東 大 変 貌
| 上 | 「知の工場」再生へ工学総研 | 2001年4月3日 |
| 下 | 新会社から人材流動化 | 2001年4月4日 |
日経産業新聞 連載:テクノロジー超克
「知の工場」再生へ工学総研
細分化する研究を 俯瞰
産業界・NPOと 連携
学科や専攻超えて 協調
技術立国を研究教育面から支えてきた東京大学が自らの殻を破り始めた。大学教育の頂点に立つ自信と誇りは、堅固な官僚システムや大企業の経営体制を支配し、時に国の産業政策をけん引してきた。ここにきて国立大学の法人化論議やグローバルな大学間競争に刺激され、企業や他大学、非営利法人との連携も視野に入れて知のアンテナを研ぎ澄ます。東大の変貌(ぼう)は、日本企業が閉塞状況から抜け出す突破口を開くのか。
本郷で来春発足
東大工学部で今、「東大総研(仮称)」の開設計画が進行中だ。本郷キャンパス(東京・文京)にある工学部総合試験場を改組し、2002年4月にも発足させる。延べ床面積約9千平方メートルの7階建てビルの各所で改装が進む。日本の超高層ビルの走りとなった「霞が関ビル」建設時に使った歴史ある設備も廃棄され、新時代に臨む東大の意気込みを感じさせる。
東大工学部は教授から大学院生まで約3千人の研究者を抱える日本最大の工学研究機関でもある。この資源をどう使いこなしていくか。壮大な実験場となるのが東大総研だ。掲げるのは「知識の構造化」。工学部に連なる知識の全貌をとらえ、時代の変化に対応したプロジェクトごとに再編していく。キーワードは「俯瞰(ふかん)」「連携」「協調」という三つの新しい工学。今月から一部研究を立ち上げた。
工学部の研究領域はますます細分化し、部内の研究者ですら全体が見えにくくなっている。俯瞰工学は、これをどうやったら把握できるかという研究から始める。「自分たちが持つ知識もまとめられずに複雑な社会問題を解決できるわけがない」。担当の松島克守教授は力を込める。
専門領域を掘り下げても、それが全体の中でどんな意味を持つかがわからなければ、タコツボにはまるだけだ。部分を押さえながら同時に全体を理解し、知のリーダーシップを取るのが俯瞰工学の狙いだ。
連携工学は産学協同型。「失敗学」が最初のテーマだ。3月末で退官した畑村洋太郎教授が機械設計の失敗例を企業から集め、失敗の定義や種類、生かし方などを研究してきた。原発事故や食品衛生事故など事例には事欠かない。「事故や不祥事で本質が隠ぺいされがちな失敗知識を生かせば、日本企業の閉そく感を破る可能性を秘めている」(畑村氏)
若手の中尾政之教授が研究を引き継ぎ、「今後は失敗を生かせる教育づくりに挑む」。畑村氏がコーディネーター役を務める文部科学省の失敗知識活用研究会(会長・佐藤文夫東芝相談役)とも協力する見込み。任期を限って企業から教官を招へいしたり、NPOとの連携も模索する。
学科や専攻を超えた研究を目指すのは協調工学だ。ナノテクノロジー(超微細技術)のように半導体からバイオなど様々な分野に通じる基盤技術が登場し、学内だけでもナノテクの研究が同時にいくつも走っている。これらの研究が協調し合えば、今まで以上に大きな成果が生まれる可能性が大きい。造船や鉄、半導体――。東大は、日本が「モノづくり大国」になるための知識生産工場として機能してきた。先を走る欧米をとらえようという競争意識が国の産業政策と合致し、最大の効果を発揮してきた時代でもあった。ところが情報技術(IT)やバイオなど21世紀の新技術は、官の描くシナリオを待っていては遅い。
国境超え競争
そもそも国立大の自主・自立性が高まる法人化に東大が踏み切れば、官のシナリオに頼るわけにもいかない。東大総研は「視野が狭くても深い目と浅くても広い目を組み合わせ、社会の要請を俊敏にキャッチする」(松島教授)。東大自らが方向性を決めるアンテナの役割を果たす。
国境を超えた大学間の競争も東大に変貌を迫る。三菱化学は2月、米カリフォルニア大サンタバーバラ校(UCSB)と先端的な機能材料の研究開発で包括提携すると発表した。企業がこのまま次々と先端研究のパートナーに海外の大学を選べば、「日本の大学は知の辺境になってしまう」(小宮山宏工学部長)という危機感が東大のプライドを刺激する。
