「Hさんへの手紙」 浪岡・八甲田伝道所牧師 竹迫 之

Hさん 20代女性。脱会して1ヶ月。「全国霊感商法被害対策弁護士連絡会 東京集会」に出席したが、いわゆる『脱会後遺症』に苦しみ統一協会に戻る気持ちになりかかっていた。「東京集会」の後の懇親会に続いて開かれた2次会において偶然タケサコの隣に座り、『脱会後遺症』の苦しみが軽減された模様(タケサコは飲み過ぎで、どんな会話をしたか全く記憶していなかった)。お礼の手紙をいただいたので、その返事として自分の統一協会体験を一気にまとめてしまったのが、以下の内容である。

プライバシーに関わる点は全て削除した。難解と思われる語句については*で示し、末尾に解説を付した。


聖名讃美

お手紙ありがとうございました。その後いかがですか。

以前から「相当の悪筆」として評判だった私も、ワープロやパソコンを使い始めてから極めて気軽に手紙を書くことができるようになりました。あるいは、こういう手紙の書き方というのは「失礼」にあたるのかもしれませんが、読めないくらい汚い字で送り付ける「非礼」も似たようなものだと考えていますので、この形をとることにしています。不快に思われたら申し訳ないことですが、おゆるし下さい。

そんな事よりも、よくも私のような者にお手紙を下さったものです。とても喜んでおります。ありがとうございました。脱会者とのこうした交わりが、今になって与えられようとは思いもしませんでした。牧師となって青森に来てから6年目を迎えていますが、救出カウンセリングだとか偽装脱会だとかいう形でしか「元メンバー」との関りが持てないものですから、脱会者との語り合いに大変飢えていたのです。いわゆる「予防」の意味も含めて高校の非常勤講師のアルバイトをしている関係から、また自分が6年連続で牧師としては教区内最年少記録を更新していることから、意識するとしないとに関わらず若い人々との関りが多い方だと思いますが、こと『カルト問題』に話が及ぶと、大変危険なものを見たような顔をされたり(自分の女房にさえ、そういう時期がありました)、「そういう特殊な体験があって牧師をしてるんですね」などと妙に感心されたりで、なかなか脱会者同士で通用するような微妙な話題を共有できる相手がいない

私が「*分別」することなしに脱会者の話を聞く事ができるのかどうかはわかりませんが、もしそう感じていただけたとするなら、「なぜそうなったのか」には多少の思い当たることがあります。ひとつには、私自身、Hさんのように、そういう思いを抱えていながら受け止めてもらえる人と出会う体験が少なかった、ということでしょう。鬱々としながらそれでも必死の思いで胸のうちを告白しているのに、「でもね…」とやられた瞬間、その前の「気持ちはわかる」という枕詞がウソであると白状されたような気分になってしまうのです(とりわけ脱会者たちは、自分自身が体験を整理している途上であるという事から、感情的に否定してしまう傾向が強いようです)。そこから先は、自然に仮面をかぶってつきあうことになってしまって、言葉にならないフラストレーションに悶々とした時期が長くあり、また現在も抱えていたりする訳です。私は酒が入るとあらかたの記憶が蒸発してしまうという変な癖があって、Hさんのお話をちゃんと覚えているかどうか甚だ怪しいのですが、お手紙に書いていただいた事から察すると、多分「共感しながら聴いていた」ということでしょ う。

もうひとつは、私自身の脱会に至る経緯が関係しているだろうと思います。私は(もう脱会して11年が経ちましたが)あまり自覚的に離れたわけではなかったのです。私の場合は、「*野の花会」でハンカチ売りをしている最中に変なころび方をしてしまって、足首を剥離骨折(重度の捻挫のようなもの)して働けなくなったのが、「救出」される直接のきっかけとなったのでした。そもそも*キャラバン隊人事も「家族が*反牧と繋がっている恐れがあるから」という事で決定されたものでした(事実は逆で、一浪して入学したばかりの大学も休み続けた上にキャラバン隊で家出同然に行方不明になったので、家族は近隣の教会の牧師を探し出し、その牧師も私との関りを通じて『反牧』になったのです)が、走りまわることができなくなった途端に「お前は未成年だから家に帰れ」という理由で突如帰宅させられたのでした。

私が当時所属していたのは東京の池袋にあった統一協会で、近所にはあの*一心病院があります。事実、松葉杖も与えられず片足ケンケンでフェリーに乗って北海道から池袋に帰りついた私は、他人の保険証を借りて一心病院で治療を受けていた訳ですが、なぜか「未成年で保険証がないから家に帰れ」となったわけです。一瞬「ヘンだな」とは思いましたが、*万物帰りで*復活しまくりのイケイケ状態でしたから、*アベルの言うことに「意味がある(はず)」との信仰に燃えて、*サタンの巣である(と言われていた)実家に帰ったのでした。家族は私の行方不明中に「憂慮する会」を始めとする諸団体から資料を取り寄せ、まだよく訳のわからないでいる牧師(それでも朝鮮問題に取り組んでいたので、意識して資料は集めていたらしい)を中心に、しっかりと「救出」計画を練っている最中で、しかも私は片足骨折で寝たきり生活を送らざるを得ない状況ですから、絵に描いたような『カモねぎ』状態でした。1週間に渡るカウンセリングの末、私は脱会届を内容証明で送付した わけです。

