Subject: [reg-easttimor 89] PPRP News No 10
From: Pacific Asia Resource Center <inobuko@jca.apc.org>
Date: Tue, 22 Feb 2000 10:47:57 +0900
Seq: 89


東ティモール市民平和救援プロジェクトPPRPニュース No10 (2月21日作成)


★ 鈴木隆史さん活動報告
11月13日から2月9日までの活動を、鈴木さんの記録と2月18日の報告会から
まとめました。(まとめ:清水祐子)

※11月の主な活動
 前任者緒の久保さんと交代。UNICEFの学校再建プロジェクトへの実施パートナー
としてPPRPが取り組むかどうかを検討。シスター ルデスが運営するISMAIK(キ
リストの兄弟姉妹のための在俗会)と共に、ダレ(ディリ県)、リキサ県でコミ
ュニティー再建、青空教室での給食の配給を手伝う。YayasanHAK(現地の人権団
体)と協力関係を作る。豆や米、CESVI(イタリアのNGO)からもらった鍋や石け
ん、シャンプー(食料以外の物資)を配りながら、CNRT側から国連の物資配給に
関してクレームが出ているなど問題が多いことに苦慮する。

<日付が入った箇所は鈴木さんの記録より抜粋>
○ 11月19日(金)
午後2時半からコンパウンドでユニセフの会議出席。大きな進展はなし。中・長期
プログラムに分けて6ヶ月ほど支援を行なう。夕方、Yayasan Hakでジョージアディ
チョンドロの講演を聞く。
○11月24日(水)
アイレウの寄宿舎が焼かれたため、ダレに多くの子どもが一時的に来ている。その再開が
急務という。
9:00からリキサのミーティング出席。WVによるFood For Workのミーティングだった。
村のCNRTメンバーが参加。ルデスと一緒に出る。WVの担当者はエンジェルという
インドネシア(華人)。ローカルスタッフ(チモール人)5人も出席。
プログラムの意味がみんなに理解されていない。ルデスは援助に依存するのではなく、
自立の必要性を主張。通訳が悪いとトメさん(PPRP現地スタッフ)が批判。その後、
ISMAIKで5人のCNRTメンバーとルデス、鈴木で話し合いをする。彼女は保健所の周
辺に薬草園を作ったり、漁民や農民たちの組織化などの必要性を呼びかける。
CNRTのメンバーの多くはインドネシア時代公務員として何がしかの専門的な部署
に勤務していた者も多い。森林担当、保健担当など。
彼らから現在必要としている自立のための資材、支援を聞く。種。それも各地で
これまで植えてきた食物のもの。薬品。トラクター。チェーンソー。漁具。養殖
技術。魚の加工技術。村人の移動のためのトランスポーテーションなど。現在行
なわれている国際NGOによるものではないきめの細かい支援が必要。ルデスは12月
にダレでCNRTのメンバーを集めてミーティングを行なうことを彼らと話し合う。
○11月25日(木)
 リキサにてUNICEF教育ミーティングに参加。学校再建のためのプログラムを作成
するという。教員が100人以上参加。校長先生もいる。彼らは各村から徒歩でやっ
てきた。UNTAETのロザ、ケイトが会議を仕切る。教員名の登録。書類の提出。教
師への米とお金の支給のため。しかし、後にいつまでたっても実行に移されず、
教員たちから不満がでる。
 ISMAIKの寄宿舎の状況を見に行く。9月以降誰も現場に行っていない。モバラは
BMTの拠点があった場所。ミリシア、軍、警察のポスが固まって存在していた。寄
