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日本人スタッフの声 

煙仲間掲載原稿

2006/2, 2006/1, 2005/12, 2005/11, 2005/10, 2005/9, 2005/6, 2005/5

2006/2

 「ミャンマー難民の第三国定住」についての会議が先日、バンコクで開催された。UNHCR主催のこの会議にはNGOの他、難民の受入れ国からの代表など約60名が参加し、第三国定住における各国の政策や取り組みが紹介され、また懸念される点などについて話し合いが持たれた。NGOs側からはCCSDPT(難民支援事業調整委員会)が代表して難民キャンプから集めた情報をまとめて報告を行った。

 2005年の6月以降から難民の第三国定住活動が開始され、今年に入り本格的な動きを見せている。ミャンマー国内の状況が一向に好転しないこと、また20年近い難民キャンプの現状を解決する策として定住活動が浮上したことは当たり前のこととも思える。しかしこのことが難民解決の全てではない。実際に第三国への定住を望んでいる難民の数は全体の2割ほどでしかなく、残りは帰還することを望み、難民キャンプに滞在し続ける。ただ定住を希望している難民の中には、キャンプ委員会のメンバーや教員、医師などNGOsのスタッフとして活躍している人たちがいる。むしろ、そういう人たちの方が多いと言えるかもしれない。その背景には「教養がある人」「語学に堪能な人」「技能を身に付けている人」などが選ばれるらしいという噂が立っていることも少なからず関係している。UNHCRや受入れ国からは特定の人だけを選ぶようなことはない、きちんとした審査を通じて決定していくということだが、難民の中には希望していても自分には資格がないと思い込んでいる人たちもいる。中には第三国にいくと、働かなくてもお金がもらえ、楽な生活が待っているらしい、とこれも全くの嘘なのだが様々な噂が広がっている状況に混乱している難民の人たちがいる。今後はUNHCR,受入れ国そしてNGOs間でもっと情報交換を行い、第三国定住に関する正しい情報、受入れ国のプログラムなどをきちんと伝えていくことが必要だということが会議の終わりには話された。

 SVAのスタッフとして働いている図書館員44名のうち、1名は2005年に第三国へと定住して行った。そして現在、申込みをしている図書館員が15名。全員が定住するようになるかは分からないが、話しを聞く限り、少なくとも半数は定住することになりそうだ。ウンピアム難民キャンプでは3人が申し込み、ほぼ決定していることから新たな図書館員を公募することになった。ところが一人として見つからない。同キャンプは他のキャンプに比べると図書館活動が大変活発に行われており、新たな図書館員を探す時でもすぐに見つかる、と図書館の存在が地域にしっかりと根付いていっていることを感じる一瞬でもあった。ところが、今回においてはこれまでと様子が違う。図書館委員会に理由を聞いたところ、「第三国に定住することになるかもしれないので、今は仕事をせずに様子を伺おうという人が多いのかも」という。確かに雇ってすぐに辞められるようなことは困るが、図書館員が見つからないでは図書館活動そのものに支障をきたすことになる。他のNGOsも同様な問題を抱えており、今後のキャンプ内での活動、そしてキャンプ運営などについて心配がされている。

 会議参加の前、何人かの難民に話しを聞いた。「第三国定住は子どもたちにとってはとても大きなチャンスだと思う。更に高い教育を受け、仕事を見つけることも出来る。そして自由と権利をも得ることが出来る。」とプラス志向で答える人。一方で「きっと自分はもうカレン人ではなくなってしまうだろう。そして近い将来、カレンという民族も、文化も、そして自分たちの国も失われていってしまうのだろう。」と第三国定住を決断することは自分のアイデンティティーを捨てるということ、それを覚悟してでも行くのだという人。私にはどちらの思いも痛いほどよく分かる。難民キャンプで生活している限り、夢も希望も無い。努力しても報われないということはあるが、努力することが許されない。自分の人生を自分で切り開く機会すら与えられない。もし自分だったら・・・目の前のチャンスを掴むだろうか、でもそのチャンスを掴むことによって日本人である自分を捨てなければならないとしたら・・・他に選択肢はないのか?まずそう考えてしまった。でも他の選択肢なんてない。これが「難民」であることの現実なのだと改めて考えさせられた。4年近く難民キャンプで活動し、これほどまでに難民の人たちのそばにいながら彼らが抱えるこの現実をどこまで分かっていたのだろうか、彼らの話を聞きながら自分の中に怒りと悔しさが込み上げてきた。