ただし、私自身のこの時の自覚としては、それは「偽装脱会」でありました。いくら資料を突きつけられて「霊感商法はサギだ」とか「脱税の構造を発表した幹部は刺された」とか言われても、全部*原理で理解できたし納得していたのです(オウムの「ポア」も、だから感覚としてよくわかります)。何しろ、当時の統一協会は「*勝共のための第3次世界大戦に備える」とかいう名目で、今にして思えばテロの訓練まがいのことまでしていたのですから、牧師や家族を前に「彼らは自分が何をしているのかわからないのです」ととりなしの祈りをするくらい、精神的には余裕すらありました。当時脱会後15年とかいう牧師まで加わって、ひどい時には入れ代わり立ち代わり20時間も説得(あれはカウンセリングではなく、強制的な説得でした)を受け続けるという過酷な状況ではありましたが、「真理を知らない*カインたちを愛そう」との教えを堅く手放しませんでした。結局脱会届を書くことになったのは、そういう私を見守りながら精神的に追い詰められた両親が本気で心中を考え始めたので「このままでは* 氏族のメシアが失われてしまう」と判断したからでした。それまでも両親は「死ぬの生きるの」と威勢のいいことを口走ってはいましたが、マジに死ぬことを考え始めると人は顔つきが変わるのです。「あ、これは本気だな」と感じられたのでした。もちろん、両親は私の脱会の意志を「偽装だ」と見抜いていたので、幸か不幸か*FF伝道の鬼と呼ばれていた私は友人たちを7人も*霊の子にしていたので、「その友人たちにも統一協会を離れることを勧める」という約束をさせられて、ようやく心中からは逃れることができたのでした。言われるままに脱会届を出し、しかしこっそりと別便で「これは偽装です」とも書き送っていました(この事実は、今でも私の両親は知りません)から、一刻も早く足を直して*前線に戻ろうという決意でみなぎっていました(何しろフライドチキンの骨まで食っていたのです。骨折には骨が効果的かも知れない、とか考えて)。やっぱり両親は私の言葉を信用せず「本当に脱会を勧めるか確信が持てないから、牧師同伴で行け」ということになり、まあ私は*統一勇士で すから自信満々でOKしました。ところが、私との「濃い」1週間を経験したその牧師は、既に脱会カウンセラーとして完成されてしまったらしく、ものの見事に彼らを*落としていくのです。

*サタン圏に引っ張り込まれた」と悔やみましたが、自分さえ信仰を保っていればきっと*霊界が変わると念じて耐えておりました。

しかしひとりの霊の子が「タケサコが牧師を連れてきた」とタレ込んでから、毎晩脅迫電話がかかってくるようになってしまいました(これはひどかった。電話を取るなり「死ねぇっ」と叫ぶ女性だとか、聞き取れない声でボソボソ言ってたかと思うと「お前、死ぬぜ」と言い残して切る男だとか、昼夜を問わずかかってくるのにも参りましたが、それ以上に、それらの声の中に聞き覚えのあるものが多数混じっていたのが堪えました)。タレ込みの事実を知らなかった私は、何とか誤解を解こうと池袋にもでかけましたが、歩行者天国を歩いている最中に囲まれて杖を取り上げられて路地裏に連れて行かれ「スパイ」とか「サタン」とか言われながら3発蹴られました。みんな同じホームの*食口たちです。

「暴力」というものが、真理のためとか正義のためとか以前に既に問題を含んでいる、という事を思い知らされました。同時に、家族や牧師たちが統一協会の何を問題としていたのかもよくわかりました。この事があったのは夏でしたが、私は今でも夏になると不眠気味になります(昨年はとうとう3ヶ月も不眠状態から脱することができず、入眠剤を処方してもらい、更に下痢が停まらなくなったので内科に2週間入院しました)。先日ある必要からレイプの被害者たちの手記を読みましたが、彼女達の恐怖は良くわかります。暴力の非人間性というのも良くわかります。

それでも、私は信仰を捨てなかったのです。もはやここまでくると我ながら「愚鈍」の一言しかありませんが、必死に「これには意味がある」と信じ込もうとしていました。あとは「隠れ原理」です。誰にも何も言えないまま、日曜日には*三拝敬礼し(最近の統一協会ではやらなくなったらしいですね)、*条件を立ててこっそり断食したり徹夜祈祷したり*水行したり、まあ涙ぐましい生活を送った訳です。家族もこういう私の状態に気付いていて牧師に相談していましたから、牧師も心配していろいろ言って来るのですが、もう顔も見たくないし表面上は辞めたことになっていますから「知らぬ存ぜぬ」で通してしまいました。