宿舎は教会と宿舎が荒らされていたが無事。台所のみ放火されて焼失。畑も荒れ
ていたが唐辛子が実っていた。教会内部はめちゃくちゃ。使える教科書などを持
ちかえる。アタンブアからの難民も帰還しており、ISMAIKをサポートしていた男
性とも再開。
その後、ロイス(水田のあるところ)へ向かう。道を何本もの川が(枯れている)
が横断している。雨期には濁流が流れ通過不能となる。この地域にBMTが入ったの
は99年の2月のこと。村は完全に焼失。人々はマリアナなどを経てアタンブアへ逃
げる。その人々が戻り始めていた。自分たちで元家が会った場所に取り合えず住
める家を作り、畑にトウモロコシなどを植えていた。種は襲われる前に隠してお
いた。分配を待たずとも自分たちですでに農業活動をはじめていた。すでに一メー
トル近くに成長。
途中、もと村長に出会う。上半身裸でリヤカーに水道管を乗せて歩いていた。
インドネシアが敷設したパイプを集めて簡易水道を引く準備。人々の自主的な村
の再建は支援がなくても始まっていることを確信。
○11月28日(日)
朝10:00、倉庫に荷物を取りに行く。家では倉庫に入れるのに大騒ぎ。パッケージを
ばらして別々にする。分配予定日と分配量をメナさんと一緒に決めて表を作成。
スワイから虐殺のとき殺された3人の神父の遺体がカテドラルに到着。ベロ司教も
棺おけに抱きついて泣いたという。遺体はそれぞれの親族の元に運ばれた。(出
席はせず)
○11月29日(月)
CESVIの物資を持ってアイレウ、ベタノに向けて出発。アイレウでは丁度町の中心に
あるグラウンドをファリンティルが総出で草刈をしていた。ファリンティルはこ
のアイレウに集結している。住民たちも一緒になって草刈をしていた。街中はと
ころどころ道路が封鎖されていて、銃を持ったファリンティルが検問している。
ISMAIKを中心にクリスマス前か後に炊き出しを行なって同時にいろんなディスカッ
ションができないかを話し合う。可能性はあるというのでどのようにできるか検
討をお願いする。PPRPが米を持ってくる。同時に住民の経済自立に向けての組織
化の可能性を検討する。
アイレウからマウベシ(ここはミリシアマヒディの拠点)を通過。町がそのまま
残っている。どこも焼かれていない。とても不思議。山へ登る途中の何軒かが焼
かれていた。ファリンティル支援者と疑われたためだという。高地に位置するた
め野菜の産地。コーヒーも少しある。途中、馬で人々が配給された米などを運ん
でいるのに出会う。ここで雨期の物資配給に馬のコンボイを作って出かけるとい
うアイデアを思いつく。知り合いに話してみると可能性はあるのではという。町
に拠点を設けて10頭から20頭くらいでチームを組んで薬や米などを運んではどう
か。車のアクセスできないところに馬が役立つ。金もかからないし、住民の組織
化にも役立つと思う。
13:35サメに到着。山越えが大変。峠はとても素敵な場所。草原が広がり馬が草
を食む。かなり涼しい。朝晩はかなり冷え込みそう。子どもの服がない。病気が
あるのでは。大人もサロンや毛布を巻いている。老人夫婦が山の斜面を耕してい
た。生きることに人々は必死。
クリスマス前の住民主催(ISMAIKが主導)のパーテーを21日と22日にかけて実施
することに。PPRPが米などを少し協力する。残りの食べ物は住民が自分たちで持
ってくるという。我々がすべてをするのではなく、パーテーが実施できるように
最低限の手助けをすることができる。若者、子ども、女性の組織がすでに存在す
る。

