Subject: [reg-easttimor 117] アンボンからの手紙
From: INYAKU Tomoya <tomo@jca.apc.org>
Date: Sat, 1 Jul 2000 22:51:15 +0900 (JST)
Seq: 117

From: Murai Yoshinori <murai@jakarta.wasantara.net.id>

アンボンからの手紙
Alkuasa, 00/06/30

 以下の手紙は、ニューサウス・ウェールズ大学で講義を共に受けていた友人か
らの手紙です。彼は3月にアンボンに戻りました。
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シドニーの友人たちへ
 6月25日(日)夕刻、わたしはアンボンを脱出しました。町がますます混乱を極
めてきたからです。わたしたち4人があらゆる妨害を乗り越え、紛争の地から安全
に脱出できたのは神の加護があったと感謝しています。この決意は友だちととも
にしたのですが、それは、国軍の友人から、日曜の2時半を期して、「白」集団*
が、武装勢力の支持のもとに、町を占領するため、アンボンのいくつかの戦略拠
点を襲撃するという情報が入ったからです。
*「白」集団は聖戦部隊のこと。
 この情報は本当でした。襲撃は夜明けの3時にバトゥ・ガジャとパリンギ・リ
マ地区で開始されたのです。その後、朝方になり、攻撃はガララ、マルディカ地区
へと続きました。日曜の朝10時に、わたしたちは滞在していた町の中心のマルディ
カ地区を離れました。非常に危険だったからです。襲撃部隊は陸軍戦力予備軍
(Kostrad)509部隊に対峙しうるほどの勢力を持っていました。銃の連射音が聞
こえてきました。それは自動小銃の音です。地区の住民は逃げはじめました。襲
撃部隊が進んでくることを恐れたからです。道路はすでに逃げる人がいっぱいい
ました。彼らは戦闘地域から遠ざかろうと山の方に逃げました。多くの人びとは
荷物も持ち出していました。
 アンボンの町はすでにいくつかの方角から、騒乱集団によって包囲され、わ
たしたちが空港にたどり着くのは正常なやり方ではむりだと思いました。わたし
たちはアイル・サロバルのタパル・クダにあるスピード・ボート発着場を目指し
て歩みました。その地区に行くには戦闘がおこなわれている地域を通り抜けねば
なりません。そこでわたしたちは、そこを避けて、山を通って、バトゥ・ガジャ
からクダ・マティ町の南の中心)を目指しました。2人の治安部隊と3人のこの地
域を押さえている住民に警護を頼みました。山の上り下りがあるこの道のりは決
してたやすいものではありません。そしてやはり戦闘地域のバトゥ・ガントゥン
とカンポン・ガネモ(南地域との境界)も通らねばならなかったのです。
 この間、アンボンの町と南部(クダ・マティ、アイル・サロバル、アマフス、
ラトゥハラット)をつなぐ唯一の通路で、キリスト教徒側が利用してきた道路を、
破壊者押さえてのち、騒乱集団は町の南部へのすべてのアクセスを遮断しようと
していたようです。つぎなる攻撃目標はガネモ集落、マンガ・ドゥアそしてワイ
・ニトゥに向かう、わたしたちが通ろうとした中間の道を通って山側に向かおう
としていました。ということは、ここに住むすべての住民が家を離れなければな
らないことを意味します。そして以前に避難していたバトゥ・ガントゥンやパリ
ギ・リマ地域の友人たちと同じように、山の方に避難せざるを得なくなったので
す。
 わたしたちはバトゥ・ガジャから30分ほど歩いてマンガ・ドゥア地区につきま
した。そこは州知事官邸の脇の地区です。ちょうど11時でした。この地区はすで
に人びとがいっぱいで、多くは母親と、子どもでした。下から避難してきた人び
とで、この光景はとても悲しいものでした。歩けない老人は人びとに寄りかから
ざるを得なく、どこもかしこも子どもたちが泣いており、親たちはパニック状態