ミャンマー難民事業事務所  中原 亜紀
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2006/1

 2005年11月15日から17日の3日間、メーソットにて第3回図書館員合同研修が開催された。2003年から毎年実施している研修であり、年に1度、SVAが活動している7ヶ所の難民キャンプの図書館員が一同に顔を合わせ、各キャンプで抱えている問題などを発表し合ったり、活動内容について意見交換を行ったり、難民キャンプにおける図書館活動のより一層の理解統一、そして活性化を図ることを目的としている。ただ、残念なことに7ヶ所の図書館員が全員揃ったことはない。タイ政府からの許可が大きく影響しているからだ。基本的に難民がキャンプの外に出ることは禁止されている。しかし、NGOのスタッフとして働く難民が研修などの理由で一時的に外に出ることは許可されているが、キャンプを管轄している郡・県の内務省によって方針が異なるため、許可が下りないキャンプもある。でも実は方針があるようでないような、曖昧な部分も見える。メーホンソン県メーサリアンにあるメラマルアンとメラウ(以前のメコンカ)の2ヶ所の難民キャンプは1回目、2回目とも許可が下りず、参加出来ていない。でも今年は何と!!許可が下りた。キャンプコマンダー(キャンプの指揮官)が「SVAさんなら大丈夫」と書類にサインしてくれました、とスタッフから報告があった時、ただ驚いた。こうして3回目にあたり今年は初参加のメラマルアン、メラウに加え、メラ、ウンピアム、ヌポ難民キャンプの5ヶ所から計32人が参加することになった。残念ながら、バンドンヤンそしてタムヒン難民キャンプは許可が下りなかった。

 今回は図書館員としては経験が一番長いメラマルアンそしてメラウ難民キャンプからの参加により、先輩格としての貴重な意見、アドバイスなどが様々なところで見られた。でも一方で新しい図書館員からも積極的に意見が出され、図書館員同士の絆が深まっていっていることを感じた。特に図書館員の中で最も高齢のピノトさん、2001年3月からSVAの活動に参加しているベテランである彼女は今回の研修で一番活躍してくれた。人生経験が豊富であり、図書館活動のことも他の図書館員以上に理解してくれている彼女の発言はSVAのスタッフが思いつかないような貴重な意見やアイデアもあり、これほどのすばらしい図書館員が存在してくれていることに涙が出そうになった。休憩時間も彼女の周囲には他のキャンプの図書館員が集まり、「うちのキャンプでは図書館委員会が活動にあまり関心がなくて相談も出来ないの」「うちのキャンプでは本の紛失が多くてどうしたらいいかしら」など質問攻めにあっていた。一つ一つの質問に丁寧に答えている彼女の姿はとても輝いていた。

 最後の夜はお別れパーティーが行われ、各キャンプ、各事務所から準備された出し物が発表された。踊り、歌、ゲーム、小劇など皆工夫をこらし、笑いの絶えない時間となった。私と言えば、「リストに入れなくていいからね!」と事前にスタッフに釘をさしておいた。しかし、最後に名前が呼ばれ、無視することも出来ず、結局踊りと歌を披露させられた。(スタッフの罠にまんまとはめられてしまった!)踊りはSVAのスタッフがすでに決めていたものを踊らされたのだが、いかにも笑いを取ろうとしている内容であった。しかし仕方ない。羞恥心を捨て踊った。図書館員よりスタッフの方が笑いまくっている。やっぱりはめられた、と感じた私である。
  今は各々のキャンプで活動しているが、将来帰還が出来た時にカレン民族のために図書館員たちが共に活動を続けていってくれれば、どれほど大きな力になるだろうかと思う。彼らがいつ帰還出来るかはまだ見通しは立っていない。しかし自分たちのため、子どもたちの未来のためにこれほどまでに頑張ってくれている図書館員たちの姿を見て、図書館活動はきっとカレン民族の将来にきっと大きな力になっていくだろうと感じざるを得なかった。

余談になるが、今回の研修期間に私は日本文化の紹介としてお好み焼きを作って食べてもらった。昨年はそうめんを披露したのだが、これがあまり受けなかった。今年こそはと思い、お好み焼きにしたのだが、何と完売。事務所の台所で50枚ものお好み焼きを作った。これほどの枚数は焼いたのは生まれて初めて。最初はきれいに丸いお好み焼きを作る努力をしていたが、途中からはあまりの暑さで意識が朦朧とし集中力が欠けていたこともあり、変形したものが次から次へと出来上がっていた。まあ口に入れば同じだからいいか!と勝手に納得しながらも焼き続けた。
スタッフが台所にやってきて「亜紀さん、図書館員が待っています。早くこちらに来てください」と言われ、皆が食事している会場へ移動した。「本当においしかったです。日本の食べ物はカレン人の口に合いますよ」と30人以上もの図書館員ひとり一人からお礼の握手を求められた。これもまた時間がかかって大変だった。現地で活動をする中でただ支援をするだけではなく、お互いを理解し合い共に生きていくことの大切さを忘れてはいけないと常に自分に言い聞かせている。そして文化を理解し合うことは何より大事なことだと思っている。お好み焼き作りにかなり疲れていた私であったが、図書館員の喜ぶ顔を見て来年は何を作ろうかなとすでに考えていた私であった。

