Subject: [reg-easttimor 90] Please please read! Yayasan HAK Report on NGO and UN
From: Kageura Kyo <kyo@rd.nacsis.ac.jp>
Date: Tue, 22 Feb 2000 11:10:29 +0900 (JST)
Seq: 90

皆様:

影浦@東京東チモール協会です。少し拡張してメールを出しています。
複数お受け取りになられた方、どうかご容赦下さい。

YayasanHAKの1月10日付け報告の日本語版が札幌翻訳チ
ームにより出来上がってきました。大変大変重要な報告だと思います。
皆様、ぜひお読みになり、また、関連の所にお配りいただけますと幸
いです。

よろしくお願いいたします。
それでは
影浦
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焦土作戦から人道支援まで

(ティモール・ロロサエでの住民投票後の国際NGOと国連機関の活動に関する覚書)
YayasanHAK(法・正義・人権協会)

※YayasanHAKは、東チモール人による人権団体で、インドネシア軍による
※東チモールでの人権侵害調査に精力的に関わってきたほか、1999年には、軍と
※民兵のテロにより難民となった人々への人道援助(国際機関や海外NGOがほとん
※ど何もしていなかったとき)も行ってきた組織。代表のアニセト・グテレス氏はイ
※ンドネシア軍の粛正リストに名を挙げられていたと言われ、9月には、Yayas
※anHAK事務所は軍・民兵により襲われ破壊された。

「ここには贅沢な家も、ビールを飲むバーも、ディスコもない。こんな所に人道的活
動家がとうして留まりたいと望むだろうか」と地元のリーダーはアラス小地区、サメ
の国際NGOや国連機関による保健業務の不足について意見を求められた時に答えた。

「身分証明書は持っているか?貴方の所属機関はこの地域で食糧配布をした経験があ
るか?」。この質問は、長い間ティモール・ロロサエで活動してきた地元NGOのメ
ンバーが、バウカウでの食糧配布のコーディネートをしようとしたときにWFP(世
界食糧計画)の職員がした質問である。


1.序文

ティモール・ロロサエでの併合派民兵とインドネシア軍による焦土作戦は恐るべき損
害を生み出した。その作戦で多くの生命と財産が失われた。国際政治の視点からする
とその時期、その地域の国連代表の事務所が行動に着手するのは非常に遅かったと言
える。国際社会(特にUNAMETや国連)の政治的無知の結果、1999年9月4
日の投票結果発表後、民兵、インドネシア軍が自由に行動を開始した。この焦土作戦
の犠牲になった後、ティモール・ロロサエは新しい作戦、例えば人道的作戦行動に直
面している。

住民投票後のティモール・ロロサエでの破壊は新しい問題を引き起こしてきた。ティ
モール・ロロサエはインドネシア軍を追い出すことができたことは認めるとしても、
その破壊行動のために様々なグループがティモール・ロロサエで別な行動を開始する
道を開くことになったようである。人道援助を傘に着て、政府相互機構に加えて、様
々な国際NGOがこの焦土と化した国で自分たちのプログラムを実行しようと競って
いる。ティモール・ロロサエでの様々なNGOや国際間政府機構による人道援助が必
ずしもティモール・ロロサエの一連の悲劇を終わらせた訳ではない。それどころか、
ティモール・ロロサエが外部に依存するという新しい鎖に縛られることになる。

ティモール・ロロサエで活動している国際NGOの数はおよそ30にもなる。それに
加えUNHCR、ユニセフ、ユネスコ、FAO、WFPなどの政府相互機関も多くあ
る。地元のNGOはたった20だ。これらの人道的組織は食糧配布、健康管理、避難
所、避難民へのサービス、種の配布などあらゆる種類のプログラムをもって、チモー
ル・ロロサエにやってきた。

このような国際機関はティモール・ロロサエの危機に対してどのように対処してきた
のかを調査することは興味あることだ。NGOや政府相互機関が人道的活動をする場
合に直面する様々な問題を論じる前に、我々はまず、人道援助の政治学について論じ
よう。


2.人道援助の政治学

歴史をひもといてみると、アフリカ諸国には様々な人道援助がなされたことがわかる。
内外の政治のため大変動があるたび、国際NGO、国連機関のような様々なグループ
はそれぞれ独自の方法で人道援助の名の下に紛争地域に入ってきた。アフリカ大陸の
モザンビーク、アンゴラ、ルワンダ、ソマリア、その他の国々が人道援助の受け手に
なってきた。豊富な援助にもかかわらず、飢餓と病気によるそれらの地域の死亡率は
下がらず、実際は上がっている。

