京大ユニセフクラブ研究発表レビュー
回顧と展望(1)

永井史男

第一章 はじめに

京大ユニセフクラブは今から約14年前、1985年4月5日に産声を上げた。以来14年間、京大ユニセフクラブは地道に、息長く活動を続けてきた。

筆者は、大学入学と同時にこの京大ユニセフクラブに入り、草創期のユニセフクラブに少なからず関わった者である 。筆者の大学時代はユニセフクラブとともにあったと言っても過言ではなく、ユニセフクラブに入っていなければ恐らく今の仕事にも就いていなかったと思う。それゆえ、京大ユニセフクラブには特別の思いがある。

このたび、京大ユニセフクラブでは『ユニトピア』100号を刊行する運びとなった。そしてこれを期に、過去にユニセフクラブが発表してきた研究成果(11月祭教室展示パンフレットなど)をレビューしていただけないだろうかという依頼が、編集委員会から筆者に舞い込んだ。これはたいへんな名誉なことだが、筆者には荷が重過ぎる作業である。しかし、長期にわたってユニセフクラブを見ているという理由で折れ、非力ながら重責を引き受けることになった次第である。

京大ユニセフクラブの主な活動は、1986〜87年当時と現在と、あまり変化していないのではなかろうか。4月〜7月までは学習会や読書会、古本市を行い、9月〜12月にかけては京都大学11月祭で教室展示・研究発表を行い、ユニカフェを開くというものである。また、クラブをつなぐ横糸が「南北問題」に関心をもつものの集まりという点も、1986年当時とさほど変わっていないように見受けられる 。活動内容があまり変化していないように思えるのは、京大ユニセフクラブの自己認識があまり変わっていないからではなかろうか。たとえば筆者が関わっていた頃のユニセフクラブは、「知る、伝える、助ける」をモットーに活動していた。学習会や読書会は「知る」術であり、11月祭教室展示は「伝える」術であり、古本市は「助ける」術と位置づけていたのである 。元来は不足しがちなクラブ運営費用を捻出するために始めたユニカフェも、現在では「援助する」術となっているが、こうしたモットーは、現在でも受け継がれているのではないかと思われる。

以上のように考えると、『ユニトピア』と『研究報告集』のもつ重要性は明らかであろう。これらは、京大ユニセフクラブが外部に向かってメッセージを発信するための、重要な媒体である。とはいえ、両者は性格を異にしている。『ユニトピア』は普段の活動を伝える"News Letter"的なものであるが、『(11月祭)研究報告集』は京大ユニセフクラブ全体の問題関心を映し出す「反射鏡」である。このユニセフクラブの「反射鏡」は年によって大きさがマチマチであったり、今一つ写りがよくなかったりすることもあるが、いずれにせよそれが京大ユニセフクラブの「反射鏡」であり、重要な知的財産の一つであることは否定できない。

さて、このように重要な京大ユニセフクラブの知的財産である『11月祭研究報告集』を、我々はどの程度大事にしてきただろうか?我々はこの「反射鏡」を怠りなく手入れしてきただろうか?否、ホコリにまみれていた、というのが正解であろう。その証拠に、3号ボックスの中に当然ある筈の古い「反射鏡」の一部が「行方不明」なのである。最初に、今回のレビューで取り上げる『研究報告』一覧(表1)を見て頂きたい。

表 1: 京大ユニセフクラブ『研究報告』一覧(3号ボックス保管分)

発行年月日 パンフレット・タイトル 担当者・編集者・発行者
1988年12月14日 『エビ班中間報告書』 京大ユニセフクラブ エビ班
1989年11月21日 「日本のODA」(パンフレット第一部) 京大ユニセフクラブ 「日本のODA」研究班
1989年 援助先進国の援助 京大ユニセフクラブ 海外援助先進国班
1990年11月 商品からみた南北問題
1990年2月22日 11月祭教室展示「援助」に関する資料 第4部 発展途上国のNGO 京都大学ユニセフクラブ途上国NGO研究班
1991年12月23日 貧困はつくられるー第三世界の農業と環境破壊の意味
1992年 公害輸出と多国籍企業の進出 京大ユニセフクラブ
1994年3月1日 1993年11月祭研究発表 報告集 「教科書にみる南北問題」 ユニセフクラブ内編集部
1995年11月22日 NGOからはじめよう 京大ユニセフクラブ
1996年11月19日 識字教育からみえるもの 1996年11月祭研究発表教育班
1996年11月20日 わたしたちのまちの外国人労働者 1996年11月祭研究発表外国人労働者班
1996年11月20日 国籍って何だろう 1996年11月祭研究発表国籍班
1997年11月20日 ODA研究発表 1997年11月祭研究発表ODA班
1997年11月21日 立ち上がる女性たちインドにおける女性運動とその軌跡
1997年NF Japanese・Filipino・Children〜マリコとオーロラに出会って〜 京大ユニセフクラブ岡本美哉・下向智子
1998年11月20日 心の国境線 ニューカマーと私 1998年京都大学11月祭研究発表 外国人班
1998年11月20日 燃えるゴミ問題 京都大学11月祭研究発表「ゴミの行方」班

