東大職連N氏 証人尋問 メモ
(抜粋) 

これは2000年9月4日に行われた東大職連N氏の証人(被告本人)尋問のうち、陳述書に書かれていない部分の主な内容を傍聴者のメモに基づいて再現したものです。

  

主尋問
新 美
弁護人
原告の郡司さんは1998年に東大を定年退官された後になって今回の訴訟を提起されてますが、郡司さんの一連の対応について、あなたや職連はどういう風に考えてますか。
N氏 郡司さんは教官ですから、二重の意味で学生や職員の問いかけに答える義務があったのではないかと思います。

 一つは、教官は学問・研究をやっているが、学問・研究は既成の価値観、権威を疑うところから始まる。教官である以上は、いろいろな価値観が存在していることをまず認めて、その上で真剣に討論して真実に迫っていくというのが、教官の最低限の職業倫理だろうと思います。

 もう一つは、戦前・戦中の日本では大学も国家総動員態勢に加担し、戦争反対の声を非国民として排斥しました。そういうファシズムに至った反省を踏まえるなら、教官というものは、価値観の多様性を認めて、例え自分に対する批判の声があったとしても、それに真剣に対応するというのが、ファシズムを防止する道。そういう意味でも、職員、学生の声に答えるべき。

 それをしないで、裁判所という第三者の手に委ねるというのは、教官としてあるまじき行為。
新美 郡司さんは逆に、無責任なジャーナリズムが学内に流入することを容認することこそがファシズムだ、と法廷でも法廷外でも言っている。その点、どうですか。
N氏 自分に対する批判を認めないということこそ、ファシズムだと思います。
新美 東大職連の立場から、今回の裁判を起こされた郡司さんに対して最後に述べておきたいことがあれば、どうぞ。
N氏 二つ申し上げたい。

 一つは、郡司さんは東大で受けた懲戒処分について、その意味を正しく認識していただきたい。なぜこう言うかというと、甲25号証、2度目に出された陳述書「ユナム社について」を見ますと、96年当時、エイズのことでマスコミから叩かれていたので止むを得ず懲戒処分を受け入れたということで、いわばエイズ絡みで懲戒処分されたと受け取られているようですが、それは事実と違う。東大における懲戒処分は、あくまでもユナム社から金銭を受け取ったことに対する処分。

 郡司さん自身は東大での懲戒処分について、倫理綱領と関係なく国家公務員法違反ということで処分を受けたと思っておられると思うが、事実はそうではない。「東大教官倫理綱領」というのは、教官としての最低限の倫理を申し合わせたものですから、これに違反すれば教官を辞めるしかない。事実、新聞研究所の教授が論文の剽窃が明らかになって大学を辞めた。しかし郡司さんは辞めなかった。「倫理綱領」には罰則はありませんから、国家公務員法に基づいて懲戒処分された。

 「倫理綱領」の理解についても前回の法廷で郡司さんは「目的が正しければお金をもらってもいい」と理解されているようですが、「倫理綱領」の基本さえも理解していない。    

 郡司さんは1985年に東大に厚生省から出向してきたために教官としての自覚が足りないのではないでしょうか。学生の投書に対して名誉毀損で訴えるとほのめかしたり、職連の公開質問書に答えなかったことも、教官としての自覚が足りなかったことを示していると思います。

 もう一つは、東大での懲戒処分の意味を正しく認識した上で、郡司さんに対して1996年、当時の菅厚生大臣が厚生省時代のことについて懲戒処分を指示し、後任の小泉厚生大臣に引き継がれ、懲戒処分が発令されないうちに郡司さんが退職したわけですが、東大で受けた懲戒処分の意味を正しく認識した上で、厚生省は「殺人政策」の責任を認め、和解を踏まえて、不十分ながらも薬害防止の対策をとっているわけで、郡司氏もその流れに沿って身を処していただきたいと思います。