米スタンフォード大やマサチューセッツ工科大(MIT)がインターネットを駆使した研究教育を強化する動きもあり、日本にいる学生まで奪われかねない。世界の大学教育をランキングするザ・グルマンリポート(97年版)でも米国以外の大学では東大はようやく43位に顔を出す。経団連副会長を務める金井務日立製作所会長は自身も東大工学部出身だが、「産業界はもちろん省庁と比べても大学の変革のスピードが遅い」と苦言を呈す。
法人化に備え
チャンスはある。三菱化学のジョージ・ステファノポーラス最高技術責任者(CTO)はUCSBとの提携発表直後、小宮山工学部長を訪ね「東大にも包括的な研究協力をお願いしたい」と2時間にわたって申し入れた。今は企業からの複雑な要求に応える受け皿がないだけで、東大の知識への期待は熱い。
国立大の枠組みの中では、東大総研は本体から離れた出島のような組織とならざるを得ない。そこからしか変革に取り組めないという限界も示す。しかし東大総研で多様な連携の成果を蓄積すれば、法人に移行した時に一気に変革を進めるノウハウとなる。新時代の「知の工場」再生に向けて、東大の助走が始まった。
(田中博文)
社会との関連 調整機能担う
小宮山宏・東大工学部長の話
「現代社会の課題や商品は、かつてとは比較にならないほど複雑になっている。諌早湾の干拓問題でも水門を開いたらどうなるか完ぺきに説明できる人はいないし、携帯電話の部品も昔のトランジスタラジオの数十万倍になっているのではないか。一方で専門の細分化によって一人一人が対処できる研究領域は狭くなっている」
「知識を構造化できれば、工学と社会学に東日本旅客鉄道やソニーのような企業のアイデアを結びつける連携もやりやすくなる。今まで産学連携がなかなか実を結ばなかったのはそういう調整機能が欠落していたからだ。工学部がそうした機能づくりに率先して取り組み、理学や医学、経済学、法律学にも知識の構造化をつなげたい」
2001年4月4日 日経産業新聞
先端研、新たな挑戦
成果連動型「給与」持ち込む
寄付金を配分
現在の国立大では難しい成果連動型の給与制度――。東京大学の先端科学技術研究センター(東京・目黒)の教官十数人が出資し、16日にも研究者の処遇に市場原理を反映させる新会社を設立する。
新会社は「先端科学技術エンタープライズ」(ASTEC、東京・千代田、若林拓朗社長)。資本金は1000万円。当初は教授らがベンチャーを起業する際の支援をするほか、総務や経理などの事務も請け負う。いわば東大版「インキュベーター(ふ化器)」だが、ASTECの真の狙いは、市場二ーズに沿った株式会社の論理や思考を東大に持ち込むことにある。
まず東大の研究成果を求める企業から新会社に寄付を集め、その資金を成果に応じて研究者に配分する。講座資金を外部が負担する寄付講座を活用できないか検討している。「国立大の枠ではできないことも、会社組織を介在させれば可能なことが増えてきた」(岡部洋一・先端研センター教授=前センター長)
新しい挑戦を軌道に乗せるため、大胆な人材起用にも踏み切った。社長となる若林氏は34歳。これまでリクルートでインターネットベンチャーなどへの投資事業を手がけた。「年収は大幅に減る」(若林氏)が、東大を舞台に「この会社でしかできない事業を目指す」と力を込める。
東大内部に成果連動型の給与を導入できれば、優れた研究者を外部から招へいしやすい。うまくメリハリをつければ、大学の研究では成果を生み出せなくなった研究者が民間に新天地を求めるきっかけを作れるかもしれない。新会社の経営を通じて人材流動化の仕掛けを埋め込み、研究組織を撹拌(かくはん)、活性化しようとしている。
基礎研究に刺激
先端研でASTEC設立の検討に着手したのは昨年9月。1998年、先端研の教官有志が中心になって設立した東大の技術移転機関(TLO)である先端科学技術インキュベーションセンター(CASTI、東京・千代田、山本貴史社長)によって技術の外販・流動化は軌道に乗ってきた。この流れを加速させるためにも、ASTEC設立が必要だった。