人道援助が国連機関だけでなく、国際NGOを通して行われる時に引き起こされる問
題を明らかにしておこう。問題の原因は以下の通りだ。

第一に財政における透明性の問題。計画を実行するに当たって、国際NGOのほとん
どは大災害に苦しむ政府に与えられると想定される資金を利用している。例えば19
89年、モザンビークは飢餓につながる紛争に苦しんでいた。国際NGOと国連機関
はその紛争地域に入り、問題にとりかかった。こうした活動の最も大きな資金源は、
モザンビーク政府に与えられた援助/資金から取ってこられたものであった。

第二に依存の問題。バングラディシュは、国際NGOや国連機関によって組織された
人道援助が引き起こす、国の自給自足に対する結果を検証するに非常によい例である。
しばらくの間、社会(バングラディシュ)には人道援助があふれていたが、その援助
が止まって時、社会は衝撃を受けた。自分たちで自給自足する準備が出来ていなかっ
たのである。そのうえ、このような人道援助活動はときに、配給の非効率なメカニズ
ムのために遠隔地の人々を対象から排除することになる。それどころか、援助は都市
とその郊外にいる一部の人々を富ませ、貧しい人々がにわか成金に依存するようにし
むけることになる。

第三に共同作業の不足。多くの国際NGOや国連機関は、地元NGOには最小の協力
しか行わず、自分がその地域で作業、活動を行う。その結果、地元のNGOやその社
会の将来性あるグループは二流の人々にされる。さらに悪いことには、自分たちの計
画を実行するために、地元NGOは、その国の大惨事を処理するためにその地域の政
府に与えられた資金の配分のために、国際NGOや国連機関に頼まなければいけない。
このように見てくると、援助を約束した政府や国際援助機関は、人道的活動を、特に
国連機関と関係の深い国際NGOや国連の諸機関に行わせることの方に興味を示して
いるように見える。こうした理由で、今度は地方政府に約束された援助、あるいはそ
の資金は大惨事に苦しんでいる国の外の機関によってほとんど使われることになる。
援助国さえが、人道援助を行ったり、その計画の青写真を作るのに国際NGOに頼る
ケースが多くなる。それゆえに人道援助活動をする国際NGOや国連機関はしばしば
PVO(Private Voluntary Organization)と定義されるのである。モザンビークの
ジョセフ・ハンロンが述べているように、ワールド・ビジョンやケア・インターナシ
ョナルなのどのようなNGOはそれぞれの国に支店を持った大企業や多国籍企業のよ
うな行動をとることになる。このようなNGOの関心は金の支出、食糧の配分、緊急
援助等である。自ら自身の運営基金のために、自分たちの資金調達の努力の他に、援
助資金からの利子を利用することもできる。このような多国籍組織は地元のNGOに
相談しないで、途方もない莫大なプロジェクトを計画し、実行する。しかし、このよ
うな機関は、援助しなければならない対象の集団を優先させているとは思われない。

第四に、表面には表われないメッセージ。多くの国の国際NGOには、問題に直面し
ている国々の目標としたグループに送るべき隠れた課題を持っている。例えばモザン
ビークで活動するワールド・ビジョンはFRELIMO政府を破壊するという合衆国
政府の努力の表われだ。それは社会主義政府には反対し、RENAMOのテロリスト
や悪党に味方する福音的、反共産主義的組織体となるのである。RENAMOは政府
から権力を奪うべきであると公言する。ワールド・ビジョンはまた、中央アメリカの
抑圧的軍事体制と密接な関係をもっている。別な例を挙げよう。ケア・インターナシ
ョナル、特にケア・USAは80年代、合衆国政府がモザンビークで情報を集める助
けをしていた。このような国際NGOは、地元の地域のグループよりも、そして時に
はその国の政府自身よりも、その社会についてより完全な情報を持っている。この情
報は、地域組織や政府にではなく、援助国としての合衆国にまず伝えられるのである。


3.ティモール・ロロサエの場合

インドネシア軍が出て行った後、ティモール・ロロサエで国際NGOや国連機関はど
のように働いてきたのであろうか。前述したように、国際NGOや国連機関はその地
域に大挙して押し寄せ、首都ジャカルタやダーウィンから活動を行い、ティモール・
ロロサエの最も遠くの地域まで援助が届くよう心掛けている。彼等は国内難民を助け
たり、一般の人道援助を提供する仕事をしてきた。

