乙175号証の4

 日本の血友病患者のHIV大量感染は
「避けられなかった」のか?

シムフ氏らの本誌論文を批判する

ジュリスト No.1069、74〜79、1995.6.15

一 はじめに

 本誌1060・1061号に連載されたK・シムフ氏らの論文(以下シムフ論文)は、その肩書きからは思いもつかないような、血友病の病態と治療法に関する誤解を与える記載をし、日本の実情についての無知の上に立って議論を展開している。時あたかも、日本では東京・大阪両地裁に「HIV訴訟」(輸入濃縮血液製剤によるHIV感染被害者が原告となり、国・製薬5社を提訴)が係属し、東京地裁では3月末に結審している。このような時期にシムフ論文記載のような誤った認識が本誌のような著名な雑誌に掲載され、関係者に一定の影響を与えるとしたら、看過できないことである。シムフ論文のような認識に立てば、日本の血友病患者のHIV大量感染(1994年12月現在、1792人が感染(1)し、同年2月現在の血友病患者のHIV抗体陽性率は46%(2)と報告されている)は「避けられなかった」ということになろう。

 筆者は薬害問題の研究をライフワークとしており、輸入濃縮血液製剤による日本の血友病患者のHIV感染(以下「薬害エイズ」)事件についても1988年から医・薬学的、保健社会学的に研究を行ってきた。こうした立場から、シムフ論文の記載の誤りにつき、以下に論述する。

二 血友病の病態と日本での治療小史

 まず、血友病の病態と、日本における治療の歴史を簡略に記そう。

 血友病とは、出血の際血液を凝固させる因子(凝固因子)が先天的に欠乏しているため、出血の時に自然的止血が困難な疾患である。第8因子欠乏による血友病Aと、第9因子欠乏による血友病Bとがある。日本の血友病患者数は、福井らの調査(3)では、1991年の生存患者数が血友病A3,157人、血友病B652人である。治療は、現在のところ根治療法はなく、凝固因子の補充により治療する(補充療法)。

 補充療法は、我が国では1966年までは新鮮血輸血や新鮮凍結血漿などによる輸注療法が行われていた。1967年にコーン分画製剤(ミドリ十字のAHG)、1970年以降クリオプレシピテート製剤である乾燥抗血友病人グロブリン(日本製薬のクリオとミドリ十字のAHF)の製造が承認され、血友病Aの患者に用いられるようになった。クリオとは「寒冷」、プレシピテートは「沈殿」の意味で、クリオ製剤は1〜2人の血液より作る。

 血友病Bの患者に対しては、クリオが第9因子を含まないため使えなかったが、1972年から濃縮製剤である「乾燥人血液凝固第9因子複合体」(国産製剤である日本製薬のPPSBと輸入製剤であるミドリ十字のコーナイン)が承認されて使えるようになった。これらに加えて、1976年以降輸入の濃縮製剤が5種類承認された。

 血友病Aに対しては1978年以降輸入の濃縮製剤である「乾燥濃縮抗血友病人グロブリン」が相次いで承認された。同年、国産の濃縮製剤(日本製薬のハイクリオ)も承認された。

 これらの濃縮製剤は多人数(2000人とも、2万人とも言われる)の血液をプールして作る。そのため、供血者の中に1人でもウイルスの感染者がいると、それにより感染する危険がある。すなわち、ウイルス感染の危険はクリオよりも濃縮製剤の方がはるかに高いのである。

 日本で使われていた濃縮製剤は、当初非加熱の製剤であったが、HIV対策で第8因子製剤は1985年7月、第9因子製剤は同年12月に加熱製剤が一斉に製造承認された。1992年3月からは、日赤の献血から濃縮製剤が作られ、1993年7月には遺伝子工学を利用した製剤も承認されている。

三 エイズの危険性を「だれしも予期しなかった」のではない

 シムフ論文は、「(濃縮)製剤の一部が、新しい致命的な疾病の病原体を内蔵していたとは、だれしも予期しなかった」と記している。しかし、これは、これまで数々明らかにされてきた事実に反する。そうした事実の主要な点を、以下に記そう。