【出典】 編集委員会から筆者宛てに送られてきた「研究報告」をもとに筆者作成。

表1から明らかなように、本レビューの対象となる「研究報告」には、1986年11月祭の研究報告『砂糖の島の労働者たち』(1986年11月23日) 、1987年11月祭研究報告「サラワクの熱帯林破壊」、1994年11月祭の研究報告が含まれていない。さらに、1994年以前で明らかなように、「研究報告」の発行は11月祭の時期だけに限らない。たとえば、1989年に行った「暮らし・京都・アジア」シンポジウムの報告集、1990年12月19日に行われたシンポジウム「ニッポンチャチャチャ?〜日本はどこへいく〜」報告書(1991年1月30日発行)、いくつかの新歓パンフなども、「研究報告」にいれてよいだろう 。

以上のように資料的に不十分な点があるとはいえ、1988年〜1998年までの11年間、計17本の報告書をレビューすることで、これまでの京大ユニセフクラブの関心をおおよそ伺い知ることは十分可能である。そこで、続く第二章では、個々の「研究報告」の要約紹介と評価を行い、第三章では全体を通しての研究報告の評価を行いたいと思う。



第二章 内容要約・紹介・評価


『エビ中間報告書』
発行:1989年5月19日

本報告書は8章だて、総ページ数22ページからなる。初版が1988年12月14日に発行され、1989年5月19日に新版が発行されている。このレビューでは新版を用いている。当時この「エビ班」は、京大ユニセフクラブの中でももっとも活発なグループであった。2度に渡る印刷からも、この点は伺い知れよう。

報告の趣旨は、日本人がエビを大量に食べるようになったことがどのような意味をもつのかを検討する点にある。

第一章と第二章では日本におけるエビ消費量の増大を検討し、それが大部分輸入に頼っていることを指摘する(1985年時点で、世界の輸入量の3分の1)。続く第三章と第四章では、供給サイドの事情が説明される。すなわち第三章では、日本の主たるエビ輸入先である台湾、インド、インドネシアにおいて、エビ養殖をめぐり環境破壊や漁民の階層分化が生じているか報告されている。第四章では、こうした開発に伴う問題として、エビ輸出が外貨獲得の手段として機能しており、開発のもたらす環境破壊、漁民のタンパク不足、階層分化などの問題が指摘されている。

続いて第五章では、需要サイドである日本において、何ゆえ大量のエビが消費されるようになったのかに視点を移し、その理由として、食生活の変化、外食産業の発展、コールドチェーン(低温流通体系)の整備、規格化・利益率の高さなどが挙げられている。加えて、国内のエビ流通の状況が、図を使いながら詳細に説明されている。以上の分析を受けた第6章は「エビ・システム」と銘打ち、「東南アジアでは日本資本による開発が進み、エビ漁業養殖によって大量のエビが日本に送られるシステムが出来上がった。一方、日本国内においてもコールドチェーン勧告や、場外流通を中心としたエビ市場の再編成により、大量のエビを消費する(つまり食べる)システムが作られた」と指摘した上で、「このままゆけば、加速度的に構造強化―エビ大量捕獲⇔大量消費―が進んでいくのではないだろうか」と警告する。

最後に第七章では、「エビは南北問題をよく反映した商品である」と踏まえた上で、@ お金さえ払えば済む問題か、A 誰のための「開発」なのか、B 「暮らし」の裏側を問い直す必要があるのではないか、C 本当の「国際化」のためには「知る」ことが必要ではないか、と問題点を4つに絞り、「私たちが、もっと彼らのことを知り、消費者と生産者の間に、友達のような関係を作れば、きっと今のようなエビが作り出す不平等な関係は変わっていくに違いない」と結んでいる。

 なお、第8章には、本報告書を作成したエビ班メンバー(泉・尾崎・北本・倉田・坂野・塩山・前田・横田)の意見・感想・提言が収録されている。本報告書は「中間」報告となっているが、「最終」報告書は確認していない。


『日本のODA』(パンフレット第一部)
発行:1990年11月21日

1989年11月の大学祭研究発表テーマは、「援助」である。現在手元に残っているのは、これから紹介するパンフレット第一部と銘打たれている「日本のODA」(1989年11月21日付)と、次に紹介する「援助先進国の援助」(1989年発行。月日は不明)の2点の報告書だけである。

本報告書を作成したグループの問題意識は、「まえがき」(1頁)に端的に表われている。すなわち、「今や日本のODA(政府開発援助)額は世界一となった。しかし、その援助内容をみてみると、はたして「援助大国」の名にふさわしいものかどうか大いに疑問が生じてくる。(中略)今後ますます巨大化するであろう日本のODAに対して、真の援助とは一体どのようなものかをもっと考えていきたいと思っている」。

本報告書は六章、総ページ数24頁からなる。第一章では、ODAの一般的特徴が説明されている。量の点では、国民1人当たりの額に計算するとDAC(経済協力開発機構の一部である「開発援助委員会」を指す)諸国18カ国中第12位にしかすぎないこと、他方質的側面では、贈与比率(ODA全体の中で返済義務のない贈与の占める割合)やグラント・エレメント(借款の金利や償還期間などから算出される条件の緩やかさ)はともにDAC諸国中最下位であることが指摘される。また、調達方式においても、いわゆる「ひもつき援助」の占める率が高いことが問題点として指摘される。

続いて第二章では、政府開発援助の歴史が概観される。日本のODAが敗戦国の賠償や準賠償として行われたこと、当初は有償資金協力(円借款)として始められたこと、輸出促進と資源確保のための経済協力という考え方が支配的だったこと、「人道的・道義的考慮」と「国際的相互依存」の理念とは裏腹の「質」の伴わない援助が依然として行われたことが指摘されている。

