乙124号証

東大職連N氏の陳述書


私は、左記のとおり陳述いたします。

  二〇〇〇年五月八日

                                N 氏 氏 名
     

東京地方裁判所
  民事第三六部合議係 御中

一、東大職連はなぜ原告の薬害エイズ責任、ワイロ問題に取り組んだか

1 東大職連について

 現在、東大では約四一〇〇名の教官、約三六〇〇名の定員内職員、約二〇〇名の臨時職員(臨職)、約二三〇〇名のパート職員と数え切れないほどの下請け労働者などが働いています。教授、助教授による教授会、評議会が東大を管理運営し、教授は実質的に研究室の技術職員、臨職・パート職員の人事権を持ち、職員を管理しています。民間企業でいえば、教授、助教授は企業の経営方針を決める重役であり、かつ現場の管理職です。

 一九七〇年、東大地震研究所の臨職が直属の上司である宮村教授に自らの定員化を要求したところ、要求を拒否された上、目の上に三針も縫う怪我を負わされ、廊下に引きずり出されるという事件が起こりました。この宮村教授の責任を追及し全臨職の定員化を要求する全学臨職闘争が展開されたのに対し、東京大学職員組合は職員の利害より教授会メンバーの利害を優先させ、「宮村教授も臨職体制の被害者」と宮村教授を擁護し、全学臨職闘争を妨害しました。

 東大全学職員連絡会議(略称東大職連)は一九七四年、東大全学臨職闘争を展開していた各部局の職員団体および職員が、その運動を発展させ、職員の立場から、臨職闘争だけでなく広く職員の生活と権利を守り発展させるために結成した職員の団体です。職連のメンバーは、パート職員、臨職、技術職員、事務職員、看護職員、教務職員、助手など多種多様です。

 一九七七年、解雇・休職処分撤回を要求する総長室座り込み闘争を刑事事件化したことについて、総長に反省を求め、座り込んだ職員の有罪判決による解雇(失職)を阻止する職員・学生有志の運動が展開されました。二回にわたって総長交渉が行われ、総長は全臨職定員化の責任を認め、座り込み闘争を刑事事件化したことを反省し、有罪解雇阻止の働きかけを行いました。東大職連はこの運動を全面的に支援するとともに、職員の立場から、臨職・パート職員の切り捨て反対・待遇改善、守衛さんの外注化・ガードマン導入反対、労災問題、アスベスト撤去をはじめ職場環境の改善などの課題に取り組んできました。また、軍学共同に反対する運動、侵略戦争に協力し公害問題、原子力発電問題などで教官が真実を隠し被害者、住民の要求をしりぞけてきた東大百年の歴史を賛美する東大百年記念事業反対運動など、さまざまな運動を展開してきました。

 東大職連は一九七七年の総長交渉の成果を引き継ぎ、以後、多忙な総長の代理として総長補佐を介して総長との交渉を行ってきました。その結果は「これまでの確認事項等」(乙一〇一号証)として文書確認されています。

 なお、私は一九六九年に東大の助手として採用され、東大職連には一九七四年の結成以来参加しています。

2 原告の薬害エイズ責任に取り組んだ理由

(一)学生の投書と原告の対応

 一九九六年一月一日号の「東京大学新聞」に、「薬害エイズ 郡司篤晃教授(医学部)の責任を問う」と題する中川素充氏(HIV訴訟を支える会 法学部学生)の投書と原告のコメント(乙一号証)が掲載されました。この投書は、薬害エイズに重大な責任を負っていながら東大医学部で医学を教えている原告に対し、前年一〇月六日の東京地裁「所見」を引用し、その責任を認めるよう求めるものでした。同時に掲載されたコメントで原告は、何の根拠も示さずに「中川君は裁判所の和解案をよく読んでいないようです」「真実を探求する場である大学でこんな軽率な行為が・・・行われることを許していいのだろうか」とし、あろうことか、「法学部の先生方とも相談して名誉を回復する手段を検討したい」と名誉毀損告訴をちらつかせて中川氏を恫喝していました。

 私たち東大職連はそれまで薬害エイズについて活動したことはありませんでしたが、この中川氏の投書と原告のコメントを見て、ショックを受けました。中川氏の指摘が正しいとすれば、一八〇〇名もの血友病患者を薬害エイズに罹患させた責任者が責任もとらないまま、私たちの職場で「医学」を教えているのです。これは、とうてい許すことができません。

 さらに、原告の責任を明らかにすることは薬害を繰り返させないために必須のことであり、それは私たち自身の問題でもあります。

 原告のコメントは私たちにこの問題への取り組みを一層促すものでした。原告自ら「真実探求の場」と述べている大学においては、大学当局、部局当局や個々の教官に対し、職員・学生がその責任を問うて運動を展開することは当然のことであり、私たちもそうした活動を展開してきました。職員・学生の問題提起に対して、当局・教官側は真摯に対応するのが当然であり、実際、私たちは総長補佐交渉を通じて多くの問題を解決してきました。ところが原告は、実名を明らかにして責任を問うた学生に対し、話し合いの姿勢をまったく見せず、「問答無用」とばかり告訴をちらつかせたのです。これは大学の教官にあるまじき行為であり、東大職連として見過ごすことのできない問題でした。

(二)原告の責任に関するマスコミ報道

 薬害エイズに関する「郡司ファイル」など大量の厚生省資料が「発見」された翌々日、一九九六年二月一一日の朝日新聞朝刊の「天声人語」(乙一〇五号証)に、前述の法学部学生の文章と原告のコメントが「東京大学新聞」に掲載されたことが紹介され、原告のコメントが手厳しく批判されていました。