このようなティモール・ロロサエでの国際組織・機関の行動を理解するために、いく
つか要因を考えてみる必要がある。

3.1 誤った見通し

ティモール・ロロサエの国際NGOや人道的活動の根本的問題は、誤った見通しを持
っていることである。東ティモールの人たちが目下、食糧を必要としているとこれら
の機関は認識している。それゆえ、彼等は人々に食糧を供給するだけでよいと考える。
東ティモールの人々は緊急事態を克服する自分たちの組織を作ることが出来ないし、
食糧を必要としていると想定している。そのような視点に基づき、彼等は人々にどっ
さり食糧を与えることを考える。そのため、東ティモールの人々は今では、いつ自分
たちが米や穀物を生産できるのかではなく、いつ食糧が配分されるかを問うのが上手
になってくる。援助供給に関する誤った想定とは別に、東ティモール全体について品
位を落とすような視点もある。彼等の目には東ティモール人たちはつまらない仕事し
かできない人々と映る。そのため、このような組織では東ティモール人は賃金労働者
としてのみ扱われ、知識や技術を伝える努力は行われない。この人道活動における地
域の役割は、賃金労働者を雇うことに限られてしまう(これについては後述する)。
国際機関と東ティモールの人たちとの間には共同作業も協力もない。後者は、前者の
積極的な活動の、消極的な需要者としてのみみられる。

3.2 東ティモールの人たちとの意志伝達の不足

国際機関が東ティモールの人たちを消極的な受益者として見ることは間違っている。
受ける援助について、基本的な情報を伝えられる価値のない人々と考えるのは、最も
間違っている。他の場所での経験も同じだが、ティモール・ロロサエでの人道活動に
かかわる国際NGOや国連機関は、地元のNGOを二流の人々と扱う傾向がある。国
際機関が、援助を受ける人々と意志伝達を行わないということは、さらに重大な問題
である。

昨年、UNHCRとIOMによるインドネシアのジャカルタからの帰国プログラムの
実行中に起こった事例をあげよう。1999年10月25日、約300人の東ティモ
ール人がスカルノ=ハッタ空港にやってきた。そのうち何人かは投票後の暴力行為か
ら逃れてきた難民だった。数時間待った後、彼等はUNHCRのスタッフからフライ
トの中止を伝えられた。何故、その便が中止のなったのか、次の便がいつなのかに関
する情報は何も与えられなかった。難民たちがUNHCRのスタッフにそのことを聞
くと、自分たちは何も知らないと言って、東ティモール人たちに荷物をまとめて、元
の場所に戻るよう提案した。難民たちの中には民兵やインドネシア軍の追跡を逃れる
ために隠れたり、変装しなければならない人もいたことを、UNHCRは知らない振
りをした。国際関係のスタッフは何をするべきかを理解し、難民に情報を伝えようと
はしなかった。その便は24時間遅れ、難民たちは食糧さえもなく、ただ待たされた。
UNHCR やIOMのスタッフはその間、飛行場にさえいなかった。

※訳注:ロロサエページ「分析」コーナーの「ジャカルタ難民帰還」を参照。

ジャカルタで起きたことはティモール・ロロサエの中での難民の扱いに比べると小さ
な問題にすぎなかった。ディリに到着後、難民の多くは長い間、臨時の避難所で全く
情報を与えられずにいた。最小限の風呂や台所のような設備しかないディリのドン・
ボスコ寮に人々は押し込められていた。難民の中にはひどく具合が悪くなる人もいた
が、何日にも、いや時には何週間も待たなければならなかった。UNHCRから得た
ほんのわずかな情報では、UNHCRはある特定の地区の移送が行われるには、難民
の数が100人に達するまで待たなければならないということだった。「私たちは1
00人にならないので家には帰れないのです。それがUNHCRの要求なのです」と、
私たちがドン・ポスコで会ったサメ出身の難民が語っていた。

いったん難民が東ティモールやドン・ボスコに戻ると、責任がどこにあるのか明白で
なくなった。UNHCRだけでなく、国際NGOが健康管理に対して責任があると思
われていたが、彼等はほとんど何もしなかった。「我々はドン・ボスコ避難所に訪ね
て行きました」。エルメラ出身のひとりの難民が皆に自分の話をしてくれた。「4日
前、彼等は私に4錠の薬をくれましたが、2日後にはなくなってしまいました。その
後、まだ何も受け取っていません」。この話しはディリのドン・ボスコ寮で長い間防
水シートの上で寝ていた難民から聞いた様々な不平のうちのひとつにすぎない。