 (1) 製薬会社は非加熱濃縮製剤のHIV汚染の可能性を知りながら、患者には「安全」と販売し続けた。

  1982〜83年当時米国から濃縮製剤の原料血漿または製剤そのものを日本に輸入していた製薬会社は、トラベノール(現・バクスター)、カッタージャパン(現・バイエル薬品)、ミドリ十字、化学及血清療法研究所、日本臓器の5社である。

  筆者は、米国においては、血友病患者のエイズ発症は1982年7月に初めて報告され、すぐに血液製剤に疑いがかけられ注意が喚起されていたことを1989年に報告した(4)

  その後入手した1982年7月27日開催の血友病患者の日和見感染に関するワシントン会議報告(5)では、「血液製剤特に第8因子がエイズの危険因子なのか決定する必要がある」ことが結論の一つにあげられ、「第8因子を通じ感染するリスクを減らすか除くための実用的な技術を決定することが緊急に必要である」ことを提言の一つに記している。そして、この会議の参加者リストの中には、全米血友病財団(NHF)や米国防疫センター(CDC)の代表らと共に、米国製薬工業協会(PMA)の代表としてトラベノール社のRodell博士の名が記されている。

 また、これより先の7月16日にはベセスダで対策会議が開かれたが、そのアーマー製薬会社宛招請状(7月8日付)には、「あなたは、カリニ肺炎やサイトメガロウィルス感染などの日和見感染症を引き起こす、未知の潜在的な免疫抑制因子が、血液または血液由来の製剤によって伝播する可能性に関する、CDCと生物学局との会議に出席するよう招請されている」と記されている(米国薬品生物センターのメイヤー所長の手紙)。

 このことから、製薬会社は、濃縮製剤のHIV汚染の危険性は早くから予知していたと考えられるが、実際、そのことを裏付ける事実が次々に明るみに出されている。

 例えば、米国での訴訟で明らかにされたカッター社の社内文書には、次のような記載があることが判明した。

・「血液製剤によるエイズの伝播は明確に示されたわけではないが、その可能性を示す証拠が存在する。」(1982年12月13日 Steven J.Ojala のレター)

・「第8・第9因子製剤の文書にエイズの警告を記すべきと思う。訴訟は必至である。」(1982年12月29日 Ed Cutterのレター)

・「1月4日にアトランタで開かれたエイズ会議で、血液製剤により起きたと考えられる8〜10人の血友病エイズ症例が報告され、症例増加防止の緊急対策に関心が向けられた。」(1983年1月6日John Hinkのレター)

・「現在、第8因子製剤(Koate)と第9因子製剤(Konyne)が受注者にエイズを伝播させると思われている。血友病エイズ患者は8人以上発生しているが、彼らの用いた凝固因子が病気のもとと考えられている。」(1983年2月8日 Robert Bardenのレター)

 このカッター社は、1983年8月に、社内に「エイズシナリオ」のプロジェクトチーム(Dietrich Buchner議長)を作り、エイズの将来の発生予測を立てていたことが、1994年2月6日放映のNHKテレビで明らかにされた。

 その後裁判所に提出された原資料(CONFIDENTIAL=機密文書)(6)によると、このシナリオ作りは経営陣から要求され、「都合良い場合」「中間の場合」「都合悪い場合」の3つを想定している。想定される「最も都合悪い場合」は、1988年までにエイズ患者が8万人発生し、うち約2000人が血友病患者である。そして、「濃縮製剤が何年もの間エイズの伝染因子を感染させ広め続けてきたとすれば、その結果として、濃縮製剤を使用してきた血友病患者は、事実上すべて、上記期間の間にエイズに罹る可能性がある。」などと記しているのである。

 日本においては、ミドリ十字の血漿部長が1983年6月2日付で、エイズの感染経路の一つに血液製剤が関連する可能性を指摘し、エイズの症状を記して採血への注意を喚起している(社内文書)。

