郡 司 氏 の 準 備 書 面(4)
この準備書面は1999年5月17日の第5回公判で提出されたものです。
平成一〇年(ワ)第一八九八三号
損害賠償請求事件
一九九九年五月一七 日
右原告訴訟代理人
弁護士 弘中惇一郎
同 喜多村洋一
同 飯田 正剛
同 坂井 眞
同 加城 千波
東京地方裁判所民事第三六部合議係 御中
準備書面(四)
一 同書面第一の一について
1 本項に関しては特に認否を要する部分はない。被告は、原告が「些細な点について」主張していると言うが、原告はそのような主張をしていない。もとより原告としても、本件が立看板による名誉毀損訴訟である以上、「些細な点」(如何なる点について被告が述べているのか不明だが)についての「学問的ないし専門的論争」などなすべきでない旨、当初より本件訴訟の進行について述べてきたところである。
ところで、被告が自ら立看板の内容は主として東京地裁所見(以下「所見」という)によったと言うのであるならば、まず、本件で間題となっている立看板のどの部分が所見のどの部分と同一であるのかを具体的に特定すべきである。
そして、立看板の具体的記載が所見の特定の部分と同一であった場合には、「立看板の記載は所見によった」との被告の主張は、記載事実が仮に真実でないとしてもそう信じるにつき相当であったかどうかの問題に関する限り意味がある。しかしその場合であっても、真実性立証については、被告が所見によって立看紋を掲出したのかどうかなどは間題でない。
すなわち、真実性の立証に関する限り、仮に所見の内客と立看板の記載が同一であったとしても、立看板の具体的記述が真実であるかどうかが問題なのであって、真実性立証の対象は論理的には所見の内容ではない。また、当該事実に関する真実性の立証は被告が行なうべき事項である。
2 被告の主張は、立看板の記載が所見によった以上所見の内容自体の真実性が問題になるとしている点において論理的に混乱しており、且つ、その所見の真実性について原告に認否を求めているという点において本末転倒である。端的に言えば、「所見の内容が真実であるのか否か」と言う被告の釈明に答える必要はない。所見の内容一般は認否の対象ではないし、万一所見の内容全体の真実性が問題となるとするならば(そのようなことはあり得ないが)、それは被告も避けるべきであると主張する「いたずらに訴訟を長引かせるもの」で、「学問的ないし専門的論争」となることは明白である。被告の主張は論理一貫していない。
要するに、被告は立看板の掲出を「所見によった」と言うことにより、立看板の内容と所見の内容が同一であることを導くとの誤解のうえに論を進め、さらに、立看板の記載と所見が同一であった場合には所見の内容の真実性が争点になるとしている点で混乱しているのである。その結果被告は、立看板の記載が主観的に所見によったものである以上、まず所見の真実性について原告において認否すべきだと言う論理的に全く混乱した主張をなしているのである。
以上から、被告としてはまず、本件で問題とされている立看板の具体的記載が所見のどの部分と同一であるのかを明らかにするべきである。
3 所見の内容ないし性格についての一般的評価
原告としては以下必要な範囲において所見についても触れることとする。
所見は、民事損害賠償事件において和解を勧めるための説得手段として示されたものでしかなく、そのことが所見の性格を規定している。すなわち、所見では、本件で被告が立看板に記載した「殺人政策」なるものの責任について一切触れていないし(ちなみに血友病患者に対する殺人罪での告訴事件についてはすべて不起訴となっている)、また、所見で示されたのは、和解を勧めるための説得としての行政の抽象的な「責任」についてでしかない。要するに所見は具体的な法的責任を述べたものでもなく、証拠に基づく事実認定でもなく、まして個人的な責任については一切言及していないのである。
所見において基本的に欠落しているのは、血友病治療における非加熱濃縮製剤の必要性と非加熱濃縮製剤に関する危険性との間の、メリットとデメリットのバランスを考えると言う姿勢である。これは所見が被告側を説得するための言辞に過ぎず、証拠に基づく事実の評価ではないためである。このバランスの問題は、時期を特定して議論する必要がある。すなわち、時期を特定しなければ、一方で血友病治療において非加熱濃縮製剤のほかに採用し得る薬剤があったのか否かも確定できないし、他方で時間的経過に従って高まっていった危険性認識についても正確な評価が困難になるからである。
