反占領・平和レポート NO.55 (2008/3/10)
Anti-Occupation Pro-Peace Report No.55

[パレスチナ/イスラエル]
2つの請願署名の紹介と「予見される結末」(ウリ・アヴネリ)

■イスラエル人パレスチナ人共同の戦闘停止呼びかけ「今すぐ戦闘停止を!Ceasefire Now!」
http://www.ipetitions.com/petition/ceasefirenow/
■「パレスチナ人イスラエル人の戦闘停止呼びかけを支持するSupport the Palestinian-Israeli call for Ceasefire」
http://www.ipetitions.com/petition/StopViolenceCycle/index.html
■「予見される結末An End Foreseen」(Uri Avnery 08.2.9)
http://zope.gush-shalom.org/home/en/channels/avnery/1202631015/


はじめに

(1)イスラエルの平和団体「グッシュ・シャロムGush Shalom」と「ジ・アザー・イスラエルThe Other Israel」が、新たに立ち上がった2つの請願署名を世界に向けて発信・紹介しています。内容を見ると、署名対象は限られているようです。しかし、現在の緊迫した情勢を反映しており、要請文にも「一般大衆に知らせたりすることは、大いに歓迎です」とあり、ここに紹介することにします。

 ひとつは、「イスラエル人パレスチナ人共同の戦闘停止呼びかけ」で、配信メールには次のように書かれています。
 ――ガザ地区の内と周辺での厳しく激しい戦闘のエスカレーションを前にして、イスラエル人とパレスチナ人が、戦闘停止と流血の終結を求め、同時にガザ地区の封鎖終結を求める、大衆的な共同請願署名の緊急イニシアティヴをはじめました。先月共同して物資供給のコンボイを組織した「封鎖に反対するイスラエル人連合the Israeli Coalition Against the Siege」と、ガザ地区に基礎をおく「“封鎖を終わらせろ”キャンペーンthe Gaza-based Campaign 'End the Siege'」は、この請願を促進するために大衆動員を行なっています。
 次のことに留意することが重要です。この請願は、イスラエル人とパレスチナ人にとってのものだということ、つまり、破滅的な戦闘にはまり込んでしまっている2つの社会の構成員にとってのものだということです。イスラエル人でもなくパレスチナ人でもない人々は署名しないでください。でも、支持を表明したり、このテキストをご自分の国のメディアや政策決定者や一般大衆に知らせたりすることは、大いに歓迎です。――

 この後すぐにもうひとつ立ち上げられた請願署名「パレスチナ人イスラエル人の戦闘停止呼びかけを支持するSupport the Palestinian-Israeli call for Ceasefire」は、先の請願署名を支持する国際請願署名です。この趣意文は、「イスラエル人パレスチナ人共同の戦闘停止呼びかけ」を支持する旨の簡単な前書きの後に、先の請願署名の趣意文全文を掲載しています。冒頭で、「私たち署名者は、パレスチナおよびイスラエルに居住しないクリスチャン、ムスリム、ユダヤ人ですが、・・・」とあるように、この署名も、対象が限られています。以下、それを翻訳紹介します。

(2)さらに、「グッシュ・シャロム」を主宰するウリ・アヴネリ氏が、イスラエルによる占領の不可避的な敗北を歴史の教訓として展開した論説「予見される結末An End Foreseen」(08.2.9)の翻訳をあわせて紹介します。アヴネリ氏は、この「反占領・平和レポート」シリーズでも過去に幾度か紹介したイスラエル左翼の重鎮(現在84歳)で、ここで紹介した署名の発信元「グッシュ・シャロム」という反戦平和団体のリーダーでもあります。
※Uri Avnery From Wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Uri_Avnery

 この論説は、反帝・反植民地主義闘争が勝利するのは歴史の必然性、「鉄の必然性」であるという、氏の信条的確信をストレートに述べたものです。言うまでもなく、アヴネリ氏はイスラエル人です。その氏が、パレスチナ人民の抵抗、蜂起や反乱は歴史的に正当で正しいこと、人民に支持されたパレスチナの民族解放運動は不可避的に勝利するということを確信を持って主張しているところに、この論説の特徴がありますす。いわば帝国主義である自国イスラエルに対する「呪いの言葉」です。そして、氏は、これまで繰り返しイスラエル政府に要求してきたことで結びます。「双方がともに生き、そこから利益を得ることができる政治的解決に到達し、そして出て行くことである。」と。

アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
2008年3月10日





パレスチナ人イスラエル人の戦闘停止呼びかけを支持する
Support the Palestinian-Israeli call for Ceasefire
※http://www.ipetitions.com/petition/StopViolenceCycle/index.html


 私たち署名者は、パレスチナおよびイスラエルに居住しないクリスチャン、ムスリム、ユダヤ人ですが、米国政府と国際社会に、ガザ地区の内と周辺での流血のエスカレーションを止めるよう介入することを求めます。私たちは、この地域のコミュニティー指導者たちによって書かれ最近はじめられたイスラエル人パレスチナ人共同の戦闘停止呼びかけを支持します。その「イスラエル人パレスチナ人共同宣言」のテキスト全文は次の通りです。