ミャンマー難民事業事務所  中原 亜紀
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2005/12

  ヌポ難民キャンプの図書館委員会は図書館が開館した2002年5月に構成され、SVAと共に図書館運営に携わってきた。同キャンプはSVAが活動を開始する前からキャンプ図書館が1館あり、図書館委員会も存在していた。だから他のキャンプと比較して、図書館活動の意義をすでに理解していること、また難民の人たちの読書関心など高く、活動を開始する上での基盤がすでに整っていることはSVAにとって大変有難いことではあった。しかし既存の図書館委員会は図書館は「静かに本を読む場所」との意識が強く、子どもの活動を中心とした図書館を作りたいと願っていたSVAに当初、反発の声が多かった。説明に説明を重ね、何とか理解を得たものの、開館後から様々な問題に直面することとなった。

 9人いる図書館委員会の中で、SVAとの会議や活動に積極的に関わってくるのは委員長と副委員長の2人のみ。何故他のメンバーが関わってこないのか不思議でならなかったが、実はこれまで図書館の運営に携わってきたのはこの2人だけで残りは名前だけの存在。更に話しを聞いていくと、彼らは自分たちの図書館への思い入れがあまりにも強すぎてか、周囲の意見や提案にも耳を傾けず、好き勝手に運営をしていることから、他の委員会は次第に遠のいていったという。

結局、図書館が開館してから現在まで、この状態は続いた。 SVAが一番頭を悩ませたことは、図書館にとって最も大事な存在である図書館員の存在を無視し、自分たちが前面に出てあれもこれもやろうとすることだった。例えば、図書館に配布している文房具。彼らが全て管理し、必要な時にはいちいち彼らのところにいって何の活動に使うのか、いくら必要なのかを伝え、了解されれば受け取ることが出来る。図書館の鍵も常に彼らが保持していて、図書館員は朝、わざわざ委員会のところに行き鍵を受け取り、夕方にはまた返しに行く。「図書館員が図書館の管理に責任を持ち、自主的に活動を行っていくためにも彼らにもっと役割を持たせて下さい」と何度会議で議論したことか。
でも彼らは考えを変える気は一向にない。またSVAが指導した本の登録、貸し出しの方法についても知らないうちに勝手に変更していて、図書館員は混乱、同時に毎月まとめていたデーターも数字が変わってしまい、SVAも混乱することになったり、次から次へと問題が生じていった。

 ある時期、キャンプの自治であるキャンプ委員会に相談し、図書館委員会の交代を提案した。それがもし難しいようであればキャンプ委員会に会議に入ってもらい、今後の運営方法について議論を行いたいとお願いした。会議は実現したものの、当時のキャンプ委員会は2人の性格をよく知っていてか、双方でよく話し合い、解決していって下さい、とほとんど解決が見られない結果で終わってしまった。

 ヌポ難民キャンプで図書館が開館して、何人の図書館員が辞めて行ったことだろう。家族のこと、健康のこと、個人的な理由で辞めざるを得なかった図書館員もいたが、多くは2人の図書館委員会の運営方法に我慢が出来ず、辞めていってしまった。図書館員がのびのびと仕事が出来、もっと多くの子どもたちに来てもらえるようにはどうしたらよいのか、色々と解決策を試みたものの、だめだった。図書館委員会の言い分は「この図書館は俺たちのものだ。だから俺たちが思うようにするだけでSVAは口を出さなくていい。図書館に必要な物だけ持ってきてくればいいんだ!」とまでいう始末。