 ところが、日本国内において、これらの製薬会社は、血友病患者や一般国民に対しては、濃縮製剤の危険性を伝えるのではなく、逆に安全性を強調した発言や広報を行ってきた(7)。このことについては、紙数がなく割愛せざるを得ないが、たとえば、1983年8月には、カッタージャパンがその広報誌「エコー日本語版」において、「AIDSが……濃縮製剤によって感染されるということを示す証拠は、どこにもない」「患者は出血に対しては従来通り、血液製剤を輪注して止血すべき」などと記しているのである。  以上の事実から、被告製薬会社は、遅くとも1982年7月の時点で、非加熱濃縮製剤の使用によりエイズになる危険性があることを予知できたのに、血友病患者には「安全」であるとして、販売を続けた(そして、加熱製剤販売後もその回収をしなかった)(7)ということが言える。

 (2) 国も非加熱濃縮製剤のHIV汚染の可能性を知りながら、販売を認め続けた。

 米国におけるエイズの多発と、その病原体の感染ルートの一つが血液製剤である可能性があることについての情報は、遅くとも1983年3〜4月には厚生省に伝えられていた。

 筆者が村上省三元日本輸血学会会長から聞き取り(1989年7月17日)をしたところ、「1983年3月か4月頃、郡司生物製剤課長にエイズの文献のコピーを送った。厚生省が知らないと困ると思って」ということであった。村上元会長からエイズに関する論文の提供を受け、日本の血友病患者にエイズのリスクが考えられたということは、郡司元課長も法廷で認めている(1993年3月15日)。

 1983年5月26日付読売新聞は、「米で流行“恐怖の奇病”厚生省が厳戒体制」と題する記事を掲載。この中には、「血漿製剤は9割以上アメリカからの輸入に頼っており、AIDSについては、きわめて重大な関心を持っている。発病者が出た場合、早く発見し、対策を打てるよう、早急に研究班を発足させたい」との郡司課長の談話が記されている。

 厚生省は、6月に至り「AIDS(後天性免疫不全症候群)の実態把握に関する研究班」(安部英班長)を設置した。この研究班には「血液製剤小委員会」(風間睦美委員長、以下「風間委員会」)と「エイズ診断基準小委員会」(塩川優一委員長)が設置され、血液製剤の問題は風間委員会で扱われることになった。

 風間委員会ではエイズの危険を避けるため血友病の濃縮製剤による治療を変更するか否かの検討をした。委員の中にはクリオに転換すベきと考える人もいたが、安部教授はそのことに強く反対し(8)(9)、結局クリオヘの転換は見送られ、米国で採取された血液を原料とする濃縮製剤の使用には何らの規制も加えられなかった。

 また、これもNHKテレビで放送されたことだが、厚生省は、1983年6月2日付でトラベノール社より、「供血者の1人がエイズの兆候を示したので、製剤の回収をしたい」旨報告を受けているが、そのことをエイズ研究班に報告するなどして適切な措置を取ることをしなかった(10)

 (3) 血友病専門医の少なくとも一部は、日本の血友病患者が輸入濃縮製剤のためエイズにかかる危険性を予知しながら、そのことを患者には知らせず、逆に濃縮製剤の「安全性」を強調し、使用し続けた。

 血友病患者の治療にあたる専門医からは、1982年11月から1983年6〜7月にかけて、日本の血友病患者のHIV感染の危険性を予知し、懸念したり警告する発言や論文が出されていた。

 例えば、1982年11月23日の東友会(東京ヘモフイリア友の会)第9回総会では、安部英教授が血液製剤を通じての日本の血友病患者のエイズ感染を示唆する講演を行っている。

 また、1983年6月13日には、厚生省エイズ研究班の班長になった安部英教授が読売新聞紙上にて「輸入に頼っている血液製剤で感染する危険もあるので、私としては、もう居ても立ってもいられない」と談話を出している。

