Subject: [reg-easttimor 148] 東ティモールから  No.4
From: Koshida Kiyokazu <koshida@jca.apc.org>
Date: Mon, 6 Nov 2000 20:09:32 +0900 (JST)
Seq: 148

東ティモールから No.4

10月28日(土)
 土曜日なのに、7時頃に起きてしまう。雨期が近いので、夜になっても蒸し暑く、夜中にも一度は目がさめてしまう。おまけに僕の部屋の狭い窓からは、まともに朝日が入りこんで、ちょうど顔のあたりを照らす。そんなわけで寝ているのもつらいので、起きてしまう。
 コーヒーを飲みながらショパン(!?)を聴いていると、勝谷君も「優雅ですね―」とか言いながら起きてくる。たしかに、絵に描いたような(というかTVドラマにありそうな)朝の過ごし方だなと思い、照れる。しかし、朝食は夕べの残りご飯で作った卵雑炊。
 ピースウィンズ・ジャパンの桑名さんと西川さんが、貸してあった資料と衛星電話のバッテリーチャージャーを持ってやってくる。ピースウィンズ・ジャパンは、この二人(二人とも女性)の他に、クルド人とオーストラリア人、インドネシア人(全員男性)が働いており、宿舎も一緒なのでかなり大変そう。そのことの不満も含めて、児玉さんも話に加わって、関西出身の女性がブワーッと話すのに圧倒される。話し声が嫌でも聞こえているはずなのに、勝谷君は部屋から出てこようしない。
 衛星電話の実験をしようとしたがうまく行かないので、鈴木さんに電話をすると、JICA事務所で仕事をしているから来て、と言う。この衛星電話は去年までは彼が使っていたもの。修理から戻ってきたはずなのに調子が悪く、何度やってもうまくスタートしない。結局、もう一度日本に持って帰ることになりそう。
 JICA事務所のあるあたりは、隣はUSAIDとアジア開発銀行駐在員宿舎(だったはず)という「高級住宅街」。その中でJICAだけが高い塀を作り、その上に有刺鉄線を張り巡らせているというものものしさ。ところが、その壁を乗り越えて敷地内に入ろうとした人間がいたらしい。物盗りかもしれないこの侵入者は、警備員に見つかって逃げる時に、「俺は鈴木の知り合いだ!」と叫んだと言う。

10月29日(日)
 あまりにも毎日蒸し暑いので、海へ行こうということになる。二週間前に行ったマナトゥトゥの海があまりにきれいだったので、またそこに行くことにする。桑名さんを誘い、SHAREに寄ってシュノーケルを借りてから出発。SHAREの二人は、今日は参加せず。
 今日は、前回よりも海がきれい。大満足。
 海といえば、ディリの沖に米国の軍艦が停泊している。オブライエンというこの軍艦には25人の海兵隊員と200人の水兵が乗っている。二日間の予定で学校の修復工事などをやるらしい。ということは、今PARCがやっているのと同じ仕事ではないか。そういえば、この間UNICEFに行ったとき、女性兵士が「私たちも学校修復をするの」と言っていたが、あれは先に打ち合わせにやってきたのだな。しかも、握手までしてしまった。ただでさえ一部の人には「越田はODAの金で東ティモールに行った」とか言われているらしいのに、米軍女性兵士と握手までしていることが知られたら、どうなることやら。 
 米軍艦のディリ寄港はこれが初めてのことではなく、これで五度目。その度に何らかの「人道援助」をしているらしいが、目的がそこにない事ははっきりしている。9月に西ティモールで国連職員が民兵組織に殺された1週間後には、ミサイル搭載艦バンカー・ヒルなど4隻が東ティモール入りし、「人道援助」をしている。今回もインドネシアで激化する反米の動きを警戒しての行動だろう。9月にJICAの招待で東ティモールに来た草野厚は、米軍や韓国軍が「人道援助」をしているのを見たらしく、自衛隊もそういう活動を積極的にしたほうがいいなど、と言っていた。草野厚は御用学者にもならない「便利屋」だから目先の利益に何でも飛びつくのだろうが、招待したJICAにもこうした発言を容認する雰囲気があるのには驚く。「軍による人道援助」とは支離滅裂な発想ではないか。それにしてもこうした米軍の行動は、PKFの管轄外なのだろうか。

