815抗議の声――「国際的声援、若者の叫び」

                            文/婦援会「慰安婦組」


 2007年8月15日午前10時、白い服を着て、黄色い帽子をかぶった5、60人の人たちが日本交流協会近くの塯公公園に集まった。815日本敗戦の日に、速やかに「慰安婦」問題を解決するよう、日本政府に要求するデモをし、「国際的な声援」と「若者の叫び」を示すためだ。


 この日、屏東で椰子を売っている小桃阿媽は商売を休んでやってきたし、タロコ族の沈中阿媽と芳美阿媽は、12歳の孫娘と雷春芳の娘の秀珠といっしょに、朝早くにはるばる花蓮やってきた。客家の満妹阿媽と寅嬌阿媽は新竹から、陳鴦阿媽は蘆州から駆けつけた。この日に間に合うことなく今年病死した愛珠阿媽に代わって孫娘の亦真と若真が車で駆けつけた。この日、8人の阿媽と8人の阿媽の家族が、5、60人の仲間といっしょに、正義と真実のために声をあげた。


 「日本は阿媽たちに謝罪し、賠償せよ。がんばれ、阿媽たち・・・」、阿媽への激励の言葉が書かれた小さな布を100枚縫い合わせて作った旗を振りながら、愛珠阿媽の孫娘と雷春芳阿媽の娘がデモの先頭を進む。8月の灼熱の太陽の下、86歳の陳鴦阿媽は、何歩も歩かずにふらふらになり急いで道端で休んだが、90歳の秀妹阿媽はしっかりと歩き続ける。だが、われわれは阿媽の体力を心配し、先にタクシーで日本交流協会まで行ってもらうことにした。


 日本交流協会の前では、大勢の人々が怒りの叫びをあげている。「歴史の責任を認め、速やかに謝罪と補償をせよ・・・」、抗議の叫びが断えない。詩人・李疾は、「悪夢、落ち葉のように」という詩を阿媽たちに捧げた。「だが、わたしたちは許せない、共に糾弾しよう、強盗のでたらめを、野蛮な捏造を!・・・だが、われわれは諦めない、共に取り戻そう、阿媽の尊厳を、アジアの正義を!・・・」。詩のなかの言葉は、まさに私たちの「慰安婦対日賠償請求運動」が、15年来もちつづけてきた信念である。


 秀妹阿媽など8名の阿媽たちは、しっかりと立って要求を表明した。「日本に抗議する、謝罪と賠償を」と書かれた抗議のボールを力いっぱい投げて、「慰安婦」問題の速やかな解決を日本政府に要求したのだ。「若いときに日本人に騙されて、口では言えないほどの苦しみを受けた。日本政府はこれ以上沈黙をつづけずに、早く解決してほしい」と、小桃阿媽が言うと、満妹阿媽も憤慨する。「わたしが生きている限り、日本政府に謝罪と賠償を要求する行動は終わることはない!」


 婦援会理事長の葉毓蘭さんは、日本交流協会に対して私たちの要求を声を大にして伝えた。さらにその場に集まった人たちに、「一人一通」運動、「一人一百」活動、「被害者への謝罪と賠償を日本に要求する」決議の台湾の国会で通過させることを呼びかけた。「一人一通」運動は、安倍晋三に手紙を出し、正義を待っている日本軍性奴隷被害者を重視し、彼女たちの心の声に耳を傾け、迅速に過去の戦争責任を解決するよう日本政府に呼びかけるものである。「一人一百」は、台湾で最初の「慰安婦女性人権博物館」をつくる募金活動で、この活動を通して女性の人権と正義の声を全世界に伝える。台湾の立法院が、アメリカの下院にならって「被害者に対する謝罪と賠償を日本政府に要求する」決議を迅速に通過させることは、国際的な政治の流れに合流し、日本政府と日本の国会に被害者補償立法を促す。


 815活動の翌日、各界の反響が私たちのもとに届いた。少なからぬ人々から電話や手紙がくれて、「一人一通」抗議運動と「一人一百」募金活動への参加方法を問い合わせてきたのだ。これは台湾社会が「慰安婦対日賠償請求運動」に冷淡ではなく、社会の各地に女性の人権に関心を寄せる有識の士がいることを表している。これらの人々は、自らの方法と努力でこの運動に声援を送りつづけ、日本政府が速やかに責任を果たし、老いた阿媽たちが生きているうちに、彼女たちの尊厳と名誉と正義が回復されることを望んでいる。


      阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会

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