市議会日記99/6/29〜9/1

8/18日〜8/31 KJ法で知られる川喜田次郎先生の「月山移動大学」に参加。川喜田先生のkj法は、まさに21世紀のまちづくりの哲学なのではないかと実感した。今後は、この手法をいろんな形で反映させていきたい。

7月8日〜8月15 ほとんど連日、「月山炎のまつり」準備と当日。叶宮にお願いが通じたのか、なんとか天気も味方してくれ、大成功。東京、大阪から来たスタッフ、ゲスト、お客さんも、月山の豊かさを感じとっていただかなあと思う。

7月7日(水)事務所でほとんど一日パソコンに向かう。月山のまつりの件も企画の詰め詰めである。夜、奈良裕之さんがいらっしゃるということで、合流。

7月6日(火)

午後1時30分。新聞で、月山ダム建設促進期成同盟会があると見たので、これは行ってみなきゃと思って、スーツに着替え、会場に来たのだが、そこにいた鶴岡市の建設部長に「おひきとり下さい」と門前払いになった。建設促進のために、広域水道計画にのった市町村の代表者がほとんど集まって、となりで会議をおこなっている。僕は、こうした皆さんの促進の思いというものを、しっかりと正面で受けながら、ダムというものを問わなければならないと思っている。だから、こうした会議でおこなわれる話を聞くことは、重要な事だと思ったワケだ。しかしながら、「これは、建設促進の会議ですので、おひきとり下さい」と言われた。「傍聴もだめですか」と聞いたが、「申し訳ありませんが」との事だった。これが、これまでこの事業が踏んできた「民主的な手続き」なのだろうか。

 僕は、この会場のとなりの喫茶店でこれを書いている。中庭を越えると、彼らがミーティングしている会議場なので、うっすらとその会議の様子がうかがえる。会議テーブルには白い布がしかれ、VIPミーティングの様相だ。この会議はもちろん市民の税金を使っておこなわれている。しかし、僕ははいれない。ダムに疑問をもった市民は一切いれない方針でこの会はおこなわれているのだ。これをもって「住民の強い要望が、、、」なんていうのだろうか。確かにここに集まっている人たちは、市民の代表というべき人である。しかし。しかしである。

7月5日(月)

議員全体協議会。庄内広域大学と、介護保険についてであった。広域大学について、現存するところとしてどんなキャンパスタウンのイメージなのか、先端環境研は慶応のどの学部が担当するのか、などを質問。市長さんは、「どこかにあるような物は想定していない。そして、先端環境研も慶応というワクでやる気はない。学会の最高レベルでの今までにはない研究室だし大学院を想定している」との事だった。そして、「致道館」のすぐれた教育精神(ここについては以前日記で触れた)に共感できるような大学院。ともおっしゃった。ふむふむ。これはもっともだと思ったが、

夢物語を市民にしっかりと軟着陸させるためには、いろんな工夫が必要だと思う。市民のための大学なのだともおっしゃったのだが、今のままでは、なかなか市民にこの大学の「カタチ」が伝わっていないのだ。「学園都市としては、大体、こんな感じ」でもいいから具体例が僕は欲しかったし、市民の皆さんもそのシュミレート、ビジョンが欲しいのではないかと思っている。でも「どこにもないカタチ」うむ独創的な学園都市ねえ。「様々な町民を受け入れた世直しの学び舎、致道館の精神」からぶれないよう、みんなの声を反映させるべきだと思う。

7月4日(日)

宮沢賢治のポエットリーディングが酒田であると昨日、クラブで会った人に聞いたので行ってみることにした。酒田のラストリーフは、とても人の良さそうな店主の気持ちがあらわれているような店内に、これまた思いのこもった絵本がびっしり並んでいる。そこで、6時30分から、ポエットリーディングはおこなわれた。宮沢賢治の詩の朗読会である。昨年、オークランドに滞在したとき、とあるブックショップに行くと、その片隅にあるコーヒーショップでそうした朗読会はおこなわれていた。独自の詩をつくって読み上げる。片言英語の僕でもなんだかわかった。みんな堂々と、いやある時には読み終わったあとは照れくさそうにしながらそれは行われていて、一つの文化を感じさせた。プレゼンテーションの文化というべきか。でも詩は、音霊を通じて初めて伝わるのかもしれない。実にみんな楽しそうに読まれる詩を見つめ、後で語り会うのだった。

