1996/9/14.15.16 長良川での国際ダムサミットによせて

震災の翌年、1996年。神戸にいた僕は、9/14.15.16の3日間。長良川へ駆けつけ、国際ダムサミット イン 長良川河口堰のサポートを行った。これはそのとき気づいたことの書留と、月山ダムについてのつぶやきです。

幸運なことに、このとき僕は、IRNのフィルウィリアム博士、三峡ダム問題のダイチン女史とカヌーで河口堰の見学をすることができました。その模様もつづってみました。ご覧ください。


車にマックを積んでいたが、3日共、夜は疲れて眠ってしまっていたので、今日、改めてまとめておこうと思う。

●世界のダムファイターが味方についている!

9/14.15、と、国際会議が開かれた。1日目は、「世界中でダム開発が終焉の時を迎えている」と題し「ダムの時代は終わった」と言い切った元、アメリカ合衆国開墾局総裁のダニエル・ビアード氏の話しにはじまり、「ダムはムダ」の著者でもある、英国ジャーナリスト、フレッドピアス氏、そして、インターナショナル・リバーズネットワーク代表のDr. Philip B. Williams氏、そして、中国、揚子江の三狭ダムの問題に取り組むジャーナリスト、ダイ・チン女史が講演をおこなった。

それぞれ、素晴らしいスピーチだった。

●ダニエルビアード氏は、現在アメリカの政府が計画しているダムは一つもないことを力説した。そして、今までつくられた何千というダムについては、ゲートを上げるか、また、壊したものもあるとの事だった。また、アメリカ外のダムへのODAは、いっさい行っていないと語った。講演の最後に、水=H2O but,,,という文章を提示し、水は、確かに科学的にはこう説明できるけれど、実際は、もっと不可思議なものだ。人間が全て水を理解していると考えるのは、間違いかも知れない。水は、単に飲み水や潅漑のためにあるのではなく、もっと様々な要素を人間に、また命あるものに与えてくれるのではないか と締めくくった。これが印象的だった。

●アメリカのNGO、インターナショナルリバーズネットワーク代表のフィリップ・ウイリアム博士は、世界各国のダム反対グループをネットワークするインターナショナルリバーズネットワークの中で、科学者の視点から

●しめくくりは、C.W.ニコル氏「We free,we can fight!!」

会議のしめくくりとして、C.W.ニコル氏にマイクが渡された。

●200名の会議場は満員だった。全ての席に、同時通訳用のワイヤレスイヤホンが置かれ、非常に快活な女性同時通訳者たちが会場後部のスケルトンの箱に入っていた。

●止めナイトはワールドワイドなステージに。

イラストレーター、村上康成さん、石坂 啓さんのライブペインティングではじまった恒例のステージ。会場内には、ボブマーレー、,enya のwatermark

ネーネーズ、アイヌモシリのCDをかけた。

急場しのぎでつくった、各NGOからのPRコーナーの後、天野礼子女史の登壇。2日間の会議の要点を説明。その後、野田 CWニコル氏の対談。それから議員からのメッセージと続く。そして、世界からのダムファイターの登壇。

盛り上がるんだな、これが。女性同時通訳者がキンキン声でもり立てる。

数千のダムをつくり続けたアメリカを変えたビアード氏、フィル・ウイリアム博士、英国ジャーナリストフレッドピアス氏、ダイチン女史、それぞれ、力強いスピーチを述べてくれた。ビアード氏は、「とにかくここに居る人達が、これからの社会を変えて行くんだ。グッドラックと、励ましてくれた。「NO DAM!」コールが何回も起こった。

今までにない盛り上がりを感じた。

そして、音楽ステージへと続く。4年連続チャリティー出場の伊藤たかおさん。

2名のボーカル、アコースティックギター、ハーモニカと、男臭いそして、とてもメッセージ力のある歌が響いた。4曲目、ボブディランの曲をアレンジした曲で、僕も飛び入り。その曲を終えたとき、2日間パワフルな通訳をバリバリに聞かせてくれたハイパーインタープリター譲がステージ上に乱入。「ダイチン女史が今の歌にひどく感激して歌詞の意味が知りたいといっている。説明してくれないか?」という。ギターを片づけていた伊藤さんたちの困惑した顔。いろいろ説明しようとして、「んじゃ、も一曲やりましょうということになり、場内大歓声。「HEY! HEY!,HEY!,,,」と続く歌で締めくくる。