ある時、父親が「ある教会でお前と同じ*ホームにいた人が脱会してるぞ」と教えてくれました。また戻るのではないか、と心配してそれまでは伝えなかったが、あんまり苦しそうなのを見かねて教えてくれたのだそうです。その時の何とも言えぬ気持ち。喜びだとか懐かしさだとか恐怖だとかが一遍に湧いてきて、同時にこの自分のモヤモヤの出口に辿り着けそうな直感が閃いてすぐに会いに行きました。会ってみて、再会を心から後悔しました。その人は文 鮮明がイエス=キリストに変わっただけなのがはっきりとわかったからです。熱心にキリスト教の良さを語り、仲間になれ、と誘い続けるばかりで、私の話など全く届きません。あれほど「*お父様!」とやってた人が「文のくそじじい」とまで言い、しかもその当時と同じようにイエスを崇拝している自分の姿には何の疑問も感じていません。本当に絶望的な気分になりました。急に、自分自身の姿もアホらしく感じられてしばらく酒浸りになりました(*禁じられていたことをやってやれ、という気分になったのです。当時はまだタバコをすう人を軽蔑していましたし、多少自 意識過剰で女性が苦手だったので、カネさえ出せば手に入る酒に走ったのでしょう)。空の酒瓶ばかり増え続け、しかも家族に見られないようにそれを押し入れに隠したりするのが自分で情けなく感じられました。その情けなさを忘れるために更に飲むのですから、私は多分、潜在的なアルコール依存だと思います。

しかしその再会は無駄でなかったと思います。何とか自分の気持ちを聴いてくれる脱会者を探し出そうと考え始めるきっかけになったからです。これは、体験した人でないとわからない苦しみで、しかも体験したからと言って誰もが陥るものでもないらしい、と漠然と自己分析して、どうやったら脱会したばかりでしかもキリスト教に染まっていない人を探し出せるかばかりを考えていました。そのころ、例の牧師が「救出」への協力を求めてきました。統一協会に関する相談がワッと押し寄せててんてこ舞いだったのです。体験者として話をするだけでなく、「救出」そのもののアシスタントを求めていたのでした。そこで私は、脱会しようか迷っている人というのが1番求めている人を探しやすい環境だと感じて牧師と一緒に行動するようになりました。自分の体験を洗いざらい語ってきかせる。頭で考えた事ではありませんから、相手も否定しようがありません。みな、そういう体験談に動揺し始めて、やがて脱会を決意して行きます。時折「とうとうサタンになってしまった」と酒に逃げたりもしたのですが、自分の体験を人に語ることのカウンセリング効果(トーキングスルーと呼ばれる方法で、阪神 大震災の被災者のPTSDを解消したり、アルコール・薬物などの依存症からの回復や、虐待されていた子ども達の立ち直りを促すなどのセラピーで用いられています)というものはとても大きく、やがてそれほど苦しまないで済むようになりました。統一協会に帰りたいと考えることもなかったわけではありませんが、やはり暴力に対する恐怖心から物理的に戻ることは不可能だと感じられたのと、押し入れの中の空き瓶を見ると、どうも自分にとっては「統一協会に戻る」ということと「酒に逃げる」ということが同じ意味を持った情けない選択肢のように思われて、できませんでした。そこで、客観的には似たような逃避に過ぎないようにも感じますが、脱会者たちとの、かなり深い付き合いを相当重ねる事になりました。みな、やがて統一協会体験を自分なりに*相対化(おっと、こちらは原理用語ではありません)して整理していき、1年ほどすると自分の体験を笑って語ったりすることができるようになって行きます。それはそれで寂しいことでしたが、しかし自分の苦しみ方の情けなさを考えると、そうやって「神様」とか「世の中の救い」とかいう問題設定自体から解放され ることこそが、脱会者にとっての本当の「癒し」なのだなあ、と思うようになりました。

今回の弁連集会では、初めて「脱会後カウンセリング」の必要性が語られましたが、これはここ10年来、私がずっと自分の問題として考えさせられ、事ある毎に強調してきた課題です。「いつまでそんなことにこだわっているんだ」とか「キミの精神的なトラブルは、マインドコントロールとは関係なくて、ただの甘えだ」とかいろいろ言われてきただけに、今回の弁連集会では「ザマア見ろ」の気分でした。そういう脱会者との付き合いを通じて、少しずつ情報が集まり、私がなぜあれほどの嫌がらせを受けなければならなかったのかも見えてきました。どうやら、私が配属されたキャラバンは、当時の地区責任者のポケットマネーを稼ぐための私設部隊だったらしいのです。確かに、我々は北海道で活動していたのですが、その責任者は毎週1回飛行機でやってきて収益を回収していましたし、その都度「他の地区にも絶対秘密の活動だ」と教え込んでいたのです。「保険証がないから帰れ」という強引な司令も、それでツジツマが合うな、と思います(怪我人が出たことを他の地区から追求されたりすることを避ける意味があったのだと思います)。その責任者は、数年前まで宮城県の仙台にいたことが確 認されていますが、現在はどこにいるのかわかりません。あるいは国外かもしれません。「探してどうするんだ」と自分でも思いますが、忘れることができないのも事実です。恨みとかではないと思いますが、「あんたはかわいそうな情けない奴だ」と言ってやりたい。