 しかし今年の9月になり、ある転機が訪れた。2年に1度のキャンプ委員会交代の選挙が行われ、新たなメンバーが選出された。
この選挙でキャンプ委員長となったデ・モさんは図書館委員会の言動について他の図書館委員会や住民から不満の声を聞いたことがあったことから、SVAと会って話しをしたいとの連絡があった。
11月に入ってから彼を初めとする数名のキャンプ委員会と会い、図書館委員会とのこれまでの問題について説明し、解決への支援をお願いした。そこでキャンプ委員会はSVA、図書館委員会、図書館員、そして教育委員会などの関係者を集めて会議を開くことを決定、その場で今後のことを話し合うことになった。これまでほとんど顔を見せていない図書館委員会の他のメンバーにも参加するよう、キャンプ委員会から通達が行ったようで会議の当日を迎えた。図書館委員会からの参加はたったの2人。
なんと委員長と副委員長ではない、他のメンバーである。彼らはなんと会議参加を拒否したのである。実はこの会議の前日、キャンプ委員長のデ・モさんが図書館委員会だけを招集して事前に意見と聞いておこうとしたらしいが、その場にも2人は現れなかったという。SVAの会議にも出て来ない場合、彼らは図書館委員会としての継続する意思がないものと理解し、新たな委員会を選出する思いでいたようだった。そして当日、彼らは姿を現さなかった。
会議の冒頭、デ・モさんから「図書館委員会の委員長、副委員長が参加を拒否したことから、新たな委員会を選出したいと思う。しかしその前にSVAからこれまでのいきさつ、またSVAの活動方針について話しを聞き、皆からの意見も伺いたい。そこで改めて選出を行うかどうか決定しよう」と挨拶があり、では宜しくお願いしますとバトンタッチされた。
私の中にかなりの緊張感が走った。私の説明次第では、図書館委員会ではなく、SVAが悪いではないか、と言われかねない。そうなれば何の解決も出来ないどころか、SVAとしてはキャンプから撤退しなければならないかもしれない。そんな思いを抱きながら説明を始めた。何をどう話したのか、自分でもよく覚えていないのだが、話しを終えた後、参加者から拍手があった。その後、現在の図書館委員会のやり方はキャンプ図書館としての機能を著しく低下させている、SVAの意見はもっともであるとの声が参加者から上がり、満場一致で新しい図書館委員会の選出を行うことが決定した。

 選出は12月に行われることになったが、まだ課題が残っている。一つはSVAが活動開始する前に存在していた図書館にあった本、現在はSVAが購入した本と一緒になっているのだが、それは自分たちのものであるから返すように、と図書館委員会から言われている。最終的な解決までにはもう少し時間がかかりそうだが、きちんと話し合っていきたいと思う。彼らとの活動は決して嫌な思い出だけではない。図書館のために、そして難民の人たちのために彼らが精一杯力を注いでくれたことには心から感謝している。残念なことに双方の考え方や意見の食い違いからこのような結果になったが、自分にも大きな反省を感じている。人間同士には様々な価値観や考え方が存在するが、これらをどう上手く共存させることができるか、NGOの活動の中で最も難しいことかもしれないと感じた時であった。

ミャンマー難民事業事務所  中原 亜紀
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2005/11

 現在、SVAが難民キャンプで支援している図書館は全部で22館。1館につき2人の図書館員が働いている。図書館でもっとも大切なのはこの図書館員。どんなに立派な図書館を建てても、どんなに良質な絵本を配布しても、図書館員次第でこれらが全く無意味なものになってしまうからだ。22の図書館は大きさもデザインも同じ、本棚に並んでいる絵本も同じ。しかし開館後の様子は様々である。子どもたちの関心を引くように館内をきれいにデコレーションして明るい環境作りに励む図書館もあれば、壁にかけているポスターや絵が破れていたり、はずれかかっていたりしていてもそのまま。本棚の中もぐちゃぐちゃ。図書館員によってこんなにも違ってくるのだということを実感した。また絵本の読み聞かせ、歌やゲームなどの文化活動を積極的に行っている図書館にはいつも子どもたちが溢れている。暗い雰囲気の図書館で活動にもあまり力を入れていない図書館には、当たり前だが子どもはあまり来ていない。自分だったら、館内が温かい雰囲気を漂っていて、図書館員のお姉さん、お兄さんが温かく迎えてくれる。そして大好きな絵本を読んでくれて、一緒に歌を歌ってくれる、そんな図書館があったら絶対に行きたいと思うはず。

 図書館の活動状況を把握するために月に2回、モニタリングというものが行われる。このモニタリングを行うのはSVAの図書館スタッフである。館内はきちんと整備されているか、本の損傷はないか、子どもたちへの活動は毎日行われているかなど、詳細なチェックを行う。また本の紛失や建物の老朽化など、図書館で起きている問題についてもヒアリングを行い、図書館員へ適切なアドバイスをすることが目的である。ここで大事なのはスタッフの観察力と想像力。館内をただ見回るだけではなく、細かなところまでいかに目が行き届くか、そこから図書館での活動や図書館員の様子が伺えるからだ。しかしうちのスタッフの観察力にはまだまだ問題は多い。