さらに第三章では、日本のODAの内容が具体的に説明されている。有償協力、無償協力、技術協力の具体的内容が一通り説明されたのち、第四章において実施手続きがそれぞれの協力形態に応じて説明されている。

以上第一章〜第四章においてODAの概要を把握したうえで、第五章では援助の理念が検討されている。政府が国会論議で明示している、@ 人道的・道義的考慮、A 相互依存の関係、という二つの理念だけでなく、B 国家経済利益のため、C 安全保障のため、という観点まで踏み込んだうえで、「(3)と(4)の国家経済利益と安全保障である経済的・政治的安全保障の確保が、援助供与国・日本の最優先動機になっていることは見逃すことはできない」(19頁)と結んでいる。最後に第六章では、日本のODA問題点として14点が挙げられている。項目だけならべると、

1. 理念、基本方針がはっきりしない。骨組みがない。
2. 要請主義のまやかし
3. 情報公開がない。国会討議がない。
4. 主務官庁がない。
5. スタッフ・専門家が少ない。
6. 有償資金協力が多い。G/E(グラント・エレメント)が小さい。
7. まやかしのアンタイド率
8. 最貧国重視でない。
9. ハードな援助が多い。
10. 適正技術の観点が欠如している。
11. 環境への配慮がない。
12. 人権に対する配慮がない。
13. やりっぱなし援助
14. 評価

以上のようなものである。なお、第7章には執筆者(川瀬、北本、後藤、坂野、横江、亘)の感想が寄せられている。


海外ODA班
『援助先進国の援助』
発行:1989年11月

本報告書も、1989年11月に発表された「援助」研究の成果の一部であろうと思われる。本報告書は四章立て16頁からなるが、12頁と13頁が「むすび」と「メンバーからのひとこと」に充てられ、14〜16頁は参考文献となっている。したがって、本文はわずか12ページにしかすぎない。執筆者名も英語のイニシャルが書いてあるだけで判別できないが、F.N.と書いてある部分は筆者自身であろう 。

本報告書は大きく二つの部分からなる。第一は、「総論」部分であり、ここではDAC諸国のODA総額、DAC諸国のODAのGNP、国民の負担、贈与比率、グラントエレメントが図表とともに掲げられている。また、補足として、@ アラブ諸国、A COMECON(東欧経済相互援助会議)諸国、B 中国の援助政策、ODA実績が記載されている。続いて二部では、「日本の援助に対する他国の援助例」と題して、日本が抱える援助の問題点を9つに整理し、そうした点が他国においてはどのように扱われているか検討されている。


京都大学ユニセフクラブ・途上国NGO研究班
「11月祭教室展示「援助」に関する資料 第4部 発展途上国のNGO」
発行:1990年2月22日

実質14頁からなる本資料は、11月祭の教室展示に合わせて発行されたものではなく、翌年の2月となっている。本資料には前書きや寄稿者(泉多恵、門脇甲太郎、辻俊之、尾崎洋一、木村陽介、増尾良美)の感想が寄せられておらず、発行の趣旨も不明である。

本資料は7章からなる。第一章から第五章までが理論編に相当し、発展途上国のNGOをさまざまな側面から分析している。続く第六章で具体的な発展途上国のNGOの事例を紹介し、最後に第七章で発展途上国NGOの評価と問題点が述べられている。

まず第一章では、第三世界において一九七〇年代後半頃から、自国の開発に積極的にかかわるNGOが急激に増加したとし、その理由として、「開発」の意味の見直しや「自立的開発」の思想が高まってきたことが述べられている。第二章では、発展途上国NGOの一般的特色が、努力目標(政府の「開発」の否定、「自立的開発」の実現)、活動主体(都市在住の「目覚めた」知識層)、NGOのタイプ(チャリティー型、自立型、ネットワーク型)という観点から整理されている。第三章は、発展途上国NGOの活動内容を、@ 保健・衛生サービス、A 信用サービス、B 現金収入向上、C 識字・児童教育、D 開発リーダーの養生[ママ]、という観点から整理している。第四章は、発展途上国NGOと政府との関係について論じ、政府は福祉志向のNGOについては好意的だが、貧困からの解放を目指すようなNGOに対して否定的であるとし、その例としてインドネシアの「法律擁護協会」(Lembaga Gantuan Hukum/LBH)が取り上げられている。第五章では、先進国ODAから発展途上国NGOへの資金流入形態が検討されており、「Co-Financing方式」と「直接援助」の二つに分けて論じられている。

一方第六章では、具体的な発展途上国のNGOの活動例として、インドの「Self Employed Women's Associations(SEWA)」とバングラデシュの「Bangladesh Rural Advancement Committee(BRAC)」が取り上げられている。前者の特色として、「Self employed women(自己雇用婦人)と呼ばれる貧しい女性労働者の権利を獲得し得た収入の処分権を家庭内で増すことを目的に支援する団体である」として、活動内容として、@ SEWA銀行の運営、A 労働組合・協同組合、B 農村プロジェクト、などが挙げられている。他方後者の特色として、「農村貧困層が開発に参加することで彼らの自立を促し、合わせて収入を向上させることを目的に進められている団体」としたうえで、活動内容としては、@ 総合農村開発プロジェクト、A 教育プロジェクト、B 信用供与及び訓練プロジェクト、C 「経口補水療法」プロジェクト、D 「研究センター」の運営、などが挙げられている。