※12月主な活動
 東京で開催される世界銀行の東ティモール支援国会合に向けて、NGO側からの
提言書作成のため、ディリでNGO間の連絡と取りまとめ作業。
 ISMAIKが主催する、リキサとベタノ(マヌファヒ県)でのクリスマスと新年の
お祝いの炊き出しパーティーに援助。
 YayasanHAKの中心メンバーの出身地である、ベタノ・ベイカラ村でコミュニ
ティーセンター建設計画を立てる。 
○12月1日(火)
トメさん(PPRP現地スタッフ)、9:00からリキサのFood For Workの会議に出席。
鈴木はNGOヘッドミーティングに出席。ここで、日本でも世銀の会議に向けての
NGO側からのステートメントを出したいという呼びかけを行なう。この会議にはナ
ショナルNGOのメンバーも出席。アレクシオがいた。会議のあとイネス(OXFAM)
がアプローチしてきて世銀の会議向けのステートメントを一緒にやらないかと声
をかけてくれる。当初、鈴木がCNRTへのコンタクトに忙しいし、コンパウンド住
人(国際NGO)との話し合いは困難と判断。ピースウィンズにやってもらう?イネ
スと知り合ったのでそれも自分でやることにする。彼女が作成したステイトメン
を検討することにする。さらにイネスはこの問題に関して特別の会議を開くので
出席してくれるように提案した。しかし、国際NGOの代表たちの反応は全くなかっ
た。
○12月4日(土)
ヴィケケのISMAIKの寄宿舎に物資を届ける。途中、マナトゥトゥに立ちより塩を購入。
1キロ5000ルピア。かなりミリシアの活動が活発だったようで、破壊状況はすごい。
バウカウでフィリピン軍の検問を受ける。彼らはテトゥン語でドライバーに質問
する。これはすごい。山道の途中で段段畑を見る。すでに米が植えられていた。
トウモロコシも花をつけている。ここでも住民たちは種の分配を待つのではなく、
自主的に必要な植物を植えていることを確認。ヴィケケを経てルカへ。ルカはイ
ンドネシア時代のトランスマイグレーションの対象地。ローカルもいる。彼らは
地元に残っていた。ルカの村に向かう。ここにはウマトルの人々が住む。彼らは
もともと山に住んでいたがインドネシア政府によってルカの村に再定住させられ
た。ここでの米の配給は順調に行なわれており、人々は米を受け取っていた。人
々から緑豆を購入。クリスマスイベントのための準備に利用するためのもの。20
万ルピア近くを支出。
○12月24日(金)
リキサで子どもたちの絵書きワークショップを行なう。丁度、年末のパーティーの
練習中。クリスマスイブはISMAIKのイスの上で寝ながら過ごす。犬の肉を食べる。
○12月25日(土)
クリスマス。神父さんのインタビューを少し手伝う。マニュエル・カラスカラオンが
神父さんを尋ねる。彼ら一族はリキサに広大な土地を持つ。
ISMAIKのリンダとジョアンナと一緒に近くの村に子供服を配りに行く。
○12月28日(火)
ベタノ・ベイカラ村に向かう。林の中にある素敵な伝統的家屋である。最近再建した
という。全く釘などを使っていない。これはすごい。高床式で気持ちがいい。一
休みした後、村人たちと話し合いを持つ。すでにアネス(現地NGOスタッフ)がア
レンジしていて40人くらいが集まる。年寄りも若者も女性たちもガジュマルの木
の下で輪になって話す。
学校や保健所の再建が大きな課題だという。鈴木が伝統的な家屋を学校として使う
ことができるかどうかを問いただしたら、すでに校長がそのアイデアを持ってい
るという。この村の小学校は14人の先生と88人の生徒がいるという。資材は村人
が協力して森から切り出すことができるが、運搬手段がないという。それではそ
こにHAKとPPRPがトラックを提供して小学校建設をしようかという話になった。
難民が1日遅れてベタノから帰ってきた。その数およそ400人あまり。4台のUNHCRの
トラック、WFPの2台のトラック。UNの車が村のグラウンドに入って来た。村人に
UNHCRの人が仲良くするようにと告げ、人々が車から降りてきた。小さな子どもを
抱えた母親、老人、みんなやつれている。大した道具も持っておらず、ドンゴロ
スの袋に服や鍋などが入っている。すし詰め状態で人々は連れて来られたようだ。
食糧も配給されていない。スワイで消費してしまった。非常に難民の扱いが悪い
という印象を受ける。物としか思っていないのではないか。人々は消息の分から
なかった親戚や友人を見つけて抱き合って涙を流しながら無事の再会を喜んでい
る。泣き叫ぶ子ども。なんとも言えない光景だ。しかし、村人は難民が帰ってく
るという情報をきっちり受け取っていない。だから何の準備もできていない。先
に帰ってきた難民たちは取り合えずもとの土地にテントをはったり、家を建てた
人もいる。シェルターはどうしたんだ。なぜ、シェルタープログラムが動いてい
るのに彼らの受け入れができていないのだ。みんな怒る。こうしたときに食べ物
の炊き出しをして上げれたら。学校の再建を通じて人々がこうした問題に対して
も積極的に関与し、できることをするための最低限の支援を考えてもいいのでは
ないだろうか。