「今すぐ戦闘停止を!Ceasefire Now!」
http://www.ipetitions.com/petition/ceasefirenow/

 ガザ地区の内と周辺での戦闘のエスカレーションは、人々に恐ろしいまでの苦痛を引き起こしています。――男にも女にも、老人にも子どもにも、パレスチナ人にもイスラエル民間人にも。
 イスラエル軍によって行われた軍事攻撃は、この間に数百人のパレスチナ人犠牲者を出しています。その多くは、非武装の民間人でした。攻囲と経済封鎖は、ガザ地区の大部分の人々をみじめな貧困につきおとし、その経済を破壊し、重病人に死をもたらし、生命にかかわる治療も受けられなくしています。スデロットへのパレスチナ側からの攻撃は、物理的肉体的犠牲をはるかにこえて深刻な心的外傷を住民に与えています。

 これは、同等な二つの勢力のあいだでの紛争ではありません。中東で最も強力な軍隊が、世界で唯一の超大国に支援されて、軽武装の民兵と狭い地域に押し込められている人口過密の住民に、戦車、戦闘機、ヘリコプター、武装ヘリなどを日々使用しています。この地域の人々は、現在の封鎖のはるか以前から占領下で暮らし、貧困の中で生活してきたのです。

 でも、戦闘に巻き込まれている人は、みんな苦しんでいるのです。戦闘のどちらの側でも、どちらの人々のあいだでも。毎日の恐怖の中で暮らすことの苦痛、負傷し身体が不自由になることの苦痛、愛する人を失うことの苦痛は、どちらの側でも同じ痛みです。抑圧されている側でもしている側でも、占領されている側でもしている側でも、富者も貧者も、力を持っている者も持たない者も。

 境界のどちらの側からの攻撃も、お互いを餌食にし、お互いの激情をかきたてるだけです。ガザのパレスチナ人は、イスラエルの「撤退」にもかかわらず正当にも依然として占領下に暮らしていると感じて、占領に抵抗することを追求し続けていますが、その際に民間人に対してロケット弾を使用するとき、それは、ガザの封鎖を強めイスラエルの暴力をエスカレートさせるための追加的な正当化事由を提供するだけになっています。

 暴力と流血の繰り返しは延々と続き、ガザ地区への全面的な侵攻や再占領の脅しが、イスラエルの軍事的または政治的指導者たちによって公然とまた繰り返し行われています。そこでは、数百数千あるいは数万の犠牲者が見込まれています。

 私たち署名者――イスラエル人とパレスチナ人――は、この残酷な現実を避けがたいものとして受け入れることはできません。流血のエスカレーションと窒息させるような封鎖に対して、明白でまぎれのない別な選択肢、希望を与えるような選択肢があります。ガザの封鎖の終結、そしてあらゆる戦闘および交戦行為の停止です。

 ガザの封鎖とガザ住民に対する集団懲罰は、全く認めることができないものです。それは、戦争の中世的な形態であり、占領当局としてのイスラエルが尊重しなければならない現在の人権と国際法の基準に、全く反したものです。封鎖は、他のいかなる問題とも連動させずに、即時終結すべきです。そして、ガザ地区は外部世界と自由に接触でき、人とモノの自由な往来ができなければなりません。

 ガザのパレスチナ民間人に負わせた苦しみがスデロットの問題を解決しなかったし、またしえないということは、既に明らかに目撃されてきたところです。唯一の解決は、完全かつ相互の戦闘停止、イスラエルの占領によるパレスチナ人へのすべての武装攻撃の終結、歩兵、戦車、大砲、戦闘機、砲艦によるすべての砲撃と、あらゆる目標殺害、越境襲撃と逮捕を含む攻撃の終結、およびパレスチナ側からのイスラエルへのロケット攻撃の終結です。加えて、ここに捕虜交換問題を含めるべきです。イスラエル兵ギレアド・シャリットとパレスチナ人虜囚の交換交渉から始めて。

 私たちは、そのような停戦を、まったく現実的で達成可能で望ましいことと考えます。それは、命を救い、悲惨を軽減し、2つの人民のあいだで和平を達成する試みにとってのよりよい状況をつくり出すでしょう。最後に、西岸地区とガザ地区と東エルサレムのパレスチナ人が占領下で暮らし続ける間は、永続的な解決は不可能であるということを理解しつつ。



予見される結末 An End Foreseen

Uri Avnery 2008年2月9日
※http://zope.gush-shalom.org/home/en/channels/avnery/1202631015/


 ある賢者がかつて言った、「バカは自分自身の経験から学ぶ。知力ある人は他人の経験から学ぶ」と。人はこれに、次のように付け加えることができるだろう、「そして、大バカ者は、自らの経験からさえ学ばない」と。
 そこで、次のことが問題となる。人は経験から学ばないということを明らかにしているある書物があって、そこから我々は何を学ぶことができるだろうか、ということである。
 今述べたことはすべて、そのような著書をこれから推奨しようとする下準備である。私は、原則として本の推薦は行わない。自分の著書でさえそうである。しかし、今回ばかりは例外をもうける必要があると感じている。