それが終わると、インタープリター嬢が「NO DAM」コールを開始。そして、フィリプ博士が「ダイチンに歌っていただこう!」とダイチンコールを開始する。場内「ダイチン」「ダイチン」とコールが響く。しばらく躊躇していたダイチン女史が登場。場内大喝采。アカペラで響く美しい中国の歌。素晴らしい。すかさず、場内アンコール。

結局2曲ダイチン女史は歌ってくれました。もう最高!のステージ。

僕も、「これだけ応援してくれるんなら、もう河口堰、ぶっこわすしかありませんよね。僕らには、世界がついてます。」と続けた。

その後、舞台には、座布団が登場。呼び込みのあと、てんてこてんてことお囃子が響く。

アウトドア落語の林家彦いちさんの登場。落語を終わる頃、会場後方で何やら火の手があがる。「すくえ長良川」と緋文字を反対する会岐阜がプレゼント。

いやあ、今年は芸が細かい。

その後、近藤正臣さん、夢枕 縛さん、村上康成さんにゆおるトーク。「釣り人談義」途中、ステージかぶりつきにすわってよっぱらっていた、岐阜の釣り氏が壇上へ。いいおやじさんだった。

その間、海外ゲストはビール片手にホテルへ向かう。みんな盛り上がっていた。

その後、岐阜の高木さんと、ゼンヨージ氏にでてもらい、明日の説明。その後。シドニーに歌ってしめてもらう。

いやあ、なんだかすごく盛り上がった止めナイトだった。

司会を引き受けた私めも興奮してしまって、とちり、ドジリ、気のきいた言葉もジャストミートできず、いやあ、でも、楽しかったなあ。


9/15

晴天。行動DAYは雨が降ったためしがない。

9時に雄叫びをいれ、司会を成田さんに交替。

各川のNGOからの報告、本多勝一さんからのメッセージ、CWニコルさんのメッセージの後、天野礼子が海外ゲストとともに壇上へ。海外ゲストからのスピーチ。その中で、IRNのフィル博士は、アメリカで壊したダムの破片を昨日天野さんにプレゼントしたと、語った。さっそくそれを持ってくる天野女史。「あのとんでもないダムが、一刻も早くこうなることを祈っている」しめくくった。場内大歓声。その後、天野礼子女史。21世紀の河川哲学を発表、シュプレヒコールを上げる。

歩け隊は、その後、ステージ前に「NO DAMS」と人文字を書いた。(はずだ。)

僕らはカヌー隊を率いて、×をつくらせる。その後河口堰に向かって行動開始!

藤原さんに貸してもらったカヌーにゼンヨージ氏と一緒に乗り込み、そろりそろりと出発しはじめた船団の先頭にでようと、急速前進する。「多い」

去年よりもカヌーの数が多いではないか。500挺は優にいる。いえい!

「GO!GOGOGGO」僕らは船団をまくしたてた。

いつもの橋のしたでシュプレヒコール。漁船に乗った岐阜の  氏。がなるがなる。ゼンヨージ氏も私めもマイクロフォンで叫ぶ。「NO DAM」「ダムはいらないぞ」「ぶっこわせ」

その後、歩け隊が河口堰の上についたところで、河口堰近くにあるオイルフェンスブイまでカヌーを走らせる。オイルフェンスには、いつもいる監視員。

カヌーや、カヤック約500挺。たまにサーフボード派、学生ラフト。川を愛するダムファイターがずらりと並び、みんな、ありったけの力でパドルを天に突き出し、ありったけの声を絞り出し、人間がつくってしまった、最もおろかな建造物の前で、「ぶっこわせ」と叫んだ。