※1月の活動
 ベイカラ村のコミュニティーセンター建設着工。センター運営について東京
事務局やYayasanHAKと調整。
 シンガポールのインターナショナルスクールからの支援物資を配給。

********2月18日報告会での質疑応答から********
Q:コミュニティーセンターの活用方法は?
このセンターの建築資材はすべて山から切り出したもので、伝統的な建築方法に
よって建てられている。外国からの援助物資がなくても、住民の協力関係をうま
く組織できればすごい力になる。少なくとも人々の何かを作り上げていこうとす
る意欲とコーディネート力には驚かされる。私たちはそれを少しサポートするだ
けでいい。工事期間中はPPRPから食事を提供したが、基本的に約40人の住民の
自主的参加によってなされた。まだ所々建設中だが、母屋は完成。すでにシンガ
ポールからのミシンを2台もらい、女性たちが服を作っている。今後は、学校や
集会所にも利用する予定。援助物資がなくても自力でセンターを建設したという
自信になると思う。

Q:国際NGOとPPRPのような小規模NGOの違いは何でしょうか?
どこも人々は自主的に作物を植えたり家を建設したりしている。その力は感心する
ばかり。私たちに何ができるのか。国際NGOの役割って何なんだろうと考える。大
きな援助は時として村の人々の自立への芽を摘み取ってしまうのではないか。人
々の暮らしの再建に向けての後押しこそが重要なのではないか。
今回は、PPRPの構成メンバーに東ティモールに長年関わっていた人たちがいた。
そこから知り合いなどを通じて村にはいっていくことができ、人間関係を作って
いけたことが、小さなNGOにしかできないことだと思う。

Q:元ミリシアたちは今後どうなると思うか?
私は、ミリシアについてジャーナリスト的なインタビューをしていないので、よく
わからない。ただ、元ミリシアを村に受け入れるのは容易なことではないことは
わかる。それでも、
人びとは、強制的されたミリシアと国軍と連携した確信犯たちとは、はっきり区別
している。しかし、やはり親族を殺された人たちは、状況を頭では整理できても
気持ちの部分で受け入れるのには時間がかかる。けれども、多くのミリシアはす
こしづつ村に戻っていくと思うし、ミリシアたちが村に戻って生活を再建したい
と思っている気持ちは村人は理解している。
今はまだ毎日の生活で精一杯なので、破壊や虐殺の後遺症は押さえられているが、
時間が経つごとにトラウマ(心理的外傷)があらわれるだろう。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

★ 声明への賛同にご協力ありがとうございました
2月10日に、3団体共同(東ティモールに自由を!全国協議会、アムネスティ日本
支部、PPRP)で発表しました、「国際法廷設置を支持する声明」には、44団体、
292人の個人賛同をいただきました。国連事務局長宛には2月19日に FAXに
て提出済み。日本政府へは、議員と通じて2月23日(水)外務省に提出する予
定です。

★「日本てぬぐい」の行方はいかに?
昨年、診療所で包帯やガーゼの代用品として「日本てぬぐい」が使えるという
ことで、みなさまにご協力をお願いしました。みかん箱にして6箱が集まりまし
た。輸送に手間取っている間に、極度の物不足の状態は脱しましたが、現地で細
々と役に立っているようです。
昨年より協力関係にあるバイロ・ピテのダン医師の診療所で、熱冷まし用に使う
ため、シェア=国際保健協力市民の会の川口さんに渡しました。さらに、お産の
後に床にこぼれた血をふき取るための雑巾として使いたいとのことです。また、
巡回診療の際、タオルとして渡すことも予定しています。しかしながら、包帯は
診療所に十分あるので、その用途としては今はもう必要ないそうです。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

