Subject: [reg-easttimor 161] 東ティモールから No .13
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Wed, 17 Jan 2001 22:12:25 +0900 (JST)
Seq: 161

1月8日(月)
 午前中はスタッフ会議。2001年初めての会議なので、PARCの計画をもう一
度説明しなおす。中学校の校舎修復工事、小学校の椅子・机製造を中心にしなが
ら、ワークショップによる「民衆教育」もやりたいと欲張った計画を話す。
 もう一つの議題は、雇用契約書。契約書は英語で書いてあるので、それをトメ
さんにテトゥン語で説明してもらっていたのだが、自動車が事故を起こした時の
責任と保障について書いてない、と言われる。東ティモールでは、鶏を轢いたと
きは5ドル、山羊は50ドル、豚は100ドル、が大体の相場らしい。ところが人身事
故を起こした時は、かなりマチマチで、NGOのように外国の金が入っていると
ころだと思われると、かなり高くふっかけられるらしい。何しろ自動車保険に入
れないところなので、対策の立てようがない。とにかく、安全運転に徹すること
を強調し、他のNGOなどに、どうしているか聞いてみる、と答える。みんなが
そのことを気にするのは、このところ交通事故が急増しているから。リキサ県に
行く道にも大破した車が置き去りになっている。
 JICAに電話して事故対策をどうしているか尋ねるが、何もないとのこと。
 会議後、エペロ小学校に行く。ここの人たちはてきぱきと仕事をしていて、見
ていて気持ちがよい。外に長くいたためか、午後からやたらと眠くなってくる。
運転席で横になり、帰りの助手席でも眠っているのだが、まだ眠い。どうなった
んだろう。
 深夜、ものすごい雨と雷で目がさめる。あまりの凄さに起きて、雷をみる。

1月9日(火)
 午前中、銀行へ行く。ところが、入っているはずのUNICEFからの送金が
入っていないので、あせる。担当者に電話して確かめると、恐縮した感じでUN
ICEF内での手続きに時間がかかって、というような弁明をする。クリスマス
前に振り込むと言っていたのに、まだ入っていないのだから、あきれる。
 事務所へ戻って、会計の整理をする。暑い事務所で、こういう作業をしている
と、根気がなくなり、すぐに何か飲みたくなる。
 夕食後、停電。

1月10日(水)
 久しぶりに、午前中から停電。原稿の締め切りが迫ってきたので今日中に完成
させようと思っていたら、停電になってしまう。この悪循環。コンピュータが使
えないので、領収書の整理をする。
 夕方、電気が回復したので『インパクション』の原稿を仕上げ、FAXで送る。
このところメールの調子が悪いので、まずはFAXすることにしている。夕食後、
『オルタ』の原稿にかかるが、疲れてくる。一日中、事務所にいたので気分転換
に外へ行く。最近できたオーストラリア人経営らしいレストランへ行く。勝谷君
はアイス・コーヒー、僕は白ワインを注文。ここのアイス・コーヒーはオースト
ラリアの空港で飲むものと同じで、日本でいうコーヒー牛乳にアイスクリームを
浮かべた飲み物。はじめは「何だ、これ」と思うが、次第にやみつきになる。
 帰ってから原稿を続けるが12時前に停電になる。

1月11日(木)
 午前中、『オルタ』の原稿を仕上げる。午後、草の根無償資金の申請書を完成
させる。その勢いで申請書の英語版も作ってしまう。夕方、強い雨が降り、事務
所の周りは水浸し。事務所の前の道路は排水が悪いので、足首まで水につかるほ
ど。

1月12日(金)
 午前中は、スタッフ全員で事務所の倉庫兼台所の片付け。要らないものをかな
り処分する。おかげでかなりスッキリし、色んな資材を置けるようになった。
 昼から、JICA事務所で鈴木氏と打ち合わせ。その後リキサ県教育委員会と
UNTAETに行き、小学校用机・椅子の製造について話をする。UNTAET
の担当者はすでにディリに帰った後だったので、書類だけ置いてくる。
 リキサのレストランで、今朝着いたばかりのJVCスタッフ、清水君と高橋君
に会う。二人はオックスファムのプロジェクトを見学するため、リキサ県に来た
もの。JVCは東ティモールで何をすればいいかを慎重に検討しているらしく、
二人がくるのも、これが二度目。
 夜、日本人ミ−ティング。このダラダラと情報交換をするミーティングは、何
とかならないかといつも思うが、情報収集のいい機会ではある。国際赤十字病院
で働いている人が、国際赤十字は6月一杯で病院経営から手をひくことを決めた
と報告する。200〜300人のスタッフを抱えているため、経費が膨大にかか
るらしい。たしかに、この病院は唯一の総合病院で、東ティモール人も外国人も
無料で診察してくれる。ここが閉鎖にでもなれば、かなり困ったことになる。政
府連絡事務所(仮大使館のようなもの)からは、マナトゥト県の灌漑プロジェク
トが完了し、東ティモール側に引き渡すことになったという報告があった。正直
に「マナトゥトはシャナナ・グスマオの出身地ですから、かなり急がされました
」と付け加えたのには、思わず笑ってしまった。しかし、そういうことは今後も増
えていくのではないか。
 ミーティングの後、JVCの二人に、ADRAの泉谷君・亀山さんを交えて食
事。