 私は通常、モニタリングから戻ってきたスタッフから話しを聞くようにしているが、数日後、図書館を訪問するとスタッフの報告にはなかった事実が目に入ってくる。
「ねえ、この絵本、かなり傷んでいるけど、新しいのと交換しないといけないんじゃない?」そう聞くと、 「ああ、そうですね」と返ってくる。
図書館員が毎日つけている活動日誌を見ながら質問をしていた時、読み聞かせのタイトルが毎日ほとんど変わっていない事実を見つけた。
「子どもたちが好きな絵本ってもっとあるのに、どうして同じタイトルばかり読むんだろう・・・」私は疑問に思った。
図書館員に確かめるだろうと思いきや、次の質問に移ろうとするスタッフ。
「えっ〜。何とも思わないの!」私はスタッフの次の動きを阻止し、
「何故、毎日同じタイトルの本を読んでいると思うか不思議に思わない?」と聞いた。
「そう言われればそうですね・・・・」それから図書館員に話しを聞いていくと他の絵本はまだ内容をよく覚えていないからといった答えが返ってきた。
でも子どもたちはこれも読んで!とリクエストしてこない?」と尋ねるとそうだと言う。
本来図書館員は図書館にある全ての絵本の内容を知り、子どもたちの要望に応じ、どの絵本でも読み聞かせが出来なければならないはず。この点を再度説明し、時間を見つけて何度も読み返し内容を覚えていくようにと伝えた。
事務所に戻ってからはスタッフに「モニタリング」の意味を再度説明。頭では理解していても、観察力を身に付けるということは簡単なことではない。でも経験を積んでいけばスタッフたちも自らの観察力や想像力を身に付け、図書館員にとってすばらしい先輩となっていってくれることだと思う。そして図書館員が子どもたちにとってなくてはならない存在になっていってくれることを心から願う。今はまだ学び途中の図書館員たちではあるが、皆、図書館での仕事を心から愛するようになってくれている。そして子どもたちのことも。

 そんな図書館員たちの中の一人に話しを聞いた。最後に紹介したいと思う。「図書館員になって以来、私は図書館とは、図書館員とは、ということを学びました。これからも子どもたちのために最善をつくして働きたいと思います。何故なら、子どもたちは私たちの国を築く新しい世代であり、彼らの成長に関われることは非常にすばらしいことだと思うからです。個人的には、図書館は子どもたちの能力を高めることができる施設だと思います。本は多くの知識を与え、彼らに新しい生活や生き方を提示することができます。また人格形成にも影響を与えるでしょう。私たち大人も、子どもたちに正しい道を指導することができます。子どもたちは、これまで知らなかったことを知り、いつも絵本のことを聞いてきます。わからないことがあると何なのかをたずねてくるし、知らなかった物の名前を知ることができるようになりました。子どもたちが成長するというのは分からないことを尋ねてくることだと思います。今では、図書館は本当に難民キャンプにとって重要な施設です。私は、世界中のすべての国、すべての学校に図書館は必要だと思います。人々はいつも幸せだとは限りません。そんなときに若い人や大人たちが図書館に来ることができたら、と思います。図書館は、すべての老若男女にとって希望の一つです。」

ミャンマー難民事業事務所  中原 亜紀
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2005/10

 メーソットから165キロほど南下したところにウンピアム難民キャンプがある。ここは1999年に設立されたキャンプで以前はワンカー難民キャンプとモカ難民キャンプという2つのキャンプであった。ところが、これらのキャンプは1997年と1998年にミャンマー軍の越境攻撃を受けた。そして、学校を含めて多くの家が焼かれ、火災に巻き込まれ3人が死亡、約20人ほどが負傷したといわれる。そこで、タイ政府は難民の安全を考慮し、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と協力して彼らを内陸部に移動するよう促し、現在のウンピアム難民キャンプへと統合された。

 過去にもこのようなケースは他の難民キャンプでも起きており、その度ごとに移転が行われている。2002年9月、メコンカ難民キャンプを襲った洪水の時は26名もの命が奪われ、その後、メラウ難民キャンプへと移転することになった。しかし、メラウは以前、ミャンマー軍に攻撃を受けたことがあり、安全が懸念されるので、UNHCRやNGOは同キャンプへの移転をやめるようタイ政府に働きかけたが及ばなかった。こうしてわかるように、ミャンマー難民の支援活動にはタイ政府との関係づくりが欠かせない。

