平成13年度 鶴岡市議会9月議会反対討論

公益21の会を代表し、今議会に提案されております

平成12年度一般会計決算並びに平成12年度水道事業会計決算に対し、反対の立場で討論をおこないます。

平成12年度。は、4月当初に地方分権一括法が施行され、国と地方自治体は「対等」関係となり、役割として地方自治体は、より主体性を重視され、より住民の側にたった行政運営へと大きく転換をする。そうした元年であったと認識をしています。
国が改革とうたっても鈍い動きの中、田中長野県知事の脱ダム宣言、など、いままでの行政の聖域を革新的な改革によってウミをだし、活性化をしはじめた。まさに、市民の側にたった真の改革が自治体レベルではじまった、そうした年でもあったと認識しています。
当市も、行政改革大綱にそった行政改革を推進することは当然でありますが、特に市民が何を望んでいるのか、しっかりと耳を傾ける。そうした姿勢が特に大事な時期にはいった時期であったとと認識するものであります。

さて、本市の12年度の運営についてですが、具体的に事例をあげ、検証したいと思います。

平成12年度の目玉事業として、大学間連施設の事業があります。
この事業のうち、特に致堂ライブラリーの事業は、大学施設と地域との交流を促進し、その研究教育機能を最大限に活用したまちづくりを進めるためのものと説明書にもあって市民共有の図書館機能ということで広報にも紹介し、相当の市税が投入されています。しかしながら、市の図書館が日平均639名ほどの来館者が毎日あるのに対し日平均30名ほどの利用者。つまり、市民がほとんど利用していないということであります。そして、入館目標はたてていない。とのことでした。研究機関の図書館だから、と今の状況を容認するような当局の見解もありましたが、、入館者がいないようでいいのでしょうか
市民の血税を投入した費用対効果として、常に活用状況がチェックされて当然であります。

目標もなく、なにか漠然とした、いまの状況では、一人でも多くの市民に来館していただくようなハード、ソフト面での工夫があったとは思えず、今後、ライブラリーの館長を担う市として早急な改善が望まれる事業であると認識します。

また、マリカの1フロアを利用したねっとわーくコミニティセンター事業もこれと同様、来館目標数を定めていなかった。これも同様、目標、ミッションをより、明確化し、公共サービスとして一人でも多くの市民が親しみ、ITの本来的な活動ができると同時に、マリカへの集客がはかれるよう、運営面での戦略をたてることは当然であります。

そうした、投資を成功に導く「公共施設のハコに心をいれる」いしきづけは、施設建設の設計段階からあって当然です。これがまだまだ希薄と強く感じました。

また、産業面で

水産事業振興に係る「内水面活性化総合対策事業補助金」約1億円の投資でありますが、投資効果は、
鮎をを釣りに来る人などを対象とした観光産業に位置づけられるのか、鮎を育て売却する事による赤川漁協の生産活動に寄与するのか、投資効果が明確ではありませんでした。
一方では行政改革で爪にあかりをともすがごとく、経費削減を行っているのに投資目的と効果を明確に説明できない事業に約1億円を支出されていることは、問題であると言わざるを得ません。

又、遊漁センター管理委託料1千500万円も、利用者が激減し、今日的時代の要請から遊離しているかのようであるにもかかわらず、惰性でこの事業を継続している点も問題点として指摘せざるをえません。

また、行政への市民参加、情報公開、という点ではどうでしょうか。

平成12年は、鶴岡水道住民投票の会による住民投票条例を請求した市民運動がありました。

「これまで、「おいしい水」として食文化、観光資源として市の風土を支えてきた地下水利用の水道水を、失ってしまっていいのか。水道料金は大丈夫なのか。

といった、住民の多くがもった率直な市民の疑問、強い思い、

水需要の大幅なずれ、「地下水資源」がミネラルウォーターとして売られている価値観の変化、ダム行政への国際的な不信感など、20年前とは大きく変化した今の時代の要請をどのように反映させるかを課題とした本質的議論をおこなうため、市民ひとりひとりが未来に対して、責任をとるために意思表示しようというものでありました。
将来、この鶴岡市の何を次の世代に手渡すべきなのか。という点に立脚し、これを支持した12735名の市民の活動は、これまで、疑問をもつものをすべて排除し続け、まさに「聖域化」ともいうべき扱いだったダム事業及び広域水道の問題を掘り下げ、明確化し、広く全国的な社会問題として投げかけた、まさに鶴岡の風土を愛する市民の貴重な運動であったと思います。

