いまこそ、暴力の悪循環を断ち切り、平和のために行動しよう



 いま私たちは、言葉では表現できないほどの衝撃的事態に直面しています。テレビの画面で、突然ビルに飛行機が衝突する映像が写し出されたとき、ほとんどの人は、それが現実であることを信じられなかったのではないでしょうか。やがてもう一つのビルにも飛行機が突入し、米国防総省で黒煙が上がっていることが伝えられ始めたとき、これが超大国アメリカの経済的軍事的象徴に対する明確な意図をもった攻撃であることを知ります。
 しかし、ビルに働く人びとのほとんどは、平凡な日常生活を送っている人びとであり、民間航空機には、私たちの友人や家族が乗り合わせていた可能性さえあるのです。そのことを思えば、身の毛がよだつものがあります。テロ攻撃の犠牲者の多くは、権力者の政策決定とは直接関わることのない一般庶民なのです。

 だがこのことに思いを致す私たちの想像力は、同じように平和な日常生活を、国際テロともいうべき軍事行動によって、一瞬のうちに奪われているバルカン半島や中東地域の一般庶民にも及んでいるでしょうか。その犠牲者はニューヨークやワシントンの数百倍に上っているでしょう。アメリカ人も、アラブ人も、セルビア人やアルバニア人も、人の命の重さに差はありません。しかし、欧米中心の報道機関は(日本もそのネットワークに組み込まれているのですが)、ニューヨークの惨劇は繰り返し伝えても、パレスチナや中東の惨劇やその犠牲者を悼み悲しむ人びとの姿を伝えることはきわめて稀です。このような情報操作によって造り出される一方的価値基準や軍事行動の正当化に対する憤怒の結果が今回の衝撃的事態を生み出したともいえるのです。

 しかるに、ブッシュ大統領をはじめとするアメリカ政府高官は、この惨劇を待ち構えていたかのように、「テロの犯人を処罰するだけではなく、これを可能とするシステム・国家を排除する」とか、「これは“善”と“悪”との戦いだ」などとその発言をエスカレートさせ、議会もこれを支持して、大規模な軍事的報復行動に踏み切る構えを見せています。「リメンバー・パールハーバー」を叫ぶことによって原爆投下を正当化したあの論理を、またもや繰り返そうとしています。
 にもかかわらず小泉首相は、いち早くアメリカの報復行動の支持を表明するばかりか、この事態を奇貨として、有事立法の整備や集団的自衛権容認に向かって突き進もうとしています。アメリカが大規模な軍事的報復行動に踏み切れば、日米同盟の軍事的拠点である沖縄が否応なくこれに巻き込まれざるを得ないことを、小泉首相率いる日本政府は明確に認識しているのでしょうか。今回の衝撃的事態は、いかなる軍事力をもってしても、民衆の安全は保障しえないことを教えているのです。
 私たちは、昨年4月、「沖縄から平和を呼びかける4.17集会」を開き、「わたしたちの願う“平和”とは、地球上の人びとが、自然環境を大切にし、限られた資源や富をできるだけ平等に分かち合い、決して暴力(軍事力)を用いることなく、異なった文化・価値観・制度を尊重しあって、共生することです」という沖縄民衆平和宣言を発しました。それから二月後、まるでこの呼びかけに応えるかのように、朝鮮半島における南北首脳会談が実現しました。そしていま、南北首脳会談が生み出した平和的雰囲気を押し戻そうとする政治的潮流が台頭する中で、今回の悲劇が起きました。
 テロの犠牲者を悼み、その死に報いる途は、軍事的報復行動によって犠牲者の上に更に犠牲者の屍を積み重ねることではないはずです。暴力的報復の悪循環を断ち切り、二度とこのような犠牲者を生み出さない努力を積み重ねることなのです。私たちは、軍事基地に反対する私たちの運動こそが、私たち自身の安全を守り、世界の平和に貢献する途であることを今回の悲劇を通じて改めて確認し、あらゆる暴力とそれを誘発する政策に反対し、平和を求める運動を前進させていくことを誓うものです。
2001年9月18日
沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会



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