Subject: [reg-easttimor 160] 東ティモールから  No.12
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Thu, 11 Jan 2001 19:54:43 +0900 (JST)
Seq: 160

東ティモールから No.12
2001年1月1日(月)
 昨夜は、紅白歌合戦を観るつもりでJICA事務所に行ったが、こちらの衛星放送
では放映されていなかった。モーニング娘を楽しみにしていた勝谷君は、「なぜ
紅白をやらないんだ」と怒り始める。そのうち、岡山県の実家にまで電話して、
紅白が放映されているかを確かめる。10時近くになって、JICAやUNTAETの人たち
も紅白を楽しみにやってくる。やはり年齢層が高い人は9時からは来ない。みんな
「なーんだ」とガッカリする。
 新年になっておそばを食べてから、JICAの台所で歌い始める。
だんだん調子が出てきて、「鷲ぬ鳥節」や「安里屋ユンタ」など沖縄の歌を次々
と歌う。他の人は参加せず、珍しいものを見に覗きにくるだけだったが、UNTAET
の新垣さんが一緒に「芭蕉布」を歌ってくれる。彼女はお母さんが石垣島の人なの
で、うまい。やはり、八重山出身者が家族にいるとちがうなあ。その後、フォクペルスのダンス・パーティに行き、2時ごろ帰宅。
 朝、ゆっくり起きてお雑煮をつくる。JICA鈴木氏、おせち料理を持って現れる。
これは海外生活者用に作られたおせち料理パックらしく、黒豆、なます、出し巻
き卵などからあわび、鯛など一通り入っている。
 昼から海へ行く。東ティモールの人は御正月を海で楽しむらしく、ディリ市内
のビーチは車と人が一杯。みんな至るところで、ゴザを広げパーティをしている。
私たちもテーブルをいっしょにした人にワインをご馳走になったりしながら、ゆっ
くり海を楽しむ。
 これまで1年近くディリ港にどっしり腰を落ち着けていた海上ホテル「ホテル・
オリンピア」が、2000年一杯で撤退した。昨日まではあったのに、今日見たらもう
いなくなっていた。このホテルには国連職員などが宿泊してたが、ディリ市内に
もホテルが次々とオープンし、値段もかなり安くなっているので、今までのよう
な 「殿様商売」ではやっていけなくなったのだろう。そして、このホテルは何より
UNTAETに代表される外国人の「悪の象徴」になっていた。買売春の噂、入り口での
チエックなど、フツーのティモール人にとっては早く出ていってほしいものだっ
たに違いない。
 夜、久しぶりの強い雨。雨期、雨期といいながら全く雨が降っていなかったの
で、すこし落ち着いた気分になる。

1月2日(火)
 朝、古沢希代子さんが到着。彼女は東ティモール「従軍慰安婦」の聞き取り調査
のためにやってきた。12月に東京で開かれた「国際女性戦犯法廷」に参加したお
ばあさんたちを訪ねて、今日はバウカウに行く予定。女性判事のマリアさん(ヤ
ヤサン・ハクのアニセト君の連れ合い)も同行する。
 午後、勝谷君とリキサ県に行き、これまでPARCが修理した小学校の写真を撮る。
こうやって改めて学校を見ると、学校によっては自分たちで窓やドアをつけたり、
ペンキを塗りなおしたりして、少しでも使いやすくしていることがわかる。「緊急
」と言いながら、屋根はUNICEF,ドアや窓、壁は世界銀行と、勝手に担当を分けて
いる国際機関のやり方の馬鹿らしさは何とかならないか。
 夜、また停電。

1月3日(水)
 朝、マリアナへ行く古沢さんを送ってから、また寝る。ご飯を作る以外はほと
んど何もせず、一日事務所でブラブラしている。何かしようと思っても停電なの
で、それを口実に何もしないことに決める。
 新聞では、大晦日にディリにあるモスクが襲われたこと、高級レストランの前
で喧嘩があり、駐車場に泊めてあった国連関係の車がボコボコにされたことを大
きく報じている。