でした。銃撃の音、臼砲の音、爆弾音はやむことなく続き、状況を一掃切迫した
ものにしています。この地区では非常に自動銃、手榴弾、臼砲の音が一層激しく
聞こえてきました。
 その後わたしたちは、マンガ・ドゥアからクダ・マティに山を横切って行きま
した。騒乱集団とそれを阻止しようとしていた治安部隊が戦闘をしているガネモ
地区をわたしたちは通過しなければなりませんでした。他に道がないからです。
銃弾と爆弾をかいくぐってわたしたちは、もうほとんど住民がいない地区を通過
しました。射撃は山の下の方から、山の方に向いてなされていました。とても用
心しなければなりませんでした。開けた場所では、何度も伏せなければなりませ
んでした。これは人びとの争いではなく、明らかに二つの軍の戦闘なのです。
「赤」の側(キリスト教徒側)の民衆は加われません。彼らの武器はあまりに旧
式なものだからです。この上の方から見ると、丘の上の方に射撃して、前進しよ
うとしている軍は白の軍団であるのがはっきり分かります。山の上では住民が荷
物を担いで家から逃げ出そうとしているのです。
 騒乱者の前進を阻もうとしている治安部隊は、家の陰に身を潜め対峙しようと
しています。わたしたちの通過したいくつかの地区は「赤」地区もありますが、
騒乱者の動きを阻止するのを手助けするための和解(?)をしていました。
 とうとうわたしたちはクダ・マティに12時頃に到着しました。銃撃音は後方か
ら聞こえるようになりました。しかし一層激しくなっています。下の方では、も
うもうたる煙が上がっています。住民の情報では市場(カゲット)、テレコムの
建物はすでに焼かれたといいます。クダ・マティでわたしたちを待ち受けていた
友人の乗り物でタパル・クダにおりていくことができました。空港への道は比較
的安全でした。スピード・ボートでアンボン湾を横切りワイ・レテまで行くこと
ができたからです。そこから先はラハ空港までタクシーを利用しました。海から
は6カ所から煙が上がっているのが見えました。3カ所は北との境目のガララ地区、
あとの3カ所は南との境界のバトゥ・ガントゥン地区からあがっていました。町が
すでに戦場と化しているのを見るのは辛いことでした。相争うエリートたちの欲
望を満たすための戦闘です。民衆は犠牲者にすぎません。
 空港で飛行機を待つ間、わたしたちは副知事と電話連絡することができました。
彼はもうお手上げの状況で、町に残されている人びとに祈るように願いました。
空港にいた国軍将校から、軍司令官も家から逃げマニセ・ホテル(?)に避難してい
るとの情報を得ました。司令官すら避難しなければならないとしたら、武器もな
い民衆を誰が守ってくれるのでしょうか。軍司令官も警察長官も、もはや何の能
力もないのです。この将校はジャカルタでこの戦争を指揮している人の名前を出
しましたが、わたしや、逃げ出すことのできた友人たちにとっては重要なことで
はありません。わたしたちにとって大事なのは、いまこのアンボンの町に囚われ
のみになっている人びとの安全をいかに確保するかということです。この戦闘は
いつまで続き、何人の人びとがそれに耐えられるのでしょうか。彼らへの食糧補
給はどうなるのでしょうか。シェルターはどうなるのでしょうか。
 州知事は人びととともに死ぬ覚悟があると言っています。知事公邸はすでに避
難民の避難場所になっています。ひじょうじたい宣言が0:00に出されました。そ
れが単なる政治的な決定でなく、マルクにいる民衆が喜ぶために政府がなしうる
ことであって欲しいと願っています。この時点で、一番大事なことは、軍が民衆
を殺すのを直ちに辞めて欲しいということです。囚われ、力のない、飢えにさい
なまれ、死に面しているアンボンと北ハルマヘラのわれら同胞のために祈って下
さい。   安寧を Willy



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