 難民キャンプは、タイ国の内務省、県庁、郡庁といった行政組織とタイ国陸軍の監督下にあり、支援活動を実施するNGOはこれらのすべての機関との調整なくして難民キャンプ内での活動は遂行できないからだ。タイ政府からの許可証を持っていない職員はキャンプ内に入ることはできないし、本や文具などの支援物資についても県庁や郡庁に書類を提出して許可証をもらってからでないとキャンプ内には運ぶことはできない。たとえ許可証があったとしても、キャンプに行く途中の陸軍常駐所に通達されていなければ持ち帰らなければならないこともある。とにかく制約が多く、国境の状況次第でタイ政府の政策が頻繁に変わることも多いので常に情報を収集しておく必要がある。難民キャンプでの活動は、政府との良好な関係づくりが不可欠であることは分かっていたものの、日々の活動の中で改めて実感しているところだ。

 「日本人がカレン人のために活動をしていることはとても嬉しいことです。」ミャンマー難民の支援活動に携わる中で何度か耳にした言葉である。じつは、太平洋戦争のさなか、日本兵から残虐な仕打ちを受けて心身の傷を負ったまま生活しているカレンの人たちがいる。しかし、敗戦後、元日本兵を助け、カレン民族の村でしばらくかくまったという難民もいる。カレン人に助けられ、その後、国境を超え、現在タイで生活をしている元日本兵もいる。彼らと出会ってこの言葉を聞いた時、SVAの活動のもう一つの意味を感じる思いだった。

 新しい世代の子どもたちが、戦争ではなく、私たちと将来新しい関係をつくるためにも難民キャンプでのSVAの活動はもっと大きな力を果たすのではないだろうか?ミャンマー難民キャンプと関わらなければこのような知られざる歴史を知ることはなかった。そして国家というものをこれほど意識することもなかったと思う。

ミャンマー難民事業事務所  中原 亜紀
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2005/9

 「ミャンマー難民の帰還はいつ頃になりそうですか」とよく質問を受ける。しかしこればかりは答えようがない。図書館に来ている子供たち、難民キャンプの様子などについては簡単に答えることが出来るのに。20年以上も難民生活を強いられているミャンマー難民の帰還については、残念ながら今も目処は立っていない。あと10年或いはそれ以上先になるのではないかと言う人もいる。20年以上という長い歳月の中で難民キャンプには三世代までに至る人たちが存在している。ある日、12歳になる少女に「祖国に帰りたいと思うか」聞いてみた。すると「祖国のことはよく知らないから、帰りたいとは特に思わない。でも両親からミャンマーは怖い国だと聞いているから、今は帰りたくないかな。」という答えが返ってきた。祖国を知らない子どもたちにとっては、こう思って当たり前かもしれない。一方で、図書館で行っている高齢者活動に参加していたお爺さん一人にも同じ質問をしたことがあった。彼の答えはこうだった。「私が生きている間に祖国に帰ることはおそらく無理でしょう。でも微かな希望は持っています。生きている間に祖国の土をもう一度踏みたいですから。もし私がここで死んだならば、いつの日か、祖国が平和になった時にでも私の骨を運んで行ってもらえませんか?お願いしますね。」と最後は頼みごとをされてしまった。お爺さんは笑って言っていたが、私は笑えなかった。

 難民の長期化にも伴い、近年ではタイ政府またUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)により、難民が希望すればだが、第三国へ定住させるという動きがある。受け入れ国はアメリカやオーストラリアなどだ。各国大使館での面接、語学チェック、また健康診断など様々な審査を受けなければならないがよほどの問題がなければ基本的には合格している。難民支援を行っているNGOとUNHCRとの会議の際、教員や医師などNGOの職員として働いてくれている難民の人たちが第三国に移住するケースも出てきているが、これはNGOの活動、強いてはコミュニティーの発展にとって大きな痛手である。もしそのようなケースがあれば、私たちNGOにも知らせてほしい、とNGO側の参加者から意見が上がった。この時、UNHCRの代表は「確かに支援活動を行っていく上で人材は必要であり、彼らがいなくなってしまっては活動の継続が困難になるでしょう。でも彼らに行くなということは言えないでしょう。それに彼らが自由を手にし、今よりも幸せな生活を送ることが出来るのであれば、むしろその機会をあげるべきではないですか?」と私たちに訴えた。確かに彼の言う通りかもしれない、でも今よりも幸せな生活を送ることが出来ると、誰が保障できるのか、私には疑問でならなかった。でもこれからもずっと難民キャンプにいるよりは幸せかもしれない、とも思った。

 祖国を知らずに育った三世代目の子どもたちにとって、第三国へ移り住むことはそれほど大きな問題ではないだろう。それどころか、英語に関心が高い青少年たちにとっては英語圏で生活できることは嬉しいことかもしれない。微かな希望を持ち続け、祖国に戻ることを願っている一世代目のお爺さん、お婆さんたちにとっては、何があっても難民キャンプを離れることはないだろうと思う。彼らにとって、難民キャンプを去る時は祖国に帰る時だからである。図書館で出会ったお爺さんの話しを聞いてそう思った。

