郡 司 氏 の 準 備 書
面(6)
この準備書面は2000年1月31日の第10回公判で提出されたものです。
誤記と思われる箇所が多数ありますが、すべて原文のままです。
平成一〇年(ワ)第一八九八三号
損害賠償請求事件
二〇〇〇年一月三一 日
右原告訴訟代理人
弁護士 弘中惇一郎
同 喜多村洋一
同 飯田 正剛
同 坂井 眞
同 加城 千波
東京地方裁判所民事第三六部合議係 御中
一 原告は、一九七〇年に東京大学医学部を卒業後、東京女子医科大学に勤務し一九七五年東京女子医科大学助教授になった後まもなく、厚生省医務局総務課に入り、さらに一九七八年一二月からは、環境庁企画調整局環境保険部業務課に課長補佐として勤め、さらに一九八〇年六月からは鹿児島県衛生部長として勤務した。
このような経歴を経て、原告は、一九八二年八月二七日から厚生省薬務局生物製剤課課長の職に就き、以後一九八四年七月一五日までその職にあったのである。
生物製剤課は、大きく分けて三種類の薬剤の業務を担当していた。ひとつはワクチン、二つ目は抗生物質、三つ目が血液製剤であった。そのほか血液事業も担当していた。
二 原告は環境庁企画調整局環境保険部業務課に勤務当時、水俣病やイタイイタイ病を取り扱っており、さらに鹿児島県でこの水俣病の問題に直面したことから、このような問題での行政の早期とりくみということの重要性を十分認識していた。
一九八二年の暮れに原告が予算の作業していた当時に、東京女子医大当時の先輩だった村上省三医師から、「こんな変な病気はアメリカではやっている」という手紙と二、三の資料が送られてきた。それはアメリカにおけるエイズ患者の発生に関するものであり、そのほとんどは同性愛者であったが、その中に三人程度の血友病の患者が含まれていた。このことは、血友病患者においてエイズの問題が重要であり、血液製剤による感染を考えるべきことを示すものであった。
そこで原告は、この血液製剤におけるエイズの問題に取り組むために、国内の専門家を集めエイズの実態調査に関する研究班を設立することした。
研究班の目的は、一つは日本においてエイスと言われているものの危険をどのように評価するかということであり、二つ目にはその危険の評価の上に立って日本の血友病治療をどうするかということ、この二つについて調査検討をするということだった。
三 原告の医師としての専門分野は公衆衛生学であり、血友病治療についてはほとんど知識経験がなかった。しかし、原告としては、アメリカの状況ならびに村上省三医師から送られて検討した資料により、その当時使われていた濃縮血液製剤治療について、これをクリオに戻す必要があるのではないかということを当面考えたため、研究班においてもこのこと検討してもらうこととした。
四 一九八三年六月に開かれた第一回エイズ研究班の席で、原告ならびに厚生省生物製剤課のメンバーから、右に述べたような問題意識が披瀝された。
なお、第一回の研究班における議論については、結果的に何者かがその内容をテープ録音していたことにより、その内容がすべて明らかである。したがって、原告が日本の血友病患者のエイズに罹患するリスクをできるだけ小さくする方向での検討を求めていたことは疑う余地がない。
研究班においては、まず日本国内に、はたしてエイズの症状がある患者がいるのかどうかということを議論の出発として調査検討することとし、その結果、第一回会議から第二回会議の間にアンケート調査が行われた。その結果帝京大症例あるいは高知症例などが浮かび上がってきたが、研究班での議論検討の結果、これはエイズということはできないという結論に達した。
血友病治療のあり方についても活発な議論が行われた結果、第三回の研究班の会議において、血液製剤については専門委員会としての血液製剤小委員会を設け、そこで専門的検討をすることが決められた。
五 一九八三年九月に開催されたこの血液製剤小委員会の第一回会合では、全国の血友病治療専門員の主立ったメンバーに加えて、国立予防衛生研究所あるいは日本赤十字の医師も加わって、活発な専門的ディスカッションが行われた。原告もこれに参加した。しかし、この第一回血液製剤小委員会において、クリオに戻すことはどうかという原告の提案は一蹴された。そこでは、濃縮血液製剤による血友病治療というのは、治療における大変な進歩であり、濃縮製剤とクリオとでは、著しい治療効果の差のために、クリオに戻るなどということは到底考えることができないということを専門医から言われた。血友病臨床現場についてほとんど知識経験のなかった原告としては、この議論は非常に衝撃的であると同時に納得のいくものであり、反論の余地すらなく、それまでの漠然として抱いていたクリオ転換の構想は根底から崩れたのである。
この結果、エイズ被害の危険に対する現実的方策としては、加熱製剤の開発という選択肢が浮かび上がってきた。その結果、原告としても、早期に加熱製剤を導入するしかないということを認識したものである。
なお、その後一九八五年にアトランタでWHOやCCDが開催したエイズ会議においても、現実的な方策として示されたのは加熱製剤の早期導入であった。クリオ転換などということは問題にもされなかったし、そのような方策を採った国はほとんどなかった。
また、一九八三年八月には日本の血友病患者の団体からも、「濃縮製剤による治療を後退させてクリオなどに戻ることのないよう」との要望書が厚生省に提出された。このことは、当時の濃縮製剤治療の重要性が動かしがたいものであったことを示している。
以上のような経過、特に、研究班開催後、わが国にエイズ患者がいないこと、血友病治療を変える理由のないこと、当初フランスにおいて米国からの血液製剤輸入禁止かという情報があったのが誤報であることが判明したことなどから、一九八三年秋頃には、危機感は急速に薄れていっていた。
六 その後、メーカーの加熱製剤開発の仕事は順調に進み、一九八三年一一月には、厚生省においても、できるだけ早期の製造承認を念頭に置いての治験についての説明会を開催にするに至った。そして、その結果、一九八四年に入って間もなく加熱製剤の治験が開始されたのである。
一九八四年三月の年度末には、エイズ研究班における最終報告をが行われた。ここにおいて、結論として研究班では、濃縮製剤による血友病治療の重要性を改めて確認し、クリオの適応は極めて限られた範囲のものであるということを指摘したのであるが、原告としては、この内容はすでに前述の第一回の血液製剤小委員会における議論で認識したとおりのことにすぎなかった。
したがって、この時点で、原告としては、研究班の結論には特別の印象もなく、一刻も早く、加熱製剤が承認され、安全な使用が行われることを期待するだけであった。
七 原告は、前述のとおり、一九八四年の七月からは生物製剤課課長の職を離れ、 それ以後はこの血液製剤の問題に関与することは全くなかった。
八 以上の通り、原告は、他に先駆けて、血液製剤のエイズ感染の危険の問題の検討に着手し、研究班における検討という方法を実現し、そこでの日本の最高水準の専門家の検討を経て、国内におけるエイズ患者の有無についての調査検討ならびに血液製剤についての検討を行ったものである。
右の検討の内容および結論は、当時の知識および資料の範囲ではまことにやむを得ないものであり、これについて、研究班のメンバーあるいは原告が非難される余地は全くない。