10月30日(月)
 今日のSuara Timor Lorosae紙に、去年の東京会議に来ていたエミリア・ピレスが国家計画開発局の代表になったという記事が載っている。3月に会ったときにも、UNTAETに対して批判的で「東ティモール人のCapacity Buildingが必要なのに、UNTAET職員のCapacity Buildingにばかりお金を使っている」と話していた。この記事でも「トップ・ダウンではない参加型の開発が必要」と話している。彼女のような人が国家計画開発局(ドナー国と話し合って援助を具体化していく機関)のトップになるというのは、やはり希望がもてることだ。
 午後、リキサでのNGO会議に出る。今週末の予防注射デーのことについて話し合った後、UNTAETリキサの担当者がCapacity Buildingの話を始める。この担当者は、NGOの協力と言いながら、功をあせっているのか上から決定を押し付ける傾向が強い。今日も、Capacity Buildingについて彼が一般的な話をし、その後みんなで自分たちの活動との関係でCapacity Buildingについてどんな計画を考えているかを話し合った。そうすると、できるだけプロポーザルを提出してほしいと言う。これには出席者一同あ然。プロポーザルと一口に言っても、それがどの程度具体的なものなのか、また何故UNTAETに提出する必要があるのか、などと反論する。結局、プロポーザルを早く出すと言う予定は取り下げたが、UNTAETの全体計画については説明せず、NGOから具体的な計画だけをいただこうという発想が露骨に見える。
 夜、短い停電。
 
10月31日(火)
 午前中UNICEFへ行き、今後のプロジェクトの打ち合わせ。UNICEFのプログラムは小学校しか対象にしていないので、保育園と中学校の改修に資材を提供するのは難しいだろうと言われる。ただ、まだどこも中学校の改修を手がけていないが、誰かがやる必要がある。そこの計画が立てばUNICEFが担当する可能性はあるかもしれない、何しろ日本の金だから、とも言われる。UNICEFの学校改修工事には国連の「人間の安全保障基金」(小渕前首相の提唱でできた基金)が使われている。こういう仕組みが分かりにくくて困る。東ティモールでUNICEFやFAOが実施するプログラムには「人間の安全保障基金」が使われていることがよくあるが、どういうプロセスで決まっているかがよくわからない。
 午後は給料の計算や会計の整理。とにかく蒸し暑くて、蒸し暑くて、座っているだけで汗がダラーとたれてくる。雨がザーッと降ってくれればいいのだけれど、この一週間ばかり降っていない。とにかくこの不快指数の高さにはまいる。
 夕方、大家さんに家賃を払いに行く。大家さんは、いまPARCが使っている大きな家の他に、こじんまりとした家も持っている。事務所の裏側につづく道(というのか家と家の間)を通って大家さんの家につく。中には立派なTVがどーんと置いてある。「明日は花を摘みに行くから、近所の子が花をもらいに来てもあげないように」と言われる。
 今日の新聞には、「シャナナを殺す」と公言したという容疑でUNTAET警察に逮捕され、2週間ほど拘留されていた柏木さんという人の記事がテトゥン語と英語で載っていた。テトゥン語の記事は、柏木さんが不当逮捕の件でUNTAETを訴えるというもの。英語の記事は、朝日イブニング・ニュースの記事を転載したものらしく、彼の経歴などを詳しく紹介している。ぼくは4月に、彼がPARC事務所に訪ねてきた時にあったことがある。その時の用事は、スタッフのトメさんを訴えるつもりなので、トメさんの連絡先を教えてくれということだった。トメさんのお兄さんはインドネシア支配時代には警察で働いており、柏木さんが東ティモールから強制退去させられた根拠となるような情報を集めたりしていたらしい。彼はその件で訴訟を起こすつもりだったらしい。だからといって、個人を訴えて問題が解決するとは思わなかったけれど、そうしないとおさまりがつかない様子だった。その後、この訴訟がどうなったかは知らない。
 夜、また停電。