要するに、この問題を論ずるに当たっては、
ある特定の時期を前提として、
@非加熱濃縮製剤の血友病治療における有用性、
A非加熱濃縮製剤によるエイズ原因ウィルス感染の危険性、同ウィルスによる感染率、エイズの発症率、及びエイズの病状(ないし致死率)についての医学的知見、
を確定し、そのうえで両者のバランスを議論しなければ、科学的な結論を導くことは不可能なのである。
ニ 同書面第一のニの1について
被告の「本件審理において重要なことは、本件立看板が何を訴えようとしたか、それが原告の名誉を毀損するか、である」との主張は争う。
本件訴訟で問題となるのは、本件立看板に記載された内容が原告の名誉を毀損し、または、原告を侮辱したか否かであって、「何を訴えようとしたか」などと言う被告の内心の意思など問題とされてはいない。被告は、ことさらに「立看板が・・・訴えようとしたか」として立看板を主語にすることによってその趣旨をぼかしているが、立看板自身が記載された事実を超えて何かを訴えようとするなどということはないのであって、「訴えようとする」主体は被告以外あり得ない。そして、名誉毀損訴訟で問題となるのは 、掲出された内容について一般的な読者がそれをどのように理解するかと言うことであって、掲出内容について被告が主観的に「何を訴えようとしたか」などは問題ではない(仮に問題となるとしても、それはあくまで違法性の程度に関わる「情状」面においてでしかない)。
従って、被告が何を訴えようとしたのかではなく、立看枚に掲出された記載が原告の名誉を毀損したのか、または、侮辱したのかが問題なのである。その意味で、「問題の本質をずらそうとしている」のは被告である。
三 同書面第一のニの2について
1 本件においては、被告の立看板によって問題とされた原告の行為は一九八三年当時のものであるのに対し、本件立看阪が掲出されたのは一九九七ないし一九九八年であり、その点において時間的に極めて大きな隔たりが存する。そして、その時間的隔たりの前後においては、エイズの発症率、工イズの致死率、エイズの原因が何であるのか(問題の時期にはまだHIVとして同定されていなかったのであり、その事実こそ知見の隔たりを如実に示している)、工イズ原因ウイルスの感染力などについて、その知見に大きな隔たりが存在するのである。
危険性の認識に関して、そのような大きな隔たりが存在するにもかかわらず、その点に触れることなく、一九九七ないし一九九八年の時点で、立看板に、「殺人政策」であるとか、「郡司氏は血液製剤の危険性を熟知し、死に至る病・エイズの感染を防ぐ方法があったにもかかわらず、当の血友病患者には危険性を一切知らせずに囲い込んで、1800人以上もの血友病患者を死に至らしめる道をあえて選択し執行したのだ」であるとか、「郡司氏は、・・・極めて早い時機に非加熱製剤によるエイズ感染の危険性を十分承知していた。しかし氏は、終始一貫して、非加熱製剤の使用を推進した」などと記載して掲出することは、立看板の読者にとっては、掲出当時の知見を前提として、一九八三年当時から原告が危険性を認識していたとの不当な評価を導くことになる。
2 被告は、「その後に分かった具体的危険性の内容まで原告が知っていたことはそもそもあり得ないのであって、立看板の趣旨がそのようなものでないことは明らか」と主張するが、本件で問題となっているのはそのような論理の問題ではない。立看板に掲出された記載を、掲出時に一般の読者が見て、「危険性」の認識についてどのように理解するかと言うことが問題なのである。したがって、被告の右主張は問題のすり替えである。
3 所見には、被告の言う@ないしEの記述があることは事実であるが、そのことが具体的にどのようなレベルの危険性を意味しているのかは所見では明確にされていない。その意味で、「危険性」については所見によって記載した旨被告が主張しても、その内容は一義的に決定されることにはならないのである。そのうえ、立看板は所見自体ではないだから、所見の内容を被告がいくら引用しても無意味である。