最後に、第七章では、発展途上国NGOに共通する問題点として、@ 資金難、A 貧困層が新しい「開発」プロジェクトに自主的・積極的に参加しない、B 発展途上国NGO

はこれまでの「開発」によって切り落とされてきた層を対象にして活動している、C 発展途上国NGOは、社会全体を見通した具体的な「開発」の展望を持っていない、以上4点が指摘されている。

本資料は、外部への発表を第一に念頭に置いたものではない以上、他の報告書と同列に論じることはできない。また、11月祭が終ってしばらく経ってから発行されたので、「熱気」が感じられず、全体的に冷めた印象を受ける。時間が経過し、自分たちの研究を客観的に見られるようになっただけに、淡々として記述になったものと想像される。本資料については、さし当たり3つの問題点を指摘しておきたい。

第一に、発展途上国NGOという大風呂敷を広げているため、話が抽象的過ぎる点である。抽象的な話は具体的な事例が豊富にあってこそ、初めて説得力をもつ。本資料では、具体的な事例としてインドとバングラデシュという南アジアに事例が限定されており、果たして「発展途上国のNGO」と一般化できるのかどうか疑問が残らざるをえない。

第二に、発展途上国のNGOの特色が、自立のための開発であるといいながら、現実には貧困層が新しい「開発」プロジェクトに参加していないとも指摘し、歯切れの悪い記述になっている点である。問題の本質はまさにここにあるように思われるが、この点について特に掘り下げた分析や感想が書かれておらず、不満が残る。

第三に、「資料」としての位置づけである。通常「資料」には、豊富な図表や聞き取りによる生の経験談が掲載されるものである。「資料」の価値はまさにその点にあると言えよう。しかし本「資料」には、わずかにBRACのプロジェクト一覧とスタッフ数の表が掲載されているにすぎず、(財)アジア協会アジア友の会での聞き取りもどの部分がそれに当たるのか確認しようがなく、「資料」としての利用価値を大幅に損ねている。


Unicef Club '90 11月祭教室展示企画パンフレット
『商品からみた南北問題』
発行:1990年11月?

本パンフレットの内容紹介及びレビューをするにあたって、資料上の問題点を指摘しておきたい。評者の手元に送られてきたのは、上記タイトルのB4版用紙2枚を袋折にしたものである。ところが、袋折の中身をめくってみると、その大半は、「1991年11月祭研究発表報告集 貧困はつくられるー第三世界の農業と環境破壊の意味―」であった。つまり、1990年11月祭パンフの中に1991年パンフが混じっているのである。90年パンフには目次やページ数が打たれておらず、果たして中身がスッポリ抜け落ちているのかどうか、現段階では判断しようがない。従って以下では、本パンフレットがB4紙2枚からなるという仮定のもとで要約及びレビューを行う。

本パンフレット『商品からみた南北問題』の表紙には、「金―砂糖―わりばしを通して、みよう・考えよう・私たちの問題」と標語が記されている。その名の通り本パンフレットは、@ 金―光と影―(2頁分)、A わりばしの解説〜割り切れない割り箸の話〜(2頁分)、B さとう(2頁分)、以上3部からなっている。表表紙には、「ヒマそうにしている係員一同皆さんの質問を心より待っています。何でもきいて下さい。解説TOURもいたします」と書かれており、見学者への案内役も期待されていたようである。また、裏表紙には、「何かしたい」きっかけとして、@ この展示会に今度友だちと来てみる、A 仲のいい友だちと読書会をする、B 3号BOXをのぞく、C 手近な団体を知るために12/9秋祭りに行ってみる、D UNICAFEに行ってUNICEF CLUBに話せる友だちを作る、という興味深いメッセージが書かれている。このように本パンフレットは、単に研究成果を見てもらうだけでなく、「何か」をするためのきっかけを与えようという意図も持っている。

本パンフレットが以上のような性格をもち、加えて分量的にもわずか6頁分にすぎないにもかかわらず、内容は決して浅薄ではない。まず、「金―その光と影―」では、日本の金輸入状況(1989年度)の円グラフが掲げられており、具体的に南アフリカでの鉱山労働を取り上げ、なぜ金を買うことが問題になるのか、と問い掛けられている。その理由として、「1.南アに対する経済制裁の不徹底につながる。また、アパルトヘイト体制を道義的に容認していることになる。2.金鉱における労働力の搾取(黒人労働者の劣悪な労働条件)。3.金輸出の収入がアパルトヘイト体制の維持・黒人弾圧に使われている」と指摘されている。しかし、執筆者は、「私たちが金を買わなければいい!、日本は南アからの金輸入をやめればいい!、なんて簡単には言えません。人間は大昔から金とかかわってきたのですから…」と但し書きをつけ、「買い手が南ア産以外の金を選んで買えるようになればいいなあ…、早くアパルトヘイト体制が崩壊すればいいなあ…」と本稿を結んでいる。