 ところが、その後、安部教授らは濃縮製剤の安全性を強調し、濃縮製剤の使用には何らの措置も講じられることなく、その販売・使用の促進が講じられたのである。

 安部教授は、1984年8月に、日本の血友病患者の血液(48検体)を米国NIH(国立衛生研究所)のギャロ博士に送って抗体検査を依頼し、P氏を含む23人がHIVに感染したことの報告を9月に受けていながら(11)、1985年になっても、非加熱濃縮製剤を血友病患者に投与し続け、その結果、少なくとも2人の血友病患者をHIVに感染させていたことを示す論文(12)が明らかになり、安部教授が行った行為は「殺人未遂」に相当するとして、1994年4月4日、216人の血友病患者・家族が東京地検に告発したのである。

 以上のことから、「だれしも予期しなかった」というシムフ論文の誤りはもはや明白であろう。


四 輸入濃縮製剤は「命綱」ではなかった

 シムフ論文では、「はじめに」のところで「(濃縮製剤の製造が可能になって)以来、血友病患者の出血予防治療が可能になり……」、「彼ら(ヨーロッパおよび日本の血友病患者)にとって、早期の死を免れるためには、この(アメリカ産の濃縮)製剤だけが頼りだったのである」と記している。さらに、むすびのところで、「(血友病患者にとって)必要不可欠かつ代替性なき治療手段であった濃縮製剤」などと記している。これらの記載は、「輸入濃縮製剤=命綱」論と言うべきものだが、この論が誤りであることは、以下の事実に照らして明らかである。

 (1) 濃縮製剤のなかった時代に長期に生き抜いてきた重症者が存在する。

 筆者らは、1992〜93年に、血友病のA・B2地区友の会会員計144人を(分析)対象者とする「アンケート調査」を実施した。その結果の概要は医学雑誌(13)に報告してあるが、今回、そのデータから、「対象者の中には濃縮製剤のなかった時代に生まれ育った患者は含まれていないのかどうか」調べてみた。つまり、もし濃縮製剤が血友病患者の『命綱』ならば、濃縮製剤がない時代に生まれた血友病患者は、少なくとも重症者は生き永らえることが出来ず、死んでしまっていて、対象者の中には含まれていない可能性が大きいと考えられたからである。

表1 対象血友病A患者の出生時期別・重症度別に見た調査時点の状態
(片平ほか:1992〜93年調査)
出生時期
〔出生年〕
血友病
重症度
小計 調査時点の状態
非感染 感  染 感染の
有無
不明
AC ARC AIDS 死亡
全血輸血時代
〔1957年以前〕
重症 27 12 10
中等症
軽症
不明
全血輸血時代
〔1958〜66年〕
重症 10
中等症
軽症
不明
AHG・AHFの時代
〔1967〜77年〕
重症 15
中等症 14
軽症
不明
非加熱濃縮製剤の時代
〔1978〜85年〕
重症 13
中等症
軽症
不明
加熱濃縮製剤の時代
〔1986年以降〕
重症
中等症
軽症
不明
123 57 36 18

表4−2 対象血友病B患者の出生時期別・重症度別に見た調査時点の状態
出生時期
〔出生年〕
血友病
重症度
小計 調査時点の状態 感染の
有無
不明
非感染 AC ARC
全血輸血時代
〔1951年以前〕
重症
中等症
軽症
不明
全血輸血時代
〔1952〜71年〕
重症
中等症
軽症
不明
非加熱濃縮製剤の時代
〔1972〜85年〕
重症
中等症
軽症
不明
20

 ところが、結果は表1、表2のとおりで、血友病Aの患者123人のうち、「濃縮製剤のなかった時代」に生まれたのは95人(77.2%)で、この中に「濃縮製剤のなかった時代に20年以上生存した人」が41人いた。この41人のうち、血友病が重症の人は27人で、全員が生存していたが、約半数の22人がHIVに感染していた。

 血友病Bの患者20人の場合は、「濃縮製剤のなかった時代」に生まれたのは15人(75.0%)で、この中に「濃縮製剤のなかった時代に20年以上生存した人」が5人いた。この5人のうち、血友病が重症の人は1人で、HIV非感染で生存していた。