「何がきっかけで牧師になろうと思ったのか」とお尋ねですが、これも脱会者たちとの関りがあったからです。牧師にくっついて「救出」活動に協力するようになった私は、自分自身の聖書理解を整理するため、当時その牧師のいた教会に出入りしていました。1年ほど通った所で本格的に聖書学をやってみたくなり、牧師に相談した所「そういう学校がある」と教えられて、それまで通っていた大学を中退することにしました。ところが、中退の直前になって「その学校には洗礼を受けなければ入れないよ」と教えられて、周囲には「中退する」と宣言していた手前もあり、大変迷っていたのです(「原理信仰」の残りもあったし、何より統一協会と同じような精神生活をさせられるのではないか、という心配をしていたのでした)。そんな時に、私よりも後に脱会した女性が「洗礼を受ける」と言い始めたので何故か脅威を感じ「おれも受けます」と口走ってしまったのでありました(脱会がいいかげんだし、洗礼もいいかげんで恐縮なのですが、キリスト教に入ったのも「状況にひきずられた」結果であります)。

受洗した事で、いよいよ新しい学校に入るための外部的な準備は整ったのですが、何しろ外国語はまるでダメ(受験時代、英語の偏差値は38前後をウロウロとしていました)、歴史もほとんどダメ(暗記はさっぱり苦手なのです)、哲学のテの字も知らない(*天宙復帰のテの字なら得意)という「学問に不自由な人」でしたから、再び1年間浪人して哲学や西洋史のほか聖書・キリスト教の一般常識の学習などの内部的な準備をすることになったのでした。実際は、昼はバイト・夜は反原理・明け方には脱会者と飲み会という、どこが「準備」だかわからない生活でしたが、次第に脱会したての人たちが同じ教会に集まるようになっていました。非常に理想的な「アフターケア」の態勢が整い始めていたのです。そして、牧師に紹介された学校が一般的には「神学校」と呼ばれている牧師養成施設であることに薄々気付き始め、「これがいわゆる洗脳ってやつか!?」と戦々恐々としながら自衛策として心理学の本を読み漁るうち、結果的に脱会者との関りから与えられている「癒し」の仕組みについての理解を得たりしていました。

ところが、ある時ひとりの教会員(私と同じ年齢の女性)が脱会者たちに向かって「ここはあんたたちのような人たちが遊びに来るところではない!」と追い出しを始めたのです。牧師はひとりで脱会者たちを守ろうと奮闘しましたが、他の教会員たちは見て見ぬふりをし(つまり暗黙のうちに同意し)、何より当の脱会者たちがショックを受けて教会に来なくなってしまったのです。これは、私自身にとっても深刻な衝撃でした。心理学関係の書物(まあビギナーらしく新書本がほとんどでしたが)の乱読を通じて、脱会後に襲われる精神的な危機の正体に気付き始めていた時期でもあり、集まって来る脱会者たちに目に見えて「解放」が起こっているのを間近に見ていて、何より私自身が彼らとの交わりから「癒し」を与えられていたのです。教会と言う舞台が、脱会者たちを癒す最適な環境だと考え始めていた矢先に、そういう事が起こったのでした。なぜ私も一緒に教会に行くのをやめなかったのかは未だによくわからないのですが、とにかく「こんなのじゃない教会を創りたい」と強く願ったのが、牧師になるということを自覚的に決意するきっかけでした。

今回、Hさんからお手紙をいただいて喜んだ、というのは、こういう経緯があったからです。私などは自分の意志でやめたのではなく状況にひきずられてやめてしまった訳ですから、「自分からやめる決意をした」という人に対しては無条件に尊敬してしまいます。それが女性だったりすると両目がハート型になります(おっと、*アダムエバ!?)。そして、「悪い、とわかっていても戻りたくなる」という気持ちは、むしろ湧いて来るのが当然と考えています。そんな気持ちに負けるな、とはとても言えません。言う資格もないと思います。私は今でも食口たちの夢を見るのですから(夢の中では負けているわけですね)。ホームの仲間たちがズラッと並んで*聖歌をうたいながら「タケサコ、そっちは間違っているから戻ってこい」などと呼びかける夢を見た(時々見るのです)朝などは、目を覚ましてもしばらくぼーっとしています。もちろん帰りたいとはもはや迷いませんが、今ここにいる自分というものが非常にあやふやなものに感じられてしまうのです。この手紙の冒頭で「よくも私のような者にお手紙を下さったものです」と書いたのは、クリスチ ャンとか牧師とかにありがちな「過剰な謙遜」などではなくて、未だにこんな思いをぐちゃぐちゃとひきずっている自覚があるからです。11年でこれですから、脱会後間もない人が悩むのは、むしろその方が正常ではないかと思います(「私が異常」という可能性もありますが、まあそれは否定する事にしています)。

