反占領・平和レポート NO.9 (2002/03/25)

今日まで続く「6日戦争」の第7日−−元司法長官が軍務拒否を支持−−



 占領地での軍務を拒否した将兵たちのサイトに、それを支持する元司法長官の論説が掲載されています。占領地での体制はアパルトヘイトであること、インティファーダはパレスチナ人民の民族解放戦争であること、それはあらゆる歴史上の民族解放戦争と同様に勝利しないではおかないものであるということ、イスラエルはこの占領によって道徳的な基盤を失い長期的な生存を危険にさらしているということ、従って占領地の軍務を拒否する者たちの行為は「良心の行為」「道徳的支柱を回復する行為」であること等を論じています。
 占領地での軍務拒否を宣言し呼びかける新聞広告が出されてから1か月たつころから、著名人や社会的影響力をもつ人々の中に、支持表明する人があらわれるようになりました。イスラエル社会のエリートである元司法長官がここまで論じるようになったのかと驚くと同時に、そういうエリートたちから成り立っている今のイスラエル国家、政治軍事機構が確実に大きくきしみ始めていることを表していると思います。以下に全文を翻訳紹介します。

2002年3月25日
アメリカの「報復戦争」と日本の参戦に反対する署名事務局





今日まで続く「6日戦争」の第7日

   by.ミハエル・ベン・ヤイール(1993−96年の司法長官)
    (もともと2002.3.3(日)の「ハ・アレッツ」紙に公表)

 シオニズムの夢の実現とイスラエル国家創出を通じてのユダヤ人民の民族的再生が成就したのは、ユダヤ人側の戦車や飛行機やその他の攻撃手段の数が勝っていたからではありませ。イスラエル国家が生まれたのは、シオニズム運動がユダヤ人の迫害に必ずや解決が見出されるということを理解していたからであり、啓明な世界がその解決の必要性を認めていたからです。

 啓明な世界がこの解決の道徳的正当性を認知していたことは、イスラエル国家創出の重要で主要な要素でした。言いかえれば、イスラエルは明確で認知された道徳的基盤の上に樹立されたということです。そのような道徳的基盤なしには、シオニズムの考えが現実になっていたかどうかは疑わしいと思います。

 「6日戦争」は、我々に余儀なくされたものでした。しかしながら、この戦争の第7日は、1967年6月12日に始まり、そして今日も続いていますが、それは我々の選択による産物です。我々は、熱心に植民地社会になることを選択しました。国際的諸条約を無視し、土地を没収し、イスラエルから占領地へ植民者を送り込み、盗みに手を染め、そしてこれらすべての行為を正当化してきました。我々は、占領地を保持することを熱烈に望みながら、二つの法的体系を発展させました。一つは、イスラエル国内の進歩的でリベラルな体系。もう一つは、占領地の残忍で不法な体系。実際、我々は、占領に引き続き直ちに占領地にアパルトヘイト体制を樹立しました。
 その抑圧体制は、今日まで存続しています。

 「6日戦争」の第7日は、我々を、イスラエル創出の確かな正当性をもった道徳的な社会から、他民族を抑圧する社会へと変えました。そのことによって我々は、正当な民族的切望を理解することができなくなったのです。「6日戦争」の第7日は、我々を、公正な社会から、他民族の破滅の上に自らの支配を拡張しようとする不公正な社会へと変えてしまいました。我々が道徳的基盤を捨て去ったことは、我々を社会全体として傷つけ、世界の敵対的要素と悪徳の種を強め、その影響力を強めています。

 インティファーダは、パレスチナ人民の民族解放戦争です。歴史の諸過程が我々に教えるところによれば、進んで他国の支配下で生きようとする民族はいないし、抑圧された人民の民族解放戦争は必ず勝利する、それは不可避です。我々は、この点を理解しながら、それを無視することを選択しています。我々は進んで歴史過程を妨げることにたずさわっています。この歴史過程が、あらゆる民族解放戦争の背後にある道徳的正当性という錨にしっかりつなぎ止められているということを、我々はよくわかっているにもかかわらず。また、この歴史過程がその不可避的な到達点に必ず達するということをよくわかっているにもかかわらず。

 これが、占領地におけるイスラエル国防軍の行動について、我々が受けとった、つらく困難な証言の背景なのです。占領体制によって引き起こされ、我々の戦闘によって長引かされている苦痛に満ちた現象の詳細を、繰り返す必要はないでしょう。安全な場所をもとめて逃げる子供たちの殺戮、テロ行為を始めようとしていたわけではない指名手配者の裁判なしの処刑、数百万の人々の生活を悪夢に変えた包囲、封鎖、検問、などを思い起こすだけで十分でしょう。これらの行為のすべてが、占領の諸条件の下で我々自身を守る必要から発したものであるにしても、占領が存在しなければ、それらは不必要なものとなるでしょう。かくして、黒旗がこれらの行為の上になびいています。

 これは厳しい現実です。それは、自由で公正な社会として我々が存在する道徳的基盤を失わせる原因となり、またイスラエルの長期にわたる存続を危険にさらす原因となりつつあります。イスラエルの安全保障は、武力にのみ基礎を置くことはできません。むしろ道徳的正義の諸原則に基礎を置き、近隣の人々との平和に基礎を置かねばなりません。占領体制は、そういう道徳的正義の諸原則を掘り崩し、平和の達成を妨げています。かくしてこの体制は、イスラエルの存在そのものを危険にさらしているのです。

 まさにこの背景に照らして、IDF(イスラエル国防軍)予備役将兵たちの占領地での軍務拒否を見なければなりません。彼らの目から見ると、占領体制は悪であり、占領地での軍務は悪なのです。彼らの目から見ると、不道徳の行為を行わざるをえない状況に兵士たちを強制的に置く占領地での軍務は悪なのです。だから良心にしたがって、彼らは、そのような行為に加わることができないのです。したがって、彼らの軍務拒否は、あらゆる民主主義的な体制において正当化され認められる良心の行為なのです。歴史の審判は、彼らの軍務拒否が我々の道徳的支柱を回復する行為であった、ということに必ずやなるでしょう。




 アメリカの「報復戦争」と日本の参戦に反対する署名運動 事務局