病院を変える

 看護婦の力を引き出す

2001年8月5日 朝日新聞 朝刊(社説)


 出雲市にある島根県立中央病院は、入院ベッドが並ぶ各階に「あゆみ」「やすらぎ」「ほのぼの」といった病棟名がついている。小児科、産婦人科といった診療科ごとに分けていないからである。

 入院ベッドの管理は各病棟の看護婦長が責任を持つ。入院の決定や退院許可をするのは医師だが、入退院日は家族の事情などをよく知る看護陣が決める。

 病室に掲げてあった名札をプライバシーを守るために撤去した。「不便になる」という職員もいたが、患者の要望を重んじる看護婦の声が通った。面会時間の制限を取り払ったのも、看護婦の発案による。

● まかり通る「医師中心」

 看護婦中心の病棟管理は、「病院の顔は看護婦である」が持論の前院長、瀬戸山元一さんの主導で実現した。

 瀬戸山さんは37歳で京都府の舞鶴市民病院長になり、赤字経営を黒字に変えた。その実績を島根県知事に見込まれて92年、中央病院を任された。47歳だった。

 着任の日に見た病院はひどかった。ゴミが落ちている。廊下に物が積んである。トイレのにおいが鼻を突く。

 現院長の中川正久さんは、93年に島根医大から赴任した。「あのころは病院全体のチーム医療ができないどころか、外科の中でさえばらばらだった」と語る。

 同じ手術でも、医師によって使う道具が違う。病院所有の顕微鏡なのに、他人が勝手に使ったと怒る医師がいる。手術にお気に入りの看護婦をつける慣行もあった。

 一国一城の主(あるじ)のような医師たちがただ同じ所にいる。そんな病院が日本には多い。

● 意思決定のルール作り

 舞鶴時代に経営手法や法律を独学した瀬戸山さんは、着任して真っ先に病院の医療方針を決めた。「地域から信頼され、患者さんと医療職員の人と人、心と心のふれ合いのある、患者さんサイド、県民サイドの医療の実践」というものだ。

 次に、病院の意思決定の場として管理会議を設けた。医師向け、看護婦向けの勉強会を毎週開き、管理会議が唯一の決定機関であることを何度も念押しした。

 着任2年目に組織改革をした。医療局と事務局、そして格下の看護部という2局1部体制から、医療局、看護局、事務局、それに薬剤師や放射線技師らを統括する医療技術局の4局体制に改めた。

 米国では医師と看護婦は同等で、看護婦が独立して診察や治療をすることも当たり前になっている。しかし、日本では長年、看護婦は医師の指示に従って働くよう教育されてきた。看護大学や大学院ができ、看護婦の地位は上がってきたものの、根深い男尊女卑意識とあいまって変化は遅い。

 中央病院でも看護部の格上げには抵抗があった。だが、瀬戸山さんは「県民サイドの医療の実践に必要だ」と説得した。医師たちは反論できなかった。

 99年8月、新病院がオープンした。電子カルテを全面的に採用し、書類の写し間違いや連絡忘れといったミスがなくなった。検査結果のグラフなどがすぐに画面に出るので、患者への説明も容易になった。

 患者中心の病院を実現するためには、看護婦が患者の代弁者にならなければだめだ、と瀬戸山さんは繰り返した。

 看護局長の川合政恵さんは、その意味が今になって実感できるという。「患者さんが困っていても、以前は何ともできなかった。今なら管理会議で提案し、病院の対応を変えていくことができます」

 「最初は大丈夫かなと危なっかしく思いましたが、看護局も医療局も見事に期待にこたえた。ただ、緩めると元に戻ってしまうから、大事なことは言い続けないといけません」と中川院長は気を引き締める。

● 自治体の責務は重い

 全国の自治体病院は1000を超す。

 医師の人事は大学の医局に握られ、事務局の人事は自治体に握られる。経営や管理についての知識も経験もない人が、長年医師をやっているというだけの理由で院長になる。しかも、自治体の首長は医療の内容には関心がない。

 これが大半の自治体病院の姿だ。

 しかし、改革が不可能でないことを瀬戸山さんは示した。後に続く病院が増えるかどうか。自治体の意欲が試される。


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