CASTIが教官の研究成果をもとに手がけた特許は200件を超える。企業などへのライセンス供与の実績も昨年12月時点で10件、今年3月には13件まで増えた。他の国立大のTLOの不調が指摘される折、公的助成金なしでも3年後の黒字化が見えてきたという。
| 学部名 | 技術移転先の 調査段階に |
出願準備中 | 総計 |
| 工学部 | 50 | 19 | 69 |
| 先端科学技術 研究センター |
40 | 12 | 52 |
| 医科学研究所 | 11 | 6 | 17 |
| 医 学 部 | 11 | 4 | 15 |
| 分子細胞生物学 研究所 |
7 | 2 | 9 |
| 新領域創成科学 研究科 |
1 | 2 | 3 |
| 理 学 部 | 1 | 2 | 3 |
| 農 学 部 | 0 | 3 | 3 |
| 薬 学 部 | 0 | 5 | 5 |
| そ の 他 | 1 | 8 | 9 |
| 東 大 以 外 | 11 | 9 | 20 |
| 総 計 | 133 | 72 | 205 |
「自分でベンチャーを始めたい」という教官や大学院生も出てきた。まだ小さな芽に過ぎないが、うまく花を開かせることができれば、米スタンフォード大学を中心としたシリコンバレー・モデルを日本に移植できるかもしれない。
これまで大学が基礎研究で成果を生み出し、それを企業が応用するリニア(直線)型の関係が多かった。東大の軽部征夫国際・産学共同研究センター教授は「今は大学研究者がビジネスを通じて基礎研究にも刺激を受けるスパイラル(渦巻き)型になった」と語る。東大の研究力を一段と高めるためにも、人材流動化は避けて通れない。
先端研の前身は東大宇宙航空研究所。81年、旧文部省が直轄研究所に組み込んだ際、一部教官が激しく抵抗。文部省は渋々87年に直轄組織とは研究対象を別にする条件で現在の先端研発足を認めたとされる。
工学部を中心に理学部、経済学部などからも多様な研究者を集める。その上で在籍は原則10年という東大の中では斬新な任期制を取り入れ、学内流動化を実践してきた。「先端研に来ると自分の学科にいたときに東大スタンダードだと信じていた常識が覆され、殻がパーンと破れてしまう」(岡部教授)
先端研自体が官と一線を画し異種混合の研究文化の中で育ったことで、「本郷キャンパス(東京・文京)に比べてフラットな組織で、実質的な議論をする」(南谷崇センター長)という独特な教授会の文化が醸成された。
異端の可能性
課題もある。東大は今年度から教官の定年を60歳から段階的に延長し、2013年度には65歳にする。定年延長を決めた昨年の評議会で先端研は「若手の登用や人材流動化を損なう」と反対したが、押し切られてしまった。ASTECを活用し自力で流動化のピッチを速めないと人材の出口が詰まりかねない。
昨年、産業技術力強化法の施行を受けて国立大教官の兼業規制が緩和された。一方で関係業界などの会食などを制限する公務員倫理法も昨年施行され、大学事務官らが教官のベンチャー出資などに今まで以上に慎重な姿勢を取ってASTECにも目を光らす。
定年延長に反対するなど東大の中での“異端研”ともいえる先端研。とんがっているはずの先端が色々な課題にもまれるうちに簡単に丸くなってしまうようでは、東大全体の殻を破ることはできない。ASTECをテコにした市場原理導入への挑戦。その成否から本当の可能性が見えてくる。
(田中博文)
大学の法人化ただ待てない
南谷崇・東大先端科学技術研究センター長の話
「米スタンフォード大学長に昨年9月、ジョン・ヘネシー工学部長が就任してショックを受けた。へネシー氏は一度、半導体のベンチャーを立ち上げ、再び大学に戻って学長になったからだ。今の日本では考えられない。我々のような実学は産業に生かされなければ、本当の成果とは言えない。産業界での生きた経験をもとに研究教育することは大学の活性化にもなる」
「ASTECを設立したのは、大学と産業の結び付きを強化する上で、東大が法人化するのを待っていられないからだ。新会社で試みようとしていることを法人化を待って大学内でやろうとしたら、一体何年かかるかわからない。むしろASTECでどんどん成功例を作り、国立大の法人化全体が良い方向に行くように影響を与えていく」