わたしは花蓮天祥のスワサン部落で生まれました 。

わたしが長女で7人の弟妹がいました。

17歳になったとき、両親が定めた相手と結婚するために榕樹に
きました。

女の子を8人生みましたが、そのうちの4人は亡くなりました。

まだ若かったころ、夫がニワトリを盗んだということで監獄に入れられ、獄死しました。

若かったわたしは、山でアワ、サツマイモ、トウモロコシなどを植えて、子供たちを育てました。

31歳のとき、榕樹に倉庫部隊という日本軍の部隊が駐屯することになりました。

500人余りの部隊です。

近くには兵器弾薬を置く洞穴があります。

部隊の副隊長ナリタ軍曹が、駐在所のタキムラ巡査部長を訪ねてきて、このあたりに部隊で洗濯やボタンつけなどの仕事をする女性がいないか聞いていました。

タキムラは最初にわたしのところに来ました。

わたしが未亡人で、子供も多く、そのうえ生活に困っていたからです。

ろくに考えもせずに部隊に行って働くことにしました。

勤務時間は午前8時から午後5時までで、洗濯、給仕などの雑用をして、兵隊の世話をするのです。

けれど、仕事をはじめて5カ月後、副隊長に騙されて洞窟のなかに連れ込まれ、強かんされました。

ただ涙を流して、苦しみに耐えるしかありませんでした。

だれにもいえない暗黒の「慰安婦」生活がはじまりました。

なかには凶暴な兵隊もいて、殴る蹴るの暴力を振います。

「性の仕事」を仕切ったのは副隊長で、6人の娘たちは、毎晩1人から2人の日本兵の相手をさせられたのです。

日本軍が去ったあと、わたしはダロウダンと結婚しましたが、のちに彼はわたしの過去を知り、わたしを叱責し、暴力を振るったり、辱めたりしました。

わたしの家庭生活は楽しいことはなにもない、苦しい日々でした。

いまは娘の家で暮らしています。

中風で寝たきりなので、娘に面倒をみてもらっています。

日本軍の「慰安婦」にさせられたことは、わたしの心に深い傷をつくりました。

84歳のいまでも、わたしの一生でいちばん苦しかったあのころのことは忘れられません。


ショバイ・ウミンさん  (1915年生まれ。タロコ族、中国名 雷春芳)

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台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会

(2004年2月1日 逝去されました)

子どもをつれて部隊で働いていた。やがて副隊長が騙して洞くつへ連れこまれ、強かんされた。