サルでも分かる難民問題

−難民問題とそれについて思うこと

安藤雅樹


A、世界の難民

1.難民とは何か?

 難民とは、色々な事情によって故郷の国を離れざるを得なかった人のことです。この事情というのはさまざまなのですが、特に地域紛争、民族・宗教の対立、極度の貧困問題、環境の悪化などが大きな理由になっています。

 「難民の地位に関する条約」によると、難民とは、『人種、宗教、国籍、政治的意見、または特定の社会的集団に属することなどを理由に、迫害を受けたり、その恐れがあるために、国籍国あるいは居住国から逃れ、帰国できないあるいは帰国を望まない人』をいう、ということになっているのですが、現在では(難民条約が作られたのは1951年のことです)環境の悪化や武力紛争についての事由も付け加えることができます。

 現在世界中で5000万人の難民が存在しています。これはだいたい世界の人口の100人に1人が難民であることを表わしています。

2.難民問題とは

 難民問題とは、難民が抱える問題のことを言います(当たり前ですが‥)。難民問題は、世界中のさまざまな問題、例えば、民族問題、南北問題、環境問題、人口移動の問題などの問題を映し出す鏡、といわれています。

 難民問題は、東西冷戦の終結を契機として、変化を見せています。東西冷戦中には難民はいわゆる「東」の国から「西」の国へ移動しました。しかし、東西の冷戦が終わると各地で地域紛争が勃発し、そのために避難民が発生しました。今はこのような難民も増えています。

3.難民条約

 難民に関する条約としては、前述しましたが「難民の地位に関する条約」があります。この条約の33条に重要な規定があります。それは、【ノン・ルフールマンの原則】と呼ばれるものです。これは日本語で「追放送還の禁止の原則」といわれ、難民の保護の基本的根拠となるものです。

 いわば当たり前のことですが、難民条約に加盟している国は、難民を保護する義務があります。これを確認しておきます。

 

B、日本の難民保護

1.難民認定制度

 1981年、日本は「難民の地位に関する条約」に加入しました。日本政府がこの条約に加入したのは、ベトナム戦争が起こったためインドシナ難民と呼ばれる難民が発生し、その人々がボートピープルとして日本に殺到していたことへの対応を迫られたからでした。そして、1982年、出入国及び難民認定法が発効しました。

 日本に在留する日本国籍を持たない人は、法務大臣に対して、難民申請を行なうことができます。難民として許可された場合は、在留許可をもらえ、保険に加入することもできるようになります。不認定の場合、法務大臣に異議を申し立てることも可能です。

2.難民認定制度の問題点

 このように「殻」は整備されたのですが、問題となることがいくつかあります。最初にまず感じることは、難民認定数が少なすぎる、ということです。

 最近では年に1人〜3人程度しか認定していません。もちろん状況はまったく異なるのですが、ベルギ−などでは毎年何千人の難民認定を行なっていることから考えても、少なすぎると言っていいのではないでしょうか。

 次に具体的な難民申請をする段階での問題と思われることを考えてみたいと思います。

*難民申請を受ける権利が保障されていない

 これには情報入手が難しいということが、まずあげられます。これに関連することでもあるのですが、入管法に60日ル−ルというものが定められています。このル−ルは申請は「日本に来てから60日以内」または「日本には来ていたのだけれど、例えば母国で内戦が起こって、帰れない、とわかってから60日以内」にしなければならない、というものです。情報、資料不足ともからんで申請者は、たびたびこの規定に引っかかり、門前払いされ、強制送還されることがあります。

*過度の立証責任

 例えば、政治的迫害などを理由として亡命し(亡命者も難民の一種です、念のため)、日本で難民申請する場合、母国での逮捕状などの物的証拠が必要となります。しかし、とるものもとりあえず命からがら逃げ出してくる人々がそのような物的証拠を持ってくるでしょうか。

 UNHCR(国連難民高等弁務官)では、本人の主張、という主観的な要素と、母国の状況、という客観的要素の二つを考えて、難民認定するべきだ、と主張しています。

*異議申し立て制度

 難民申請が却下され、不認定になった場合、再度の異議申し立て制度、というものが保障されています。

 しかし、異議申し立ては不認定の決定から7日以内になさなければなりません。また、認定の判断をするのも法務省の管轄である出入国管理局であり、再度の認定の判断も法務省(法務大臣)によってなされることを考えると、最初の決定が覆されることはほとんどない、といっていいのではないでしょうか。実際、異議申し立てが功を奏したのは、出入国管理法ができてからの16年間で、1件しかありません。