違う場所で難民は別の話をした。1999年12月28日、約400人のアタンブア
の難民がアイナロのハツヅ小地区ベイカラ村に着いた。彼等は「自分たちがアタンブ
アからスアイに移送され、アイナロに向けて出発する前までそこにいました」と話し
た。彼らはティモール・ロロサエに何週間もいたが、UNHCRと人道援助のために
働いている国際機関の間には何の相互協力もないように見えた。UNHCRは援助の
配分について他の国際機関と調整もせずに村に難民たちを降ろした。難民たちがスア
イに到着した時、米をわずかばかりを受け取った。しかし、彼等がいったんベコラに
連れてこられると、ひとりあたり1、2キロの米しか残されていなかった。自分たち
の家は皆、焼け落ちていたのでどこに戻っていのかわからなかった。彼等はまた、ど
こで米をもらっていいのかわからなかった。ベコラには公的避難所はない。村の唯一
の小学校が焼け落ちてしまったからである。UNHCRの地域のリーダーは、多分そ
の地域は国際機関の優先順位にはなっていないのであろうと言った。その一方で難民
はまるで荷物の様に扱われたがUNHCRは難民の帰国は大成功だったとした。彼ら
は難民を降ろし、家が見つからないときにどうするか、しばらくの間、食糧をどこで
確保するかなど何も説明しなかった。雨期に入ったので難民たちはパニックになり始
めた。

1999年11月、アタンブアから戻ってきたロロトエ小地区のボボナロ出身の難民
たちにも同じようなことが起きた。1999年11月26日、道路が破壊されている
という理由でUNHCRはロロトエ地区に入る30キロ手前のタロ村の道路の中央に
300人の難民を降ろした。説明なしに彼等が降ろされたの2度目だった。これより
前、彼等はマリアナで数日間待たされたのだった。彼等は食糧もなく、国際NGOの
関係者はひとりも付き添っていなかった。数日間待っても、UNHCRは何の活動も
しなかたので、結局、この村出身の人々が土地からロロトエに難民たちを運ぶ車を借
りた。後でわかったことだが、道路には全く問題がなかった。彼等の借りた車は混乱
なく通過できた。難民の家族は各々、借りた車に少なくとも5万ルピア支払わなけれ
ばならなかった。

また、別な事例では、2000年1月1日、デイリのカンプン・アロールに西ティモ
ールから戻るインドネシアの人々の帰国に関するものである。CNRT、教会、UN
TAETなどの組織に相談することなく、UNHCRはかつてティモール・ロロサエ
に住んでいたインドネシア人たちを連れ戻した。彼等は焦土作戦が行われる前に他の
難民たちと一緒に逃げた人たちだった。カンプン・アロールにいるひとりの若者は、
このようなインドネシア人たちの帰国は間違った時期に行われたと述べた。なぜなら、
東ティモールの人たちは自分たちの家族が戻ってくるかと待っていたが、彼等が見た
ものは、予期しない客の帰国だった。東ティモールの人々が感情的になったのも理解
できる。彼等にとってこれらの客のほとんどはインドネシア軍占領の間、甘い汁を吸
っていた者たちだったからだ。UNHCRが東ティモール内で騒乱を長引かせるため
故意にインドネシア人を手配しているのだと人々が疑い始めたことにUNHCRは気
付いていなかった。このような不注意な行動は新しい問題を引き起こした。またして
も、UNHCRは生命のない、ものを考えない生き物、つまり単なる物体の移送にす
ぎないというような行動をとった。

3.3 東ティモールが必要としている事柄についての知識不足

国際機関は島に足を踏み入れる前に6ヵ月計画なるものを既に作ってきた。彼等は本
当の問題がなんであるかについての査定を何もしなかった。その結果、計画の中には
実行できないものもあり、また、いくつかは非常に不十分なものであった。

