみたい。

イエス逮捕を命じられていたはずの神殿警備兵が、イエスを放置したまま帰って来 てしまった。彼らを派遣したユダヤ教の指導者たちは、当然この不始末を追及した。 警備兵たちは命じられた事を果たせなかったのだから、逮捕できなかった理由につい て釈明なり謝罪なりするべき所だが、しかし彼らは「今まで、あの人のように話した 人はいません」とだけしか答えていない。その口調は「あの人を逮捕するなんて間違 いです」と言わんばかりである。警備兵たちもまた、イエスの言葉に救いの予感を見 出だしていたのである。

警備兵を叱責してファリサイ派の人々が言う、「議員やファリサイ派の中に、あの 男を救い主と信じた者はいない。社会のリーダーが認めない男が救い主であるはずが ないではないか。お前たち群衆は律法を知らないから、惑わされるのだ!」。

この時代、律法は神から与えられた正しい生活の基準であった。ユダヤ社会のリー ダーたちは、律法に忠実に生きているから最も神に近い人々であると考えられていた のである。こと「神」や「救い」にまつわる出来事について、それが本当に神から由 来するものか否かは、ユダヤ教のリーダーによる判断を待たなければならないのが普 通であった。イエスの場合、リーダーたちは彼をメシアとは認めなかったのである。 当時の常識に従えば、イエスはメシアではありえなかった。イエスの出身地ガリラヤ は、神の都から遠く離れた、イザヤ書によれば「異邦の地」とも呼ばれる辺境であっ た。そんな律法が通用しない外国のような所からメシアが生まれるはずがない。神の 栄光はエルサレム神殿にあるのだから! 神が与えた律法の何たるかを良く知っている 神殿の祭司長や律法学者の偉い人々が認めないのだから! イエスをメシアだと認める 人は、そもそも律法すら良く知らない外国人にも等しい存在だ!

我々は、常識と直感とが同時に提示された時、そのどちらを選ぶだろうか。多くの 人々は「直感に従った判断は危険である」「常識に沿った判断が安全である」と考え るのではないだろうか。その考えは、ある程度妥当である。直感とは「思い込み」の 代名詞でもあるから。直感に従って行動したゆえに破滅する人の話は数多くある・・ 「日の出から日没まで歩いて回った土地をプレゼントしよう」と約束された男が、 「あそこは畑を作るのにいい」「あそこに家を建てたら眺めが良さそう」と、まさに 直感に従い無理をして歩き通し、広大な土地を獲得したものの歩き疲れて死んでしま った、という話など。「自分にはこれだけのものを得る資格がある」という直感は、 その人の欲望でしかない。それこそ「常識的な」判断が働けば、この男も命を落とす 事はなかっただろう。カルト問題なども、「常識的に」考えれば明らかにウソと判る ものを真理と信じ込ませてしまうところから悲劇が始まっている。直感をもとに常識 的なものを常識的なるがゆえにすべて否定するのは、誤りを産む危険がある。

しかしまた我々は忘れてはならない、先の大戦において日本の多くの人々が「常識 的な」判断に従ったがゆえに多くの罪を犯してしまった事実を。戦争に協力し、敵国 を憎み、わが国には神の力が宿っていると信じる事が常識である世界が、あの日本で あった。その常識と対立する直感は、危険思想として弾圧された。「常識」を英語で 「コモンセンス(共通の感覚)」と言う。直感が個人の「感覚」に過ぎないのは勿論 だが、常識もまた共通の「感覚」に過ぎない事を知らなければならない。それは感覚 である限りにおいて人間世界の産物であって神のものではない。人間世界に属するも のを絶対化する事を、偶像崇拝と呼ぶのである。

ニコデモという人物がファリサイ派の人々に向かって言う、「律法によれば、まず 本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならな いことになっている(申命記1:16)ではないか。「常識」とは言え、律法に記された 手続きを踏まずに判断するのはよくない」。このニコデモは、ヨハネ福音書3章にお いて、既にイエス本人と対話している人物である。あの時彼は、イエスの語る言葉・ 行う業に、神に由来するものがある事を直感していたが、しかし個人の感覚が集団の 感覚に対してはあまりに無力である事を知るほど年老いてもいた。だから彼は、イエ スを支持する者である事を公に言い表す事ができず、夜の闇に紛れてイエスを訪問し たのだった。限界を帯びてはいるが、ニコデモの行動には確かな勇気があった。

彼は事実に基づく判断を提言している限りにおいて、正しい態度を採っていると言 える。彼はイエスその人に直に会って話を聞き、律法に記載された手続きを正しく踏 んでいない現状を問題にしているからである。しかし他の議員たちは「あなたもガリ ラヤ出身なのか。あなたも律法を知らぬ者=律法が支配する社会から締め出された者 なのか」とニコデモの提言を一蹴する。勇気あるニコデモは、しかしここでも個人の 感覚が集団の感覚に対して無力である事を知り、沈黙するのである。彼はその心の内 で叫んだことだろう、「律法を知らぬのはあなたたちだ!」と。

しかし我々はここに、信仰の本質を見ることができる。信仰とは、神の救いに対す る個人の直感である。しばしば人は言う、「キリスト教は日本では一般的でない(多 くの人が信じないでいる)」「聖書には矛盾がある(聞くべきところはあるが、全て を信じるのはばかげている)」と。そこにあるのは絶対多数の常識に基づいた判断で あり、個人の直感は無価値にされ顧みられない。常識に従わない者・常識の枠からは み出たものは、「道を外れた者」として、誤った判断とみなされる。これは信仰に限 った現象ではないが、こと信仰に関する事柄において顕著にみられる現象である。

「道を外れている」と思われる者にこそ救いは近付いている。社会の本流でなく、 周辺にこそ、潤っている者でなく渇いている者こそが、神の選ぶ民である。神は、渇 く者のためにキリストをお遣わしになった! 我々は、渇きに基づく自分の直感を愛そ うではないか。渇く自分を愛する者との出会いが、そこから始まるからである。


願わくは、あなたにも希望を伝える言葉として用いられますように。(TAKE)

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竹迫 之 <CYE06301@niftyserve.or.jp>