共働スタッフからのメッセージ

「3年目のスタート」  九州地区共働スタッフ 黒木 智子

早いもので、私が共働スタッフ(旧 協力主事)になってから、3年が経とうとしています。石の上にも3年と、一般に何事も3年やれば道が見える・・・といわれていますが、私の場合は3年でようやくスタートに辿りついたという感じです。

学Yで、たくさんの人に出会いました。ずっしりと重い、ただ1度きりの出会いでも一生忘れられないような出会いをさせてもらいました。しかし、そんな人たちの前に立ったとき、自分のちっぽけさや、醜さ、愚かしさが、はっきりと写しだされて、厭になるほど自分を蔑み、でもそれをさとられまいと、格好つけて、結局格好悪い姿を、みなさんにさらけ出してきました。

また、現在、学生のみなさんと出会って、自分が学生のとき何を考えていたのか、思い起こしてみますが、ここまで真剣に考え悩んでいたかなあ・・・ただ、楽しかったなあ、としか浮かんできません。そんな私から見て、出会った学生のみなさんの熱意というか、まっすぐな姿勢はただただ脱帽という感じでした。ですから様々な視点から、問題提起される場で、私にできることは、せめて格好つけないで、正直な自分の言葉で語る努力をするしかないなあと思ってやってきました。

スタッフとして、何かできたことがあるのか、今は分かりません。ひたすら、私自身が壊され、また造られただけだったのではないのかなと思います。そして3年経ってようやく、学Yでの出会いの中で教えられたこと、格好つけないでも、大丈夫、言い直すと「そのままのあなたでいいんだよ」ということを、引き受けられるようになってきました。そして、それはただの現状肯定なのではなくて、いつも問い直しをするなかで、揺さぶられる出会いのなかでこそ得られるものだということも、教えられました。なにより、その言葉は私が私を受けとめるだけに留まらず、出会う人たちにも当然向けられる言葉であり、それをさせないもの(歪んだ関係を生み出しているもの)に対しては、断固として立ち向かうことがなければ、単なる偽物でしかないということを気づかされました。

3年もかけて言えるのはそれだけかい!?との突っ込み、ごもっともです。3年前と大して変わっていない自分に、何やってんだろうという感じです。が、「螺旋階段を登るような歩み」という本行氏の言葉を頼りに、同じように見えても、3年前より確実に登っているんだと、信じて、これからもみなさんと一緒に登って行きたいと思っています。

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「出会い」を求めて   関東地区共働スタッフ  朝比奈朋子

 大学に入学した頃のわたしの写真を見て、同居人であり学Yの仲間であるさとちゃんときょっちゃんが笑う。「今のヒナとは全然違う」「なんかこの頃のヒナってピュアだよね」そんな二人に言い返す言葉もないまま、わたしも一緒に笑うしかない。

 人間の顔ってもしかしたらとても正直なのかもしれない。ハッキリ言おう。わたしは学Yに出会って確かに変わった。

 去年の12月。3週間で卒論を書き上げて寝不足でフラフラしている時、立て続けに2本の電話が来た。唯一の就職面接の3日前だった。学Yにアシを突っ込んだ人なら一度は名前を耳にするだろうゴットマザーたちからだった。この二人の説得がなければ、わたしの学Yとの関わりも大学卒業と共に終わっていたかもしれない。こうして、わたしは共働スタッフをやらせてもらうことになった。

 顔を変えるまでの影響を与えた学Yとは、わたしにとって一体何なんだろう。一言で言うならば、それは「出会い」と言えるように思う。学Yとの出会い、多くの学生との出会い、立場の違う人との出会い、聖書との出会い。そこから、価値観を共有できる仲間との出会い、立場の違う仲間たちと、お互いの立場を超えて連帯したいという想いが生まれた。聖書の中でイエスの言葉に出会い、生きる勇気と力を与えられた。学Yでの出会いは、わたしがこの社会で生きて行くための力であり、と同時に、どう生きるのか、誰と生きるのか、という突きつけでもあった。

 「ピュア」だったわたしもわたしに変わりはないけれど、価値観を共有できる仲間と出会い、そして神と出会ったことによって、わたしは強くなった。今はココにとどまって、また新たな仲間を見つけたいと願っている。わたしに出来ることは、ジッととどまって一緒に時を過ごすこと。共に喜び、悲しみや苦しみを分かち合い、怒りをパワーに変える、そんな時間を一人でも多くの仲間と共有したい。

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「共働スタッフあいさつ」   長倉 望

 今年の春から、学生YMCA共働スタッフになりました、長倉望(ながくらのぞむ)といいます。私のことを「のんちゃん」と呼ぶ人もいます。しかし、今、関西には「のんちゃん」がたくさんいます。その中で真の「のんちゃん」を目指すべく、関西中四国地区と日韓交流プログラムを担当させて頂いています。春までは東北大学YMCA渓水寮に住んでいました。渓水寮入寮のきっかけは、入試の時に拾った一枚のビラでしたが、そのビラがなければ今の私が無いかと思うと不思議な感じがします。自分で選んだのではない「出会い」の喜びを感じます。

 突然の共働スタッフのお話に、びっくりして思わずお引き受けしてしまってから、はや半年が経ちました。ホントに忙しい半年でしたが、私が学生の時に(今でも学生ですが・・・)体験した「学Y体験」を、今度はスタッフとして追体験・再体験させてもらっています。

 私にとって東北大学での5年間(なぜ5年??)の「学Y体験」が何だったのか、振り返ってみると、自分が問われ崩されること、そしてそこから新たな自分を関係の中で再構築していくこと、何かをみんなで造り出す喜び、誰かと喜びや楽しみを共有していくこと、関係の中で悲しみやつらさが癒されること、お互いに違う者として向かい合うこと、私とあなたとの関係をそれらをとりまく状況の中で考えていくこと、などなど、あんなことやこんなことや挙げ始めたらきりがありません。敢えて一言でいうならば、「私とあなた」と「それを取り巻く社会」と「聖書」の3つのインターアクションの中で「問いつつ/問われつつ」「生きる」ということだったように思います。

 そして、私の5年の歩みのそばに絶えずあった協力主事の存在に感謝をしています。ありがとう学Y!そしてさようなら・・・・

 と思っていたら、な、なんと今度は私が協力主事改め共働スタッフに・・・。複雑な心境です。私の役目はなんなのでしょうか?

・私の役目は隙間にはまること。誰かと誰か、学Yと誰か、聖書と貴方、プログラムと貴方、いろんな隙間を見つけてふにゃっとはまりたいと思います。
・私の役目は共に喜ぶこと。共に喜び、喜びを喜びたいと思います。
・私の役目は、楽しむこと。みなさん一緒に楽しみましょう。
・私の役目は、大切なものを大切にしていくこと。それがどんなに小さくても大切なものを大切だと伝えること。
・私の役目は、共に悩むこと。私には答えを与える力はありませんがせめて共に在りたい、共に悩むところから始めたい、と願います。
・私の役目は、「不正」に怒ること。これはちょっと苦手ですが、怒ることの大切さを私はある方から教えられました。

 何をやるかはその時次第。

 「果たしてこんな事ができるのかな」と不安になったり、「こんな事はできない」と絶望的になったり、時には「こんなことやってられない」と投げやりになったりするなかで、こう在りたいと願っています。
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  ながくら のぞむ < gr0104@mail2.doshosha.ac.jp >

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