Subject: [reg-easttimor 150] 東ティモールからNo .5
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Thu, 16 Nov 2000 15:21:23 +0900 (JST)
Seq: 150

東ティモールから N0.5

11月4日(土)
全国予防接種デーの手伝いをするので、朝4時30分にディリを出発。運転手のロザさんは、気難しいところもあるが、仕事については信頼でき、今朝もきちんと4時30分前に来る。まだ真っ暗だが、地方へ向かうミニ・バスが走り、路上ではそれを待っている人がポツン、ポツンと立っている。集合時間の5時15分にリキサ県の病院に到着。ところがまだ準備ができていなくて、混乱状態。この病院に保存してあるワクチンをリキサ県各地に運び、8時から予防接種を始める予定なのだが、車に積んでいく荷物(水・食料)などの準備ができていない。手伝いにいくはずの国連ボランティアも、おしゃべりをしているだけで何もしようとしない。同行した児玉さんが見るに見かねて、手伝い始める。6時30分過ぎには何とか、車が全て出発する。
 PARCはスタンバイ要員としてリキサで待機することになる。予防接種が始まるまですることもなく、UNTAET職員もどこかへ行ってしまったので、朝食をとり、毎週土曜日に開かれるバザールへ行く。野菜や豚、タイス織物などリキサ県内の村から運ばれてきたものに加え、衣料品や靴も並んでいる。ここにも「ダラー、ダラー」と声をかけてくる両替屋がいるのに驚く。
 病院へ戻ると、すでに子供を連れた母親たちがズラ―ッと並んでいる。スタンバイといってもすることがないので、椅子を並べ替えたりして時間を過ごす。リキサのUNTAETで働いているフィリピン人(名前を忘れた)は、もとフィリピン農民研究所(PPI)で働いていたというので、話が盛りあがる。ということは・・、と思い、その前はどうしていたのかと聞くと、「山にいた」と言う。
 UNTAET職員も出たり入ったりして、スタンバイする必要もないようなので、早めにディリに戻る。近くの食堂で遅い昼食をとる。初めて入った店で、表の美容院は営業しているのだが、そことつながっている食堂は、客も従業員みないので、やっているのかどうか、よくわからない。美容院の人に食堂はやっているかと聞くと、「やっている」というので注文する。待っている間、美容院の様子を見ていると、ここはかなり本格的な美容院でで、ドライヤーやシャンプー台も備わっている。そして美容師はやはりというか、髪を綺麗にカールしている男性。フィリピンでは、「バクラ」とよばれるゲイの人が美容師をしていることが多いが、ここでもそうなのだろうか? 
 夕方、SHAREの川口さんが事務所による。なぜかキリスト教の話を延々とする。東ティモールでの時間の過ごし方を考えると、こうやって話をしている時間が長いことに気づく。6時過ぎから、また停電。勝谷君は、急遽、ロスパロスへ行くことになる。

11月5日(日)
 一日中、事務所にいる。ジャカルタでの会議のためのレジュメづくりなど。勝谷君は、早朝のバスに乗るため夜明け前に出発したようだ。真夜中に洗濯したらしく、物干しロープには彼の服がずらっとかかっている。ロス・パロスでの着替えはどうするのだろう。児玉さんは海へ。
 午後、これまで事務所を共有してきた高橋茂人さんが、コモロへ引っ越す。
 夜、児玉さんのお別れパーティ。参加者は、SHAREの蜂須賀さんと平岡さん(医師)、高橋さん。「マウベレ」という魚のおいしい店(前に「叶姉妹の店」と紹介したところ)へ行く。この店が初めての平岡さんは、あくまでもマジメに「どなたが叶姉妹ですか」と、私たちに尋ねてくる。

11月6日(月)
 