反対尋問
弘中
弁護士
乙124号証の陳述書、35頁に「学生に知らせるため、」主語が私たちとなっていますが、この立て看板を出すことに賛成したのは、職連のメンバーとして、被告以外にどなたがいますか。
N氏 個人名を申し上げるんですか。
弘中 そうです。
N氏 個人名を申し上げることは適当でないと思います。
弘中 私たちというのは被告以外にいるんですか。
N氏 当然おります。
弘中 何人いるんですか、いないんですか。
N氏 当然おります。
弘中 議論に参加した人は何人いるんですか。
N氏 10人、20人、そういう数だと思いますが、数えたことはございません。
弘中 被告以外に、そのことに積極的に賛成した方として、どなたか名前出せますか。
N氏 何で名前が必要なんですか。
弘中 「私たち」とありますから、
N氏 東大職連として決めたんです。
弘中 ですから、その実態があるかないかが分かりませんので、この問題について決定された・・・
新美弁護人 本人が言いたくないと言ってるんですから、その程度にして、執拗な尋問・・・
裁判官 少なくともNさんが入っていることは間違いない、ということで、それ以外にもいるだろうけども、喋りたくないと、こういうことですね。
N氏 はい。
弘中 規約は乙号証何番ですか。
N氏 出しておりません。
弘中 どうして出されないのですか。
N氏 重要な問題ではない、と思いましたから。
弘中 代表者がいないのはなぜか。
N氏 東大闘争以来の考え方があるんですが、みんな同等の立場。
弘中 執行部はあるんですか。
N氏 さきほども申しましたように、事務局ということでやっております。
弘中 それは執行部ということになるわけですか。
N氏 執行部という定義は何でしょうか。
弘中 事務局長はいるんですか。
N氏 事務局長はおりません。
弘中 対外的な責任者はいないわけですか。
N氏 東大当局に対する連絡の窓口は置いております。
弘中 それは誰ですか。
N氏 現在は私です。
裁判官 現在私というのは分かるんですが、裁判所から確認しますが、立て看でエイズ問題、ワイロ、この関係の窓口もNさんと聞いてよろしいんですか。
N氏 はい。


立て看板について

弘中 この立て看はいつまで出し続ける予定だったか。
N氏 郡司さんが定年を迎えるまで。
弘中 なぜ学内だけでなくて表通りに向けて出したのか。
N氏 表通りに向けて出したのではなくて、職員、学生に大勢の方に見てもらいたい。そのために門の所に出すのが慣行。同じ慣行として、門の内側には出しにくいので門の外に出す。
弘中 一般の不特定多数の人が見るということは構わないという意識だったのか。
N氏 それは目的にはしてません。職員、学生に見てもらうことが目的。
弘中 一般の不特定多数の人に見せないということではなかったわけですね。
N氏 見せないということではありません。(傍聴席から笑い)
弘中 なぜ郡司さんの顔写真を拡大して看板に張り付けたのか。
N氏 郡司さんが薬害エイズの責任者なんだということを広く職員、学生に知ってもらいたいと思ったからです。
弘中 郡司さんをさらしものにする気はありましたか。
N氏 そういう意志は全くありません。(傍聴席、失笑)
弘中 この顔写真を使うことについて、郡司さんの了解を得ましたか。
N氏 了解は得ておりません。