彼等は米の必要量を全く知らなかった。難民が何度も米を受け取った地域もあった。
また、難民や地域の人々が全く米を受け取れないところもあった。ビクエク地域のウ
アツラリ小地区、ワイタマ村では1999年12月以来、人々は全く何も受け取って
いなかった。彼等によると「ここには米はほんの少ししかなく、それもまた不十分で、
必ずしもすべての家族に米があたる訳ではない。水田で働くほんの少しの人々が持っ
ている」だけであった。国際NGOは地域の状況について包括的なデーターを持って
いないようだと人々は不平を述べた。家族の中には米の供給を受けた者もいたのでC
NRT、国際NGO、国連機関はあらゆる人々が十分な米の供給を受けていると想定
した。彼等はまた、人々は薬、衛生用品、香辛料、料理用油などのような必需品も満
たされたと思ってもいる。これらは村では貴重品である。

バウカウのアテリラ村では住民のほとんどがイスラム教徒とプロテスタントであるた
め、人々は何の援助も受けていない。これは米の配給はWFPとカリタス・インター
ナショナルが協力して行っているからである。カリタスはカトリック教会の作ったデ
ーターに基づいて、カトリック社会のグループにのみ援助を与えていた。当然のこと
ながらカトリック教会がイスラム教徒やプロテスタントについてのデーターを持って
いないということは理解できる。さらに、米の不平等な配給の他に地域のリーダーと
の協力もほとんどなく、様々な地域のCNRTのリーダーたちは米の不平等な配分に
ついて不平を述べていた。

栽培用の穀物の種の配分は非常に不注意だった。種は植える時期が大幅に過ぎてから
配給された。だから人々はその種を食べ始めた。種には科学薬品がついていて、食糧
としてはふさわしくないことを知らなかった。種の袋には種を摂取しないようにと袋
の外側に注意書きがあったが、彼等は字が読めなかった。その結果、多くの人が病気
になった。

国際機関はパックになった決められたプログラムのみを実行し、人々が実際に必要と
するものには対応できなかった。例えば、バウカウやマリアナのような村では、人々
は小麦(とうもろこし)ではなく米を栽培している。彼等が必要なのは水田で働くた
めの機械・機具である。しかし、国際NGOや国連機関のいずれもこの必要を満たし
てはいなかった。マリアナの人々は水田を耕すトラクターも農業用の動物もいないと
不平を言った。「我々の雄牛も水牛も民兵やインドネシア軍によって持っていかれる
か、殺された」とマリアナのリタボウ村出身の農夫が、我々が彼の家で出会った時に
そう言っていた。国際機関が使用するためにティモール・ロロサエに輸送されてきた
乗り物がたくさんあるのは皮肉だ。その車のうち、何台かは使われずに倉庫に入った
ままだ。しかし、東ティモールの食糧危機を克服するために重要なトラックが一台も
ない。

国際機関がこの社会が必要とするものについての十分な知識を欠いている理由のひと
つは地元の組織との協力体制と調整の欠如である。国際機関は東ティモールを秘密裡
に区分けした。例えばある機関はある地域の責任を持つというように。東ティモール
の隅々で働いてきた東ティモールのNGOに対しても自分たちのつくった官僚的区分
に従って行動することを期待した。東ティモールのNGOが米の配分を手伝うためW
FPの事務所を訪れた時、「どこのNGOか。組織はバウカウで米を配給した経験が
あるか」とWFPの職員に尋ねられた。まるで東ティモールに米の配給に精通してい
るNGOがあることを疑っているかのように。

米の配分を行っていた国際機関、WFPやワールド・ヴィジョジョンは柔軟性のない
官僚制度を作り、東ティイモールのNGOや外国の小さなNGOが活動することを困
難にした。彼等の米の配給の提案は、手際よくすぐには実行されなかった。

NGOは進行中の耕作作業を助けるののではなく、村人たちが耕作に携わっている地
域に食糧を配分し続けてきた。アイレウで人々は米を耕作することを望んでいる。し
かし、どの国際機関も彼等を助ける計画を持っていない。ツリスカイでは人々はかな
り多くのコーヒーを貯蔵している。しかし、供給のネットワークの崩壊と輸送の不足
のために人々はどこでコーヒーを売っていいのかわからない。同じ様な問題マヌファ
ヒのブブスス村でも起こっている。そこの地域のリーダーによると40トン程のコー
ヒーが蓄えられてあるが、それをどのような市場で売るのかわからなかった。彼等は
その地域で働いている国際NGOに問題を提出した。コーヒーを市場で売る計画は現
在の所はないと言われた。

国際機関は東ティモールであらかじめパックされ、決められた計画を現在、行ってい
る。東ティモールの社会が必要としていることに自分たちの仕事を適応させてはいな
いのである。

