中部電力碧南火力送電線ル−ト中止

7年間に及ぶ送電線反対運動が実を結ぶ

□用地確保できず断念
 前号で「碧南火力送電線ル−ト中止」の速報を紹介しましたが、地元の「碧南火力超高圧送電線建設反対協議会」の松井宏則会長から詳しい資料がその後届きましたので続報です。
 中部電力は中止理由として(1)送電線用地が地権者の了解が得られないため、用地確保が困難なこと、(2)長引く景気低迷や省エネルギ−の進展により電力需要が伸び悩んでいること、(3)電力自由化により競争に打ち勝つには経営効率化とコストダウンが必要なこと、の3点をあげています。そのとおりですが、もし住民反対運動がなければ送電線は建設されていたでしょうし、結局反対運動のため建設が足踏みしていたところ電力会社を取り巻く経営環境が悪化し中止を決断せざるを得なくなったのです。その意味で粘り強い反対運動の成果であることは間違いありません。

□これまでの経緯

平成8年(1996年)10月 中部電力が吉良町に碧南火力線建設を申し入れてきた。住民側はこの情報を入手するや否や、直ちに「碧南火力超高圧送電線建設反対協議会」を発起人8名で設立。設立後毎月第2土曜日の例会はその後平成16年1月まで一回も欠かさず開催することになる。

平成9年5月4日 藤田幸雄氏を招き講演会。参加者180名。

平成9年6月7日 吉良町当局と住民側13名で面会し、建設絶対反対を申し入れ。

平成9年8月17日 荻野晃也博士(京都大学)・有泉均氏(山梨大学)らを招き、碧南火力超高圧送電線建設反対協議会・一色町の環境を守る会・幡豆町環境を守る会の合同で講演会開催。そこで「一色、吉良、幡豆、建設反対連絡協議会」を設立。

平成9年9月4日 協議会が吉良町長・吉良町議会議長に対し、反対署名8700余名分を提出。記者会見に報道関係10社が参加しその内容がテレビ、新聞等で放映・掲載された。

平成9年9月26日 松井宏則協議会代表と大竹一哲副代表が奈良県大淀町の送電線反対運動住民と情報交流するため大淀町を訪問。

平成9年9月30日 一色町の環境を守る会が一色町議会に請願書提出し採択さる。また町会議員に定例議会毎にこの問題を一般質問で取り上げるように依頼。

平成9年10月5日 松井代表、吉良町長を表敬訪問。その後表敬訪問は5回におよぶ。

平成9年12月10日 協議会が吉良町議会に建設反対の請願書提出。町議会は建設反対を決議。町議会として通産省に提出する意見書を採択し通産省に提出。

平成9年10年1月6日 この年は特記事項はないが、地道な活動は継続。

平成9年11年11月6日 大阪府門真市の住民反対運動リ−ダ−大西氏に会うため、協議会メンバ−3名と町会議員2名で門真市を訪れる。

平成9年11月11日 吉良町南部送電線ル−ト周辺の住民2400世帯選出の町会議員7人と11人の区長および協議会の松井会長・大竹副会長の計20人で、「議員・区長の送電線反対の会」を設立。その後この会は2ヶ月に1回のペ−スで3年続いた。

平成14年3月1日 松井会長が通産省に「送電線ル−ト」の情報公開を申請。通産省は公開申請期限ギリギリになってスミで黒く塗り潰されたものしか出さなかった。このころ、中部電力は送電線予定地地権者を訪問し“うそ”と言っていい強引な手口で動き回る。地権者の中にも買収に応じる者が出てきた。地価相場の10倍で中部電力は買い上げている模様。

平成15年7月17日 乙川地区250名で「地域の自然環境を守る会」発足。

平成15年12月 「地域の自然環境を守る会」会員170名に発展。

平成16年1月20日 中部電力が碧南火力送電線計画を変更中止する、と町当局・各区長・地権者に報告のため訪問したことを知った。

平成16年1月21日 新聞が一斉に「碧南火力線計画中止」を報道。


<電磁波問題市民研究会からのコメント>
2002年10月31日に中部電力と東北電力が共同着工する予定であった上越火力発電所(新潟県上越市)の建設延期にともない長野県内の「佐久幹線送電線計画の15年延期(実質白紙撤回)」を決定したが、それに次ぐ送電線計画中止の動きです。電力自由化と産業内自家発電の動き及び地球温暖化対策などがからんで全般的に電力会社の電力供給過剰の時代に入っています。昨年、東電の事故隠しで東電傘下の原発が全面休止しましたが、停電騒ぎにはなりませんでした。今後、自然エネルギ−の活用や燃料電池の普及が進めばますます電力会社の電力供給過剰が顕在化します。ダム建設と同じでもう新規の送電線建設は不要です。むしろ電力会社のやるべきことは送電線の地下埋設化と10電力体制の解体の検討です。


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