わたしの研究発表遍歴

岡本美哉

 研究発表は、NFに合わせて何らかのテーマについて研究し発表するというユニセフ恒例の活動です。私は何だかんだいって結局4回生のときまで何らかの形で研究発表に関わりました。1回生のときの「コメから世界を見てみれば」、2回生のときの「NGOから始めよう」、3回生では一参加者として「識字教育」と「国境って何だろう」、4回生では「マリコとオーロラに出会って」。それぞれにまつわる思い出やエピソードが山のようにあります。私がユニトピア100号記念で「研究発表」を依頼されたのもそんなわけなのでしょうが、正直なところ研究発表で思い出すものといえば、苦労したとか、しんどかったとか、そういうネガティブなことのほうが多いのです。

 私は、研究発表でつくづく自分の未熟さを思い知ると同時に、そのために周りの人に迷惑をかけまくりました。若さと無知ゆえに突っ走れたという感のある1回生のときは、ほんとに行き当たりばったりで、他の方もそうだったのかもしれませんが手探りで進んで行ってなんとか発表できる形にまとめあげたのでした。朝まで大学にいることがごく当たり前になったのもこの時でした。2回生のときはグループごとに進めていったのを、最終的に無理に一つにまとめて、このときもまた私の現実逃避癖のために多くの人に迷惑をかけました。

 この2度の研究発表は、いちおう責任者として関わったのですが、いつも「研究発表とはなんぞや」という根本的な疑問を抱えてやっていました。私はそのころ、研究発表というのは、パンフレットなりなんなりを読んだ人が「南北問題」というものを「自分の問題(自分には無関係ないこと、ではないこと)」と感じてもらうこと、そして、それなら自分(あるいは「私たち」)には何ができるのかを提示する、もしくは「ともに考えよう」と呼びかけることと考えていたようです。その当時はこれを意識していなかったし、どちらかといえば、研究発表をやってみればそうなったというほうが正確なのですが、これに対する明確なコンセンサスはまったくなかったし、あったとしても一部のメンバーで漠然とした雰囲気を共有してたにすぎなかったと思います。

 それから、研究発表を共同でやるということは、それをかじとりしていくのは結構難しいことでした。1回生のときはそれを強引にすすめがちだったのを反省して、翌年はできるだけ意識して、率直に意見をいえる雰囲気づくりを目指したりもしました。対話から何かが生まれることを期待していたわけですが、それが成功したかどうかはなんともいえません。このことがなれあいの雰囲気と裏表であり、また、異なるものを排除する方向の力が無意識であっても働いてしまうことは否めません。ただ、参加意識をメンバーにもってもらうという点では成功だったかと思います。フィールドワーク的なものを取り入れたのも、よかったのでしょう。それでも研究発表が終わってからの私の「これでよかったのかなあ」という不安と自信のなさは相変わらずで、そのときも「もう研究発表はたくさん」と思ったのでした。

 そういうわけで3回生のときは、読書会や学習会に参加するだけという状態で研究発表を「見守った」のでした。上回生がどこまでかかわるかというのもなかなか難しいところかもしれませんが、私としては当時の2回生にまかせて大丈夫だと思っていたし、なによりもうゆっくりNFの時期を過ごしたいという思いが強かったのです。

 ところが最後の4回生でも、またまたパンフレットをつくることにしてしまったのです。しかも自ら。それはユニセフクラブの活動の一環としてというのではなく、私と下向さんの各々個人の感想という形で、ユニセフの場所と労力を借りて外部へ発信させてもらったのでした。最後だから、まあ、好きにさせてもらおうと思ったわけです。それは、私が心のどこかで、自分のいいたいことをピュアなかたちで発信したいと思っていたからで、また裏を返せば、私はそれだけ研究発表を「ユニセフ」という枠に収めようとしてたのであり、そのことに過剰に意識的だったのだと思います。「研究発表とはなんぞや」に対する私の考えもそのへんからきてるのでしょう。このときは、そこから自分を解放するようなかんじで、いってみれば自分をさらけ出すような思いで書きました。だから、このパンフレットはそれまでとは別物なのです。

 毎年の研究発表が、ユニセフクラブの中で、知識や経験として蓄積されていると私は思います。わたし自身も過去の研究発表からいろいろ学びました。それと同時に、研究発表もほかのなんでもそうなんだけど、過去に捕らわれず、現在形のやり方でやっていってほしいなあと思います。やっぱり研究発表は皆さん苦労するみたいだけど・・・

 今回この原稿を書くことで、過去のことをいろいろ思い返し、また、さまざまなことを考えることができてよかったと思います。当時のことを静かに受け止められるようになっている自分に気づくこともできたようです。

 ではこのへんで、私の研究発表遍歴を終わりにします。

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