 以上のように、たとえ血友病が重症であっても、濃縮製剤がない時代に20年以上も生きてきた患者が合わせて28人もいたということは、濃縮製剤は必ずしも血友病患者の『命綱』とは言えないことを示している。

 東京地裁で被告側の立場から延言した血友病専門医の風間教授も、「頻度の多い四肢の大関節や筋肉内の出血は、生命の危険をもたらすものではないが(患者を苦しめる)」(14)と書いており、血友病患者の通常の出血は死亡に至るものではないと解される。

 (2) 血友病Aの場合、国産のクリオ製剤か濃縮製剤で代替できた

 前記の治療小史からわかるように、血友病Aの場合は、国産のクリオプレシピテート製剤があり、また生産量は少なかったが、同じく国産の濃縮製剤があったから、輸入濃縮製剤に頼らずとも、これらによって代替できたのである。そのことを示す事実や証言等を以下に記す。

 (一) 原則的にクリオで治療できた

  @濃縮製剤の添付文書の記載

    濃縮製剤コンコエイト(ミドリ十字)の添付文書(1982年8月改定)には、「本剤は貴重な血液を原料として製剤化されたものであるので、有効利用の立場から低単位の製剤(AHFミドリ)が使用しがたい場合に投与することが望ましい」と書かれている。「低単位の製剤」とはクリオ製剤のことである。つまり、濃縮製剤が一般の血友病患者にとっては「命綱」などではないことを製薬会社がはからずも記しているということが言えよう。

  A血友病専門医たちの認識

    都立駒込病院輸血科(当時)の清水勝医師は、1983年の時点で、「……ほとんどすべての血友病患者はクリオにより治療することが可能であり、濃縮第8因子製剤の適応は(大手術時など一部の場合に)限られるというのが大方の見解」(15)と記している。

    また、聖マリアンナ医大小児科の山田兼雄教授(当時)は、1991年6月7日、東京地裁で要旨次のように証言している。

    「これまでに診療した血友病患者の総数は約200名。クリオではどうしても(治療が)うまくいかなかったという症例はない。濃縮製剤が使われる前、クリオしかなく、クリオで十分な凝固活性レベルを上げられずに、止血出来ずについに亡くなったという経験はない。他の医療機関でのそういう報告例は知らない。死亡しないまでも、重大な障害を起こしてしまったというケースもないと思う。」

 (二) 重症でも全血輸血やクリオで治療できた

 加々美ら(16)は、1955年に、前額部に巨大な血腫が形成された血友病患児を輸血で手術したことを報告している。

 星野ら(17)は、血友病Aで胃がんの人に輸血を行って手術を成功させたことを1964年に報告している。  森田ら(18)は、1965年に血友病Aで腸閉塞をおこした患者に輸血をして開腹手術を成功させたことを報告している。

 このように、クリオがなかった全血輸血の時代においてすら、血友病患者の手術が輸血を用いて行われ、成功した例が報告されているのである。

 筆者らは、前述のアンケート調査に続き、被害者本人・家族・遺族に対し面接聞きとり調査を行った(19)。この調査は、主目的がHIV感染後の被害実態の解明におかれていたので、「濃縮製剤のなかった時代の血友病治療の実態」の解明は極めて不十分であるが、例えば次のような事例がみられた。

 事例1 1960年代生まれ。生後6ヵ月に血友病A、凝固因子活性0.6%と判明。養護学校に9年通った。出血の痛みがひどい時は腕を切ってほしいと言いたくなる位の痛みだった。AHGとクリオを使い、痛みが止まり腫れもひくので、これほど効く薬はないと思った。濃縮製剤に変わっても、効き目はそれほど変わらなかった。「大きな出血の時は濃縮製剤の方が効くと思うが、量的な問題で、濃縮製剤500単位1本とクリオ100単位5本は同じ」という。1979年より濃縮製剤を使用し、1986年にHIV抗体検査陽性、1988年告知。1993年5月現在無症状で、働いている。