 ミャンマー難民キャンプがいつまで続くのか、私には分からない。将来が見えない中で支援活動を続けていくことに心が弱ってしまうことが時々ある。でも「今を生きている」難民の人たちが、一日一日の生活の中で人間として喜びや幸せを感じられることはとても大切なことだと思っている。だから支援活動を続けていく意味があると信じている。そして一人でも多くの日本の皆さんにミャンマー難民のことを知ってもらい、今を力一杯生きている彼らに大きな拍手を送ってもらいたい。また子どもたちが、お爺さんたちが、第三国ではなく、祖国の地を踏める日が、近い将来訪れることを願っていて下さい。

ミャンマー難民事業事務所  中原 亜紀
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2005/6

 難民キャンプで図書館活動を開始して、「これまで何もすることがなかったが、図書館という場所で有意義な時間を過ごせている」という声をよく聞く。そして年代や宗教を超えた人たちが一同に集まる場所であるということも高い評価を受けている。しかし度々訪れる中でふと思うことがあった。それは高齢者の姿がほとんど見られないということ。話しを聞いていくと、難民キャンプ内では活動に参加する場もなく、家の中でただ日々を過ごしているという。何故だかすごく寂しい気持ちになった。

 自身のことで大変恐縮だが、今は亡き母方の祖父には本当にたくさんのことを教えてもらった。実の両親より厳しい躾けを受け、でも私が20才を過ぎてからは一緒にお酒を飲みながら祖父の人生経験をよく聞かされた。戦争で兄弟を亡くしたこと、敗戦後の苦しい生活の中、家族を支えてきたことなど、大好きな焼酎が進むにつれてますます話しは止まない。あの頃理解出来なかった祖父の話しが今となっては理解出来る。タイに住むようになってからは年に一度は祖父から手紙が届いた。「悔いのない人生を過ごしなさい。」異文化で暮らす私にはこの言葉が大きな支えになっていた。お祖父ちゃん子では決してなかったが、彼から学んだことは本当に大きかった。だからだろうか、難民キャンプに住んでいると言えども、カレンの文化・歴史を作り上げてきたお年寄りの人たちが何も出来ず、日々を暮らしていることが本当にやるせない。

 ただ日本と違い、難民キャンプではまだまだ家族の絆が強い。三世代に渡る家族が共に生き、おじいちゃんやおばあちゃんが孫の躾をしたり、家庭を守ったり、時にはカレンの昔話しを孫に聞かせるなど羨ましいなあと思う光景をよく目にする。だからこそ、そんな暮らしを大事にしてほしい、またカレン人のアイデンティティーや文化を守っていくためにも彼らの存在は無くてはならないと思うことから図書館で高齢者の活動を行っていくべきではないかと強く思うようになった。図書館委員会に相談したところ、皆、大賛成してくれた。20年近い難民生活の中でカレン人の未来を担っていく子どもたちに高齢者を通じて自分たちの文化・歴史をしっかりと受け継いでいってほしいという思いをがあった。同じ気持ちでいてくれたことが、本当に嬉しかった。

 図書館委員会の協力の下、参加者を募り、昨年から準備を進めてきた。今年1月カンチャナブリ県にあるバンドンヤン難民キャンプでの活動に参加した時、日本の歌「国の花」という歌を日本語で披露してくれたお爺さんがいた。これには私もとても驚いた。集まっていた子どもたちに若い時に日本兵からこの歌を教えてもらったのだと説明していた。その話しを真剣に聞く子供たち。

 1886年、イギリスはミャンマー(ビルマ)を植民地にした。この時、イギリスはカレン民族を利用し、その後、1941年に太平洋戦争が始まり、イギリスに代わり日本による新たな統治が始まった時にはイギリスのスパイだとレッテルを貼られたカレン民族は日本側と共に戦ったミャンマー(ビルマ)兵から虐待などを受けることになった。にも関わらず、日本が敗戦した後、多くの日本兵が敵対にあったカレン人に助けられたという。難民キャンプでの活動に関わるようになり、日本人とカレン人の歴史を初めて知り、「縁」を感じずにはいられなかった。今を生きる日本人の一人として過去の歴史を受け止め、カレン人の為に出来る限りの力添えをすることが彼らへの償いになるのではないかと。少し大袈裟なことかもしれないが、そう思えた自分がいる。