★会計中間報告書(1999年9月14日〜2000年2月21日)

◆収入 13,122,856円
 寄付金内訳:
 ・郵便および銀行口座振り込み金額12,507,243円 653件(のべ数)
 ・現金寄付、行事収入615,613円 
    現金寄付やチャリティーバザーの開催や貯金箱設置にご協力いただいた
    個人・団体は約45件

◆支出  10,894,695円         
内訳:
◎援助金  6,480,935円  
項目・援助物資船「マーシー号」1,298,307円 
   ・車両4台の購入と輸送費2,902,865円
   ・車両維持費(修理費、燃料費など)、食料援助(主に米)2,279,763円 
※ ただし、ダーウィン〜ディリ間の3台分輸送費は未払い。
現地精算分経費の明細は最終報告書に記載。
 
◎援助金以外の活動経費  2,573,845円
項目・衛星電話購入費440,109円
   ・現地調整員活動費949,380円
   ・調整員渡航費(海外傷害保険料含む)1,184,356円

◎ 国内事務所経費  1,839,915円
項目・アルバイト人件費520,000円
   ・通信費(国際、国内電話)318,014円
   ・郵送費412,320円
   ・リーフレット、ステッカーなど印刷費249,360円
   ・行事費(報告会や世銀・支援国会合)、事務用品、その他雑費340,221円

◆ 2月21日時点での収支 2,228,161円 


★事務局より
● 現地では,2月から,お医者さん,保健婦さん,看護婦さんとともに,中心的にドクター・ダンとの共同で医療・保健活動を行なっているSHAREと同居して,活動をしています。
●みなさまからたくさんの募金をいただき,活動してまいりましたPPRPとしての活動は,緊急の支援活動として広く呼びかけ,9月にスタートしました。「宵越しの金は持たない」的支援活動で,9月のジーン・イングリスさんの現地コーディネートで実現したマーシーシップを皮きりに,車の購入,物資の配送,クリスマスお祝い支援,ミシンの配送のお手伝い,コミュニティセンターの建設手伝い,など、現地のシスター・ルーデス、Yayasan Hakなどと共同しながら支援活動を続けてきました。現在、残金約200万円で、車輸送費を支出してしまうと、3月一杯まで、活動を続けることができると思います。
● 現在,11月に方針提起したUNICEFの学校修復が,ようやく現地で動き出し,その修繕資材の配送などを手伝い始めたところですが,3月以降は,PPRPから引継ぎ,アジア太平洋センター(PARC)として,緊急支援の時期として一応の目安とされている6月までを目途に,救援活動に出される補助金をとりつつ,この活動を引き継いで行こう考えています。また,3月には,古沢希代子さん,村井吉敬さんなど,アドバイザリ・メンバーの面々が,東ティモールを訪ねることになっています。これまでの,鈴木さん,久保さんらの活動の蓄積のうえに,現地調査をし,また,様々な方達とも会って,議論して,その後,2−3年の時間をかけて,新しい国づくりを支えて行けるような支援の形も考えていけたらと思っています。
● 4月には,これまでPPRPとして行なってきた活動報告集会を開いて,これまでの活動のけじめとしていけたらと計画しています。また,できるだけ多くの方々に声を寄せていただけるような,報告集もつくれたらとおもっています。
● 何もかも十分とは言えない条件で,活動してきてくれたスタッフの活動は,多くの日本の皆さんに支えられ,良い経験だ,といいつつも,苦労の連続でもあったようです。現地では,思っていたより車の故障が多かったり,様々な部品が必要になったり,現場のコーディネートには多大なエネルギーを要してきたと思います。まだ,現場での活動は続きます。引き続き,みなさんのご支援を,
  よろしくお願いいたします。



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tel 03-3291-5901 fax 03-3292-2437
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