 事例2 1930年代生まれ。小さいころから青じみかできていたとのことだが、小・中学生のころはマラソンが得意でよく走っていて、本人は出血に悩まされた記憶はない。16〜17歳のころ、乗っていたオートバイが転倒し口の中を切って、なかなか止血せず大出血となった。保存血を大量に輸血したが、さらに出血がひどくなりおかしいと思ったが、この時は血友病との診断は受けなかった。その後、右足のカカトをびんの破片で切り、大出血となったが、この時は父の生血を輸血したところ止血した。20歳頃から時々関節内出血があり、ひどい時には輸血をしたが、寛解すればオートバイを楽しんでいた。1969年頃抜歯の時に血友病Aと診断され、AHFを使ったが、出血は全くなかった。1985年に変形性膝関節症の手術で濃縮製剤のコンコエイトを大量に使用。1986年にHIV抗体検査で陽性と告知された。1992年に妻の感染も判明。1993年1月現在、体調を崩し近く入院の予定。

 事例3 1940年代生まれ。血友病A。凝固因子1%以下。治療にはクリオを用い、日常の出血管理はクリオで十分だったが、1983年の欧州旅行の時濃縮製剤を使った。その後も何回か使った。1985年HIV陽性の告知を受けた。

 (三) 濃縮製剤の肝炎ウイルス汚染の危険性を早くから懸念していた医師もいる

  元東邦大学医学部・自衛隊中央病院の加々美光安医師は、血友病患者の治療に濃縮製剤を使うことには「多人数のブール血漿から製造される高度濃縮製剤の一般的な使用には安全の点で少なからぬ懸念があり」、国産のクリオと濃縮製剤を使っていた人で、このような考え方から、製薬会社の売り込みによる濃縮製剤は使用せず、その結果1人のHIV感染者も出さなかったということである(20)。

 また、1981年10月、県立新発田病院内科の伊藤正一医師は、新潟県ヘモフィリア友の会で次のように講演している:「現在血友病Aではクリオ又は濃縮製剤のいずれかが使われているが、どちらが良いかということになると、単に濃いから濃縮製剤が良いということは言い切れない。……濃縮製剤は何十人分もの血漿を一緒にして作られる為、血液提供者の中に1人でも肝炎のビールスを持っている人が混じると全体が侵染される。肝炎になる危険率は濃縮製剤の方がクリオよりも高い。……クリオを使うか、濃縮製剤を使うかは医師と相談してケースバイケースで決めるのが最良。」(21)

 (四) 技術的・量的にも代替は可能だった

 では、実際、量的な問題も含め、クリオ製剤での代替は可能だったのであろうか?

 このことについて、日赤中央血液センター元所長の徳永栄一氏は、「血液製剤小委員会」の報告書(1984年3月)で「現在のように製造工程中に[因子活性の80%をロスする濃縮製剤に依存する体制が改められ、クリオプレシピテートの使用が多くなれば、[因子製剤に関する限りは、輸入血漿に頼ることなく年間800万単位に近い国内献血による血液事業の枠内で十分処理し得る」と記している。

 また、同氏は、大阪地裁の証言(1993年4月、同9月)で「得られていた40万リットルの血漿のうち半分を製剤用に使用することができれば、当時の凝固因子の需要量を完全にまかなえたということですね」との原告代理人の質問に対し「そういうことですね、あるいは20万リッターよけいに取るか、どっちかですね」と答えている。そして「もしクリオでいいんだといったら、いかようにもいたしましたよ」とも答えている。

 以上のことから、血友病Aの場合、クリオで代替することは可能であったといえる。

 (3) 血友病Bの場合、国産の濃縮製剤があった

 血友病Bの場合、クリオ製剤はなかったが、前記のごとく国産の濃縮製剤が生産されていた。第9因子製剤の原料血の比率を見ると、1975〜80年は国内血の割合が増加し、1980年には輸入はゼロになっている。ところが、その後は輸入が増加し、1986年には93%を占めるまでになっている(表3)。このデータは、1981年以降、まさにHIV感染者を増加させるように輸入製剤が増やされたことを示している。こうした結果を避けるためには、「国内自給」の立場に立って、輸入製剤をやめて国内製剤のみとし、不足の場合はそれらを増産すれば良かったのである。