次に「わりばしの解説〜割り切れない割り箸の話〜」は、「「熱帯雨林の破壊の元凶の割り箸を追求しよう」という当初のイキゴミ。しかし、事態はそんなに単純ではなかったのです」という言葉に象徴されるように、まとまった結論は出せず、@ くらしの中の割り箸、A 資料、B 国内の割り箸製造について、C 海外事情、D 流通、E 割り箸とゴミ・リサイクル問題、F 賛成派VS反対派、G 私たちの見解(「錯綜」)、という順に教室展示を行ったようである。ワリバシグループは、「"割り箸問題"について自分たちなりに調べた結果、色々なモンダイにつきあたり、結局"こうすればいい"というまとまった結論は出せませんでした。けれど、少なくとも、消費される割り箸の半分が外国から輸入されていることを知ったり、吉野へ工場見学に行ったことなどを通して、現在の私たちの消費生活を見直すきっかけを持てたと思います」というメッセージで結んでいる。

最後は、「さとう」(文責:水本菜摘)である。水本によれば主旨は、「普段何気なく摂取している砂糖。必需品として身の周りにある砂糖。何を食べても含まれている砂糖。こんなに身近な砂糖を「南北問題」の観点から、ちょっと意識してみよう…ということで始まった」。まず、1988年での日本の輸入先を円グラフで示されている。この中から、輸入先シェアの18%を占める南アと、過去の統計から見るとマルコス時代と一致するというフィリピンの2国に焦点が絞られ、簡単な国内状況の説明が行われている。そして、なぜ労働者搾取が行われるのか、という問が立てられ、その回答として、@ 仮説1「砂糖生産は「労働集約的である。つまり大量の集中的な労働力投入が必要である」、A 仮説2「賃金を引き下げる特別の事情がある」(砂糖の国際価格が近年とみに下がっている)、B 仮説3「大量生産を支える消費の伸びがある」、以上3つが挙げられている。文末では、「さて私たちは何をするか…」という問いかけがされている。

以上要約したように、本パンフレットは分量の少なさにもかかわらず、評価できる点が多々あるように思われる。

第一は、パンフレットとしてのメッセージの明確さと一貫性である。テーマは「商品からみた南北問題」であり、具体的な商品として金、割り箸、砂糖を取り上げている。次にこれら商品を日本がどの程度海外に依存しているか統計で示し、それが生産国(特に直接生産を担う労働者)にどのような影響や問題を引き起こしているかを論じている。最後に、こうした問題を解決するには一体どうすればいいのか考えようとする、という手順ですべて話が進んでいる。わかりやすい構成ゆえにメッセージが明確かつ一貫しており、興味をもつ人のために参考文献を掲載されているのは良心的であろう。

もっとも、個々に詳細に見ていけば問題がないわけではない。たとえば、砂糖については、25%を占めるタイの事例が無視されており、円グラフには表示されていないフィリピンが取り上げられている。これでは喫緊の問題としてのアピール度に欠ける。また、日本がフィリピンから過去どれだけ砂糖を輸入したいかの説明も省略されており、説得力に欠ける。さらに、割り箸のように、当初の目論見通りにうまく研究結果が表われなかった事例が取り上げられているが、「南北問題」とは必ずしも言えないものを「南北問題」として取り上げていいものかどうか、疑問を感じざるをえない 。当初の目論見通りうまくいかなかったものを報告書の中でどう扱うかは、大きな問題であると思われる。


「貧困はつくられる」
〜第三世界の農業と環境破壊の意味〜
発行:1991年12月23日

本報告集は力作である。30ページからなる本報告集は、分量的に申し分ないだけでなく、質的にもきわめて高い完成度を誇っている。その理由は、第一に、27ページ〜29ページにかけて、展示会場での感想ノートを詳細に起している点である。11月祭当日に発表したら後は放ったらかしというのではなく、自分たちが研究し発表したものが見学者たちによって実際どう受け取られているのかを知ることは重要である。「報告書」としては、自分たちの発表がどのように受け取られたのかも含めて「報告」するのが理想であろう。11月祭終了後も「腑抜け」にならず、1ヶ月を費やしてこの試みを成し遂げた点において、本報告書は特筆に価する。第二に、報告集全体を通じて、ワープロ打ちになったことである(ワープロ打ちは奥地拓生、豊島友紀子、渡辺浩平が担当)。この結果、豊富な図表とあいまって本文が格段に読みやすくなったうえ、一頁あたりの情報量も増加した。そして第三に、図表が豊富に挿入されたため、資料的価値が高くなった点である。前項で述べたように、資料集の価値は、生のデータをどれだけ載せるかにかかっている。この点でも、資料集としての本報告書の価値を高めているのである。

もとより、こうした図表は一朝一夕に集まるものではない。すでに11月祭当日の発表会場において、豊富な図表による説明が行われていた。「パネルがとても見やすく、中身の濃いものだと思いました。色々勉強になりました。K.Y.」という感想があることから、このことは明らかであろう。評者自身も当日の発表を見学したが、非常に感銘を受けた記憶がある。「86年のネグロス研究以来、87年を除いてすべてユニセフの発表を見てきたが、今回がその中で最も見やすくかつまとまっていると思う。あまり難しいことや知識をひけらかすことをしても仕方がないから、論理をわかりやすく見学の人と一緒に追っていくことが大事だから、その点非常に成功していると思う。解決策を見つけようとする努力は重要だと思います。このままで済まされるわけがないから。ただ、解決策が見つからないからといって、投げやりになったりあきらめたりするのもどうかと思います。そんなに簡単な問題なら、今ごろ南北問題という形で存在するわけなどないのだから。持続的な活動を期待しています。来年の発表が今から楽しみです。F.N.」 。

