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  国名:タイ王国(Kingdom of Thailand)
首都:バンコク(正式にはクルンテープ)
人口:5,824万人(1995年)
   タイ族80%、華僑10%、その他のマレー族及び山岳少数民族10%
国土面積:51.3万平方km(日本の約1.4倍)
平均寿命:69歳

国土と風土
 タイは、インドシナ半島のほぼ中央に位置し、国境はマレーシア、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジアの4か国に接しています。ASEAN諸国内では、インドネシアについて第2番目の国土を保有し、農地面積では国土の40%(日本の約4倍)と最も高い割合となっています。北半球に位置しているため、モンスーンの影響を強く受け、1年は大きく分けて雨季(5月〜10月)と乾季(11月〜4月)になります。

民族、宗教、歴史
 タイ国民は、民族的にも文化的にも調和がとれた国として知られています。これは、民族、宗教、言語の面での相違を問題にせず、タイ国籍を持つ国民すべてに対して平等を維持しようとする融合政策がとられてきたためともいえます。国民の大半はタイ民族で占められており、先住民族としてはミャンマー(ビルマ)から中部地方にかけて住むモン族、北部山岳地帯には、メオ族、ヤオ族、アカ族、ラフ族など約20民族の少数山岳民族が合計50万人いるといわれています。これらの少数民族は言語、服装、生活習慣などの面で平野部に住むタイ族とは異質の文化を持ち、さらに各民族間にも相違がみられます。このほかタイには、華人、マレー人、インド人、ベトナム人、カンボジア人等がいます。公用語はタイ語で、北部、東北部および南部ではそれぞれ方言が話されますが、東北部での方言はラオス語とよく似ています。
 国民の95%は仏教徒(南方上座部仏教)で、ついで多いのはイスラム教徒です。仏教徒の男性は、一生に一度最低3か月僧院での生活を送らなければなりません。タイの仏教徒にとって功徳を生み出す基本的行動としてタンブンがあり、善行によって善果を得るという思想があります。寺院を建立するという大事業から寺院への布施、早朝に托鉢する僧侶への食物の供養などはすべてタンブンの行為です。憲法第7条では、国王は君主としての地位と仏教擁護者としての地位を併せ持っています。タイは正式には、タイ王国(KINGDOM OF THAILAND)と称し、1936年6月の「立憲革命」以降は立憲君主政体となりました。
 1970年代のタイは、クーデターと総選挙を繰り返す毎日でしたが、1980年代に入ると8年5か月もの間、安定した統治体制が敷かれました。しかし、政界の内実は軍部が主権を握り、真の民主主義からはほど遠いものであったため、91年5月、一般市民を巻き込んだ大規模な民主化要求運動が勃発。軍部・警察の発砲によって数百名の死者がでるという流血の大惨事となりました。選挙の度に大規模な買収や不正が行われており、今もって大きな課題が残されているといえます。

広がる所得格差
 1988年以降、急速な経済発展を成し遂げたタイですが、その首都バンコク周辺に偏った経済発展はさまざまな形で矛盾や歪みを生じさせています。工業化の進展速度と農業セクターの生産性向上速度の違いが、所得格差や所得分配の不均衡を引き起こし、富裕層と貧困層の生活格差を広げつつあります。都市部と農村間では、国民総生産(GDP)の格差が約9対1となっており、また、都市社会の中でも経済格差が顕著化しています。
 その1つが、都市の急激な人口増加やスラムの出現にみられる人口問題です。1970年、タイの都市人口割合は全体の13%でしたが、95年には20%と急激な増加をみせています。この現象は、商工業の中心地帯であるバンコク周辺県からの人口吸収が急激に進んだ結果ともいえます。しかし、大量の人口流入に労働環境や都市計画などが追いつかず、スラムという不法占拠区を形成するに至ってしまいました。バンコクへの一極集中を避けるため、政府は近年になって地方への投資、地方拡散を呼びかけていますが、思うような成果が上げられていないのが現状です。

教育問題
 タイの教育事情にも経済矛盾によって生じる歪みを垣間見ることができます。タイの義務教育は、初等教育の6年間です。学費は無料で、教科書は一部の地域を除き自己負担となっています。1960年に国家教育計画が打ち出されてから現在までのタイの教育普及は目覚ましく、識字率は1960年の68%から、1995年には93.8%にまで上昇し、就学率も1965年から1995年にかけて、初等教育で82%から87%、中等教育で14%から55%、とそれぞれ上昇。高等教育における就学率は1995年で19%となっています。しかしながら地方農村では、村から学校が離れていて通学が困難なことと、児童が貴重な労働源であるため、農村部での進学率は低く留まっています。
 教育の問題は、特に東北部の農村や、バンコクのスラム、そして北部山岳民族の居住区といった貧困地域に問題が集約されています。山岳民族の児童は、国籍や言語の問題を抱え、スラムの児童は、両親が住民票登録をされていないため、出生証を持たず、法的に教育の機会を得られない児童もいます。そればかりか、家庭崩壊、薬物中毒、エイズなどといった社会環境も大きな妨げとなっています。タイでは、13歳未満の児童を雇用することを法律で禁じていますが、現実にはこのような貧困家庭の子どもたちの多くが、現金収入を得て家庭を助けていくため、廃品回収や屋台、建設現場、売春といった単純・日雇い的労働に従事しているのです。タイのNGOである児童権利擁護センターの調べでは、約120万人の子どもたちが深夜労働や危険な労働に就いているとしています。

難民
 1975年のインドシナ三国(カンボジア、ヴェトナム、ラオス)の共産化及び1978年末のヴェトナム軍のカンボジア侵攻により、大量のインドシナ難民(カンボジア避難民、ラオス避難民、他)がタイに流入しました。これに対してタイは第三国への定住推進、自主帰還計画の推進、難民の新規流入の阻止を目的とした「人道的抑制政策」を打ち出しましたが、解決どころか、逆に長期・慢性化の傾向がみられました。1989年6月のインドシナ難民問題国際会議で合意された包括的行動計画に沿って、全関係当事者の協調努力が実り、37万人のカンボジア避難民が93年3月までに帰還を果たすことができました。