第4回東アジア女性フォーラム・台北から

小松満貴子

 東アジア女性フォーラムは、第1回日本、第2回韓国、第3回モンゴル、そして第4回台湾と 2年おきに開催されてきて、次回は3年後の2003年に香港でということになった。しかし、そ の開催は今から本当に可能なのかと危惧されている。中国にあって一国二体制が3年後も維持さ れているのか不透明だからである。

 ところでこのフォーラムについては全般的報告が、橋本ヒロ子氏により「マンスリー北京JAC 第43号」に掲載されているので、私は、断片的印象記を届けることにする。
 それは一口でいえば非常に政治色が濃く、モンゴルでもそうであったが、国をあげて外国から の参加者を賓客扱いして下さったということである。

 私が当地に行ったのは六年前、アジア女性労働者交流センターのスタディ・ツアーで台北、高 雄、新竹などのいくつかのNGOや工場等を訪問して以来であるが、台北は見違えるぐらい都市 整備が進んでいた。そして会議以外の時間にはコース選択可能なガイド・ツアーが組まれ、その 大部分はこの国の開発ぶりを示すものであった。それを含め私の見聞したトピックスを以下列挙 する。

 まず私がフォーラム開催前に訪れる機会を得た台北ニニ八記念館は衝撃的であった。これは 1947年闇煙草の取締による殺傷事件に端を発し、中国本土からの軍隊が上陸して官憲による無数 の独立派民主化運動をしていた老若男女が殺害された事件で、それ以後の40年に及ぶ白色テロ や戒厳令による支配を示すものであった。私は改めて台湾の人々が今もこの歴史を引きずってい ることを思い至った。日本人のどのくらいがこのニニ八事件を知っているであろうか。

 次は、開会式で、ロシアから15時間かけて参加した方々を迎え、ロシアの一部は東アジアで あることを認識。カントリー・レポートではチベットからの報告に皆声を飲んだ。独立運動など で拘束された女性たちが中国の官憲に聞くに耐えない性的虐待をうけているのを知る。

 八つのテーマに分かれた分科会で、私は「開発(Development,女性労働問題が中心)」の所で 報告したが、その場にはドイツ人、アメリカ人もいて、フルペーパーがほしいといわれたのには驚 く。どの場面でも韓国と香港からの女性の発言力には感心する。

 政治色がもっとも強く出てきたのは、最後の決議文をまとめるときであった。中国と北朝鮮の 不参加に遺憾の意をどう表明するか、チベットからは危険をおかして二名参加し閉会前に去った がこれを記述すべきかどうか等大議論になった。

陳水遍大統領夫人がご挨拶のため車椅子で到着されていた(夫と車に同乗していたときテロに 襲撃されて障害者になった由)にもかかわらず議論は続いた。それでもその場で合意に至らず、 これは閉会後代表により別途まとめられた。

 最後にもう一つ、国境問題を認識させられたのは、「違法入国外国人拘留センター(Alien Detention Center)」を見学したときのことである。140人の収容者のうち4人が日本人(うち 一人が女性)。日頃からボランティアでここを訪問している「台湾グラスルーツ女性労働者センタ ー」のコーディネーター林美溶さんの案内のおかげで女性の収容されている大部屋に入ることが できた。そこで話をした若い日本人は友人の航空券を使って帰国しようとして拘束され裁判を待 っているということであった。

私はつい担当のお役人に「中国人はいないのですか」と聞き、「中国は外国ではありません」と いう返事にはっとして、我が無神経を恥じた。それまで話をした台湾の方々はすべて台湾独立 派だったので、台湾と中国は別の国などという気になってしまっていたのだった。

 いずれにしてもこのフォーラムでは東アジアにおける複雑な政治的対立と一見平和にみえる女 性達の生活も薄氷の上にいるような危うさをかかえていることを改めて認識させられたのである。