さて、酒田のラフトリーフの朗読会。sあるテレビでお馴染みのアナウンサーなんかも登場し、さすがはプロという感じのリーディング。音霊(オトダマ)にのせてケンジが僕のとなりにいた。ぐっとひきこまれる言葉の世界。中でも「ケンジュウ公園林」は、今、問題になっている「西茨湿原」の事を連想させ、僕は一挙にひきこまれ、これは、あの業者の方や、地元の人たちに読んでいただきたいなあと思った。その日、言霊にのった宮沢賢治は、非常に現代の事が手にとるようにわかるようにボクラに示唆を与えてくれた。ありがとうケンジ!

7月3日(土)

昼までオフ! 昼からは、月山のまつりの打ち合わせ。

7月2日(金)

夜、月山のまつりのミーティング。2日後にはプロミュージシャンとして旅立つ若者と、実行委員の面々と話す。結局、あたりが白々とするまでそれは続いた。

7月1日(木)

東京3日目 昼の新幹線で山形へむかい、一瞬山形でミーティング。バスで戻ってきて、鶴岡マリカで、佐高 信さんの話を聞く。司馬遼太郎と藤沢周平を対比したエッセイを出版された佐高さんの、出版記念講演会だった。オブチをオブツと言い、例の3法案について、持論を展開された。特に盗聴法について、非常に手厳しく非難をされていた。先週、議会でもんだ3法案、「ガイドライン」と「国歌、国旗の法制化」「盗聴法」だが、ボクラはいろいろ異論を唱えても、数の論理で、全部「問題なし、やってよし」的な事に鶴岡の議会ではなってしまったが、しっかりと不安をもたないとやっぱり危険なのだということを佐高さんは力説してくれた。「司馬さんと対称的にあくまで権力側にたたず、庶民の立場にたって書いた藤沢さん」これが庄内の、鶴岡の持ち味だし、そのしっとり、しっくり感、やはり僕はこれが21世紀の「こころ」の時代の王道なんだとうなずきながら思った。

6月30日(水)

東京2日目 とにかく、まつりをどうしていくか。バンブ、アオヤマ氏と昼早稲田で、今回の月山のまつりの実行委員会顧問でもある鎌田先生に再会。他、東京自由大学のみなさんにもお会いした。今年、夏は、岩手のハヤチネに行くそうだ。岩手の神楽の話を聞く。ビリンバウの演奏家の 水ビリンバウを頂戴し、感激する。夜は、五十嵐ゼミへ。公共事業を考えるゼミなのだ。保屋野さんと再会。県の方にも会えた。

夜は、これまた市民運動家のカンタ氏へ。 

6月29日(火)

東京1日目 朝、始発の新幹線で東京へ。そして、バンブとエビさん、アオヤマ君、次の日からアメリカのサンダンスにでかけるアキオ氏と恵比寿、縄でミーティング。縄というのは店の名前で、なんとあの、ファッションビルが立ち並ぶ恵比寿にある魔可不思議無国籍料理屋なのである。店は、ごとっとした白い土壁でできていて、中庭には、インディアンのティピが置いてある。ボクラは、そこのざっくりとしたテーブルで延々と月山のまつりの事について話をした。的確な指摘、ありがとう!

夜、一件用事をすまして、来るときピアを読んでいて気になっていた、「マイクスターン」のライブに行くことにした。僕のあだ名と同じ、、というか、どうも気になるギタリスト、そしてラインアップの中にあったSAXのボブマラク氏は、以前、ポールモチアン氏らそうそうたるメンバーで集まった、「ジョルジュグルンツ・コンサートジャズオーケストラ」のツアーで僕は、ロードマネージャー補助係として会ったことのある人だった。初めて行った東京ブルーノートは、NYのそれとは全く違う体育館のような店内で、SFの「YOSHI'S」のようでもあった。彼らの演奏は、神業のようであった。スターン氏からは、CDに「TO Stern Mike stern」とサインをもらった。僕も意外とミーハーである。最新作もスゴイらしいが、マイクスターンの初アルバムにはジャコ・パスもはいっていてオススメ。なんだか音楽評になってしまった、、、。

夜は、ダイオキシンのkasahara氏のところへ。彼もがんばっている。