 三日後の一四日には、同じ学生の「薬害エイズで問われる東大」と題する投書(乙一〇六号証)が同じく朝日新聞に掲載されました。
「郡司ファイル」の「発見」、原告団の厚生省前座り込みなどを契機に、一九九六年二月頃から薬害エイズ問題が連日のようにマスコミで報道されるようになり、その都度、一九八三年当時の厚生省担当課長であった原告が東大教授を務めていることが報道されるようになりました。こうした動きを受けて、東大職連メンバーから原告の責任を問う声が強まり、東大職連は薬害エイズ問題の調査を開始しました。

3 原告のワイロ問題に取り組んだ理由

東大職連が原告の薬害エイズ責任に取り組んでいた最中の一九九六年七月、原告が米国系傷害保険会社ユナム社から金銭を受領していたことが報道されました(乙七〇〜七二号証)。これは「東大教官倫理綱領」(乙六七号証)に違反するワイロです。私たち東大職連はユナム社に直接問い合わせ、ワイロに間違いないことを確かめました(乙六九号証)。原告が私たちの職場で教官の「職業倫理」に反する行動をとったことは許すことができません。


二、薬害エイズ問題に関する東大職連の認識

 私たちはまず、インターネットのホームページを検索し、薬害エイズ民事訴訟の東京地裁和解勧告の際の「所見」(乙一〇号証)を検討しました。また、広河隆一氏の「日本のエイズ」「薬害エイズの真相」、櫻井よし子氏の「エイズ犯罪 血友病患者の悲劇」などの本を読み、薬害エイズ問題の経過、背景、問題点などを幅広く調査しました。厚生省が公開した「郡司ファイル」(乙二一〜二五号証)、厚生省の「血液製剤によるHIV感染に関する調査プロジェクトチーム」の調査に対する原告の回答(乙一四号証)などの資料は、インターネットのホームページで見たり、厚生省に出向いてコピーを取りました。

 その結果、特に、厚生省の責任を明確に指摘した東京地裁「所見」と、これを厚生省が受け入れたことにより、以下のように厚生省および原告の責任は明らかであることが分かりました。

 1 非加熱製剤の危険性
エイズの症例が初めて報告されたのは一九八一年六月でした。米国・ロサンゼルスの男性同性愛者五名が、免疫不全で引き起こされるカリニ肺炎という珍しい病気にかかり、うち二名はすでに死亡、残りの三名も危篤状態でした。翌七月には男性同性愛者十名のカリニ肺炎と、同じく免疫不全により引き起こされるカポジ肉腫二名の症例が報告されました。

 これらの症例を報告した米国・防疫管理センター(CDC)はさっそく特別調査団を結成し、調査に乗り出しました。その結果八二年七月、この未知の病気はエイズ(後天性免疫不全症候群)と名付けられ、八二年末までに以下のことが明らかになりました。

@新しい感染症であること

A死亡率が非常に高く、エイズを発症した者は必ず死ぬこと

B患者数が半年で倍増していること

Cエイズを発症するまでの潜伏期間が非常に長く、その間に体重の減少や疲れやすいなどの症状を訴える患者が多いこと

D男性同性愛者、静脈注射で麻薬を打っていた異性愛者の男女のほか、こうした経験のない血友病患者、輸血を受けた大人、輸血を受けた赤ん坊も発症している(赤ん坊の供血者の一人は、供血時点では健康だったが、後にエイズを発症した)。これらの事実から、血液あるいは血液製剤を介する感染症と考えられる。

E赤ん坊の輸血感染の例から、エイズの兆候が表れる前の健康な人の血液から感染する可能性があること、たった一回の輸血でも感染する可能性があること

F八二年十一月までに八人の血友病患者のエイズ症例が報告されました。米国の血友病患者はおよそ一万五千人から二万人とされ、この時点での発病率は約〇・〇四%となるが、潜伏期間が長いので、罹患率はこれをはるかに上回るものと考えられること

 当時、欧米諸国や日本の血友病患者の大部分は、非加熱濃縮製剤を注射していました。一〜二名の供血者の血液から作られるクリオ製剤と違って、濃縮製剤は数千人から二万人の血液を混合して作られており、供血者の中にエイズの病原体を持っている人が一人でもいれば、その血液を混合して作られた一ロットの濃縮製剤すべてがエイズ感染源となります。しかもエイズの潜伏期間は長いので、すでに述べた赤ん坊の輸血感染の例のように、一見健康な人もエイズ病原体を持っている可能性があり、エイズ病原体を持っている人の供血を完全に除外することは不可能でした。

 すなわち、八二年末の段階ですでに、米国で作られたすべての非加熱濃縮製剤がエイズ病原体に汚染されているものとして対策をとらなければならない状況になっていることが明らかでした。しかも、米国で採血された血液から作られた濃縮製剤が日本をはじめ各国に輸出されていたのです。

 2 厚生省、原告の責任

 一九八三年当時、厚生省では公衆衛生局医療情報課がエイズ感染予防の観点から情報を集めており、薬務局生物製剤課も遅くとも八三年のはじめには、非加熱濃縮製剤の危険性を熟知していました。しかし厚生省は、八三年二月、非加熱濃縮製剤の「自己注射」に健康保険を適用し、非加熱濃縮製剤の大量使用=血友病患者の大量感染を促進しました。

 さらに、八三年、公衆衛生局医療情報課と薬務局生物製剤課の両者が、「エイズ研究班」設置を計画していました。両局間の調整には事務次官、厚生大臣の判断が関与していたはずです。