「何をきっかけに前向きに頑張ろうと思ったのか」とのお尋ねですが、この通り私はぜーんぜん前向きなんかじゃありません。180度後ろ向きです。多少、前進している事実があったとしたら、後ろ向きになったまま更に後退している結果に過ぎないだろうと思います(だから時々ぶつかったりころんだりするんだろうなあ、と思ったりします)。

さて、もしあの時「分別」なしに話を聴けたのだとしたら、その原因と思われる要素がもうひとつあります。あの弁連集会の前日の事ですが、未だにモヤモヤを抱え込んでいる自分にふと嫌気がさして、池袋に行ったのです(何しろ、久々の東京でしたから)。当時いっしょ活動していた仲間たちが、今どうしているか。新たにビデオセンターに入る人がいるかどうか(もちろんいるに違いないのです)。あの「蹴られた」事件以来、池袋は私にとっての「鬼門」で、滅多なことではひとりで近づかないでいた場所だったので、昨年の3ヶ月の不眠体験をバネに「一丁この機会に、非神話化を決行したれ」と決意を込めて、池袋を歩きまわったのでした。ところが、ビデオセンターがあったはずのビルは、全部カラオケ屋になっていたのです。しばし唖然として、他の関連施設も見て歩きました。どこにも彼らの姿はなく、ホームすら消えていて、極端なものは建物自体が取り壊されていたりしたのでした。これは大きな衝撃でした。浦島太郎です。ひとりでいじいじしている間に、当の彼らはまったくその周辺から撤退していたのでありました。私を含めた反対者の活動が功を奏した結果だとは思うのですが、 逆に非常に悲しい気分にもなっていました。ほとんど無意識に、まだ活動しているメンバーがいないかと探してしまったほどです。ようやく壮婦と思われる一人の女性を発見しましたが、見つけた途端に猛烈な自己嫌悪に襲われました。「バカなことをした」という気持ちで一杯になり、逃げるように実家に向かいました。そして、再び一晩飲んだくれて、あの弁連集会に向かったのでした。集会の中で様々な最新情報を聞くうち、どうにも落ち着かない気分になり、やっぱり懇親会で飲み過ぎて、「このままじゃマズい」という自覚があったにも関わらず、ひっぱられて2次会にまで参加してしまったのです。

私がHさんのお話に耳を傾けたのは、多分そういう話題に渇いていたからです。耳を傾けざるを得ない状況だったのです。

実は飯田橋の駅前でみなさんとお別れした後、どうしようもなく気分が落ち込んでいて、地下鉄のホームに立ち尽くしておりました。頭の中にあったのは「池袋のどこかにある統一協会をなんとか探し出して、施設に火をつける」ということだけでした。後で考えると、1時間以上もそんな事を思い詰めて立ち尽くしていたようです。たまたまそこに、以前二回ほどお会いしたことがあるだけのYMCA職員として働いている女性が通りかかりまして(彼女は上司に引っ張られて、いやいや野球を観戦した帰りだったそうです)、たぶん私の異状を感じ取ったのでしょう、他にも友人を読んで下さって吉祥寺で飲み明かしたのでした。吉祥寺の居酒屋に入った辺りから記憶がなくなっていて、気がつくとビジネスホテルの一室で、私を含めた3人が雑魚寝していたのでありました。近年まれに見る二日酔いで曖昧なまま彼女達とお別れしましたが、あの時拾ってもらわなければ自分でもどうなっていたか見当がつきません。青森に戻ってからも、そのことでしばらく鬱々としていたのでした。

そういう時に、Hさんからの手紙をいただいたのです! 「神はいる」と思うのは(牧師としては不適当な発言だと思いますが)こういう時です。また、脱会者に癒していただきました。実は、自分の体験をこんな風に文章化するのは初めての経験でした。断片的には、語ったり書いたりしてきたのですが、今あらためて読み返してみると、必要な作業だったな、と思います。以前から「そういう体験は、ちゃんと文章にまとめた方がいい」と勧められていたのですが、かなり抵抗を覚えてもいたので、例えば小説として書くとか、説教として書くとか、変化球的なアプローチしかできないできたのでありました。色々と貴重な機会を与えていただき、私の方こそお礼を言わなければならないのです。

さて、ずいぶんと長い手紙になってしまいました。読んだだけで目が腐るような代物ですが、もしこの部分まで目を通して頂いたとするなら、お疲れ様でした。何かと嫌な気分にさせたのではないか、と心配にもなりました。

では、機会がありましたら、また。できる限り、安らかにお過ごし下さるよう祈っています。 

在 主


いわゆる「原理用語」に関する解説

統一協会内部では、外の世界では通用しないような特殊な用語を多用したり、一般に使うのとは違う意味を込めた言葉で会話する言語生活が営まれている。我々人間は、頭の中でも「コトバ」を用いて思考しているので、用語を規制すると思考も規制されてしまうのである。統一協会問題を知る人々は、そうした特殊用語を「原理用語」と呼んでいる。