1月4日(木)
 今日から仕事。1年働いたので12日間の年休を取っているロザさんを除いて、全
員出勤。朝のミーティングの後、UNICEFへ。まだ人はまばら。ニコラスと中学校
の改修工事についての打ち合わせ。UNICEFは小学校の屋根修理用に買った資材の
余りを、中学校の修理にも使う予定。しかし中学校の修復プログラムは、基本的
には世界銀行が実施するプログラムになっているため、これから世界銀行と
UNICEFとで役割分担について合意してからプログラムが始まることになる。ニコ
ラスに、屋根の修理だけでなく、壁にペンキを塗ったりするのはどうだろうかと
質問すると、それは世界銀行の担当だからとあまり良い顔をしない。もう一つの
問題は、旧校舎の屋根にアスベストが使われている場合があること。これをどう
やって取り除き。どこに処分するか、何も決まっていない。
 午後、事務所で書類作成と買い物。
 夜、強い雨が降る。

1月5日(金)
 エペロ小学校の工事が始まる。9時すぎに学校に着くと、もうみんな整地を始め
ていた。トラックで近くの川に砂利と石を取りに行った時、砂にタイヤを取られ
て抜け出すのに30分以上かかる。
 昼食の後、UNICEFの倉庫に木材を取りに行く。その後、警察に盗難の被害届を
出しに行く。正月の暴力事件(主にはバウカウ州など東部出身者とディリなど西
部出身者との対立)の直後なので、かなりゴタゴタしている。
 夜、SHAREの蜂須賀さんと川口さんがエルメラから戻ってくる。
 また停電。

1月6日(土)
 バザール・テテにシャナナ・グスマオがやってくるというので、勝谷君と二人
で出かける。シャナナはこの所、東ティモール各地を精力的に回っており、昨日
はリキサ、マウバラ、今日はバザール・テテとライラコで集会を開くらしい。バ
ザール・テテに着いた時には、シャナナの演説がすでに始まっていた。はっきり
は分からないが、民主主義の重要性やCNRTの役割(インドネシア時代のゴルカル
のようにはならない)など、東ティモールの将来、とくに来年の選挙を意識した
話をしている。最後に「ビバ、CNRT」「ビバ、UNTAET」「ビバ、PKF」「ビバ、バ
ザール・テテ」などと大きく叫んで演説を終える。
 シャナナが演説台で話をしている間、彼の後ろにはファリンテルンの兵士が二
人、ずっと警備に立っている。演説台と聴衆の間は100メートル近く離れている。
SHAREの蜂須賀さんの話では、エルメラでの集会の時はシャナナのすぐ近くまで聴
衆がいたというから、警備体制を変えたのかもしれない。写真を撮るために演説
台のすぐ近くまで寄って行く。来賓席にいたファリンテルンの上官はどうぞ、ど
うぞと言ってくれたのだが、警備の兵士にじろっとにらまれる。
 演説が終わってからは、昼食会。私たちは招待状など持っていないのだが、来
賓席にいた教育委員会のフランシスコに誘われて、食事の輪に加わる。かなり図
々しいな、と思いながら、やはり「ただ飯」の誘惑には勝てない。牛タンまであっ
て、おいしい。勝谷君の目的はシャナナと握手することだったが、シャナナはす
でにどこかへ消えている。
 夕方、ディリに戻る。夕食は勝谷君得意のスパゲッティ。夜、再び停電。
SHAREの二人はロウソクを灯して仕事を続けているが、私にはそんなことはできな
いので、先にやすむ。

1月7日(日)
 朝からお腹の調子が悪いので、元気がでない。午前中はずーっとベッドにいる。
午後から少し元気になり、近くのパダン料理屋に行く。ここは暮れの喧嘩騒ぎ以
来ずーっと閉まっていたが、ようやく再開した。これまではなかったメニューが
張ってあったり、テーブルの配置を変えたりしている。これまでは、食べたおか
ずの数を調べて、「いくら」と値段を決めていたのだが、今回からはきちんと伝
票でチエックするようになった。
 午後、停電なのですることもなく本を読んだりしている。JICA鈴木氏来訪。ダ
ラダラと過ごす。夕食はすこしアッサリしたものを食べようということで、「鍋
」料理の店に行く。ここは大晦日に表で喧嘩騒ぎがあり、国連の車が壊された店。
そのためか、いつもは国連などの車が一杯なのに、客が一人もいない。ガラガラ
の店で、大声で話しながら(主に鈴木氏)ゆっくり食事をとる。
 事務所にもどると電気がついていたので、少し仕事をする。


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