本報告書は二部構成となっている。第一部ではフィリピンのバナナを扱い、第二部ではタイの森林破壊を取り上げている。メンバーは、第一部が上田篤志、安藤英一、鈴木亜希子、豊島友紀子、永野浩二、横山裕至、若林基治の7名、第二部は原田昌和、奥地拓生、水本菜摘、裏本典子、西村明、横田紀彦、塩山清隆、内田晴子の8名、計15名である。

第一部は四章立てである。第一章では、バナナの生産と流通についての概略が述べられている。第二章では、バナナ生産にあたって用いられている農薬の使用状況が、バナナ生産の作業過程に合わせて説明されている。バナナ・プランテーションで使用される農薬使用リストも2頁にわたって転載されており(但し、典拠は不明)、農薬散布の防具支給の問題点や散布方法の問題点についても図表を交えて触れられている。そして、こうした農薬の使用が労働者の人体にどのような影響を及ぼし、契約農家の家計にどのような影響が及ぶかを論じている。そして第三章では、弊害を引き起こす農薬をなぜ農家が用いるのかを論じている。ここでは、除草剤や殺虫剤を利用して"きれいな"バナナを作ろうとするアグリビジネスを糾弾するのではなく、「その"商品"である"きれいな"バナナへの需要、すなわち消費者によって支えられているところが大きいと考え」ている。すなわち、「私達の消費態度が間接的ではあるものの、大きな要因になっているのではないか、ということ」である。こうして問題を私達の消費態度に引き寄せたの受け、第四章では「私達に出来る事」として、@ チキータ・バナナ・ボイコット運動('89 11/1〜12/31)と、A ネグロスの無農薬バナナ「産直運動」の取り組み、以上二つの事例を取り上げ、読者に対して考える視座を提供している。

一方、第二部は7章からなる。第一章ではタイ東北部における環境破壊として、森林破壊、土壌流出、塩害を取り上げ、第二章では森林破壊による土壌流出や塩害のメカニズムが手書きの図によって説明されている。第三章ではタイ東北部におけるキャッサバ作付け面積の拡大とトウモロコシ生産の伸びがグラフで示され、それにともなって森林面積の現象が指摘されている。そして、第四章では、現在のキャッサバ生産拡大が伝統的焼畑ではなく、土地を不毛にする連作によるものであり、トウモロコシ生産についても連作と土地開墾の弊害が指摘されている。

以上のように第一章から第四章は、タイ東北部における環境破壊のメカニズムを、主として生態学的観点から説明してきたが、第五章以下では経済的理由や構造的理由にメスを入れている。まず第五章では、東北タイの地質学的特徴(岩塩層が多い)に触れられたあと、キャッサバやトウモロコシがなぜ東北タイで植えられるのかが検討されている。キャッサバ生産の要因としては、共通農業政策は自由貿易に反するとGATTからクレームを受けたECが、影響が少なそうだとしてタピオカの関税率を下げたことが注目されており、他方トウモロコシ生産は日本における飼料需要の急速な増大が挙げられている(タイからECへのキャッサバ輸出の推移については統計が挙げられているが、トウモロコシについての数字は掲載されていない)。

続いて第六章では、以上のようなキャッサバやトウモロコシの生産が貧困の解消どころか、却って貧富の差を拡大させており、こうした構造が世界経済システムの中に組み込まれている以上、貧しい人々は豊かにならないだろうと結論づけている。「この世界経済システムが、構造上、キャッサバ栽培やトウモロコシ栽培による環境破壊を引き起こしているのではないでしょうか」と問い掛けたあと、第六章は次の様な文章で結ばれている。すなわち、「現在、地球規模で起きている森林破壊、土壌侵食、塩害、砂漠化等の環境破壊の原因は、キャッサバ栽培によるタイの森林破壊を見てもわかるように、先進国と決して無関係ではありません。食糧は、その無理な作り方から森林や土壌を回復不能なまでに破壊してしまうのですが、そこには買う側として先進国が色濃く存在しています。経済構造からくる食糧の扱われかたを無視し、第三世界の過剰な人口が焼き畑を進めて森林破壊を起こすのだという論理はあります。しかし、土壌の生産力をすりへらし、環境破壊を続ける農業はどうやって行われ、また今後何を世界にもたらすのかを考えた時、それは決して先進国、そしてそこに住んでいる私達と無関係とは言えないのではないでしょうか。」

最後の第七章は、「大きなシステム、小さな私〜私達に何ができるか〜」と題して、メンバーの感想や一言で代えられている。さらに、このあと「おわりに〜意識しよう〜」というまとめがつけられている。「(中略)事実を知れば、自分の知らない所で問題を引き起こし、しかも安全だと言い切ることが難しい食品はなるべく消費したくないと思うでしょう。このように問題意識を持って生活する事が、具体的な行動に結びついていくのではないでしょうか。この意味においても、意識することは大きな意義のあることだと思います。」


京大ユニセフクラブ
『公害輸出と多国籍企業の進出』
発行:1992年1月25日

本報告書は5章だて、総ページ数21ページからなる。1992年の11月祭教室展示で発表した内容を、報告集の形にまとめたものである。なお、裏表紙の発行者に関する記載を除き、すべてワープロ原稿となっている。