 結局、感染症対策を任務とする医療情報課ではなく、血液産業の「保護・育成」を重要な任務とする生物製剤課が主導する「エイズ研究班」が作られました。「エイズ研究班」は、米国CDCのエイズ専門家・スピラ氏がエイズと断定した「帝京大症例」をエイズと認定せず、非加熱製剤の危険性を無視してその使用を継続する「報告」をまとめました。厚生大臣は危険薬品の緊急販売停止の権限を持っていたのに、非加熱製剤の危険性を当の血友病患者に知らせず、「エイズ研究班」の「報告」を利用して非加熱製剤の販売停止もせず、クリオ転換も、加熱製剤の緊急輸入もせず、加熱製剤の認可も米国に二年四か月遅れとなりました。

 厚生大臣が血液製剤の危険性を熟知しているはずはありません。血液製剤を主管していたのは生物製剤課であり、八三年当時の課長は原告でした。原告は遅くとも八三年の初めには、村上省三氏から送られた資料を通じて米国等の状況を承知しており、東大医学部で公衆衛生を研究した原告は、その情報から、米国で作られたすべての非加熱濃縮製剤がエイズ病原体に汚染されているものとして対策をとらなければならない状況になっていることを熟知していたはずです(事実、原告は「(八三年当時)「(問診済みの)証明書添付のある製剤のみを輸入するように通知を出したが」、「(その問診は)単に現在の症状を確認するだけの問診であった。潜伏期間が長いとすれば、現在の症状をチェックしてもほとんど意味がない」ので、(通知を出すことに)あまり意味があるとは思えなかった」と書き記しています(乙一〇八号証))。原告は、サリドマイド、スモンの薬害も、一九七九年の薬事法改正による薬害防止責務の強化も、厚生大臣の販売停止権限も、ポリオワクチンの緊急輸入の前例も、血液産業の動向も、熟知していたはずです。原告は主管課の課長として血液製剤の安全性を確保する責務を負っており、しかも医師でした。にもかかわらず、原告は安全性確保に有効な対策を何らとらず、逆に、意味がないと分かっていたスクリーニング済みの非加熱製剤に「安全証」を貼付させました。

 日本の薬害エイズ被害者の大部分は原告が生物製剤課長就任後にエイズウイルスに感染しています(乙一〇四号証)。危険性を熟知しながらなんら有効な対策をとらなかった原告の責任は明白です。もしも原告が非加熱製剤の販売停止、加熱製剤の緊急輸入などの対策をとろうとしたにもかかわらず、上司などの圧力に屈したのなら、原告はその真相を明らかにした上で自らの責任を認めるべきです。

 3 血友病患者、支援者の運動と厚生省の対応

 一九八二年七月、毎日新聞が、後にエイズと命名された奇病が米国で流行し「血友病患者にも広がり始めている」ことを報道したのを皮切りに、マスコミで血液製剤の危険性が報じられるようになり、血友病の患者団体も調査に乗り出しました。一九八三年七月には朝日新聞が「帝京大の血友病患者がエイズで死亡の疑い」と報道し、危機感が一気に高まりました。

 しかし同月、「エイズ研究班」は「帝京大症例はエイズと断定できない」と発表しました。原告は供血者に問診しただけで汚染されている可能性のある非加熱製剤に「安全証」を添付するよう血液製剤メーカーに通知しました。安部英・エイズ研究班長・全国ヘモフィリア友の会顧問は八三年八月、「友の会」拡大理事会で講演し、非加熱製剤にエイズの危険性はないと断言しました。こうした「安全宣伝」によって患者団体の危機意識は沈静化され、大量感染を招いたのです。

 一九八五年三月、朝日新聞が帝京大の血友病患者二名のエイズ死を報道した直後、厚生省「エイズ調査検討会」は米国在住の同性愛者を日本人エイズ第一号患者に認定しました。「帝京大症例」など血友病患者二名がエイズと認定されたのは、その二カ月後でした。

 一九八六年一一月の「松本エイズパニック」を皮切りに、八七年一月には神戸、二月には高知と、エイズパニックが繰り返され、エイズに対する差別・偏見があおられました。「血友病患者=エイズ患者」などの偏見により、血友病患者は薬害エイズ被害を訴えるどころか、血友病患者であることさえ隠さなければならない状況に追い込まれました。

 ようやく一九八九年、大阪、東京で相次いで薬害エイズ民事訴訟が提訴されました。裁判で国・製薬会社は資料隠し、責任隠蔽に終始しました。証人として出廷した原告は八三年当時、エイズの伝播様式が肝炎と類似していると認識されていたことさえ「そういう記憶はない」と否定し(乙六号証)、厚生省および原告自身の責任を否定し続けました。

 一九九五年三月、薬害エイズ被害者・川田君の実名公表を契機に支援の輪が急速に広がり、同年七月には約三五〇〇人の「人間のくさり」が厚生省を取り囲みました。こうした中で同年一〇月、東京地裁の和解勧告と「所見」が出されました。

 4 東京地裁「所見」が断罪した厚生省の「殺人政策」

 厚生省の組織的な責任について、東京地裁の「所見」は、原告が生物製剤課長を務めた一九八三年当時すでにエイズの致死率が極めて高く非加熱濃縮製剤が危険なことは分かっており、厚生省は血友病患者などに危険性を知らせるとともに、非加熱製剤の販売の一時停止、国内の献血血液による濃縮製剤あるいはクリオ製剤の自給、加熱製剤の輸入・製造承認の促進などの措置をとるべきだったのにこれらの措置をとらず、その対策の遅れが悲惨な被害拡大につながったと述べ、「国もまた、製薬会社と共に、原告らが被った甚大な感染被害を早急に救済すべき責任を果たすべきである」と、厚生省と当時の担当課長・原告の責任を明確に指摘しています。