キリスト教の世界でしか通用しないコトバを使うことも、我々には多い。そこには同じ問題性が含まれていると言える。本当にそのコトバでしか言えない内容なのか、他の言い換えが可能ではないか、という検証は、こと宗教に関する限り、最低限必要な作業ではないだろうか。

*分別
  統一協会内部では、「神側」「サタン側」などの極端に二元論化した世界観が教え込まれている。大抵の場合、統一協会の活動に資することのない感情の動きや価値観などは「サタン側」であり、神の側に立てない人間の弱さの表われと理解される。そこで、「神側」「サタン側」のケジメをつけることが要求されるが、そういう気持ちの整理の仕方を「分別(ぶんべつ)する」と言い表す。タケサコは現役メンバーだった当時、宿舎の中で「サタン分立、ゴミ分別!」と書かれたビラを目撃した経験がある。「サタン世界」のルールに過ぎないはずの「可燃・不燃ゴミ」の分別のルールに従わなければならない物悲しさを、今となっては感じざるを得ない。

*野の花会
  ボランティア団体に偽装した違法収益活動集団。それっぽく身分証明書などを用意し、「肢体不自由児のため」「難民の子ども達のため」などと称して、ハンカチ・化学雑巾・鉛筆などを販売したり、単に募金を集めたりするなどの活動をする。今年は常盤村に電動クルマ椅子のカタログを持ち歩いて活動する統一協会員の姿が目撃された。他にも「ひまわりの会」など、花を冠したネーミングが目につく。

*キャラバン隊人事
  クルマに寝泊まりしながら訪問販売に精を出すグループは、マイクロバスを使用する「マイクロ隊」とワンボックスカーを使用する「キャラバン隊」に大別される。何しろ狭い車内に折り重なって眠るので、体の一部をくっつけて寝返りも打てない状態で眠る「ギョーザ寝」や、更に人数が増えると膝を抱えて眠る「シューマイ寝」などが状態化する。上述のニセボランティア活動の他、「北海道から来ましたぁ」と乾物を売り歩く珍味売りや、「静岡から来ましたぁ」とお茶を売るお茶売りなどがある。クルマの中で歌を歌ったりするので、つい飛び込んだ家の玄関先で歌い出す事がある。タケサコも『水戸黄門』を歌った(が、買ってもらえなかった…)。

*反牧
  「反対牧師」の略。大抵の牧師は統一協会に反対しているので「反牧」である。内部では「実体化したサタン」と教えられ、まるで怪獣扱いであるが、タケサコを見ればわかるように、本当は素晴らしい牧師が多い(って自分で言うところがアヤしいのであろう)。

*一心病院
  統一協会が経営する病院。結構デカい。受付窓口から医師・看護婦・患者に至るまで、統一協会員がほとんどである。それだけならそれほど問題ではないが、小数混じった一般の人々が霊感商法的な「医療」の犠牲になっており、ヒドい時には「ガンが治る」という触れ込みで大量の高麗人参茶を高値で買わされた末期癌患者までいる。そういう被害の実態が相当数報告されているが、なぜか当局は傍観するのみ。謎である。

*万物
  この世に存在する被造物の事を指すのはキリスト教と一緒。ただし統一協会においては万物に序列が設けられており、「この世で価値の高い万物はみなサタンに奪われているから、神に復帰しなければならない」と教えられている。「価値の高い万物」とは、大抵の場合おカネのことであり、違法収益活動は「万物復帰」と呼ばれる。霊感商法の被害をめぐる裁判において、統一協会側は「そんな活動は指示したことがない」とシラを切るか、「それは万物復帰という名前の宗教活動であって、決してサギではない」と主張してきたが、先日奈良地裁で出た判決は「宗教的信念に基づいた活動ではあっても、行為そのものの是非は法律の枠内で判断される」との理解から、統一協会側の違法性を認定した。

*復活
  統一協会で教えられた価値観が絶対的なものになり、その活動に喜びを見出して活き活きしている状態を「復活している」と形容する。客観的には、価値判断を全面的に統一協会側に委ねている状態を指す。統一協会の教義では、イエスは霊的に復活したのであって肉体は滅びたまま(つまり復活のイエスは幽霊!)であるとされるので、精神的に高揚しているのは、すなわちその人の霊魂が神の側に近づいているのだ、と考えられているのである。

*アベル
  創世記4章に登場する、人類初の殺人事件被害者の名前。「カインは、いかに面白くない気分を味わおうとも、アベルに屈伏するべきであった」との教えから、上位に立つメンバーを「アベル」と呼び、下位のメンバーを「カイン」と呼ぶ。会社組織における上司と部下の関係に近いが、しかしこの関係は内部だけに適用するのでなく、より神に近い側を「アベル(的)」と位置付け、例えば新しいメンバーを獲得する時、統一協会のことを知らないクライアントを「カイン」と呼んだりする。更に、統一協会に対して批判的な人々を「カイン的」な状態と捉え、そういう人に優しく丁寧に対応することを「アベル的」と言ったりする。

*サタン
  統一協会に対し、自覚的に闘いを挑む人は皆サタンである。自覚しないまま闘ってしまっている人はカインである。あなたはどっちですかあ?