「殺人政策」

弘中 殺人政策と書いた理由として、血友病患者を見殺しにしたとおっしゃいましたが、何をしなかったことをもって見殺しと言っているのか。
N氏 非加熱製剤を使っていればエイズに罹患するという危険性が指摘されていたのに、それに対する対策をとらなかったということ。
弘中 対策とは何をするべきだったという主張か。
N氏 対策はいろいろあったと思うが、まず、患者さんに危険性をはっきり知らせること。非加熱製剤を使わないようにすること。代替製剤を確保すること。
弘中 代替製剤というのは?
N氏 クリオ製剤、加熱製剤。
弘中 米国でその問題について、どういう風にされていたか、非加熱製剤が使われていたのか、代替製剤を使っていたのか、調べましたか。
N氏 本などで調べました。クリオ製剤を使っていた医者もいたと聞いております。96年の3月ですか、加熱製剤が許可され・・・
弘中 83年じゃないですか。
N氏 83年ですね。
弘中 米国では非加熱製剤は使っていなかったという趣旨なんですか。
N氏 そうは申し上げておりません。
弘中 どうだったんですか。
N氏 使われていたというように聞いております。
弘中 クリオ製剤はどのくらいの比率で使われたか。
N氏 それほど大きな割合ではなかったというように聞いております。
弘中 加熱製剤は、非加熱製剤とくらべてどの程度使われていたか。
N氏 正確には覚えていないが、1割か、そのくらいでしょうか。
弘中 そうすると米国も日本と基本的な政策は同じではないか。
N氏 何をもって「基本的」と言っているのか分からない。
弘中 非加熱製剤がかなり多く使われておったということは、変わらなかったのではないか。
N氏 それだけをとればそうですね。でもアメリカでは加熱製剤も使われいましたね。
弘中 ヨーロッパではその点、どうだったか。
N氏 フィンランド、ノルウェーではクリオを使っていたと聞いております。
弘中 サミットに入っているイギリス、フランス、ドイツ、カナダ、イタリアなどではどうだったか。(傍聴席、失笑)
N氏 カナダはヨーロッパではないと思います。イギリス、フランスでは非加熱製剤が使われ、その結果、大量に感染したと聞いております。
弘中 米国では83年3月から加熱製剤が使われているが、血友病患者の感染率は、日本と米国でどちらが高いか。
N氏 アメリカの場合、血友病患者自体の数があまり正確ではない。基本的には感染率にそう大きな違いはないと聞いております。
弘中 米国の方が高いことは知りませんか。
N氏 聞いておりません。
弘中 加熱製剤の緊急輸入をした国がどこかありますか。
N氏 ないと思います。
弘中 日本が米国やヨーロッパの諸国と違う政策をとれたということがあったのか。
N氏 とろうと思えば当然とれたと思います。とるべきだったと思います。
弘中 とれたという根拠は何ですか。
N氏 とれなかったという根拠は何ですか。日本の方針は厚生省が決められるわけですから、当然、とれるわけです。
弘中 ヨーロッパやアメリカに比べて特に日本ではこういうことがあるから、他国では非加熱を使っても日本では使うべきではなかったと、そういうことがあったのか。
N氏 そういう問題ではないと思います。
弘中 日本に血友病患者か否かを問わず、エイズ患者がいると分かった時期はいつですか。
N氏 分かったというのは、誰が分かったということですか。
弘中 誰でも。(傍聴席、失笑)
N氏 例えば安部教授にとっては、1983年の段階で分かっていた。
弘中 帝京大症例のことですか?
N氏 そうです。
弘中 その1例だけですか。
N氏 1983年の、第1回エイズ研究班の時点ではそうですね。安部教授はその後にもう1例
弘中 日本でエイズの患者さんがいると、エイズの診断基準が確立した後ですね、明確にされたのは1985年ですね。
N氏 厚生省が認定したのはそうですね。
弘中 エイズの原因ウイルスが同定された時期はご存じですか。
N氏 1984年。
弘中 1984年の5月ですね。 抗体検査ができるようになったのはそれ以後になるわけですか。
N氏 はい。
弘中 日本で抗体検査が最初に行われたのはいつ頃ですか。
N氏 84年の秋だと思います。
弘中 郡司さんが生物製剤課長に在任した期間はご存じですか。
N氏 84年の7月ぐらいですか。
弘中 はい。84年の7月以降のことについても郡司さんに責任あるという趣旨だったんでしょうか。そういうことではなかったんでしょうか。
N氏 基本的には・・・。ただ、郡司さんが敷いた路線を後任の松村さんがそのまま踏襲した。
裁判官  乙81号証(郡司氏への公開質問書)に連絡先分生研553号室、Nとあり、その後に携帯電話の電話番号らしいのが書いてありますが、これはあなたの携帯電話ですか。
N氏  はい、そうです。
裁判官 あなたが連絡先になったのはいつ頃からですか。
N氏 10年くらい前から。1990年頃から。正確には覚えていません。

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