 本年二月二四日、ミドリ十字の歴代三社長に対する業務上過失致死罪裁判の判決に際し、薬害エイズ被害者の川田龍平氏は「僕は殺人罪にあたると思っている」(テレビ朝日「ニュースステーション」 乙一一七号証)「僕は業務上過失致死だってことがまず軽いと思っていて、これは殺人罪にあたる。法律の範囲内でこれを裁こうとしたところに無理があるんで、五〇〇人以上が殺されている、そういった現状を本当に考えていないんじゃないか、と思っています。」(TBS「NEWS23」 乙一一七号証)と述べています。菅直人・元厚生大臣は「未遂の(未必の)故意、という形の、殺人罪に私は匹敵する犯罪だと、いうふうに思っておりまして、制裁なり反省は、不十分であると、言わざるを得ない」(前記「ニュースステーション」)「殺人罪に私は匹敵する犯罪だと、いうふうに思っておりまして、ある意味での制裁なり反省は、不十分であると、言わざるを得ないと思っております」(前記「NEWS23」)とコメントしています。さらに前記の「ニュースステーション」で清水建宇・朝日新聞編集委員は「菅大臣がおっしゃったように、未必の故意の殺人、に匹敵する、というか、そのものである、というのが、普通の国民もそうだし、亡くなった方々のご家族もそうだし、患者さんもそうだと思うんですよね」と述べています。

 薬害エイズは日本だけでなく、世界の「先進」諸国で引き起こされました。米国の被害者たちは「薬害」ではなく「ヘモフィリア・ホロコースト」(血友病患者の大虐殺)と呼んでいます。

 一九九三年一〇月、米国インディアナポリスで開かれたNHF(全米血友病財団)年次総会に際し、米国の血友病患者たちは、血液製剤企業と癒着し少額のエイズ補償案をとりまとめようとしたNHFを厳しく批判し、「ヘモフィリア・ホロコースト」と書いた垂れ幕、プラカード、Tシャツでデモを展開しました。十数社のテレビ局や新聞社がかけつけた中でのデモにより、それまで原因も経過もひたすら隠されてきた血友病患者のエイズが全米に知れわたりました(乙一一九、一二〇号証)。

 フランスの被害者は政府の責任者を「毒殺罪」で刑事告訴しました。一九九二年十月、厚生省元総局長、国立中央輸血センター元所長、同センターの元部長の三名が懲役四年などの有罪判決を受けています(乙一二一号証)。政府に対する責任追及は当時の首相にまでおよび、九八年七月、元首相、元保健相と元社会問題相が過失致死罪で起訴され、九九年三月九日、パリの共和国法院はエルベ元保健相に有罪の評決を下しています(乙一二二号証)。さらに九九年五月、元中央輸血センターの責任者、厚生官僚、閣僚顧問、医師ら三十人が毒殺罪や過失致死罪などに問われ、パリ重罪院への移送命令(起訴に相当)が出されています(乙一二三号証)。

 5 政策の誤りを認めて謝罪、方針を転換した厚生省

 一九九六年三月二九日、HIV訴訟原告団との和解確認書(乙一〇二号証)で厚生大臣は、
「裁判所が示した所見の内容を真摯かつ厳粛に受けとめ、血友病患者のHIV感染という悲惨な被害を拡大させたことについて指摘された重大な責任を深く自覚、反省して、感染被害者に物心両面にわたり甚大な被害を被らせるに至ったことにつき、深く衷心よりお詫び」し、

 「サリドマイド、キノホルムの和解による解決に当たり、前後二回にわたり、薬害の再発を防止するため最善の努力をすることを確約したにもかかわらず、再び医薬品による悲惨な被害を発生させるに至ったことを深く反省し、その原因についての真相の究明に一層努力するとともに、安全かつ有効な医薬品を国民に供給し、医薬品の副作用や不良医薬品から国民の生命・健康を守るべき重大な責務があることを改めて深く認識し、医薬品の安全性確保のため厚生大臣に付与された各種権限を十分活用して、本件のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう、最善、最大の努力を重ねることを確約」しました。

 6 厚生省担当者らを処分

 一九九六年五月および六月、菅厚相は事務次官、薬務局長と松村明仁・元生物製剤課長に「懲戒・減給」処分、薬務課長ら四名に「訓告」処分、元薬務局管理職経験者八名に「厳重注意」など、一五名の厚生省職員を処分しました。薬害事件の責任を問われて厚生省の職員が処分されたのはこれが初めてとされています。

 厚生省は「国民の生命、健康を守るべき責務」を負っています。その職務を怠り「殺人政策」を選択・執行した責任を、厚生省自らが処分という形で認めたのです。

 厚相は、持永氏ら八三年から八五年当時の三名の薬務局長と原告の「懲戒」処分も検討しましたが、原告以外はすでに厚生省を退職しており、処分できませんでした。東大に出向中の原告は東京地裁の「所見」から見て当然処分の対象となるとして「懲戒」処分を指示しました(乙一六〜一九号証)が、その後収賄罪で有罪判決を受けた岡光事務次官ら「事務方」が、原告自ら「あまり意味があるとは思えなかった」(乙一〇八号証)と認めている「血液の安全性チェックのスクリーニングに積極的だった」ことを理由に「懲戒」処分に抵抗、実現しませんでした(乙一六号証)。