*原理
  統一協会の教えの総称。それをまとめた書物のタイトルが『原理講論』である。神によって造られた世界の仕組みを解明した、という触れ込みなので、大上段に「原理」と呼ぶのである。統一協会に反対する人々は、この教えに基づく運動に反対しているので、「統一協会」と言わずに「原理運動」と呼んだりしている。

*勝共
  「共産主義に勝つぞ!」という気合いを込めた運動。東西冷戦構造の中でロビィ活動する際の、統一協会の政治的理念を言い表す用語。実態は、「自民党勢力のお手伝いをしているが右翼ではありません」と言い訳するために使われることが多いようである。

*カイン
  アベル参照。実はカイン的な人を前にした時の統一協会員は「自分も殺されるかもしれない」という恐怖感に苛まれる事になるのである。

*氏族のメシア
  「統一協会に入った人は、その先祖から子孫に至るまで、氏族全ての救いの責任を負っているのだ」というプレッシャーをかけるための用語。家族思いの心優しい人ほど、涙を流して「統一協会をやめて」と懇願する家族をさらに悲しませる行動に出ることになる。だって家族のためなんだもん。

*FF伝道
  「ファミリー・フレンド伝道」の頭文字。要するに家族や友人を統一協会に勧誘する行為をFFと呼ぶのである。

*霊の子
  「新しく獲得したメンバーは、霊的な血縁関係に組み込まれる」とする教えに基づいた用語。勧誘した本人は「霊の親」となる。親は子に愛を注ぐ義務があるとされ、個々のメンバーの面倒を見る責任関係を明瞭にするばかりでなく、上下関係を保存したまま一体感を形成する根拠となる。

*前線
  統一協会員は「サタンに奪われた世界を神の側に取り戻す」という戦争に駆り出されている。従って、新規メンバー獲得や収益活動の現場は、その戦争の「最前線」となる。だからみんな、緊張で顔がこわばる。

*統一勇士
  上述の事情により、「前線」で闘うメンバーは勇士なのである。勇士としての「誇り」を保つよう気合いを入れられるのである。

*落として
  上述の事情により、統一協会を止める人は勇気のない「敵前逃亡」兵士である。従って、「やめる」のではなく「落ちる」のである。

*サタン圏
  統一協会に反対する勢力の内側のこと。

*霊界が変わる
  「雰囲気」とか「傾向」とかの要素を、原理では全部「霊界」で説明する。いろいろ複雑でそれっぽい教義があるが、要するに統一協会に都合がいい状態であるかそうでないかを説明するための用語に過ぎない。

*食口
  「しっく」と読む。「同じ釜の飯を食う仲間」を意味する韓国語。つまり統一協会内の仲間のこと。

*三拝敬礼
  文教祖の写真に向かって最敬礼を3回繰り返す儀式。起立した状態で両手を真上に高く上げ、そのまま膝をついて手を床まで付ける(従っておでこも床に付く)。日曜日の早朝5時頃に行なうものとされていた。タケサコも、片足をギブスで固めた状態のままこれを試みた。結果的に仰向けに転んで後頭部を打ってしまった。

*条件を立てて
  「目標を立てて」の言い換えに等しい言い回し。大抵、何らかの願掛けをして苦行に励むので、「この行為を条件として願いをかなえてくれよ」と神様を脅迫することを正当化することだと思うのだが…。

*水行
  ホントに水をかぶるんですよ、真冬でも。心臓麻痺で死んだ人もいます。40という完全数が理想とされるので、えいやっと水を体にかけ続ける。しかし統一協会の宿舎では、水道料金との関係で禁じている所もあった。また、真夏には水行の条件を立てる人が増加した。そりゃそうだよな。

*ホーム
  統一協会に献身した人たちが同居生活する宿舎。「真の家族」として暮らしている建前から、帰着した時には「お帰りなさい」、でかけるときには「いってらっしゃい」と声をかけあう。さらに、外から持ち込む食物類はサタン世界の汚れたものであるから、入り口付近に備え付けてある「聖塩」をふりかけて聖別しなければならない、などの規定によって「きよい場所」として保つよう指導されていた。しかし現実には、ボロボロに疲れきったメンバーが風呂にも入らずバタンキューの生活をし、さらに8畳間に10数人が「ギョーザ寝」しているので、疥癬などの皮膚病が流行するフケツな場所である。

*お父様
  教祖である「文 鮮明」のこと。最初は「イエスが神を父と呼んだ」ことから神様の事を指しているはずなのだが、いつのまにか教祖の事になっている。みんな内心「ヘンだな」と思いながら合わせてしまう。

