夏期ゼミ感想文  岡山大学YMCA 河野良太

 夏期ゼミが終わってから、ひと月が経った。あれから、まだひと月しか経っていないのかというのが今、現在(9月20日)の感想だ。

<夏期ゼミ参加まで>

 そもそも、なぜ私は夏期ゼミに参加することになったのだろうか。きっかけは、4月に行われた中四国地区の春季連盟という集まりで、高徳君と長倉君に出会ったからだろう。彼らによって「夏期ゼミ」なるものの存在を知った。その存在を知ってからは、「自分は夏期ゼミに出る」ということをごく当然のように感じていた。そんな感じで、とりあえず6月に夏期ゼミ運営委員会に参加した。そして、そのときに夏期ゼミでの開会礼拝の担当を任されてしまった。これが、学Y的手口だということを知ったときは「後のカーニバル」だった。しかし、開会礼拝の担当を引き受けたものの、「賛美歌を1つ(刈り入るる)しか知らないボクがやっていいのかなぁ」という不安は私なりに持っていた。

<開会礼拝について> 

 そして、あっという間に夏期ゼミ1週間前になった。何も知らなさ過ぎる私を心配してか、板野さんが開会礼拝の原案を作ってきてくれた。その原案は、夏期ゼミ本番でやったものより倍以上濃いものだったので、少し薄めることにした。しかし、板野さんのコンセプトで私も共感したものに、テーマにあやかり「壊す礼拝」というものがあった。というのも、私はクリスチャンでもないし、教会にも遊びに行ったことしかない。そんな私が付け焼き刃で礼拝っぽいことをするよりも、いっそ、これまでにないようなものにしようとは思っていたからである。 このようなコンセプトであの開会礼拝はつくられた。そして「壊す礼拝」の中でも最も壊れていたのが、「WAになっておどろう」だった。あれは、振り付けを考えるのに苦労した。みんなが、すぐに踊れて、曲の内容に合った振り付けを考えて、出発の日の朝5時まで寮の食堂で、ガラス戸に自分の姿を映しながら踊っていた。それでも完成せず、東山荘に向かう車の中でも、到着してからも考えて、ようやく本番の2・3時間前に完成したという超大作だったのである。踊りに関しては、直前運営委員会に出席していた有志の協力もあり、大成功 だったと思う。あの開会礼拝に関しては、賛否両論あると思うが、一応自分なりに考えていたものができたのでよかったと思っている。

<夏期ゼミ全体を通して>

 次に、夏期ゼミ全体を通しての感想としては、非常に濃かった。日常生活というのは物事を考えているようで考えていないものである。たぶん、慣れ切った生活というのは、ほとんど反射的に生きているのだと思う。しかし、夏期ゼミ中はそうは行かない。普段の10倍は頭を使った(当人比)。さらに、ゲスト気分で参加するつもりだったのに、司会もタイムキーパーもすることになったので、そっちの方でも気を使った。だけど、濃い毎日だからこそ、得られたこともあった。夏期ゼミ中のことで、いちばんに思い出すのはスタンツでのことである。あれは、非常に苦い経験だった。でも、これからも苦い経験はたくさんするだろうが、それを恐れていろんな機会を避けることはしたくない。幸いなことに今回は、苦い経験をした夏期ゼミ終了後に河口湖に遊びに行ったり、帰りの車の中で三輪君と話したりして気持ちは楽になり、岡山に着く頃には純粋に問題意識だけが残った。

<その後……>

 夏期ゼミ終了後、最近の私はどうかというと、8月の末に大学で4日間の集中講義に出席したのだが、それがたまたま(というか、すっかり忘れていただけなのだが)マインド・コントロールについての講義だった。春先に、心理学の単位になるという理由だけで履修届けを出していたのだが、夏期ゼミでマインド・コントロールについての予備知識を得ていたのと、テキストの帯に「浅見定雄推薦!」と大きく書かれていたのとで、とても熱心に講義に出席できた。その講義の中で心に残ったことがあった。おそらく、浅見先生も同じ様なことをおっしゃられていたと思うが、「マインド・コントロールに引っかからない唯一の方法は、自分の頭で考えて判断する」ということだ。この「自分の頭で考え」るということはとても重要なことだと思うし、性の問題を始め、あらゆる問題に通じることだと思う。今の社会では常識となっていることも疑ってみて、自分の頭で考えてみる必要があるのではないだろうか。今の私の課題は、自分の頭で考えることと、それに必要な知識を得ることだと感じている。

 それからこれは余談ですが、WSCFの報告書の佐野パパさんや熊切さんの文章を読んで以来、ホスト業にあこがれる毎日です。つきましては、冬の日韓学習プログラムin岡山に備え、ホストの身のこなしを研究すべく夜の街へ足繁く通っています。冬の日韓学習プログラムに参加される方お楽しみに。

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<夏期ゼミの感想> 活水女子大学YWCA 樋口京子

涼しそうだし富士山見れるし、ちゃんとした食事が出来そうだし滅多に会わないような人や知らない人と会えるしということで夏期ゼミに参加しました。運営委員会に出て雰囲気が好きだったからというのもありますが。用意も準備も心構えも出来てなかったようです。そして、大変混乱して帰りました。聖研のあと気持ちがごたごたして何か一人で盛り上がってました。どうしてなのか少し考えたのですが、自分でも嘘くさいと思うようなことばかり考えてます。たとえば、どういうふうにしたら良いのか分からないなんてことを思っている自分がいやだったからだとか。

やっぱり結論が出ないから考えるのは無駄だと思っています。でも、無駄でもいいから考えすぎない程度に、というのもバスを乗り過ごしたりするから、考えようかと思います。何かみっともないと思っていていやだったので4年ほど考えないようにしていました。今もみっともないと思ってます。みっともないのは本当はいやです。いやだけど夏期ゼミで自分はみっともないやつだと気付かされて、みっともないけどそうなのだから仕方がないと思うことにしました。しばらく考えてなかったのでどうやったら考えられるのかわからなくなっていたけど、何とか考えられそうです。まとまりませんが、夏期ゼミに参加して帰ってきて思ったことです。

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