親を看取って

 故郷で一人暮らしをしていた父が心筋梗塞になり、同居生活をはじめて数ヶ月後、父は肺炎になり、これが原因でほぼ1年後に亡くなった。未だに、もう少し何とかしてやれなったかと悔やまれてならない。この間、「え!何で」と思うことや、大変有り難たかったことがいくつか有った。そのことについて紹介させていただくことにした。

病院にはいつまでも居られない

 父が39度を超える熱を出したため、東京に来てから心臓病でお世話になっていた先生に電話をしたところ、すぐに病院につれてくるようにとのこと。急いで病院の救急処置室につれていくと、「もう肺炎になっているのですぐ入院してください」ということで、病室に運ばれてしまった。

 うまい具合に父にあった抗生物質が見つかり1週間足らずで熱も下がり食事が始まった。しかし、すぐに食べた食物が肺に入り、また肺炎になってしまった。この誤嚥性肺炎を2度繰り返し、一時は、医師から会わせたい人がいるのなら今のうちにとアドバイスを受け、親戚の者が入れ替わり立ち替わり見舞いに来たりした。

 にもかかわらず、父はこの状態をなんとか乗り切った。だが、嚥下障害を起こしていて口から食事をとることができず、栄養は首の近くの太い動脈への点滴(IVH)でとることになってしまった。さらに、長い間寝たままだったので、筋力は衰え、手足の関節は固まりかけて、可動範囲が狭まり、歩くことはおろか、ベッドで起きあがることもできなくなっていた。

 このころから病院でリハビリが始まった。それからまもなく、担当の医師から当病院としては、これ以上治療することはないので、他の病院に転院してほしいと伝えられた。このとき、歩くこともできず、24時間点滴をしている状態なのになぜと思ったが、友人から、脳溢血で意識のない父親を3ヶ月おきに転院させられたとの話を聞いて納得した。

受け入れてくれる病院がない

 病院のケースワーカーに相談してもすぐに具体的に病院を紹介してくれるわけではなく、父のような病人を受け入れてくれる病院をどのようにして探せばいいのか皆目見当がつかない。A区の区役所に老人相談窓口があったのを思い出し、訪ねてみると、老人病院の名前と住所と電話番号を書いた表を何かの本からコピーして渡してくれた。後は自分で当たりなさいということ。

 比較的近くにある病院でリハビリを行ってくれるところを探すことにして、土日や夜を利用して下見に行ってみた。半数以上はリハビリを行っていなかったり、建物の様子などから何か不安で入院させる気にならなかった。残りの病院に父の入院を依頼に行ったが、IVHをしている患者は受け入れないとか、空きがないとかで全て断られてしまった。

 このころ父専用の部屋をつくるためA区からI区に引っ越しをしたので目の回るような忙しさだった。ようやくI区内のリハビリテーション専門病院に入院できることになり4月に転院した。

とんでもない病院

 病院探しに1ヶ月以上もかかったのが幸いして、リハビリが進み、父は杖をついて歩けるまでに快復した。転院前に、IVHを鼻から栄養を入れる鼻腔栄養(入院の条件だった)に切り替えてもらった。もう少し歩けるようになったら自宅に戻れると父も私も思っていた。

 ところが医師は、諸々の検査が終わって治療方針が決まってからリハビリの方針を決めるので、1週間以上リハビリをやることはできないと言う。老人が何もしないで1週間寝ていることはどんな結果を招くか、これまでの経過を見ていて予想がつく。早くリハビリを始めてくれるように頼んだが、病院の方針だからだめの一点張り。

 しかも、入院4,5日後から熱が出始め、あっと言う間にまた肺炎になってしまった。どうも、鼻腔栄養を入れるとき45度以上に体を起こす必要があるにもかかわらず、45度以下で入れたため肺に逆流し、誤嚥性肺炎を起こしたらしい。熱はどんどんあがり、父の意識も薄れ始めてきた。前の病院では、父の肺炎に利く抗生物質が分かっていたので、担当の医師に問い合わせてそれを使って欲しいと頼んだところ、「当病院にない薬は使いません。もうお年ですから・・・」。患者を何とかして治おそうという気など全くないことが分かった。