第一章「プロローグ」では、工業製品に使われている「レア・アース(希土類)」と「銅」について、「日本で使われているものの生産の背景を、そのアジアでの生産工場を例として調べてみます」と述べられている。

次に第二章「公害輸出」では、「レア・アース」を生産するマレーシア・ブキメラ村で起きた放射性廃棄物投棄による被害・訴訟例と、「銅」を生産するフィリピン・レイテ島での公害発生の事例が取り上げられている。前者の場合、工場の経営母体であるARE社は三菱化成が資本の35%を出資する合弁会社であり、一方後者の場合、丸紅、住友商事、伊藤忠商事がそれぞれ16%、9.6%、6.4%出資して立ち上がった合弁会社パサール社は、日本からの政府開発援助で発電所、港湾施設、道路が出来たお陰で立ち上がったことが明らかにされている。

そこで第三章「多国籍企業の展開」では、なぜ途上国が外国企業の受け入れに積極的なのか背景を探り、具体的な事例として受け入れ国マレーシアの国内状況と三菱グループの構成や歴史を取り上げている。三菱商事の戦前から戦後にかけての歴史を概観したのち、多国籍企業が国際的な分業体制の中で、現地企業を従属的な地位に甘んじさせることになりがちであるとしている。

第四章では、貴金属や有害金属を使用しているテレビの埋め立て量が増大する中で、「再資源化促進法」(1991年制定)や廃棄物処理法の改正(1992年)などによって、再生促進を念頭においた製造・販売の指導、メーカーによる回収や回収費用負担といった新しい動きが紹介されている。

最後に第五章「私達の生活から」では、「日本の企業が公害をまき散らす工場に出資をし、その利益の大部分を占めるという事実、そして日本政府が住民のためでなく、自国の企業が利潤をあげられるために「援助」をしているという事実があります」と指摘したうえで、私たちにできることとして、「見えにくい部分の実態をできるだけ正確に知ろうとすること」ですと訴えている。そして、具体的な行動としてどうすればいいのかとして、日本弁護士連合会の提言を事例として掲げている。すなわち、@ 環境アセスメントの義務付け、A 情報公開と住民参加、B 公害防止対策の義務付け、C 企業責任と訴訟管轄の明示、D 行政審査・指導の強化、以上である。

16〜18ページには見学者の感想が、また19〜20ページには参加メンバー(安藤、裏本、岡田、奥地、門脇、喜多、下村、竹井、永野、増淵、吉田)の感想が掲載されており、最後に21ページには参考文献が挙げられている。

最初に、筆者が教室展示を見てときに残した詳細な感想文が、報告集の17〜18ページにかけて再録されているので、まずそれを見てみよう。

A. ざっと一通りみた印象から

@ 確実に年々Presentationと内容の質が上がっているように思われる('87のサラワク以外は全部見ているので、より実感できる)。
A 色を交換するなどして工夫がかなり見られ、より見やすくなっている。
B 主要参考文献を最後のところにつけるべきだろう(目次はあくまで目次であり、Staffはむしろ「著者紹介・章担当」なのだから)。

B.内容的な批判

@ これは古くて新しい問題だろうが、資本主義経済、貨幣経済、経済発展に対するアンビバレントな感情が当然覆[ママ]流しており、両者があちこちで顔を出している。態度がはっきりしていないので、若干読者をイライラさせる。最後の日本弁護士連合会の意見を出したのはその妥協案か?
A 日本のアジア軍事侵略を、すべて経済的動機で説明するのには、賛成しかねる。三井財閥の團琢磨はなぜ軍部青年将校に殺されたのか?日本の植民地主義の拡張は、欧米の植民地主義がおわりをつけた第一次世界大戦以降で、植民地主義は必ずしも投資効果があがらないという意見は戦前からすでにあった(eg)石橋湛山の「小日本主義」)。さらに、財閥が日本政府の手先(+官僚でいう、いわゆる「三位一体論」)も認識が甘い。官僚、特に通産省による(あるいは戦前の商工省)の産業政策は意図どおりにはいっていない(但し、目的が結果として実現できている場合はある)。チャーマーズ・ジョンソン『通産省と日本の奇跡』を見よ。
B 日本の戦後東南アジア進出も、必ずしも業界のイニシアティブとは言い切れない。日本にとって、人口2億の東南アジア(うち2/3の共産国家インドネシア)であることを考えてみれば、中国に比べればそれほど魅力的でないことは明らかだろう。これをどう説明するのか?
C 公害輸出の事例は適切でよかったが、日本とのつながりがもう一つ不明確。「日本との関わり」を強調するなら、例えば1973はもっと強調されてしかるべきだろう。
D だからといって、ラテンアメリカNICSの事例をもって経済成長の失敗をすべてユーロ・ダラー、多国籍企業の責任に帰するのは公平に失する。では、なぜ同じNICS(1977年OECDレポート)のうち、アジアNIESが経済成長したのか説明できない。サミエル・アミン、フランス[ママ]流のdevelopment of underdevelopmentはすでに理論的に破たん。今はむしろ、クラスナーのdependent developmentの方が主流だろう。
以上、気づいた点を思いつくままに書きました。こうした批判にもかかわらず、自分たちの問題に引き寄せて考えていく姿勢には大いに共鳴します。頑張って下さい。