*禁じられていたこと
  酒・タバコはもちろん、特に罪悪視されるのは「異性関係」である。教祖によって選ばれてくっつけられる合同結婚まで、異性には触れてはならず、「邪な」目で見ることも禁止されている。だからみんな、一生懸命合同結婚式に出ようと必死に働くのである。タケサコは、女性が使用していた布団に、そうとは知らず寄り掛かっていた男性メンバ―がアベルにぶっとばされるのを目撃したことがある。

*相対
  相手に向き合うこと。「カインに相対するときにはアベル的な心情で」などと使う。また、合同結婚式で一緒になる相手のことを「相対者」という。

*天宙復帰
  「サタンに奪われている世界を神の側に取り戻す」を意味する用語。ああ、大上段。

*アダムエバ
  「創世記3章に描写される『禁断の木の実』の物語は、アダムとエバと蛇(として表わされる天使)の淫行を指したものである」との教えに基づき、合同結婚によらない男女関係を言い表す用語。

*聖歌
  歌集が造られており、結構「名曲!」と感じられるような感動的な音楽が満載されている。我々の用いている讃美歌も幾つか納められているが、歌詞の内容は統一協会むけに若干のアレンジを施してある。どう考えても応援歌としか思えないような威勢のいい歌も多い。タケサコなど、疲れているのに頑張らなければならない時にホロっと歌い出してしまうことが今でもある。音楽って怖いんだぜ。


カルト問題について

1 カルトとは何か
・ 元来は「耕す」を意味するラテン語。「手入れをした土地」という意味で「耕作地」や「手入れされた生活」の意味で「文化(カルチュア)」の語源となった。そこから転じて「神々への礼儀作法」の意味での「礼拝行為」全般を指す用語。人民寺院事件以降、アメリカ英語においては「反社会的な行為を組織的に行なう新宗教」という否定的ニュアンスで用いられるようになり、それが日本にも輸入された。ちなみに「オカルト」は、語感が似ているが、「隠された」という意味のラテン語を語源とする別のコトバ。信用した人にしか公開しない秘密主義の宗教を指す用語で、別に怪奇現象とは関係がない。

・ 上記の事情により、「カルト」は元来宗教行為を指す言葉なので、良い(問題のない)カルトと悪い(問題のある)カルトとに分けるために、特に悪いカルトを指して「破壊的カルト」と呼ぶ。

・ 良いカルトと悪いカルトの分類は、その信条の内容に左右されない。何を信じるのも自由。ひとえに「内部に人権侵害が起こっていないか」「対社会的に悪いこと(犯罪)を行なっていないか」の2点に尽きる。

2 私とカルトとの関わり・『参考資料』参照のこと。

3 何が「問題」か

人権侵害…最大のものは「信教の自由」の侵害。信教の自由は、基本的には「誰が何を信じようと構わない」という自由を保証するという概念だが、同時に「信じたくないものは信じることを強制されない」という自由を保証することでもある。破壊的カルトの教育は、様々な心理的テクニックを駆使した「マインド・コントロール」と呼ばれる逃げ場のない誘導である事が多いが、これを用いての伝道・教育活動は「選び取る」「自発的に信じる」などの自由をあらかじめ排除しているので、信教の自由に対する侵害と見なすのである。

犯罪行為…上述の事情により、本人が何を信じようと勝手であるが、宗教的信念に基づいた行為であっても法律に違反していれば、当然犯罪として扱われることになる。破壊的カルトの指導者たちは、ほぼ例外なく個人的利益の拡大を目的として宗教活動を用いている。宗教的な教義で違法活動を正当化しようとするのである。日本においては、オウム真理教による無差別テロ事件以来、「宗教活動であっても法律に抵触する場合は犯罪と判断する」という気運が高まったが、それ以前は事実上、宗教団体は「聖域化」してしまっていた。

4 カルト問題発生の背景

物理的豊かさの実現…個人の自由の保証が行き届き、行為・信条に対する規制が緩やかになった。

社会システムの硬直化…青年はいつまでたっても「下っ端」とされる。

価値観の錯綜…かつては「偉い」とされていた人々が道義的に退廃している現実(政治家などの社会的リーダーによる不正行為・平和を謳いながら戦争を阻止できない国際社会の矛盾など)。家族の崩壊と地域社会の解体。あらゆる出来事に関する情報が並列して語られるメディアの発達。

「コンビニスタイル」の蔓延…欲求がある所にマーケットが成立するという資本主義社会の原則が、「欲求はかなえられて当然」という価値基準を造成し、たとえば社会的な不正や個人的な悩みなどにも「必ず解決の方法がある」という発想を自然なものとした(「点数主義」の学校教育体制が、「何にでも必ず正解がある」と発想する人々を量産している、と指摘する人もある)。

5 なぜキリスト教が関わるか

社会への「癒し」…カルトは「現れた症状」の一つにすぎない。

「真の救い主」の宣教…聖書が悪用されることが多い。ニセキリストに対する「否!」を語ることは、逆説的に真のキリストを証しすることになる。

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