 しかたなく、もとの病院の担当医師に電話したところ、すぐに戻ってくるようにとのことで、救急車でもとの病院に戻った。父の様子を見て、担当の医師は今度ばかりは命の保証はできませんと自信なさそうであったが、またまた肺炎を克服することができた。しかし、関節はこわばり、起きあがるどころか寝返りもうてなくなっていた。背中やお尻に床ずれができ、リハビリはなかなか効果が上がらなかった。

 再入院して約5ヶ月後、医師からもうこれ以上良くなりそうにないのでそろそろ退院を考えて欲しいとの話があった。もう迷わず自宅に帰ることにした。自宅で介護するための訓練を看護婦さんからほぼ8時間かけて教わった。辱瘡の手当、喉に溜まった痰の取り方、IVHの交換方法、おむつの替え方など、病院にいた8時間で実にさまざまのことをしなければならないことがよく分かった。一度ではとても自信がもてないので、作業のタイムテーブルとマニュアルを作ってもらった。

自治体による対応の違い

 往診してくれる医師や看護婦さん、ヘルパーさんの手配もどうすればよいのか全くわからなかった。I区役所の福祉関係の窓口に行ったところ、病状などを質問され、父は身体障害者の認定を受ければいろいろの補助がもらえること、重症のため区から派遣するヘルパーの対象にならないこと、往診の医師や看護婦のことは「おとしより保健福祉センター」へと教わった。

「おとしより保健福祉センター」では、担当の保健婦さんに病状を説明し、往診の医師や看護婦の紹介をお願いした。どのような治療が必要なのか分からないので担当の医師に会って話を聞きたいとのことで、数日後、保健婦さんとケースワーカーの方と病院に行き、担当医師と看護婦さんから説明を受けた。往診の医師、看護婦さん、ヘルパーさんも決まり、父が帰宅したときも保健婦さんはわざわざ様子を見に来てくださった。A区の病院リストのコピーだけと比べ、I区に引っ越して本当に良かったと思う反面、区によってこんなに違っていいのかと思った。

病院か在宅看護か

 往診をお願いに行ったとき、「自宅で息を引き取ることも考えられますが、覚悟は有りますか」というような質問を受け、ぎょっとした。人は病院で死ぬものだと思いこんでいたのでしばらく答えられなかった。しかし、考えてみれば、父のような病人の場合、当然あり得る話で、自宅で看取るということは最後まで見ることだと悟った。

 ヘルパーさんは月曜から金曜までの9時から17時までお願いした。必要に応じておむつの交換や痰の吸引などまでやっていただいた。昼間眠らせないようにいろいろ話をするのも大変だったと思う。看護婦さんは日曜以外毎日来ていただいた。IVHの交換、辱瘡の手当などの処置や簡単なリハビリをし、父の話し相手になったり、一緒に民謡を歌ったり、実によくしていただいた。入院中もよくしていただいたが、一人で居る時間が長かったため幻覚を見て変なことをよく言った。しかし、それはいつの間にか治っていた。家族との接触時間が増え、ヘルパーさんや看護婦さんに優しくしていただき、父は病院に居たときよりも数倍楽しい時間が送れたと思う。

 在宅介護はヘルパーさんや看護婦さんや医師のおかげで、当初予想していたものよりずーと楽だった。ヘルパーさんへの支払いは少し大変だったが、こんなことなら、初めに退院を求められたとき家に帰ればよかったと未だに悔やまれる。

 介護保険がはじまるとどのように変わるのか分からないが、また誰かが寝たっきりになって退院を求められたら、自宅で介護したいと思っている。

(工学部職員)


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