国立大独立法人化の

スケープゴート?

統廃合必至

 教員養成48大学の戦々恐々

週刊朝日 2000年9月15日号


 各都道府県に必ずあり、教員の供給源になってきた国立の教育大学や教育学部が危機に瀕している。少子化の影響で教員に就職できる卒業生が激減し、その存在意義自体が問われているのだ。文部省は教員養成系大学・学部見直しの懇談会を発足させたが、このままでは統廃合は必至の情勢だ―。


 「今度の懇談会の内容は、かなり生々しいものになるでしょう。全国の教員養成系大学・学部の関係者は戦々恐々ですよ」

 文部省が設置し、8月28日に第1回の会合が開かれた「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会」の座長を務める高倉翔・明海大学学長はそう話す。高倉学長は元筑波大教育学部長で、これまでにも文部省のさまざまな審議会委員を務めてきた。

 文部省がこの懇談会の目的として挙げているのは、「いじめや学力低下など、現在の学校現場が抱える教育課題に対応できる力量がある教員の養成が求められている」ことを踏まえて、「長期的観点に立った国立の教員養成系大学・学部の果たすべき役割やその組織、体制の在り方について指針を示してもらう」というもの。

 しかしこれだけでは、関係者たちが「戦々恐々」となる本当の理由は見えてこない。

 下のグラフをご覧いただきたい。

 これは、各都道府県に一つずつ(新潟は二つ)ある国立の教員養成系大学・学部の教員養成課程卒業生のうち実際に教員になった比率を示したものだが、1980年代初めまでは約7割が小、中、高校の正規教員として就職していた。しかし、教員就職率は下落を続けて、90年代初めには40%を割り、昨年は14%まで落ちた。産休時などの期限付き採用を含めても32%にすぎない。

 個々の大学を見れば、状況はさらに深刻だ。例えば鳥取大学教育地域科学部は、教員養成課程の卒業生130人のうち、正規採用されたのはたった1人。鳴門教育大学では179人中4人だった。

 教員就職率が下がった理由は、少子化に伴い、教員の採用枠自体が減ったことにある。しかし、教員就職率がここまで下がると、西日本のある教育大学教授が言うように、「教員養成系の大学・学部はその名のとおり『教員の養成』を目的として設立され、教員配置の面でも一般の国立大学よりも優遇されている。それなのに、卒業生の大半が教員とならない現状では『税金のムダ遣い』と言われても仕方がない」という内部からの批判も出てくるのだ。

 こうした状況を踏まえて、先の高倉学長はこう話す。「今回の懇談会でも無論、それなりの『着地点』を予測しています。議論の間にいろいろな修正やストップがかかることは当然ありますが、私は『方向性』自体は現時点での予想とはそう変わらないんじゃないかと思っていますよ」

 この「方向性」が、「大学・学部の統廃合」を意味していることは言うまでもない。

 実際、文部省大学課の石井稔・教育大学室長は次のように話す。「今年は、全体の3分の1に当たる16の大学・学部で、教員養成課程の定員が100人以下になっています。これでは各大学への教官も必要最低限しか配置できない。質の高い先生を養成するには、ある程度の規模が必要というのが私たちの考えです。それを実現するには、いくつかの教員養成系大学・学部が合併するしかないでしょう」

師範学校以来の原則が崩壊する

 実は現在の教員養成系大学・学部は、教員養成を目的としつつも、すべての学生に対して教員免許の取得を義務づけてはいない。教員採用枠の減少を踏まえて、87年から文部省の旗振りで、教員免許取得を目的としない「ゼロ免課程」[新課程」と呼ばれる新しい課程を設置してきたからだ。

 ある教育学部のベテラン教官は次のように解説する。「教員採用の枠が大幅に減ることで、将来的に教員養成系の定員削減が問題になることは当時からわかっていた。しかし、文部省は教官や予算を減らしたくはない。それで思いついた窮余の一策が『ゼロ免課程」だったわけです。『ゼロ免課程』をつくることで、大学・学部自体の定員は減らさずに『教員養成課程』の定員は削減することができる。最初は『教員免許を取ってはいけない』という規定だったんですが、学生からクレームが多かったことで『取っても取らなくてもよい』ということになり『新課程』と呼び名が変わった」