なお、被告は引用していないが、所見では右の記述に続いて原告の法的責任については何ら指摘していないし、むしろ原告に関しては「情報収集に努めていた」等の記載が存するのであって、原告の積極的な姿勢が記述されているとさえ言えるのである。
4 要するに、危険性に関して問題となるのは、立看板の記載が客観的にどのような内容と理解されるのか、そしてそれは真実であるのか、仮に真実でないとしてもそう信ずるにつき相当であったのかと言うことである。被告の主張は単に「所見によった」と言うのみで、何ら相当性の主張になっていない。そもそも前述のとおり、「所見」は、裁判官が具体的な係争事件について和解をまとめるための一方に対する説得のための言辞に過ぎない。したがって、「所見」から具体的な事実認識を得ることなどできるはずのないことである。まして、被告の行なったのは、「所見」の内容ともかけ離れて、せいぜい「所見」の字句から勝手にあれこれの事実を想像したに過ぎないものである。
以上のとおり、被告の行なった本件不法行為(名誉毀損・侮辱行為)のきっかけが「所見」であったとしても、そのことから相当性の存在を導くことなどできるはずがないのである。
四 同書面第一のニの3について
被告は、「『エイズ患者』と『HIVに感染したもの』が学問的に違うかどうかは、本件審理では全く関係ない問題である。」と主張する。しかしこのような主張こそ、本件の本質に関する無理解を示すものである。
本件で問題となっている危険性の認識は、エイズ原因ウイルス感染者の発症率と発症者(すなわちエイズ患者)の致死率如何こそが問題となるのであるから、「エイズ患者」と「HIV感染者」の区別は極めて重要なのである。被告は、感染者の発症率がきわめて高いという現時点でのエイズまたはHIVに関する知見を前提とするからこのような乱暴な主張をすることができるのであって、一九八三ないし一九八四年当時の発症率は限りなくゼロに近いという知見を前提とする限り、このような乱暴な主張をすることはできるはずがないのである。
要するに、被告の右主張は、本書面第一項において記載した「時期の問題」の重要性に関する被告の無理解を示すものでしかない。
五 同書面第一のニの4について
本項における被告の主張は論理の態をなしていない。
まず、「報告症例が次第に増加していたと言う事実は、偶発的な混入ではないと考えられたからこそ、ハイリスクドナーの排除等の勧告が相次いで出されたのである。」との記述(七頁四ないし七行目)は、そもそも日本語として意味不明である。
被告は、「トラベノール社のエイズ汚染製剤輸人事件」なるもので、本件名誉毀損・侮辱事件に関し、一体何を主張したいのか。被告は「偶発的でない」とか「氷山の一角」であるなどと記載するのみでなく、そのことと本件立看板の記載とどう関係するのか、そしてそれが真実性立証の問題なのか、相当性立証の問題なのかを具体的かつ明確に主張するべきである。
なお、原告は訴状の段階から、自らは非加熱製剤の問題について早くから危機感を持ち、できる限りの手段を尽くした旨主張しているところである(訴状三頁)。
六 同書面第一の二の5について
1 本項の被告の主張は論理の熊をなしていない。
被告は、準備書面(一)の一八頁Fにおいて、「郡司氏は日本での使用を認可せず、臨床試験が必要だとした」と主張しているのである。被告は、「立看板が、原告が承認権限を有していることを前提として、『日本での使用を認可せず、臨床試験が必要だとした』と言っているのでないことは明らかである。」と言うが、一体何故「明らか」なのか。
2 「我が国の官僚システム・・・システムになっていた。だからこそ、立看板は『日本での使用を認可せず』と記載したのである」との記載は、被告独自の主張を前提としていることは措くとしても、何故に「だからこそ」となるのか、何故にその結論として「『日本での使用を認可せず』と記載したのである」と繋がるのか、全く論理が不明である。
それに引き続いて記載されている所見に関わる記述は、右の論点に関してどのような意味で記載されているのか不明である。一体、所見にそのような記載があることと、本件訴訟における右の論点とどういう関連があるのか。