堰の上にいる歩け隊は俺らの声が聞こえているように手を降っている。僕らもパドルを振り、それに応える。何分続いたろうか。ゼンヨージ氏も、僕も、そして回りのみんなも、声がひっくり返るまで叫び続けた。

空は、山は、海は、そして川は、俺達の声を聞いてくれただろうか。聞いてくれ。天よ。そして、このしょうもない日本という国でまっとうな事をやろうとしている、今、立ち上がり始めたダムファイター達に、順風を蒸かせてくれ。

木頭村の村長に、河辺川の原さんに、葉山の原さんに、そして、長良川の天野礼子に、そして、全国の、地域の自然をいつくしみ、ダム工事や林道工事に疑問を感じ、近所から村八分にされながらも、行動をおこしていっている全ての方に幸あれ。

今回、この長良川の運動が、特に、天野礼子さんが、非常にいいバランスを持ち始めたような気がしたのは僕だけではないだろう。海外NGO視察の中で、彼女が、また、この運動体が得たものは、とても大きかったのではないだろうか。

パワフルな行動力とリーダーとしてのキャパシティ(寛容さ)。今まではヤレヤレということがままあったかもしれないが、今回はみんなとてもノリにノッてやれたのではないかと思う。

今日、9/19、岩垂環境庁長官が、建設省に正式に長良川河口堰運用の中止を求める措置を申し入れすることになったとテレビで偶然見た。

新倉女史、天野礼子、そして海外ファイターズは、17日、環境庁へ、長良川の世界遺産への申請をおこなってきたはずだ。その成果か。ようやく環境庁も本気になってきたのか。と喜んでゼンヨージ氏に電話をかけた。徹夜が続いているようなゼンヨージ氏も疲れ声で喜んでいた。よし、ここから、俺はどうするかだ。月山ダム。

月山ダムといえば、

まず、13日、ODSSの北川さんにはっぱをかけられる。「田舎守るキーパーソンになれるんじゃないの。とおだてられ豚になる。

相模川で活動をし、同郷の佐藤守さんに相談する。誰か、キーがいないとなあ。

止ナイトが終わって、NGOのブースで油をうっていると、河辺川の原さんにお会いできた。原さんは、横浜を離れ、地元に戻り、こつこつと五木村の買収をなんとか止める方策を、とやっきになっているようだった。地域の活動は、そんなに明るいものじゃない。地域の経済を考えつつ、でもやっぱりダムはつくられては、未来の子供に川を伝えてやれない。

さて、俺はどうするか。月山ダムを検証する。本当はどうなのかをルポする。僕は、長良川に関わり続けていながらやっぱりおちゃらか役で核心のロビー活動には参加していない。かっこだけのダムファイターだ。この豚のまま、やっているふりをしているのはやめよう。田舎の水が殺される。これをみすみす見逃しているわけにはいかない。


ブナの森の水は畑をうるおし、田圃に潤いを与え、そこに住む生物の命をしっかりと支えていた。

川の下流に住む人間達は、その水が土壌にしみこみ、地下水となった水を汲み上げ、自分たちのいえの蛇口から流してつかってた。人口11万人の鶴岡を、その水は潤してきた。大きな井戸水だ。それほど、朝日山系や月山のブナ林の保水能力はすごいものがあった。でもそこにダムができ、水道水はダム水に変わり、蛇口をひねると塩素をたくさん含んだ水がでるようになる。そしてダム水に変わったとたんに、水道水は3倍に値上がりした。「水、おいしくないよう」こども達にあまりに言われるものだから家の飲み水は、昨日からペットボトルいりのミネラルウオーターに変わった。コンビニで1リットル200円。健康を維持するには、この水がいいと、医者にも言われた。水が家計を圧迫しはじめた。昔は良かった。人はようやくそんなことを口にするようになった。