 図書館に集まった子どもたちとそれは楽しそうに笑っている高齢者の様子に見ているこちらも幸せを感じてしまう。ゲームをしている最中、足腰が弱っているお婆ちゃんの手を引いて遊び方を説明してあげている子供たち。いつもは図書館員に読んで聞かせてもらっている絵本を読んであげている子どもたち。それを楽しそうに聞いているお爺ちゃんたち。つい自分の祖父のことを思い出してしまった。現在ではカレンの民話を高齢者から聞き取りをして出版する活動も行っている。少しでも彼らの文化を次世代に伝えていければと願っている。活動終了後には決して豪華とは言えないが昼食をお出ししている。食事を共にしながら普段なかなか会える機会のない友人たちと笑い合える、楽しい一時を過ごしてもらっている。この活動を通じてカレンの文化や歴史を大事にしていってもらいたいと共に最後の人生まで夢や希望を持ち続け、すばらしい人生の花を咲かせていってほしいと願っている。

ミャンマー難民事業事務所  中原 亜紀
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2005/5

 タイ西北部ターク県ウンパン郡にヌポ難民キャンプがある。人口は約12,000人。仏教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が共存している難民キャンプだ。

 SVAが同難民キャンプで図書館活動を開始したのは2002年1月。同年5月に2館の図書館を開館した。活動開始に伴い、図書館委員会を設置。自治組織である難民キャンプ委員会がメンバーを選出した。図書館委員長、副委員長を柱に計9名のメンバーで構成された。

 実はヌポ難民キャンプはSVAが活動する前から図書館が存在していた。と言っても竹で作られた建物はかなり老朽化しており、本も古くなっているものが多かった。でも自分たちで図書館を作ったことがすごい。当然、建物や本を支援してくれた団体がいたのだが、その後は難民自身の手でどうにか運営を行っていた。

 この図書館の運営・管理をしていたのが、図書館委員会のメンバーになった副委員長のバレー氏。イスラム系カレン人。カレン語があまり理解できずビルマ語を話す。図書館や本に対する彼の思いはとても熱く、SVAが図書館を開始することを誰よりも喜んでいてくれてた。だが、彼との戦いが始まったのはそれからすぐのことだった。

 すでにキャンプ図書館が存在することから、新規で1館を建設し、既存のについては老朽化が進んでいいることから建て直しをすることになった。これについては特に議論もなく、双方納得の上で合意。続いて、図書館のデザイン、子どもの活動、大人への本の貸し出しサービス等々、より重要な内容が話し合われていく中でお互いに譲らない議論が始まった。図書館をこよなく愛するが故にだろうが、SVAの提案する内容よりはこちらの方がいい!と自分たちがこれまでやってきたやり方を押し付けようとするのだ。今までのやり方が決して悪いとは言っていないし、ただもっと多くの難民の人たちに利用してほしい、その為にはこういうやり方もいいのではにですか?と話し合おうとしているこちらの姿勢はあまり受け入れてもらえなかった。こういう会議を何度も繰り返し、ようやく開館までに漕ぎ着けた時には本当に嬉しかった。

 でもその後も今も彼との戦いは続いている。現在、7ヶ所の難民キャンプに22館の図書館があり、それらを維持・運営していかなければならず、当初の頃のようにヌポ難民キャンプを頻繁に訪問することが出来なくなった。しかし、現地の図書館スタッフが定期的にモニタリングを行い、活動状況や問題点などを把握している。3ヶ月に一度は図書館委員会との会議があるためその時は私もスタッフたちと訪問しているが、以前と変わらず、ああすべきだ、こうすべきだ、とまあ本当に色々と言ってくる。当然、納得のいかないとはこちらも反論をするが、他の図書館委員会メンバーやSVAのスタッフたちは彼と私の一騎打ちの戦いにあまり関わらないようにしようとしてか、途中からあまり発言をしなくなる。

 昨年末の会議終了後、「君と話をしていて胃が痛くなった!」と言われた。私は胃ではなかったがしゃべりすぎたせいもあり、頭がふらふらしていた。でも最近はこれは議論が活発に行われた結果だと思えるようになった。彼の図書館に対する思いも十分に理解出来るし...。
時として意見の食い違いはあるけれど、考え方、価値観の違う人間が集まればそれも仕方がないことだと思う。ただ難民キャンプの子どもたちのために活動をしているという思いは同じである。何よりも大事なのはその共通の思いではないだろうか。それがあれば必ず理解し合えるはずだ、と思っている一方で、これからも彼との戦いが続くのかと思うと多少きが滅入ってしまうところもあるが、がんばるしかない!です。

 「援助」とは何なのか、どうあるべきなのか、難民キャンプでの日々はこのようなやり取りを行いながら考えているところです。まだ答えは出ていません。このままずっと出ないかもしれません。でもそれでもいいのかもしれないなあと思う日々でもあります。

ミャンマー難民事業事務所  中原 亜紀
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