 午前中、児玉さんと話。昼食後、空港へ送る。
 午後、UNTAET庁舎で開かれた市民教育についての会議に出る。東ティモールNGOからの強い批判にさらされて、一度は書き上げた計画を撤回し、新しいプロジェクトとして提案するために、UNTAETはこの会議をもったようだ。50人を越す参加者の半数以上が東ティモール人だ。司会を務める東ティモールNGOフォーラムのアルセーニョ君は、まず「東ティモールNGOは、このCivic Educationなるものに強い関心をもっている」と話す。その次に話したのがUNTAET側の責任者は、「過去のことを話すのではなく、未来について具体的に話そう。市民教育については何も決まっていないのだから」と、きわめて官僚的かつ東ティモール人を見下したような話をする。何も決まっていないと言っても、一度は計画書が作られているではないか。
 東ティモール側の口火をきったのは、アデリート君。「市民教育で民主主義を教えるというが、市民教育プログラムそのものが民主的につくられていないではないか。とくに予算については、どうやって決められているのか、何の説明もない」と指摘する。またYayasan Hak (東ティモール最大の人権NGO)のアニセト君も、「UNTAETは、東ティモールをどこへ導こうしているか。ポルトガルはcivilization (文明化)、インドネシアはintegration(統合)という言葉で、私たちを支配した。UNTAETはdemocracy という言葉で私たちを支配するのか」と厳しく批判する。
 これに対して、再び話したUNTAET側の発言がひどかった。この、一見人のよさそうなおじさん(どこかの大使だったらしい)は、「UNTAETの中では、NGOが市民教育プログラムをつぶそうとしているという声もあるが、私はそう思っていない。とにかく、市民教育については今日が初めての会議で、関心のあるものは誰でも参加できる。過去ではなく、未来に向けて話そう」と、東ティモール側の問題提起を無視して同じ事を繰り返す。
 たしかにUNTAETは、9月20日に出した計画案を白紙に戻したのかもしれない。しかし、問題にされているのは、こうした一大計画がどんなプロセスでつくられたかだ。これについて全く答えず、新しく始めようといっても、東ティモール人の不信を消すことはできないだろう。
 もっと問題なのは、UNTAETが来年実施されることになっている選挙だけを考えて市民教育を構想していることだ。東ティモールの人たちが問題にしているのは、民主主義というのは新しくつくる「国」の根幹に関わる問題である、それをなぜ外国人が勝手に決めようとしているか、という点なのだ。この点が全く伝わらない。

11月7日(火)
 ジャカルタでの会議の資料を届けに、日本政府連絡事務所へ行く。日本人職員が二人しかいないのに、かなり広い家を借りている。担当者が出てくるまで待っている間、部屋に合った本棚を眺めていると浅野健一の『日本大使館の犯罪』が置いてある。
 帰り道、海沿いの道を走っていると、沖に米軍艦が停泊している。そう言えば、朝のミーティングでスタッフが新聞を読みながら、「また米軍がきた」と話していた。とくにポルトガル軍兵士の経験をもつロザさんは大のアメリカ嫌いらしく、「なんでアメリカが来るんだ」と言っていた(らしい)。
 その後、SAHEで、来週ファウララ村で行うワークショップの打ち合わせ。フィリピンなどでよく使われているコミュニティ・ワーカーのための本を使って、ワークショップの目的や進行について説明する。パウロ・フレイレの思想をベースにしたこの実践書「Training for Transformation」にSAHEのメンバーは感激し、今度から勉強会をしようということになる。日本でコピーしてくることにする。
 夜、テトゥン語の勉強会に行くが、先生が来ないので、お流れ。昨日の市民教育の会議で会ったアジア財団ジャカルタ事務所のティミーさんと会う。アジア財団は、カンボジアやインドネシアでの選挙監視に熱心で、資金提供をしてきた。ただし彼は選挙だけではなく、長期的な民主化プロセスを支援したいという。ちょうどSAHEで話してきた村レベルでのワークショップと憲法づくりを重ねられないかという話をする。

11月8日(水)
 お昼の飛行機でジャカルタへ行く。空港で、プエルトリコに行くアデリート君と会う。米軍基地に関する民衆法廷に呼ばれ、三週間ほど滞在する予定だという。飛行機に乗ると、また彼が隣。離陸してからの機長の挨拶で、「私はアリフ・ブディマンです」と自己紹介したので、二人で「アリフ(今はシドニー大学にいるインドネシアの知識人:スハルト体制を批判しつづけた)は職業を変えたのか」と大笑い。日本の憲法の話や沖縄の話などをする。彼も「平和憲法」のことは知っているが、読んだことはないというので、日本の憲法の英語版を持ってくることを約束。
 デンパサールで彼と別れ、ジャカルタでの会議に出席する日本人グループで行動する。NGO,UNTAET職員、JICAなど10人ほどがまとまって移動するのだが、デンパサールでの受け入れは大使館がやっているらしく、入管でもまとめてパスポートを渡して、それにスタンプが押されて返ってくるのを待っているだけ。国際空港を出て、国内線用空港まで歩く。飛行機に乗ってみると、何のことはないディリから乗ったのと同じ飛行機だ。乗務員も同じで、再びアリフ・ブディマンさんの声を聞く。ためしにビールを頼んでみるが、今度は「ない」と言われる。
 ジャカルタに着く。宿舎のムリア・スナヤン・ホテルに着いてからロビーで、明日の発表「NGOの役割」のレジュメについて、みんなから意見を聞く。NGOと言っても、考え方もバックグラウンドもバラバラなので、全体の考えを代表することは難しい。とりあえず、東ティモールの歴史から学ぶこと、東ティモールの住民・市民社会との対等なつながり、復興の前提としての正義の回復を強調し、具体的な活動は各NGOの報告にまかせることで合意。字句の訂正などは、夜にすることにする。
 食事の後、久しぶりのお湯のお風呂に入り、大満足。

