京大ユニセフクラブ2000年度11月祭研究発表
「私たちのお金がこわす途上国の暮らし」

研究発表を終えて…


等身大の自分を表そう。背伸びせず、自分の言葉で書こう。これがこの冊子を書くにあたっての目標でした。本の要約や抜粋にはしたくはありませんでした。それでは読んでも面白くないし、ODAに関心を持ってもらえないのではないか。そう思ってできるだけ自分の言葉で書いたつもりです。それでも、見栄を張ってしまったかもしれない、思ってもいないことを書いてしまったかもしれない、と今は不安です。文章を書くのって難しいなあ、と実感しています。そんな拙い文章ですけれども、僕らの経験したこと、考えたことを書いたこの冊子を通じて少しでもODAに興味を持ってもらえたら大変嬉しいです。
(法学部3回  亀山 元)

 

どうしてODAをやろうとおもったんだろう?ODAでなくてはならない理由なんてあったのだろうか?僕にはそんな強い動機はなかった。だけど、この研究発表の目標である「まったく知らない人にも問題点を知ってもらう」、そのためには伝える自分たちが、苦しんでいる人たちの立場にたって考え感じることが大切だ。僕にはそれがほとんどできなかった。今もできない。もともとそういうことは苦手だ。どうすればいいのだろう?とりあえず今僕にできること、それは身近なことでも人の立場に立って感じる努力をすることだと思う。
(法学部2回  村松 悠史)

 

NF研究発表。今年はどれくらい関わるのか、どんなかたちで関わるのか、態度をはっきりしないでもたもたしているうちに結局こんなふうに原稿まで書く羽目になってしまっている。何かが違うぞ!こんなはずではなかった・・今年はちゃんと大学の勉強をして就職の準備をして・・そういうつもりだった。
なのに何だ、この状態は??!
結局、気になってしまうのだと思う。援助でできたダムによって生活を奪われたタイの人たち、フィリピンで渡った橋についていた「JAPAN−ODA」のマーク、ODAについて読んだいくつかの本、債務問題を訴えるためにアフリカからやって来た牧師さん、日本でODA改革のために走り回っている人たち…。気になってしまうのだ。どうしても。「ODAの研究発表をやります。」と言われると「じゃぁ・・」とどうしても言ってしまう。困った性格だなぁ…と思っていた。
でも最近は悪くないな、と思っている。気になるんだったらこれからもずっと気にしていこうと思っている。気長に私なりに気にしていきたい。そして動ける時は動いていきたい。そう思っている。
ODA班の皆さま、こんな私につきあってくれてどうもありがとう!
(農学部3回  角田 望)

 

普段、ODAの問題点の情報に触れる機会は少ないと思う。実際、以前から僕が少しでも聞いたことがあったのは、円借款の割合が多いことと公害の話ぐらいだった。だから、これほどの問題点があるとは全く思っていなかった。なかでも驚いたのが植林に関する問題。今まで植林事業を単純に肯定してきたことが恥ずかしく思えてきた。それと同時に、新しいODAへの希望が薄れていくのを感じた。植林こそが今までの公害問題を反省した、新しいODAへの第一歩だと思っていたからだ。でも、気を取り直そう。成功したプロジェクトだってあるんだ。失敗したものとどこが違うかみていけば、ODAをどう改めればいいかみえてくるはず。だから、新しいODAへの希望はいつだってあるはずだ。だよね。
(工学部1回  西田 治朗)

 

一ヶ月前まではODAの日本語訳さえもこころもとなかったODA初心者もいいとこの私でしたが、今回ODA班に加わりODAについてみんなと話し合い、この冊子の何ページかを担当したことで、私なりにODAというものが少し飲み込めたような気がします。と言ってもまだまだわからないことでいっぱいですが。
ODAを少しずつ学んでいくにつれて私が強く感じたのは、「知らないことも罪なんだ」ということでした。途上国で苦しんでいる人がいること、森林が奪われていっていること、いろいろと心が痛む現実があるとはわかっていたけれど、深くそれを追求して知ったところで私の存在なんて小さくて何も変わらない、そんな諦めにも似た気持ちを今までどこかにもっていて、「知る」ということに無意味さを感じてもいました。けれどそれは間違っていて、唯一何かを変える大きな力があるとすれば、たとえ一人一人は小さな存在だとしても、そんな一人一人の集まってできる力なんだと気付いたのです。そして人が立ち上がるためにはまずその現実を「知る」ことにある、そう思います。
願わくば、この冊子を読んで多くの方が何かを感じてくれることを…。
(農学部2回  辻田 香織)

 

ODA研究をはじめて僕が一番変わった。社会問題に積極的に関心を持ち、そして主体的な関わりを持つことができるようになった。それは、もう少し多くの人が関心を持ち、自分の行動に責任をもつようになれば、悲しむ人は少なくなるという感覚だった。ODA研究では多くの人に知ってもらうことを目的とした。僕の場合この意気込みはJUBILEE2000にも向いた。JUBILEEについて知ったのは今年の5月だったことを考えると研究をはじめたあとでJUBILEE関西に加わったことは、この京大ユニセフクラブのODA研究が直接関係しているとみてまちがいない。関心をもつ機会を与えること、それこそがこの冊子の目的だと思っている。
悲しみのないODAに、悲しみのない世界を。
(工学部1回  高垣 直尚)

 

●次のページへ

2000年11月祭研究発表 「私たちのお金のこわす途上国の暮らし」へ