実際、今まで金魚の水を継ぎ足すのにも、水道の蛇口の水で良かったのに、今はそれをそのまま使おうとすると、金魚の具合が悪くなる。金魚は死んでしまったのもいる。

農家の人は嘆いた。

田圃の稲がどうやら変だ。なんだか育ちがとっても悪い。

だだちゃ豆が他のとこでつくる豆よりうまぐねなや。あどだめだっちゃ。

民田ナスも今年からできなくなった。

子供達のアトピーが急に増え始めた・

今年は、市内の6つの小学校でO-157が蔓延。20名の生徒が死んだ。

魚が全然つれなくなった。川魚はもちろん、海の黒鯛もダメ。庄内竿で有名な庄内で釣をする人は全くいなくなった。

鶴岡の水が殺される。

これは大変なことだ。

町は一挙に魅力を失うことだろう。観光資源は次々となくなることだろう。

若い人は、今以上に、魅力のない鶴岡を離れることだろう。

残るのは何か。巨大な月山ダムと、その恩恵を受け、山や川や海を荒らしまくる土建屋と、それに金を渡すのに躍起になる議員達。

ああ、いやだ。あんなにいい山や川や海があるのに。

一部の連中の金儲けだけで、未来の鶴岡が台無しになる。

俺は、今、これをやらなきゃならないんじゃないのか。一介のダムファイターとして。

未来のこども達のために。


●デモの後、カヌーの上で。

一斉行動終了後、IRNの、フィル・ウィリアム博士をバウマンとして、河口堰までカヌーイングする機会に恵まれた。フィル氏は、ハイテレマーク、ドローを見せてくれ、「ワールドClass2」まではカヌーでOKだよ。と意気揚々とし、「河口堰まで行こう」と、パドルに力をいれる。

その推進力と、懸命にパドルを水にいれる肩に、今までの運動を、ああ、こうやってひっぱってきたのかと感じさせられた。力強いパドリングだ。僕らの前を、さっきから会場のとなりでスラロームを繰り返していた派手な色のジェットスキーが通り過ぎた。「I hate that boat!」 そうだそうだ。と僕はうなずく。ジェットスキーの波をものともせず、僕らを載せた、真っ赤な、16フィート、オールドタウン社製のペノブスコット挺は、河口堰に向けて突進した。

河口堰の手前にブイを繋ぐ形のフェンスがある。さっき、ここに約500挺のカヌーや、カヤックがずらりと並び、みんな、ありったけの力でパドルを天に突き出し、ありったけの声を絞り出し、人間がつくってしまった、最もおろかな建造物の前で、「ぶっこわせ」と叫んだ。

フィル博士と僕を乗せた舟は、ようやく、そこまでたどり着いた。さっきの行動を監視していた漁船にのった監視員が相変わらずそのブイの所にいて、僕らを見ていた。

「こんなブイなんて簡単にはずせるよ」ニヤリとしてこちらを見ながら、フィルが言った。「そうだよね」僕は返した。

はずして突入しようかとも一瞬考えたが、フィルはパドルを止めていた。

「こんなおろかなものを今だにつくっているとはあまりにもナンセンスだ」

とフィルは川を完全にふさいでいる河口堰を見つめ、つぶやいた。

僕らの舟は、上流に向かって吹く風をうけ、河口堰から遠ざかっていった。

僕は聞いてみた

「アメリカにこんな河口堰みたいなものはどれだけあるの」聞いてみた。

「Too Many! でも、こんな河口堰はあまりないよ」

「でも、今は、つくってないんですよね」

「そう、ゲートを上げているダムもあるし、壊したダムもある」

「どっかで爆破したダムもあるって聞いたことがありますよ」

「そうだ、ロシアでは、河口堰を破壊した」

「天野礼子さんは、ほぼ10年以上にわたってこの問題をやり続け、僕らも加わって、、でも堰はできあがっちゃったんですよ」

聞いてみた。

「ところでIRNの、経済的な基盤はどこにあるんですか」

「ドネーションがほとんどだ。今、環境保護は、アメリカのお金持ちにとって、大きな関心事だからね」

「日本のNPOは税金の問題があって、維持がむつかしいんですよね」

「Tax problems here in Japan」

「知ってるさ。でも、アメリカでも30年前までは、環境保護活動は日の目を見なかった。弱かったんだ。自然保護活動家の立場も弱かった。けれど、この30年の内に変わったんだ。日本でも、今、こんな活動をするのはなかなか難しいと思う。だけど、アメリカは変わった。環境保護への一般市民の関心も、今はとても高い。簡単なことだよ」