今から8年前に書いたコメントを、特にここで改める必要はない。ただ、一つ補足するなら、本研究があまりに「南北問題」や先進国と第三世界という二極分立的な見方に囚われすぎ、都市における中間層の勃興や中進国台頭といった新しい状況に十分な注意を払っていないと思われる点である。途上国の中には地場産業が発達している地域もあり、日本企業が技術移転の意思をもっていても、肝心の地場産業にその意思がないというケースも多々存在する。問題の根は国際的な経済構造だけではなく、途上国の経済の「担い手」にもあるのである。

本報告書に掲載されている参加メンバーの感想の中には、単に「複雑な背景がわかって勉強になった」といったレベルに留まらず、より深く研究発表の本質を突いた意見も見受けられる。例えば奥地は、「勉強不足のまま、間違いの可能性や説明不足を含んだ形で発表し、それによって他人に行動を変えることを求めるという傲慢さを、どうしても感じます」と述べているし、門脇は、「「多国籍企業の行う国際貿易は不公正である」としばしば言われます。こんなことを言うとおしかりを受けるでしょうが、私はこの言葉を耳にタコができるほど聞いていました。しかしこのことを最新のデータをもとに示すことは非常に難しいのです。だから私自身も心の底に「わかった。でも証拠を見せて欲しい」という気持ちがやはり残るのです(以下、省略)」と述べている。「研究」内容の説得力とは別に、「発表」することの意味を考えるうえで、参考にすべき見解だろうと思われる。

(続く)



【脚注】

1 ながいふみお。1965年10月26日大阪生まれ。1985年4月京都大学法学部に入学、発足したばかりの京都大学ユニセフクラブに参加、同年11月から翌1986年12月にかけて部長を務めた。1990年3月京都大学法学部卒業、同年4月大学院法学研究科進学。1995年11月京都大学東南アジア研究センター助手、1997年10月大阪市立大学法学部助教授。専門はタイ近代政治史、東南アジア国際関係史、タイ現代行政論。大学では国際政治とアジア政治を担当。また、大阪外国語大学でタイ語購読とタイ文化演習を担当。

2 草創期2年間の京大ユニセフクラブがどのような経過を辿ったかについては、筆者はかつて『ユニトピア』で連載したことがある。永井史男「同時代史としてのユニセフクラブ」(1)〜(6・完)『ユニトピア』第3〜5・8〜10号(1989年7月〜1990年4月)。

3 京大ユニセフクラブのアイデンティティがアフリカの飢餓問題への関心から「南北問題」に変化していく過程については、永井史男「同時代史としてのユニセフクラブ 第二部 アイデンティティをもとめて――南北問題とは何か――」(『Uniとぴあ』通算第5号、1989年10月16日、4〜9ページ、を参照のこと。

4 「薬袋構想」、「粟野構想」、さらには「永井構想」までの発展の経過については、永井史男「同時代史としてのユニセフクラブ 第三部 飛躍へのテーク・オフ――ユニセフクラブの設計図――」『Uniとぴあ』通算第8号(1990年1月15日)、3〜14頁を参照。

5 11月祭で教室展示をしたのは1985年が最初だが、この時はユニセフ関西事務所から写真パネルを借りて行った。自分たちで研究を行い、それを教室で展示・発表してパンフレットにまとめたのは、1986年11月祭が最初である。永井史男「同時代史としてのユニセフクラブ 第四部 11月祭への道――アジアへ――」『Uniとぴあ』通算第9号(1990年3月15日)、3〜12頁参照のこと。

6 たとえば、京大ユニセフクラブ最初の新歓パンフで名作と言われた『ユニちゃんと愉快な仲間たち』(1987年4月)などがそうである。座談会形式もこの時から始まった。

7 「ODAに対する理解が足りないといっても、そもそも第3世界で何がおこっているのかわかっていないとどうしようもない。外国との相互依存あっての日本なのに、外国のことをほとんどわかっていない状態では、ODA論だけをとりだしてすることはできないと思う。(F.N.)」と自筆で記している(同報告書、p. 13.)。

8 もっとも、「南北問題」として性急に取り扱うよりも、慎重な態度を保留する本パンフレットの態度には、筆者は個人的には好感をもつ。

9 京都大学ユニセフクラブ『「貧困はつくられる〜第三世界の農業と環境破壊の意味〜』(1991年12月23日)、p. 29。言うまでもなく、これは評者自身の感想である。


編集者より

 永井さんに研究発表レビューの執筆をお願いしたのは1998年11月のことでした。教育や研究、実務で忙しいなか永井さんは執筆し、レビュー前半部にあたる本稿を私は1999年5月に受け取りました。しかし、編集担当者が皆学業に忙しくなり、当初の熱気も失われ、100号は発行されないままでした。

 永井さんはこの間も後半部の執筆を進めようとなさいましたがあまりに忙しく、結局前半部のみ2000年12月に私がチェックし、翌月に永井さんが最終的に目を通し、読者の皆様にお届けすることとなりました(なお、たとえば2000年度前半には国際協力事業団からタイ国内務省に派遣され、日本・タイ共同の地方自治体能力向上プロジェクトの総合プラン策定という重要な仕事を永井さんはなさっています。関心のある読者のために付記します)。

 ご自身の多忙と編集者の怠慢にもかかわらず、それでもなお、永井さんは後半部を執筆なさる意欲をお持ちです。いずれ「ユニトピア」で日の目を見ることでしょう。ご期待ください。

深川博志

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