1月13日(土)
 お昼の便で新しいスタッフの児玉さんが到着するので、空港まで迎えに行く。
空港で高橋茂人氏と林神父に会う。林神父とは初対面だが、古くから東ティモー
ルに関わっている人なので、お名前だけは知っていた。飛行機が遅れているので、
食堂で一息つく。税関のチェックが厳しくなったので、到着してから出てくるま
でかなりの時間がかかる。1時間近く待って、ようやく児玉さんが出てくる。
 事務所に荷物を置いてから、その足でJVC高橋君を誘って、La'o Hamutukの
学習会へ行く。高橋君はオイクシ県へ行く予定だったが、ヘリコプターの空きが
なくなり、ディリに残ることになったしまった。La'o Hamutuk(一緒に歩もう)
は、東ティモールの再建プロセスをモニターすることを主目的としたNGOで、
前からSAHEなどで顔を合わせることがあり、ゆっくり話をしたいと思ってい
た。
 学習会のテーマは、「真実と受容、和解のための委員会」。講師は、ヤヤサン
・ハクのアニセト・グテレス氏とUNTAET人権部のパトリック氏、インドネ
シア人女性(名前を聞き漏らした)。
 ここで学習会の話を紹介しよう。
 この「真実、受容、和解委員会」は、2000年6月にCNRTによって提案
されたもので、その後UNTAET人権部を中心に準備が進められてきた。委員
会設置が正式に決まったのは12月。したがって、これがどういう機能を果すか
は、すべて今後の活動にかかっている。
 ただし、この委員会が対象とするのは、放火や破壊などの「軽犯罪」だけで、
殺人やレイプなどの「重犯罪」はすべて法廷で裁かれることになっている。また委
員会には、真実究明と和解という二つの機能がある。真実究明は1974年4月
25日から1999年10月25日まで。つまりポルトガルでの独裁政権崩壊に
端を発する東ティモールの独立プロセス全体を対象にするのである。それに対し
て和解は、直接には西ティモールにいる民兵をどうやって社会に受け入れていく
かを対象にしている。
 委員会は、5〜7名でつくる全国委員会と各県の事務所からなる。全国委員会
のメンバーはまだ決定していないが、選出には各政党やNGO、犠牲者の家族な
どが関わることになっている。委員会メンバーの任期は2年だが、東ティモール
政権発足後に新たに選出しなおされることになっている。
 アニセト氏は、「真実と正義を切り離すことはできない。正義には法的意味と
歴史的意味の二つがある。とくに歴史的意味については、1974年に何が起き
たかを話したいという人々の感情を無視することはできない」という点を強調す
る。
 それに対してUNTAETのパトリック氏は「全てのコミュニティで委員会が
話し合いを開くことができない」と初めから腰くだけの発言をする。これでは、、
犠牲者の声をできるだけ広く聞く真実究明という膨大な仕事はキチンとできない
といっているようなものではないか。会議後、La'o Hamutukのパメーラさんと、
近いうちに会おうという約束をする。
 学習会の途中から強い雨が降ってくる。夕食後、高橋君がPARC事務所にやっ
てくる。

1月14日(日)
 オイクシ県に行けなくなった高橋君のリクエストに応じて(?)、海水浴に行
く。マナトゥト県にあるPARCビーチに着く。さっそく海に入る。波は穏やか
だが、雨期なので透明度が低い。ダイビング好きの高橋君は長く海にもぐってい
る。小雨が降ってきたので、1時間ほどで海をあとにする。しかし高橋君はエラ
イ。せっかくマナトゥトにいるのだから、日本のODA(緊急無償)でできた灌
漑プロジェクトを見に行こうという。反対する理由がないので(?)、小一時間
ほど走ってマナトゥトの町に着く。プロジェクト・サイトが分からないので、U
NTAETに行って場所を尋ねる。担当の人(ケニア人)がわざわざやって来て、
現場でついて来てくれる。
 このプロジェクトは、もともとJICAが調査したもので、その後大日本土木
が施工を請け負ったもの。インドネシア時代に作られた灌漑施設が増水で壊れた
ので、新たな取水口をつくり、そこから1キロほど仮水路を作り、もとからあっ
た水路につなげるというプロジェクト。UNTAET担当者も、シャナナからの
圧力があった、と言う。灌漑設備はできているが、周りの水田には田植えした様
子がない。どうなっているのだ。
 サイト視察(?)を終えてディリに戻る途中、高橋君、再び使命感にめざめ、
天気が回復したから、もう一度泳ごうという。反対する理由がないので(!)、
再びPARCビーチに行く。まず勝谷君が透明度を調べに海に入る。透明度は低
いままなので、海に入る気をなくす。その代わり、海岸でサンゴを探す。高橋君
も、なぜか海に入らない。
 ディリ市内に入るあたりから雨が降り始め、次第に強くなる。事務所の近くの
川が氾濫しそうになっているので、近くの人が川のゴミを拾っている。JICA
鈴木氏を誘って、夕食。

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koshida Kiyokazu  c/o PARC
POBox 41 Timor Lorosae
TEL/FAX 0041-670-390-313408
mobile 61-407-182-831(番号変わりました)

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(郵便振替 00140−8−536957


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