<閑話休題>

東日本大震災の被災地ボランティアに参加

報告者:電磁波問題市民研究会・事務局長

 2013年2月中旬、岩手県の被災地ボランティアに行って来ました。今回で3回目になります。行ってきたのは釜石市と陸前高田市です。前2回と同様、岩手県遠野市に拠点をもつ、「遠野まごころネット」のボランティアとして参加しました。

釜石では仮設住宅の雪かき作業
 最初の活動は釜石市。新日鉄釜石製鉄所のある市です。現在は、新日鉄と住金が合併し、「新日鉄住金釜石製鉄所」という、長たらしい名称になっていました。釜石市の箱崎半島にある、箱崎町の仮設住宅の雪かきが任務でした。仮設住宅は2年間限定の仮の住宅なのですが、被災地復興が遅々として進まないため、まだ仮設住宅の7割に避難民が暮らしています。避難民の多くは身寄りのないお年寄りです。男女比率としては、女性が多い感じです。子どもが小さい若い夫婦は、子どもの教育のため新天地に移って行きますが、60代以上のお年寄りには、住宅ローンを組んで一からやり直す元気はありません。
 阪神大震災の時もそうでしたが、体育館で共同避難生活をしている時は、周りの人と話ができていいのですが、仮設住宅に移ると孤独な生活が待っており、自殺者が増えます。多くの被災者にとっては、体育館生活より仮設住宅が願いであるのは確かですが、それだけでは解決しない、様々な要因が被災地にはあります。行政の対応は画一的なため、一人暮らしの老人をどうケアしていくかという視点が、どうしても弱くなります。ボランティアが、その溝を埋めている側面は大きいのです。
 仮設住宅周辺の雪かきが任務でした。お年寄りには雪かきはしんどい作業です。雪が凍りつくと、雪の放射冷熱でただでも寒い仮設住宅の暮らしは一層厳しさが増します。そこで雪かきボランティアの出番なのです。
 新雪の雪かきは効率が良く、けっこう楽しいのですが、仮設住宅北側に凍り積もった雪をかくのは結構ハードです。集めた雪を小さな川(側溝といったほうがふさわしいが)まで運ぶのも、けっこうな仕事です。頭に白いものが混じるおっさんが、黙々と雪かきをしているのがうれしかったのか、仮設住宅に住む80歳位のおばあさんが、こっそりオロナミンCを差し入れしてくれました。おばあさんの精一杯のもてなしなので、ありがたくいただきました。

陸前高田でカキ稚貝の間引き作業
 次の活動地は陸前高田市で、小友浦(おともうら)という漁港での作業手伝いでした。リアス式の三陸海岸はカキ養殖が盛んです。それが大津波で壊滅状態となりました。カキは成長するまで3年かかります。ホタテ貝の貝殻を綱と針金で繋ぎ、沖に設置した筏から海に吊るし1年寝かせます。1年後に陸揚げすると、ホタテの貝殻にびっしりカキの稚貝やフジツボがつきます。この状態では売り物になる大きなカキは育たないので、フジツボや小さめな稚貝を削りとる、間引きが必要です。その後、間引き後の稚貝がついたホタテ貝殻を再び綱と針金で繋ぎ、筏から吊るし2年後に引き上げると大きなカキが獲れます。
 私たちが手伝ったのは、間引き作業でした。本格的な作業場は津波で流されたため、急遽建てられたテント内で、漁港のおばちゃんたちと作業しました。はじめは要領がわからないので悪戦苦闘です。ハンマー鮫の形をした特殊なハンマーで、ホタテ貝殻から稚貝やフジツボを叩きはがすのですが、これがけっこう力が要り、手強い。相当強く叩いてもホタテ貝殻は割れませんが、稚貝やフジツボもこびりついて取れません。その作業を100個も200個も休みなく続けると、終いには手と腰が痛くなります。やっと100個ほど作業を終えほっとすると、漁師のおじさんが、未処理のホタテ貝殻をどさっと作業台に載せます。そのうち要領が作業効率も良くなりました。午後の作業の途中でおばさんがにっこり笑って、「ありがとう、助かった。お茶でも飲みな」と声をかけてくれました。大人にほめられた幼稚園児のような気分で、出されたお茶をおいしくいただきました。

津波てんてんこ
 「最近の若いもんには困ったものだ」は、いつの時代でも中年以上の世代の口癖ですが、必ずしもそうではありません。ボランティアに参加する大学生たちは、どの子も献身的に働いていて見直しました。
 現地で教わった言葉が「津波てんてんこ」です。津波がきたら、家族や周りの人にかまわず、てんでんばらばらに高台に逃げろ、という教訓です。「動けない老人をなんとか助けよう」とか「自分のことはさておいて周りの人を助けよう」という“美談”じみた考えは、ここでは通用しません。津波は大波や高潮と違って、じわじわと押し寄せます。しかし、圧力は高潮と較べものにならず、35センチの高さの津波で人は立っていられません。とにかく、自分一人の判断で逃げるのが最前なのです。
 ボランティアのリーダーが言いました。「学校ならば、高学年からとにかく走って逃げさせる。高学年生が低学年生の面倒をみていたら、共倒れするだけだ」。先生の指示を待つのは最悪だという。“平和”な地域でなく、肉親や友人・知人を現実に失った人たちの教訓だけに、耳を傾けざるをえません。
 とにかく復興はあまりすすんでいません。仮設住宅の生活がいつまで続くのか、地元の人々は不安を抱いています。福島や津波被災地の現状を放置する、社会の「風化」は許されないと強く思いました。


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