 新課程では、「生涯教育」「情報」「環境」「福祉」などの看板を掲げるところが多い。今年度の各教員養成系大学・学部の入学定員を合計すると、教員養成課程の9770人に対して新課程は6210人。新課程の定員が教員養成課程の定員を上回っている学部も珍しくない。「新課程」抜きには教員養成系は成り立たないのが現実だ。

 しかし、文部省は新課程へのシフトにも「待った」をかけようとしている。先の石井室長は言う。
「現状では、同じ教官が教員養成課程と新課程の両方の講義を兼ねていることが多く、どっちつかずになっている。それに『将来の教員を育てる』ことよりも自分の専門分野の研究に熱心な教官も多い。教員養成系大学・学部は『現場で活躍できる教師』を育てることに関心がある教官を集めて教員養成課程に特化すべきで、新課程との併存は望ましくないと考えています」

 各大学・学部の教員養成課程と新課程を分離させたうえで、いくつかの大学・学部の教員養成課程を合併させる。文部省のこの「青写真」が懇談会でも基本的に追認されたとき、どんなことが起きるのか。近畿圏のある教育大学教授はこう話す。
「まず、『1県1養成大学・学部』という旧制師範学校以来の大原則が崩れることは間違いない。『日本全国を8ないし9のブロックに分けるとして、統廃合の結果、生き残る教員養成系大学は1ブロック当たりせいぜい1、2校だろう』と言う人さえいます。いちばん厳しいのは、教員養成課程がなくなり、『新課程』だけが残った学部ですよ」

 実際、秋田大の對馬達雄教授は次のように話す。「私たちは98年度に教育学部から、カリキュラムや教員配置を抜本的に改善した教育文化学部へと改組・改編したばかり。少子化時代に適応した再編がようやくできたのに、文部省がまったく新しい統廃合の話を持ち出してきたことには非常に大きな戸惑いがあります。もしも教員養成課程が分離されてしまえば、『学部の核』ともいうべき部分が失われてしまう」

 教員養成系を襲っているのは、こうした向かい風だけではない。昨年度後半から急浮上した国立大学の独立行政法人化(独法化)が追い打ちをかけている。独法化は国立大学を国の直轄運営から切り離して自発的な経営を促そうとするものだが、これに伴い、国立大の統廃合は必至で、すでに山梨大と山梨医大の統合などの検討が始まっている。

血を流す国立大世間にアピール

 教員養成系の大学・学部は前述したような状況に置かれていることから、独法化が浮上した当初から、統廃合の対象として噂されていた。関係者の間では、
「中国地方でも島根、鳥取、山口の各大学は危ない」(中国地方の教育学部教授)
「京都教育大と奈良教育大が大阪教育大に吸収合併されるのは時間の問題」(近畿地方の教育学部教授)などの声もすでに飛び交っているのだ。

 先の近畿圏の教育大学教授は次のように話す。「『新課程だけ残った学部同士で合併して新しい教養中心の大学をつくろう』という『ガラガラポン』的な案もありますが、魅力的なセールスポイントを打ち出せるのか疑問です。最悪の場合、教官は他学部に吸収されて学部自体は解体ということになりかねない」

 もしも教員養成系が全国のブロックごとに1、2校という事態になれば、2学部か3学部しか持たない地方大学の場合、教育学部がなくなると、大学自体の統廃合が浮上してくる可能性もある。

 ただし、「1県1養成大学・学部」という原則を崩すことに対しては、各大学からのみならず、自治体からの激しい抵抗も予想される。文部省側も、「大きな木を何本か残すのか。それとも小さな木を48本残すのか。それは懇談会の結論次第」と話す。
 
 それにしても文部省はなぜ、これまでの「教員養成課程から新課程へのシフト」という方針を覆してまで、「統廃合」の険しい山を登ろうとしているのか。

 ある関係者はこう語す。「文部省は、今回の教員養成系大学・学部の再編を、来るべき国立大学の独立法人化と再編に向けてのテストケース、突破口にしようとしているのではないでしょうか。教員養成系大学・学部はもともと規模も小さいうえに、前身が師範学校だったことから他の学部と比べて軽く見られがちで発言力も弱い。格好の『スケープゴート』というわけですよ。実際に統廃合の方針が決まれば『国立大学も血を流している』ということをアピールできますしね」

本誌・太田啓之 


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