11月1日(水)
 今日と明日は東ティモールの「お盆」なので、事務所は休み。UNTAETが決めた休日では11月2日だけが休みなのだけれど、スタッフにきくと1日も休みにするのが普通だというので、連休にする。スタッフはみんな給料をもらっての休みなので、昨日の午後、幸せそうに帰っていった。落ち着かないのは、私たちだ。2日働いただけで、またすぐ休みなので調子が狂う。習性とは恐ろしいもので、午前中は事務所で仕事。
 午後も、どこも出かけず事務所でだらだら過ごす。しかし、とにかく蒸し暑い。だまって座っていても汗がダラダラという感じ。みんなで「暑い、暑い」と口々に言うだけ。夕方、自転車で海まで行こうとしたら自転車がパンクしていた。面倒くさかったので、そのまま乗って出かける。パンク、パンクとみんなと指差されながら、何とか海岸につく。休んでいると、少年が二人寄ってきて、「どこの自転車だ、パンクしてるじゃないか」と話しかけてくる(たぶん)。二人とも自転車に乗っていて、「俺のはパンクしない」と自慢げ。親切にも「家にポンプがあるからよっていくか」と誘ってくれる(たぶん)。やせ我慢して、「大丈夫」と答える(No Problemと答えただけだけど)。
 汗だくになって事務所に戻る。夕食後、他の三人(高橋・勝谷・児玉)はテニスに行く。一人事務所に残って、メールをチェックしたりする。2時間ほどしてテニスを終えた3人がジュースを飲みに行こうと誘いに戻ってくる。フレッシュ・ジュースを飲ませるレストランに行く。

11月2日(木)
 連休2日目。事務所にいてもすることが無いのでどこかへ行こう、ということなる。行き先がすぐに決まらなかったが、結局、バウカウに行くことにする。ディリから東へ100キロほどの所にある大きな町だ。この道のりが思ったより長かった。マナトゥトゥまでは、わりと平坦な道を走るので楽なのだが、マナトゥトゥの先で峠を越え、そこから再び平坦な道を進む。バウカウへ来るのは二度目。町の中心に古い教会があって、その近くの公園には涌き水がこんこんと溢れる水場がある。町の人はその水場で水浴びをしたり、洗い物をしている。水に苦労することの多いディリでは目にすることのできない風景なので、印象に残る。帰りは夕方になったが、どの村を通っても大勢の人が花の入った籠をぶら下げ(あるいは頭にのせ)、墓地へ向かう姿に出会う。村中の人がお墓参りに行くのだ、ということを実感する。墓地も大勢の人で、お墓のまわりは花が綺麗に飾られ、ろうそくを灯してある。写真に撮りたくなるような風景だが、遠慮する。
 夜、ホテル・オリンピア(海上ホテル)のレストランで、11月9・10日にジャカルタで行われる東ティモール支援についての戦略会議(日本政府の)に出るNGOのミーティング。その会議で各NGOの活動報告の他に、「NGOの役割」というテーマで10分ほど報告をしてほしいというのだが、その内容と報告者を話し合って決めましょうという集まり。東ティモールで活動している「日本のNGO」の役割といってもバラバラだし、そもそも関わり方が違っているのだから、それをうまくまとめるのは難しい。NGOの独自性を、できるだけ強調する内容にしようという大枠で一致し、結局、ぼくがレジュメを作って、みんなにジャカルタ行きの飛行機の中で検討してもらうことになる。
 会議の後、SHAREの車で勝谷君や児玉さんがいるレストラン(昨夜フレッシュジュースを飲んだところ)へ行く。高橋茂人さんやJICAの鈴木さん、カリタス・ノルウェーの人たちも一緒。鈴木さんが、外務省から「PARCは、もう過去の東ティモールのことは問題にしないんでしょうか」というような問い合わせの電話が入ったと教えてくれる。問い合わせの意味がよくわからないが、多分、ジャカルタでの会議の発言を気にしての質問ではないか。東ティモールに関する政策をきちんと作ろうとするなら、まず日本政府がこれまで取ってきた政策が誤っていたことを明確にしてからだろう。それを抜きにした「国づくり支援」では、東ティモール人との対等な関係はつくれない。