 7 和解金支払い、エイズ治療体制の強化  

 和解確認書に基づいて、被害者、遺族に一人当たり四五〇〇万円の和解一時金が支払われています。和解は当初、一一八名の原告との間で成立し、厚生省もさまざまなルートを通じて薬害エイズ被害者への周知徹底を図り、すでに一三〇〇名を超える被害者と和解が成立しています。和解一時金の総額は約六〇〇億円に達しています(製薬会社六割、国四割負担)。

 血液製剤によるHIV感染者、二次感染者(配偶者など)、三次感染者(母子感染した子)でエイズ発症前の人に対して、発症予防のため健康管理費用が支給されています。発症者に対しては、月額一五万円(製薬会社六割、国四割負担)の発症者健康管理手当が支給されています。

 「恒久対策」として、エイズ治療・研究開発センターの設置、全国三六四拠点病院の整備充実などエイズ治療体制が強化され、昨年六月には厚生省玄関前庭に「誓いの碑」が建立されました。

 8 「報告書」に表れた厚生省の反省

 菅厚相は就任直後に「医薬品による健康被害の再発防止対策に関するプロジェクトチーム」を作り真相究明を指示しましたが、「郡司ファイル」をはじめ資料の発掘にとどまり、真相解明には至りませんでした。しかし同プロジェクトチームの第一次報告書(九六年四月二六日 乙一一八号証)は、再発防止に向け、「政策判断に直結する段階で、検討の場を研究班から責任と権限の明確な組織に委ねるベきでなかったか」「危険を警告する情報は、行政の対応策の有無とかかわらず開示する方向で考えるべきではないか」「行政から医療機関・医師に対してもっと積極的に情報提供すべきでなかったか」「濃縮凝固因子製剤のメリットとリスクの比較考量の問題であったとすれば、最終的な判断は行政や研究者ではなく、主治医と患者の関係を基礎にした十分な情報提供と自己決定の問題」「業界の振興策と規制策の分離」などの反省を打ち出しました。

 同プロジェクトチームの第二次報告書(九六年七月一日 乙一〇三号証)は「国民の生命や健康に直結するような分野においては、通常より重く厳しい責任が求められる。・・・担当する職員が強い責任と鋭敏な危機管理意識を持って職務に従事することの重要性を、この際、再確認する必要がある」と根本的な反省を明確にし、再発防止策を打ち出しました。

 9 再発防止策を具体化した厚生省

 こうした厚生省の反省は、以下の再発防止策として具体化されています。

  イ 天下り自粛

 厚生省薬務局と製薬企業の癒着ぶりはつとに有名です。原告が生物製剤課長を務めた当時、ミドリ十字の社長は薬務局長から天下った松下廉蔵氏でした。他の役員にも多数の薬務局出身者が天下っており、ミドリ十字は「薬務局の分室」と噂されていました。

 九六年五月、菅厚相は「厚生省と製薬企業のかかわりに疑念を持たれないよう」国家公務員法の再就職制限を強化し、製薬企業への天下り自粛を打ち出しました。

  ロ 製薬企業の振興策と規制策の分離

 九七年七月、薬務局を廃止、旧薬務局の業務のうち、研究開発振興、生産・流通対策は健康政策局へ移し、医薬品等の治験、承認審査、市販後の安全対策などを担当する新設の医薬安全局から分離させました。

  ハ 緊急輸入の制度化

 九七年四月、以下の改正薬事法が施行されました。

@「緊急輸入」などの特例許可の制度を設ける
A製薬企業に医薬品の使用による感染症例等の報告を義務づける
B製薬企業が医薬品を回収する場合の報告義務を法制化

  ニ 安全体制の強化

 九七年一月に厚生省健康危機管理基本指針が作られ、医薬品については、医薬安全局安全対策課が安全性情報の収集から評価、安全対策の立案までを一元的に実施することとなりました。また、承認の取消し、回収・廃棄、製造・出荷停止の指示、「緊急輸入」などの手続きが明文化されました。

 以上のように、東京地裁の「所見」、厚生省の「所見」受け入れ、和解確認書とその具体化などから見ても、厚生省および原告の責任は明らかです。

三、東大職連の取り組みの経過

 1 薬害エイズ連続学習会

 私たち東大職連は原告の薬害エイズ責任を問う活動の第一弾として、一九九六年四月二四日、五月二九日、六月二六日と三回連続で「薬害エイズ学習会 〜郡司篤晃・医・教授の責任を問う〜」を開催しました。職員、学生だけでなく、教官、地域住民なども参加し、一一〇名以上もの参加者で超満員の盛況でした。私たちは原告が参加し討論に加わることを期待していましたが、原告は参加しませんでした。

 第一回学習会では、東京大学新聞に投書した中川氏に「所見」の内容、原告の責任などについて話していただきました(乙六号証)。話の最後に、薬害エイズ問題に職員の関わりがなかったことについて批判を受けました。参加者から活発に質問が出され、学習会は正午から二時近くまで続きました。

 第二回、第三回の学習会では、厚生省資料、厚生省プロジェクトチームの質問に対する原告の回答、国会での原告をはじめとする参考人陳述の新聞報道などを通じて、厚生省および原告の責任をより具体的に認識することができました(乙七、八号証)。