3.4 海外援助への依存

人道援助は依存の問題を生み始めている。この現象は援助それ自体によるものでなく、
その配分の方法によるものだ。米の耕作やコーヒーの販売のための支援が欠如してい
ることは前述したが、そのため村の人々は自ら食糧を供給することや自身の収入を得
ることができなくなっている。

米の配分の方法は現実に人々が村で耕作できないという問題を起こしている。地方で
の米の供給が予測不能のため、人々は米を得るためディリに留まることを決意した。
多くの人々は、東ティモールの自らの食糧を作ることに貢献することができる彼等の
農地で働くために村に帰ることを望まなくなった。

リキサでいくつかの漁民のグループは共同組合を組織しようとした。彼等はその地域
で活動している日本のNGO、ピース・ウィンズに提案を提出した。しかし、それら
のグループはピース・ウィンズから何の回答も得られなかった。たぶん、漁民たちの
提案は彼等の関心事ではなかったのであろう。私たちがコメントを求めたとき、彼等
は不満をもらした。もし、漁民たちが新しい船(彼等が避難している間に破壊された
のだが)が援助されれば、彼等は自分たちで収入を得、WFOやワールド・ビジョン
の食糧援助に全面的に依存することはなかっただろう。しかし、国際機関は漁民のた
めのプログラムを持っていなかった。

3.5 財政の透明性

ほとんどの東ティモール人たちは世銀の援助国会議で保証された資金によって国際N
GOや国連機関の事業が実行されることを知らない。この資金はティモール・ロロサ
エの人たち利益のために用いられる。世銀と援助国は12月16、17日、東京の会
議で52億ドルを3年間で供与するとが保証された。しかし、この資金がどのくらい
で、どのように使われ、NGOや国際機関の事業にどう資金提供されるか情報はない。
国際NGOや国連機関は資金調達によって「救世主」のように振る舞う。人々はそれ
ら国際機関のためにどこから資金がきたのか知らないし、その予算の考えについても
知らない。

国際機関のひとつワールド・ビジョンは東ティモールのグループに、村まで米を運ぶ
資金はないが、倉庫から村まで自分たちで米を輸送するならばよい、と述べた。これ
は、リキサのバサテテ地区のレロマレ村での経験だが、ワールド・ビジョンは輸送手
段がないことを主張した。2000年1月6日、村人は割り当てられた米を得るため、
自分たちで8万ルピアかけて4台の車をチャーターし、リキサにあるワールド・ビジ
ョンの倉庫から米を運んだ。なぜ、一般の人が4台の車をチャーターできたのにワー
ルド・ビジョンはできないのか。村人は車のチャーターのための最後の蓄えを使った。
村人より莫大な資金を持つワールド・ビジョンが移動の費用を賄えないのか。

私たちは、すべての東ティモール人同様、国際機関のお金の使い方を知ることはでき
ない。外国人スタッフの維持費はきわだって高く、車や(聞くところによると一泊2
00ドル近い)ホテル、食糧とビールを輸入し、国内外を移動する。もし、外国人ス
タッフが、計画実行に必要な小さな核となる少数の人々からなっているなら職員の支
出に異議はないが、スタッフの規模がひどく大きいのは明らかだ。国際機関がもっと
東ティモール人スタッフを信頼すればもっとお金は節約でき、より一層、勤勉でよく
働く労働者を手に入れることができ、東ティモール人たちも利益を手にすることがで
きる。

3.6 労働者の酷使

上記のように国際機関で働く地元の人々は、単なる運転手、使用人、料理人、そして
つまらない仕事で雇われた人たちで構成される。こうした、東ティモール人社会との
関係の在り方からも、国際機関の無能が露呈されている。問題の大きな部分は労働者
との話し合いを国際機関が拒絶していることで、彼等に、労働条件について説明する
価値がある人間としての礼儀を重ねて要求する。話しをした全ての労働者は賃金や労
働時間、その他の労働条件について説明されていないという不満を持っている。私た
ちはたとえ国が危機的な時でも、国際機関が現在取っているような労働慣行の類を正
当化する理由は無いと考える。

a、日雇いの使用

国際機関は倉庫で働くほとんどすべての人を臨時の日雇労働者として扱う。労働者た
ちはその朝に報告が告げられるだけだ。もし、仕事があれば呼ばれ、なければ呼ばれ
ない。このことは、もし、労働者たちが倉庫での仕事を得るために交通費をかけて来
ても、その日、仕事を得られる保証がないことを意味する。