バウから、スターンにいる僕の顔をみて、ニッと笑顔を見せて、フィルは続けた。

「日本も、少なくとも50年後には変わってるさ。そのときは、君らがヒーローだ。

もう一度、フィルに僕は聞いてみた。

「アメリカのターニングポイントは一体何だったんでしょう?」

フィルは一度、「徐々にかわっていったんだ」と言ってからもう一度考えて、

「1961年のSILENT SPRING(沈黙の春)」といった。

沈黙の春が、ここにでてくるとは僕は思ってもみなかった。あのとき、きっとレイチェルカーソン女史は、一人だったのだ。発表するときは。ニューヨークタイムスなどが応援したというが、膨大な資金力を持つ薬品会社は、女史をつぶそうとした。でも真実や、正義は強かった。市民の中に経済優先社会の中で取り残してきた物をもう一度つかみ直そうとする輪が加速度的に増幅した。フィル博士は、そのとき、自分は川のことをやろうと決めて、動き出したのだろう。日本では、最近になってようやく河口堰や、ダイオキシンや、環境ホルモンが表にでてきた。それまでは、様々な圧力の中で表にさえでてこなかった。まあ、日本の徐々に徐々に、アメリカのように変わっていくのかもしれない。もういまや、情報については、インターネットを通じて、個人でも専門領域の細部まで知ることができるのだから。

僕は、なんだかとても気が楽になって

「ありがとう」

といいながら、ううむ。なんとかせねば、と、ムラムラ志気が高まってくるのを感じた。

パドルを止めて、話しをしていると、僕らを乗せた真っ赤なカヌーは、風を受けてドリフティングを続け、河口堰からずいぶん離れていた。さて、そろそろ戻るか、と

パドルを持ち直し、前を見ると、もう一挺、カヌーがこちらに向かってくるのが見えた。そして、女性の甲高い声で、叫んでいるのが聞こえた。そのバウに乗った小柄な女性は、ダイ・チン女史だった。スターン役は善鷹蒔氏。

「Oh! ダイチーン!」

フィルは、奇声をあげ、よし、とパドルに力を込める。僕らはカヌーを走らせ、合流した。彼女は、揚子江を止めようと計画が進められるダム、三狭ダムの反対運動を、文字どおり体をはって、一人で繰り広げているジャーナリストだ。中国では、彼女はまさに危険分子としてマークされ、本は発禁処分になっている。

ダイチン女史は僕らに手を振ると、「競争しようよ、フィル」と笑いながら言った。

とてもあの大著を書き上げた凄腕のジャーナリストとは思えないほど、カヌーに乗ったダイチン女史は、無邪気に見えた。

彼女は、昨日行った「河口堰運用やめナイト」では、すばらしい中国の歌を披露してくれた。それも2曲も。

「昨日の歌、そして、素晴らしいスピーチ、ありがとうございました」

言うと、彼女は、益々にこやかに照れ笑いを浮かべた。

2挺のカヌーは、追い抜き、追い越されながら、並行に進んだ。僕と善鷹蒔氏は顔を見合わせ、今回のサミットで、彼らが残してくれた、大きな布石(stepping stone)を確認し、サミングアップを繰り返した

ゲストのバスが出る時間が近づいていた。

「岸へもどろう」

2挺のカヌーは、わさわさと片づけがはじまったステージトラックを目印に岸へ向かった。

到着して、フィル博士としっかりと両手で握手して分かれた。僕は、心の中で、「I will follow you! Dr.Fill. 」と叫んでいた。月山ダム問題に着手しよう。足下を固めるために。そして、ダムファイターとしてのロビー活動をどんどんやっていこう。また、リバーガイドとして、本来の川の良さをどんどん伝えていこう。


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