 
2 原告への公開質問書

 私たち東大職連は、三回にわたる連続学習会の成果をふまえ、七月五日、原告の自宅(配達証明付き)および研究室に公開質問書(乙八一号証)を送付するとともに、学内で配布しました。
公開質問書は極めて具体的で答えやすい質問であり、連絡先を明らかにしていたにもかかわらず、現在に至るまで一切回答はありません。

 なお、東大職連の総長補佐交渉(一九九六年七月一六日)の際、東大が原告の責任を明らかにするよう求める法学部学生中川素充氏の吉川総長宛の文書(乙八〇号証)と添付資料(乙七七〜七九号証)を、総長補佐を介して総長に渡しましたが、同添付資料によれば、中川氏の投書が東京大学新聞に掲載された後、「医学部長がこの問題を気にして」「何人かの教授にこの問題の取りまとめを指示」、「(医学部精神衛生・看護学教室の)栗田広教授が中川(氏)の意見を聞き、他の教授が郡司教授(原告)の意見を聞く」ことになり(乙七八号証)、一九九六年一月二五日付けで栗田教授から中川氏に、面会を求める手紙(乙七七号証)が送られました。中川氏は一月二九日に栗田教授に会い、原告との公開討論を求めました(乙七八号証)。しかし医学部教授会メンバーが原告の意向を聞いたところ「(原告は)これまでの言動については、それなりの自負を持たれているようであり、少なくとも誤りを認めるお考えはないように思われ」、公開討論は実現しなかった(乙七九号証)ということです。

 原告は、私たち学内の職員の公開質問書にも一切答えず、学生の度重なる投書(乙二〜四号証)にも告訴恫喝を行い、さらに医学部長の意を受けての公開討論の斡旋をも拒否したのです。原告は大学の教官としての基本姿勢を欠いていると言わざるを得ません。

 3 ユナム社からの金銭受領報道

 一九九六年七月六日の「赤旗」(乙七〇号証)で、原告が一九九四年七月から九五年四月までの十カ月間、米国系の保険会社ユナム・ジャパン障害保険から「『助言へのお礼』として、毎月二〇万円を受け取っていた」ことが報じられました。

 七月一六日の朝日新聞朝刊(乙七一号証)は、すでに九四年四月に約百万円を受け取っていること、「(原告とユナム・ジャパン障害保険)の前社長が以前からの知り合いで、いろいろ相談を受けていた」こと、および合計三百万円は「同社(ユナム・ジャパン障害保険)が設立当初、医師を採用する際の相談を受けたり、日本の社会保障の実態などを担当者に説明したりしており、その謝礼金だった」ことを報道しました。

 4 総長補佐交渉

 東大職連は一九九六年七月一六日、九月二七日の総長補佐交渉で、薬害エイズの責任者である原告が東大で医学を教えていることについて、吉川総長の見解を質しました。しかし総長は、原告の厚生省時代のことについては東大では分からないと主張し、厚生省との合同調査要求も拒否し、厚生省から「懲戒処分」の通知がないと動けないという姿勢に終始しました。
ユナム社からの金銭受領は原告が東大に出向中のことであり、「本部人事課が調査中」などと回答しました。

 5 ユナム社の回答

 九六年一〇月三日の読売新聞で、「東大評議会は、(原告の三百万円受領の)事実関係解明のため学内に調査委員会を設置した」こと、原告は医学部の調査に対し「(ユナム社から)電話での相談を受け現金を受け取った」ことを認めたことなどが報道されました。

 事態の進展に鑑み、東大職連はユナム社に事実関係を確認することにしました。一〇月一四日頃から二日にわたってユナム社に電話したところ、石井・人事部長が対応し、東大職連の質問に対する石井人事部長の回答と新たな質問事項を文書にまとめ、一〇月一七日、ファックスで送りました。

 翌一八日、石井人事部長から、一七日の文書に加筆訂正した書面(乙六九号証「別紙」)と、新たな質問事項に対する回答(乙六九号証「別添」)などがファックスで送られてきました。

 6 原告は「東大教官倫理綱領」違反のワイロを受領

 (一)「東大教官倫理綱領」が規定するワイロ

 「東大教官倫理綱領」(乙六七号証)は「教官倫理の基本理念」の一つとして「公務員の収賄禁止」をあげ、「収賄とは、『公務員が』『その職務に関し』『賄賂』(職務に関する行為の対価としての不正の利益)を『収受、要求または約束』することである。その際、特に次の点に注意すべきである。
(a)それが正当な職務行為であっても収賄罪が成立する。
(b)その利益を第三者に受け取らせても収賄に当たる場合がある(刑法197条ノ2)。
(c)受け取った利益の使途は問わない(研究目的に使用したことは、収賄罪の成立を妨げるものではない)。」
と教示しています。

 公務員が賄賂を「収受、要求または約束」してはならないのは当然ですが、「東大教官倫理綱領」は教授、助教授が教育、研究を職務とすることに鑑み「いかなる疑惑も招かぬよう」「社会との関係において自らを律することに厳しくあらねばならない」とし、教授、助教授一人一人が「点検すべき事項」を具体的に指摘しています。「職務に関する行為の対価としての不正の利益」の収受等は、たとえ収賄罪として訴追されるに至らないとしても、厳しくしりぞけており、私たちはこれを「ワイロ」と表現しました。

 (二)原告の職務

 原告は九四年当時、医学部健康科学・看護学科保健管理学教室の教授であり、日本の医療制度、社会保険・社会保障制度や、「日本の労働疾病の傾向」が氏の専門分野でした。原告は「陳述書」で「主に医療行政と健康管理についての研究を行っていました」と述べています。授業では「保健・医療管理論」で保健医療システム全般について、「保健行政T」で社会保障について、「保健経済学」で健康保険制度について、「産業保健・看護」で労災・職業病について、講義しています(乙一〇九号証)。原告が退官後自らの研究内容をまとめた「医療システム研究ノート」(九八年三月 丸善プラネット刊)の内容もほぼこれと同じです。