11月4日(金)
 連休明けにもかかわらず、スタッフはほぼ時間どおりに来る。トメさんたちと、今日から工事を始めるカイテフ小学校に行く。この学校は、昨年の9月に完全に破壊され、古い校舎は跡形も残っていない。住民たちが仮校舎(一教室)をつくりそこでポルトガル語などを教えているが、雨期が近づき、仮校舎では雨が入り込むので、もう少し広い学校を作りたいということになったもの。今日は、お米と油(大工さんたちの昼食用)、大工道具などを運び、もう一度打ち合わせ。来週から本格的な工事になる。
 昼食後、UNTAETリキサにより、小学校工事のために川から砂と石を採取する許可を得る。といっても、何にも必要ないようだ。ディリではコモロ川での砂利の無断採取が問題になり、UNTAETは禁止にしたはずだ(それでも実際には採取が続いている)。たしかに建築ブームのディリでは、オーストラリアの建設会社なども砂利を勝手に掘っているようだし、このまま放置できないだろう。それに比べてPARCが必要とする砂利の量はセメント数袋くらいだから、手続きが面倒だったのかもしれない。ディリに戻り、郵便局に行くが、手紙はゼロ。日本では東ティモール宛の郵便物は受け取らなくなった、という情報は正しいことを確認する。
 トメさんたちが所属しているSAHE(民衆教育の研究グループ)が9月にジョージ・アディチョンドロ(現在はオーストラリアのニュー・キャッスル大学で教えている)を呼んで開いたセミナーの報告書ができた。The Unholy Trinity(罪深き三位一体?)というタイトルだけはわかるが、インドネシア語なので内容は理解できない。それでもフランツ・ファノン、サミール・アミン、カブラル、ネルソン・マンデラ、ビーコ、ボアールなどの名前と、ヨーロッパ中心主義、自民族中心主義、ポスト。コロニアリズムなどの用語を見ているだけで、何となく彼の言わんとしたことがわかった気になってくる(なるな!)。
 とくにフランツ・ファノンについては、わざわざ別に、その経歴と著作の簡単な紹介のページがあるので、ジョージもかなり力を入れて紹介したことがわかる。UNTAETを新たな支配勢力と言いきり、返す刀でシャナナに代表されるCNRTリーダー層の現実対応主義を批判し、初期フレテリンの解放思想(おそらくは、東ティモール人としての自覚)から学べと主張するSAHEのようなグループに集う若き東ティモール人が、これからフランツ・ファノンをどう読んでいくか、(言い方は悪いが)興味がある。
 2年くらい前にジョージがPARC事務所に寄ったとき、ぼくはちょうど自由学校の企画で「叛徒列伝」の人選をしていた。それでジョージにもその話をして、今こんな人が候補に上がっているという話をした。すると彼はすぐに、それならカブラルを入れたほうが良い、カブラルの思想は初期フレテリンに大きな影響を与えているのだから、という話をしてくれた。これは、それいらい、気になっているテーマだ。越境する解放思想。カブラルは著作集が日本語でも出ているからいいが、初期フレテリンの思想といってもどうやって調べればいいのか。聞き書きでもするしかないか。

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