b、賃金の遅配または未払い

労働者の何人かは何日も賃金を受け取ることなく働いてい。例えば9人の東ティモー
ル人は1999年10月から12月までビケケのWFPの米の倉庫で賃金を受け取る
ことなく働いた。彼等は1ヵ月の報酬としてひとりあたり3キロの米を受け取っただ
けだった。WFPとティモール・エイドの倉庫で働いていた3人の他の労働者は、ベ
タノ、サメで拷問に近い経験をした。ひとりが言った。「私たちはただ働き続けた。
一度、私たちは賃金について尋ねたが、白人のボスは待て、賃金は働いた後で払われ
るだろうと言った。」これらの3人の労働者は船から倉庫へ米を荷降ろしをしていた
が、たった3キロの米を得ただけだった。2ヵ月後、3人の労働者は100万ルピア
を受け取った。リキサの労働者たちは似た経験をしている。2ヵ月間、ワールド・ビ
ジョンの倉庫で働いていた約10人の労働者は、1999年12月の終わりまで賃金
を受け取らなかった。私たちの情報源によれば、ワールド・ビジョンは2000年1
月14日になってようやく彼等に賃金を払った。彼等は働いていた間、1ヵ月あたり
たった10キロの米を受け取ったにすぎなかった。ワールド・ビジョンと労働者の間
にしっかりとした契約はない。ディリのビラ・ベルデのWFPの倉庫の労働者は賃上
げを要求し2000年1月の初めまでハンガーストライキを行った。彼等は1日にわ
ずか2万ルピアを受け取っているだけだったが、彼等は1日に6000から7000
ルピアを交通費に使い、少なくとも10000ルピアを1回の食事に使う。1日の終
わりにはたった2000か3000ルピアを家に持って帰る。ビケケの公立病院で調
理をしている労働者は、何週間か働いたが、この病院の運営の責任を持つMSF(国
境なき医師団)から何の支払いも受けなかった。

c、身体的虐待

ディリのビラ・ベルデのWFPの倉庫の労働者は身体的に虐待されている。彼等の何
人かが仕事の時間に遅れたという理由で、倉庫の責任者のWFPの外国人スタッフに
殴られた。

d、仕事場での保安状況

労働者たちは米の倉庫で働くのに必要なマスク、手袋、ブーツなどが与えられてない。

私たちはそれを恥ずべきこととみなす。外国人スタッフには1ヵ月に数百から数千ド
ルの十分な支払いをしているワールド・ビジョンのような組織は、倉庫で働いている
労働者には1日3ドル払うのを遅らせるという問題を持っているのである。

3.7 サービス配給に対する責任不足

「今日は休日なので、ここに救急車はない」。家族に重病者が出たので国際赤十字に
搬送を頼みにきた何人かの人に、ビダウの病院で医師はそう答えた。その時、数台の
救急車が国際赤十字の車庫に停めてあったと目撃者たちはいった。これは私たちが聞
いた、東ティモールで保健サービスを行っている国際的なNGOや国連機関に対する
多くの不満のひとつにすぎない。彼等は彼等の仕事の計画において割り当てに到達す
ること望んでいるにすぎないかのように振る舞っている。いくつかの事例で、東ティ
モール人の患者をモルモットとして使っているのは明かだ。他の情報源からの指摘で
は国際NGOや国連機関は、結核患者は扱いたくないようだ。

国境無き医師団(MSF)、Assistencia Medica International(AMI)、Inter-
national Medica Corps (IMC)、 Medicins du Monde France(MDM−F)や他
にも多くの国際NGOが保健サービスを行っている。しかし、ディリにヘルスケアの
プロが集中しているということは悲しい事実だ。ディリの外では保健サービスは不足
している。「ここには贅沢な家も、ビールを飲むバーもディスコもない。こんな所に
人道援助の活動家がどうして留まりたいと望むだろうか」。アラスのサメの地元のリ
ーダーに保健サービスの不足についてコメントを求めた時、彼はこう言った。