 (三)ユナム社に対する原告の職務行為

 原告は、一九九三年十一月から九五年四月にかけて、米系保険企業ユナムに対し次のような「職務に関する行為」を行いました(乙六九号証)。

@自分の研究室で、ユナム本社の医長に日本の医療システム、社会保障・社会保険制度などについて講義し、
Aユナム社が保険業務の分かる医師を採用するに当たって、候補者の経歴、日本の労働疾病の傾向等から見て適当な人材であるかどうかアドバイスし、
Bユナム社の上田副社長に松村明仁・労働基準局安全衛生部長を「自分から言い出して紹介」しました。ユナム社は松村氏からさらに同局の課長らを紹介してもらいました。

 (四)原告はユナム社からワイロを受領

 原告は前述の職務に密接に関連した行為の対価として、ユナム社から三〇〇万円の、給与以外の不正な利益を受け取りました。三〇〇万円が「東大教官倫理綱領」(乙六七号証)に言うワイロであることは明白です。

 「教官の専門性に基づくサービスの提供」により「教官個人が、原稿料・印税・書籍等の編集費・講演料・講習会講師費・鑑定料・技術指導料等、通例の報酬を受け取る場合であっても」、その報酬は「教官の専門性に基づくサービスの提供」に対する報酬であり、職務と密接に関連した行為の対価です。職務に関する行為、あるいは職務と密接に関連する行為の対価としての給与以外の金銭は「不正の利益」でありワイロですが、「東大教官倫理綱領」は「その額が、職務との関連で、社会の疑惑を招くもの」「継続的な報酬」あるいは「大学の教官の地位に対する信用に安易に寄りかかって常識を越えた報酬」を特に問題としています。

 原告は東大の一般の職員が約半年間働いてようやく手にする給与に相当する三〇〇万円もの不正な利益を、わずか十数時間程度の「職務に密接に関連した行為」により得たのです。これはまさに、「大学の教官の地位に対する信用に安易に寄りかかって常識を越えた報酬」です。
しかも、原告の当時の給与は時給にして一万円を越えていないと思われますが、原告がユナムから収受した「対価」は時給約二〇万円以上であり、「その額が、職務との関連で、社会の疑惑を招くもの」です。

 また、三〇〇万円の内二〇〇万円を十ヶ月間「本給以外の報酬」として毎月二〇万円連続して収受したことは、「社会の疑惑を招」き「公務員としての信頼を失する」ものであることはいうまでもありません。これはまた、「『顧問料』のような形の継続的なものがあるとすれば、兼業制限との関係でも問題となる」ものです。

 職務と密接に関連した兼業の報酬は、給与以外の「不正な利益」であり、ワイロです。

 原告が受領した三〇〇万円は、「東大教官倫理綱領」に基づいて判断すると「職務に関する行為の対価としての不正な利益」であり、「教官の専門性に基づくサービスの提供」に対する報酬と見ても、兼業への報酬と見ても、いずれにしてもワイロです。

 (五)原告への「懲戒戒告処分」

 一九九六年一二月二〇日、吉川総長は「総長談話」(乙六八号証)とともに原告への「懲戒戒告処分」を発表しました(乙七四〜七六号証)。「東大教官倫理綱領」には罰則がないため、原告が受領した三〇〇万円のワイロが兼業への報酬でもあることに着目し、国公法の兼業制限違反として「懲戒処分」を発令したものです。

 7 立て看板の掲出

 私たちは東京地裁「所見」、厚生省・国の「所見」受け入れ・和解、厚生省による和解確認書の具体化などにより原告の薬害エイズ責任は明らかであると考え、原告に公開質問書を送りましたが、原告は一切答えず、さらにユナム社からワイロを受け取っていたことまでも明らかになりました。

 そこで私たちは、原告に薬害エイズ責任とワイロ受領を認めるよう迫るとともに、広く学内の職員、学生に原告の薬害エイズ責任とワイロ受領を知らせるため、赤門、正門、原告の職場・医学部三号館前など学内各所に立て看板を出しました。銀杏並木に出した立て看板には、原告の薬害エイズ責任、ワイロ受領を示す資料を貼り付けました。

 なお、一部の立て看板に貼った原告の写真は、原告が「FRIDAY」誌のインタビューに応じた際、本人も承知の上で撮影・公刊されたもの(乙一〇七号証)です。

四、立て看板規制の実態

 1 立て看板規制の開始

 「掲示に関する内規」(甲一四号証の三)は、「学部共通細則」とともに一九五〇年に制定されました。この「学部共通細則」は第二次世界大戦中の一九四一年、学生の治安対策として制定された戦争中の「学部共通細則」を手直ししただけのものです。

 「掲示に関する内規」第九条は「学内における講演会等(音楽会、映画会及びダンス・パーテイー等の催物を除く)の集会の通知及び受付場所の指示等のため、立看板による掲示をすることができる」「立看板による掲示をしようとするときは、所管部局長(本郷構内は学生部長)に届出るものとする」と規定し、学生の意見表明の立て看板はおろか、「音楽会、映画会及びダンス・パーテイー等の催物」の立て看板さえも、届け出ても認められないのです。五〇年前に制定された「掲示に関する内規」は戦争中の治安対策を受け継ぎ、学生の自主活動を制限しようとする不当なものです。