11月9日(木)
 宿泊費には、朝食代が含まれていないようなので、部屋で果物を食べる。9時から会議。出席者は外務省から東南アジア第2課(二人)、経済協力局(四人)、国連日本政府代表部公使、その他に大使館から10人ほど。UNTAETからは高橋さん(UNTAET副代表)をはじめ8人、JICAから3人、そしてNGOが7人。今後の対東ティモール政策のあり方を決めるというのが会議の目的。午前中はUNTAET職員からの報告、昼食の時は、国連公使の報告、午後はUNTAETとNGOの報告。一日中、冷房が効き過ぎの部屋にカンヅメで会議という、東ティモールでは考えられないような状況に置かれる。
 UNTAET職員は、さすがに我々が知らない情報を持っているので、なかなか勉強にはなる。例えば、東ティモール大学の開校が遅れたのは(本来であれば10月開校だったのが、11月に延期になった)のは、学生たちの間でシャナナに対する反感が高まったので、開校を遅らせることによってその反感を和らげたいというシャナナの考えによるものだ、とか、このままではCNRTが政党となり、来年の選挙で圧倒的多数を取るだろう(社会民主党は第三勢力にしかならないだろう)など。またUNTAETの予想では2001年11月28日をもって独立(この日は1975年に独立を宣言した日)、と考えているらしいということも、言われると「ああ、そうか」と思う。
 ただし、前提として過去の日本政府の対応は問題にしないという態度は徹底している。一番不可解だったのは、国連公使の発言で、国際社会ではインドネシア軍の撤退を求めた1975年と1976年の国連決議にのっとって行動している、ときわめて客観的に延べ、ただし、日本は反対しましたが、と付け加える。こうした過去の日本政府の態度を東ティモール人がどう見ているか、また過去の政策からの転換をはっきりさせるためにも、国連人権法廷の開催と人権侵害調査に積極的に関わるべきではないかと言っても、はっきりした答えはない。経済協力局の人たちは、こうした問題には関心がないというような顔をしている。どういうことなのか。
 夕食の席で、隣に東南アジア二課石井さんが隣に座る。おそらく彼が東ティモール政策の責任者なのだろう。フランクな人で、わりと率直に何でも話す。真意は別として、東ティモールは太平洋諸国との関係を強めた方が良いだろうという点は一致する。彼はASEANの安定を乱す存在になっては困るという文脈、ぼくは島嶼国のネットワークや「国づくり」は、いわゆる「近代国家」のあり方と違うだろうという文脈で。PKOへの参加、つまり「独立」しUNTAETが撤退した後はPKO活動が展開されることになる(いまPKF)、そうなった時に何らかの貢献をしたいという点は、意見がぶつかる。外務省の何人かと、この点について話をしたが、誰もが選挙監視や文民警察の派遣などでのPKO参加を言う。

11月10日(金)
 会議の2日目。JICAの発表に続いて、各NGOのプロジェクト紹介。こういう風に他のNGOの活動や発表を聞くと、確かに勉強にはなる。みんな予定の5分を大幅にオーバーしたため、午後にずれ込み、実質的な議論の時間がなくなる。あるいは、これが作戦だったのか。
 最後の議論で、もう一度、NGOは平和貢献に徹すること、人権と正義の回復なしに復興はありえないことを強調する。
 夜、大使公邸でのレセプション。「NGOの方々、ご苦労様です」などと変に持ち上げるのでいやになる。こういうのはよくある態度で、「現場で汗を流しているのがNGOであり、我々大使館はそういうこと(物のないところで長く暮らすこと)はできないので、とりあえずごくろうさんと言っておこう」というものだろう。昔の植木等の歌で「コツコツやる奴ぁ、ご苦労さん」というのがあったが、それと同じだろう。疲れていたのと面白くないのとで、飲みすぎ、レセプション中に眠ってしまう。後でみんなに冷やかされる。

11月11日(土)
 午前4時に起き、空港へ。ディリに着いたのは午後1時頃。やはり暑い。
 ちょっと昼寝をしてから、ワークショップのレジュメづくり。5時からトメさん、SAHEのノノさん、アベルさんと打ち合わせ。初めての試みだから、多くを期待せず、気楽にやってみようという感じ。この3人がファシリテーターなので、あまりしゃべり過ぎないようにし、村の人たちの口を開かせることが第一だということを確認。打ち合わせ後、ビールで乾杯。
 

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