これにたいし、市長は、この運動の当初から「排除しよう無責任な政治的行動」と政党の政策ビラなどに記載し、強行な姿勢を貫かれておられました。

当局の姿勢としては、署名期間内に、情報公開条例 に基づく、「受任者名簿の公開」をおこなうという事件がありましたが。これは、これまでの日本の住民投票条例制定運動の歴史でも希に見る暴挙であると、研究者やジャーナリスト、は批判をし、全国的な話題となりました。

市長は、条例案審議の際、については「善良な市民がよく理解しないまま署名したのは情けなく悲しすぎる」「欺瞞性」「無責任さ」「情緒的」「反社会的行為を含意」といった言葉され発せられ、署名活動をおこなった市民に対するあからさまな嫌悪感と敵意をむきだしにしましたl。

「市民の長であるはずの市長が、行政の長としての責任」といわれた事も驚きでありました。

条例案は、残念ながら、否決されましたが、当局、市長の姿勢を
残念ながら、こうした運動があっても、水道事業は公聴会ひとつ、説明会ひとつ、広く市民に提供されることはありませんでした。また、解決を導くための本質的議論をもつこともできませんでした。協定が結ばれるまで、都合の悪いことは教えない。何か秘密里に事を進める。といった姿勢が、つらぬきとおされていたかのようでもあります。

まず市長、及び、当局には、この署名活動が、行われた背景や理由をまず感じていただきたい。

情報公開、説明責任、市民参画、市民に開かれた徹底した議論。どれにおいても不十分で、この市の行政が、行政の行政による行政のための行政であり、市民の側を向いていないこと。多くの市民が望んでいる声に耳を傾けていないことを象徴しているのではないでしょうか。

そしてこうした運動があった後も、市行政の姿勢は変わらず、公募性の審議会開かれず、都合の悪いことは教えない、都合の悪い人は排除する、
市民の方からは、署名をおこなった市民を調べあげ、圧力がかかっているという声もきかれます。

そうした姿勢がある限り、現状の各審議委員会も形骸化しているといわざるを得ないのでしょうか。

市民がホンネを口にすることもできない。自主的に動くと「やっかい」もの扱いされる。反論すると排除される。反社会的などというレッテルを貼られる。そうした風土がある限り、市民が参画した、本質的な議論や、生き生きとした市民社会を形成することなどとうてい不可能なのではないですか。

地方分権で最も重視しなければいけないことは、まず率直な市民の声に耳を傾けることであると確信しています。
健全な地方自治を運営する本当の民主主義のセンスに欠けていると強く感じるものであります。

●12年度水道事業会計決算についてですが、「安定給水のために水道施設の整備を図るとともに適切な維持管理にあたって参ったと、説明にもあったわけですが、
昨年の水道施設の維持管理が果たして適切といえるものだったでしょうか。
つまり、昨年度 今年1月におこった、6日間の夜間断水は、再三にわたり指摘してきたにもかかわらず、おこなわなかった井戸設備の点検、メンテナンスの不徹底、に起因するものであり、。これは当時、取水能力が落ちていた井戸施設のメンテナンスを今年おこない、大きく改善されている事などからも明かであります。
しかも、以前調査にあたった柴崎達男先生が、昨年11月にいらして「地下水源の豊富さを再度言及し、地下水利用の見直し」を提言したにもかかわらず、それに聞く耳をもたず一切の地下水の状況の調査をおこなうことなく、また井戸の整備も徹底することなく「地下水位の低下。地下水資源の枯渇傾向 」などと広報したり議会で応え続けていたこと。
これが結果として
水道事業として最悪ともいえる断水の状況をつくりだしてしまった。これは断じて許し難いことであります。

また、広域水道事業の問題点については、先日、水質が発表されましたが、国の基準値は満たしていても水のおいしさの点では、厚生省「美味しい水研究会」委員であり日水コン中央研究所の小島貞男先生が作成された水番付では2ランク落ちるものであります。

また、水道料金の事を考えれば、5年間で2倍にあがる。

つまり水道料金、水質、どちらをとっても市民サービスの低下につながる事業なのではありませんか。

あと22日間で切り替えが予定されていますが、行政のおかした地下水資源の見積もり失敗、「水需要」予測の失敗を尻拭いするために切り替わる、水源の切り替えを、ほとんどの鶴岡市民が望んでいません。

このまま導入をすすめていけば、住民ほ批判は絶えず、公共事業や政治家庭に対する強い不信を生じることになるでしょう。
郷土の誇りを失いたくない。そうした市民の声に少しでも耳を傾ける努力を今からでもしていただきたい。

市民の疑問を排除しながら、強引に進めているかのような水道事業に反対するものであり、これを推進してきた平成12年度水道事業決算に反対します。

民主主義の目覚まし時計が、最も必要な市であると思わずにはいられない。

以上、反対の討論といたします。