 2 東大闘争による空洞化

 東大闘争は医学部、文学部の学生運動に対する東大当局の弾圧に端を発し、大学のあり方を問う根元的な運動へと発展しました。膨大な数の「無届け」のビラ、立て看板によって問題提起がなされ、その問題提起の正しさと、運動への弾圧そのものが問題とされている中で、東大当局は「無届け」の立て看板等を容認せざるを得なくなり、「立て看板に関する内規」等の規制は空洞化されました。立て看板は学生・職員の問題提起・情報伝達の手段として定着したのです。

 3 東大闘争後の大学当局の対応

 東大闘争以後、大学当局は立て看板を職員・学生の自主活動の一環と認め、「無届け」看板でも撤去命令を出すことはなくなりました。現在でも学内の職員団体、学生団体は「無届け」で立て看板を出していますが、「無届けだから」といって撤去されることはありません(乙一一二号証)。

 「内規」どおりに届け出ると葉書大の「立看板受付証」(乙一一〇、一一三号証)が貼付されますが、東大教官の退官記念講演や学会などの立て看板も「立看板受付証」が貼付されず「無届け」で出されている場合が多々あります(乙一一四号証)。東大当局自身が、「立て看板に関する内規」を空洞化させているのです。

 一九八五年から東大当局は「環境整備」を実施し始めました。これは相次ぐ定員削減と用務員など行政職U職員の不補充政策により用務員などが激減したため、毎年春、秋の二回、職員を動員して学内を清掃するものです。

 「環境整備」の際、各門の「大学公示板」に「○門周辺の環境整備を行いますので、現在、○門付近に放置されている立て看板、自転車等は○年○月○日までに撤去して下さい。撤去されない場合は、当方で撤去いたします。○年○月○日 東京大学学生部」との掲示(乙一一一、一一五号証)が出されるようになりました。期限を過ぎると、学生部の職員が立て看板を各門の近くの「大学公示板」の裏に運んでいます(乙一一六号証)。これは、例えば集会呼びかけの立て看板などが集会の期日を過ぎても各門などに放置されてごみになるのを防ぐための措置と説明されています。「環境整備」で「撤去」された立て看板を直後に出し直しても、再度「撤去」されることはありません。

 本件の立て看板についても同様であり、「環境整備」の掲示は何回か出ていますが、「無届けだから撤去せよ」という趣旨の掲示は一度も出されていません。
東大闘争以後、東大当局が「環境整備」以外に立て看板を撤去したのは、昭和天皇死去の時くらいですが、この時、評議会で宇沢弘文経済学部評議員から立て看板撤去に異論が出たと聞いています。

 九七年一一月二六日、天皇・皇后が東大本郷キャンパスに入構し東大一二〇周年記念展示を見学した前夜、本郷キャンパス各門の立て看板が、何者かによって一斉に持ち去られました。各門の警備を担当している学生課長は東大職連の質問に対し「立て看板は撤去すべきでないし、していない」と答えています。

五、終わりに

 厚生省は東京地裁「所見」を受け入れ、厚生大臣自らこれまでの政策の過ちを認め反省を示し謝罪しました。さらに大臣は次官以下を「懲戒処分」すると同時に原告に対しても「懲戒処分」を指示しました。そして一連の具体策を実施してきたのです。

 しかし原告は、「エイズ研究班」を作ったり努力したと称し、担当官として職務をまっとうしたとして「処分」を受け入れる姿勢を示していません。さらに地裁の「所見」に対してさえ「和解のための方便に過ぎない」と批判し、厚生省の「所見」受け入れとそれに基づく政策実施に反対しているかのようです。

 原告が所属した生物製剤課は廃止されてすでに存在しません。これも厚生省の反省の一環です。原告が今なさねばならないのは、血友病患者一八〇〇人を死の淵に追いやる「殺人政策」の担当官として厚生省の反省を自らのものとし、かつ医師としての側面から果たさねばならなかったことに思いを致し、漸く患者・被害者の立場に立ち辛うじてその救済を実施しようとしている厚生省の政策を豊かなものにしていくことです。

 原告の現在の言動はこれと全く逆行するものであり、当時の誤った政策を居直って正当化し、自己保身に奔走するものでしかありません。

 原告は厚生省から一九八五年、東大医学部に出向し保健学科教授となりました。そして九四年、今度は大学においてこともあろうに米系保険会社ユナムから三〇〇万円を受け取る事件を引き起こしました。「東大教官倫理綱領」に照らして、この三〇〇万円はワイロであり、この三〇〇万円受領の件で「懲戒戒告」処分を受けたのです。東大において原告は、当局の処分に対して異議申し立てを行わず、「懲戒」処分を受け入れました。

 大学教官が教育公務員として手厚く「保護」されていることを考えれば、原告が東大にきてから一人の大学教官として倫理観を育み確立していくのではなく、あろうことか「教官倫理綱領」に違反しワイロで「戒告処分」を受ける違法行為者への道を選んでいったことには、以前の厚生省の官僚としての立場と本質において共通のものがあります。それは、官僚や教官として求められる「職業倫理」を無視、違反するという、「公務員」としての基本的な資質に関わるものです。

 本件立て看板の内容は真実であり、その掲出は私個人の行動ではなく、東大職連の活動の一環です。原告の告訴は、原告の責任を問うた東大職連の運動に対する弾圧であり、職連所属の「個人」をねらい打ちにした報復そのものであり、断じて許すことはできません。

                                      以上


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