*入国管理局の姿勢

 入国管理局は秘密主義的な対応をとっています。誰が申請していて、誰を、どのような理由で、どんな手続きで、認定しているかなどはまったく明らかにされていません。また別の問題ともなりますが、入国管理局収容所内での暴行事件も同じような秘密主義の現れとして見ることもできます。

 その他、認定・不認定までの期間が長い(2年はざらといわれます)ことや、申請中に強制送還させられることなどの問題点も指摘されます。

3.日本政府は

 日本政府はUNHCRに世界2位のお金を供出しています。また執行委員会の一員として、「国際貢献」をアピ−ルしています。

 しかし、内部、つまり当の国内では難民を保護しているといえるのでしょうか。国内の難民も国外の難民も同じなのではないのでしょうか。ここには金は出すが、手は汚さない、という日本政府の意向が顔を出しているような気がします。このような体質はこの問題以外でも随所で見られます。この体質を直さない限り、現在の世界では「国際貢献」として認めてもらえないのではないでしょうか。

 以上、サルでもわかる難民問題でした。

 

C、少し思うこと

 アムネスティでは、今年春からいっせいに「難民キャンペ−ン」を開始しています。これは今まで書いてきたような、難民を巡る人権問題の解決のために、何かできることを各国でする、というものです。例えば、日本での難民申請が遅々として進まない状況に対して、法務省に手紙で抗議の文章を送ったり、日本で難民として申請している人を支援する活動をしたりするのです。もちろん、この文章のようなもので、色々な人に「難民問題」というものについて知ってもらうのも、重要な難民支援活動になります。

 しかし、僕はアムネスティのメンバ−ではあるのですが、どうも、この「難民キャンペ−ン」に参加しよう、という気にはなれないのです。(この文章を書くことによって参加しているじゃないか、ということは置いときましょう。)

 前のペ−ジに長々と書いたものは何度か参加した難民の学習会などから、引用し、書き加えたものです。このようなものを見ると、ほかの国に比べて、難民を受け入れようとしない日本政府への怒り、というものが先に来てしまいます。しかし本当に問題となるのは、僕らの意識ではないのでしょうか。本当に大量の難民が押し寄せてくる、といった状況になったときに受け入れる度量が自分にあるのか、ということが一番重要だと思います。このように考えたとき、僕にはどんどん受け入れよう、と言い切ってしまえるまでのものがないのです。馬鹿にされるかも知れませんが、これが正直な気持ちです。まあ、ここまで考えなくてもいいのかもしれません。少しでも、困っている人を助けたい、という気持ちだけでいいのかもしれません。でも‥。

 話は変わりますが、ここで断わっておきたいことがあります。それは、アムネスティは経済難民について、基本的に取り扱っていない、ということです。(ただし、その経済難民に対する人権侵害がある場合は扱います)前ペ−ジだけを読むと、経済難民について扱わない、ということは分からないかもしれません。しかし、アムネスティは政治難民だけを扱っているのです。これは、政治難民のほうが、良心の囚人(無実の罪で囚われている人のことを言います)を扱っている関係上取り組みやすい、ということもあるし、経済難民は「出稼ぎ」という見方もでき、認定も難しいから扱いにくいのかもしれません。しかし、この区別はどこからくるのでしょうか。同じ人間としては変わらないはずです。  アムネスティの難民キャンペ−ンのパンフレットの表紙には大量難民の写真が使われています。実際にはアムネスティ日本支部としては扱っていないかもしれません。が、このような写真は人の同情を誘います。この写真を使うのもわかるような気もします。でも、それはやはりおかしいわけです。

 今はアムネスティについて書いていますが他のNGOにも言えることが含まれているのではないでしょうか(他のNGOに参加したことがないので、はっきりとはわかりませんが)。

 以上、「難民キャンペ−ン」に寄せて、少しアムネスティについて、NGOについて、思うことを書いてみました。

(あんどう まさき)

 

 

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