もうひとつの話しはアタバエのボボナロのものだ。MSFがこの地域で保健サービス
を担当していることになっている。MSFのスタッフは週に2度、アタバエの街に来
た。しかし、彼等は道路が悪いと言って、村には行かなかった。例えば、アイダバレ
テ村は道路が破壊されているので、誰かが病気でも村には行かないだろう。そして、
治療は受けられない。何人かの地元の看護婦たちは村に薬を分けてくれるよう頼んだ
が、MSFのスタッフは地元の看護婦たちを信用しなかった。この看護婦たちは不満
をもらした。「私たちはMSFのスタッフがくるまでは、患者が死ぬまで待たなけれ
ばならないのか」

再び、ヘルスケアの分野で、国際機関は東ティモール人とは働くことができないとわ
かった。おそらく看護婦たちは高度に訓練されてないが、もし、器具や薬があれば基
本的な健康の問題は扱うことができる。私たちは年中地域で生活している「裸足の看
護婦」や「裸足の医師」を、飛行機で飛んでくる高度に訓練された外国人医師よりも、
健康管理にはずっと価値あるものと全面的にを信じている。これはわかりきったこと
だが、ここに着いたすべての援助団体はそれを無視しているようだ。国際援助機関は、
自ら(不規則に)ヘルスケアを施すより、「裸足の医療スタッフ」に訓練や必要なも
のを装備させることにしたほうがいいだろう。

ティモール・ロロサエの人々は、多くの救援組織の職員は身の入らない任務を遂行し
ているような強い印象を持っている。彼等は気付いている、それらの外国の救援組織
の職員はただ、苦難に直面している人たちの中に冒険旅行に来ているだけだ。


4 人権状況

ここでは、人道的活動中に起きている人権侵害について述べる。

市民的、政治的権利:

知る権利。ティモール・ロロサエの人たちは、基本的な原則や方法、人道支援活動の
根本、特に事業が実施されるための資金について、何の情報も受けていない。プログ
ラムや計画についての情報はプログラムの対象となるグループの人たちには公表しな
ければならない。

積極的な参加の権利。私たちが観察したところによると、ティモール・ロロサエの人
々はパートナーとしてよりも、人道活動の対象として扱われている。

拷問から自由になる権利。倉庫で働く何人かの労働者は、米の配分を監督する国際N
GOのスタッフに殴られた。

経済、社会、文化の権利:

公平な報酬の権利。外国人スタッフのサラリーと地元の労働者の賃金には反道徳的な
ほど大きなギャップがある。

仕事に対する情報の権利。国際NGOや国連機関の労働者は、労働者としての権利に
ついて何も説明されない。

食糧の権利。住民の何人かは食糧援助を受けているが、他方、そうでない人たちもい
る。これは国際NGOや国連機関が、そのグループの状況について十分な情報を持っ
ていなかったり、国際機関と地元の組織の間の調整不足のために起こる。

ひとつの社会環境を残すための権利。国際機関はその分野で起きた問題を扱うために
、現在存在する社会機構を使うことを試みていない。彼等は自分たち自身が作った仕
事をしようとし、地元の機関を無視している。


5 勧告

以上見てきたことから、国際機関は、人道援助活動を改善するために踏まえることが
できるステップがあると我々は信じる。大きな目標は人々に権限を与えることであり、
人々を、一袋の米をわたすだけの値しか持たないような思慮を欠く対象物として扱う
ことではない。

○活動を効果的にするために国際NGOや国連機関は、チモール・ロロサエ社会の中
の全ての可能性のあるグループとの調整が必要だ。調整会議は「パートナーシップ」
という修辞的名目のためにするべきではなく、具体的で実際的な行動にすべきだ。

○東ティモールの人々の情報の権利を満たすこと。国際NGOや国連機関、中でもと
りわけUNTAETは、ティモール・ロロサエに、世界銀行から供与された資金の配
分について、広く知らせるべきだ。

○人道機関は草の根レベルでティモール・ロロサエの人たちと一緒に働くために心を
開くべきだ、そうするつもりがないなら、彼等はただ、焼き尽くされた国に来て、苦
しんでいる人々の中でピクニックしているだけだ。

○人道的救援活動をしている国際NGOや国連機関は、ティモール・ロロサエにいる
つもりなら説明と広報を行うべきだ。これらの外国の組織がいなくなる時期や、これ
以上援助を受けなくなる時期を見通すことが人々にとって必要だ。国際機関が撤退す
る前に、東ティモールの組織の建設のためのスケジュールが明確にされるべきだ。

2000年1月10日/ディリ

Compiled by: Working Group for Study and Examination  Yayasan HAK
Dili  Timor Loro Sae


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