1975 76 77 78 79 80
国内血での
製造
(千単位) 1,336 1,772 4,359 9,642 8,691 10,632
比率 % 39 35 69 89 88 100
輸  入 (千単位) 2,076 3,274 1,969 1,221 1,214
比率 % 61 65 31 11 12
(千単位) 3,412 5,046 6,328 10,863 9,905 10,632
比率 % 100 100 100 100 100 100
81 82 83 84 85 86
国内血での
製造
(千単位) 15,247 11,775 15,694 12,834 9,375 1,533
比率 % 95 73 57 50 39
輸  入 (千単位) 783 4,292 11,763 12,759 14,697 21,877
比率 % 27 43 50 62 93
(千単位) 16,030 16,067 27,457 25,593 24,072 23,410
比率 % 100 100 100 100 100 100

 (4) 加熱製剤の緊急輸入という手段もあった

 以上のことで、輸入濃縮製剤の使用禁止に伴う「代替策」はあったといえるが、仮にそれでもなお日本の血友病患者の治療に支障を来すというのであれば、最後の手段として、1983年3月にはアメリカで市販されていた加熱濃縮製剤の緊急輸入という「超法規的措置」も、取ろうと思えば取れたのである。そうした措置としては、1959〜61年のポリオ流行時に、緊急にソ連とカナダから生ワクチンを輸入した前例がある。


五 むすび

 以上見てきたように、エイズの危険性を避けるためには種々の代替策があったのに、それらのどれひとつとして取られなかった。厚生省が取ったのは、時間を要する加熱濃縮製剤の国内開発という方法であった。結局、日本の血友病患者の半数近くがHIVに感染するという結果になった。

 表1・表2および事例が示しているのは、非加熱の輸入濃縮製剤が、HIVに感染させられた血友病患者にとっては、「命綱」どころか、逆に命と健康を奪う「毒薬」であったということである。こうした残酷な事実が、私たちの調査結果から確認できる。

(1)AIDS情報ファイル(105)、日本医事新報、3696:113、1995。

(2)三間屋純一ほか:Natural History 委員会報告、「厚生省平成5年度HIV感染者発症予防・治療に関する研究班研究報告書」37〜45、1994。

(3)福井弘ほか:血友病の疫学。藤巻道男ほか編:「血友病の診療」、7〜16、克誠堂出版、1993。

(4)片平洌彦:エイズジャーナル、2(1)77〜83、1989。

(5)CDCのFoege博士による報告、1982年8月6日付。

(6)東京地裁民事第15部甲211〜212号証。

(7)片平洌彦:「構造薬害」、97〜103、農山漁村文化協会、1994。

(8)朝日新聞、1994年8月9日朝刊。

(9)録音テープ反訳書(家庭療法促進委員会、1983年10月18日、ステーションホテル)。東京地裁民事15部甲467号証。

(10)このことについて、被告国の準備書面(10)では、「研究班ないしその委員に前記(回収の)各事実を報告したか否かについては確認できない」としている。

(11)米国国立がん研究所ナンシーミラーからの内藤雅義弁護士宛回答書、1992年9月30日(広川隆一:「日本のエイズ」、徳聞書店、1993、187頁に紹介)。

(12)小田島さゆりほか:日本輸血学会雑誌、34(3)332〜339、1988。

(13)片平洌彦ほか:日本医事新報、3640:43〜48、1994。

(14)風間睦美:Medical Practice、9:312〜318、1992。

(15)清水勝:医学と薬学、9:149〜158、1983。

(16)加々美光安ほか:臨床の日本、1(6)448〜451、1955。

(17)星野嘉明ほか:臨床血液、5(5)407、1964。

(18)森田久男ほか:日本内科学会雑誌、55(7)94、1966。

(19)片平洌彦ほか:環境と公害、24(1)50〜54、1994。

(20)加々美光安:東京地義民事15部宛意見書、1993。

(21)伊藤正一:血友病医療の現況、旭友会会報第3号、16〜22、1981。 


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