3 非加熱製剤の使用中止・加熱製剤への切り替えの問題に関し、被告はいきなり「所見が・・・」と記載するが、本件で問題とされているのは立看板の記載内容であり、所見自体ではないことを被告は理解するべきである。
4 テープの内容に関する主張は、被告の記載によっても、「・・・西ドイツあるいはイギリスあたりが輸入をストップするというような事態、これはまずないと思いますけれども、もしそういうことになると、」とされており、原告の主張するところと何ら矛盾しない。
七 同書面第一の二の6について
本項で問題となっているのは、被告準備書面(一)の一八頁のGで、被告が立看板に記載した事項を明らかにしたことに対して、原告が準備書面(二)第八項において、右の被告の主張は「知らせるべき事実がある」事と「原告がそれを知らせるべき立場にあった」事を前提にしたものと理解されるが、そのような主張は事実に反すると反論した点である。
被告はこれに対し、いきなり、「所見は・・・・」と反論するが、本件で問題とされているのは立看板の記載であって所見ではない。被告はこのことをまずしっかりと理解されたい。
仮に被告が立看板を掲出するに当たって所見によったとしても、問題となっている立看板の記載は所見には全く存在しないものである。その記載が本件訴訟では原告に対する名誉毀損ないし侮辱に当たるとして争われているのであるから、「所見にはこう記載してある」であるとか「本件立看板を非難する前に、所見を批判すべきである。」などと言う主張は、本件訴訟における被告の主張としては全く論理の態をなしていないものと言わなければならない。
なお、被告が本項で引用する所見の内容の主語は、「厚生大臣」であって原告ではない。この点においても被告は問題をすりかえている。
八 同書面第二について
被告は本件における争点を混乱させるような主張をなすべきでない。
立看板には「ワイロ」との記載が存するのみであって、被告が準備書面(二)の六ないし八頁で詳述したと称する「意味内容」は立看板には記載がない。
名誉毀損においては、通常の読者(本件では立看板を見た一般の人)が、どのように思うかが問題であり、書き手の主観は問題にならない。例えば、「ドロボー」は「物を大事に扱わない人」などと勝手に別に意味を決めて、他人を「ドロボー」呼ばわりすることが許されるはずがないのである。本件でも、「賄賂」と「ワイロ」とが全く別の意味であるなどと一般の人が思うはずがなく、ただ、「賄賂」というのは難しい漢字だからカタカナを用いたのだろうと思うのが普通である。
本書面第一の二で述べたとおり、本件で問題となるのは立看板上に客観的に存在する記載であって、それによって被告が主観的に「何を訴えようとしたか」などと言うことではないのである。
第二 求釈明
一 被告は東大職連が実在し、被告が東大職連の構成員であることは否定しないが、本件立看板の掲出主体は東大職連であって被告ではないと主張する(答弁書三ないし五頁)。
二 原告としては、準備書面(三)において主張したとおり、
第一に、被告が東大職連名義で本件各立看板を掲出したと主張し
第二に、仮にそうでないとしても、被告が東大職連の一構成員として本件各立看板を掲出した以上、その掲出行為について不法行為責任を問うものである。
従って、東大職連が「交渉団体として認知されていたか否か」は、被告の責任との関連で論ずる意義はないと考えるものである。仮に東大職連が法人格なき社団の実体を有するとしても、団体が社団の実体を有することを理由として、その構成員としての行為が免責される理由は存しない。被告としても、法人格なき社団の構成員の行為は免責されると考えるものではないはずである。
三 そこで原告としては、右の点に間する被告の主張に関し、左の事項について釈明を求める。
1 被告は本件各立看板掲出に関与していないと主張するのか。
2 仮に実行に関与していないのならばなぜ被告が本件立看板で連絡責任者となっているのか。
3 東大職連の、
@代表者
A構成員の人数と名称
B事務所所在地
C構成員に関する規約
D財政に関する規約
の各事項は如何なるものか。