 それは、最近アメリカ合衆国で出版されたウイリアム・ポークの著書『暴力政治Violent Politics』である。ポークは、1946年にパレスチナにいた。英国の占領に反対する闘いが頂点に達したときである。そしてそのときから、彼は民族解放戦争の歴史を研究した。300ページ近い著述で、彼は、アメリカ独立戦争からアフガニスタン戦争までの蜂起・反乱を比較した。国務省のプラニング・スタッフとしてすごした数年の間に、彼はイスラエル・パレスチナ紛争に関わることになった。彼の諸結論は、きわめて明快なものである。

 私は、このテーマに特別の関心がある。15歳で「イルグンIrgun」に参加したとき、私は、これまでの解放戦争についての本を、特にポーランドとアイルランドのものを読むように言われた。私は、手に入れることのできたあらゆる本を精出して入念に読んだ。そして、世界中の蜂起、反乱、ゲリラ戦争をフォローした。マラヤ、ケニア、南イエメン、南アフリカ、アフガニスタン、クルディスタン、ベトナム、その他。そのうちのひとつに、アルジェリア解放戦争があった。それは、私が個人的に関わりをもったものであった。

 「イルグンIrgun」に所属していたとき、私は、オックスフォードで教育を受けた弁護士のオフィスで働いていた。私たちの依頼人のひとりは、英国から権限を与えられた政府高官であった。彼は、知的で楽しくユーモアのある人であった。私は、彼がなくなったとき、私の心をよぎったある考えを思い出す。彼のような知的な人々が、どうして、そんなバカな政策を行うことができるのだろう、という考えである。

 それ以来、私は、他の反乱や蜂起に夢中になればなるほど、ますますこの不思議が強まった。占領とレジスタンスのまさにその状況が、占領者にバカげた行いを運命づけ、最も知的な人々をさえバカ者にしてしまうということがありうることなのか、と。

 数年前、BBCが、インドからカリブ海諸国にいたるまでの英国の旧植民地における解放過程について、一連の長いシリーズを放映した。それは、それぞれの植民地につきひとつのエピソードを紹介していた。旧植民地の元行政官、占領軍の高官、解放闘争の闘士、その他の目撃者たちが、長々とインタヴューされていた。とても興味深く、また重苦しいものであった。

 重苦しいもの。――というのは、それらのエピソードがほとんど正確に同じことを繰り返していたからである。あらゆる植民地の統治者たちは、前のエピソードの統治者によっておかされた誤りを繰り返していた。彼らは、同じ幻想を抱き、同じ敗北をこうむっていた。誰一人として、彼らの先人から教訓を学ばなかった。その先人が自分自身である場合でさえ、そうであった。――パレスチナからケニヤに移された英国警察官たちの場合のように。

 彼のコンパクトな本の中で、ポークは、ここ200年の主要な蜂起・反乱を叙述し、それらをお互いに比較し、明白な結論を導き出している。

 あらゆる蜂起・反乱は、もちろんひとつひとつユニークなものですべて他とは異なっている。というのも、背景が異なり、占領者と被占領者の文化が異なっているからである。英国人はオランダ人とは異なり、そのどちらもフランス人とは異なっている。ジョージ・ワシントンはチトーとは異なり、ホー・チ・ミンはヤセル・アラファトとは異なっている。だが、それにもかかわらず、すべての解放闘争に驚くべき同一性がある。私にとって、その主たる教訓は次のことである。すなわち、一般大衆が反乱者たちを抱きしめたときから反乱の勝利は保証されているということである。

 それは、鉄の法則である。民衆に支持された蜂起・反乱は、占領体制によって採用された戦術のいかんに関わりなく、必ず勝利する。占領者は、無差別殺戮を行なったり、もっと人道的な方法をとったり、拘束した戦士たちを拷問して殺害したり、彼らを戦争捕虜として扱ったりすることができる。だが、長期的に見れば何も変わらない。占領者は最後には、英国のハイファの植民地弁務官のように厳かな儀式をとり行なって帰国の船に乗ることもできるし、サイゴンの米国大使館の屋根の上での米兵たちのように最後のヘリコプター1機まで戦い続けることもできる。しかし、蜂起がある点に達したときから敗北は必至であった。

 占領に対する真の戦争は、占領されている人々の心の中で起こる。したがって、自由を求める戦士たちの主要な課題は、一見そうみえるかもしれないように占領と戦うことではなく、人民の心をつかむことである。そして他方の側では、占領者の主要な課題は、自由を求める戦士たちを殺すことではなく、人民が彼らをいだくのを妨げることである。闘いは、人民の心を、精神を、考えを、感情を、とらえることにある。

 それは、将軍たちが解放闘争の戦士たちとの闘いで、ほとんどいつも失敗する理由のひとつである。軍高官というものは、この任務に最も適さない人物である。子ども時代のしつけのすべて、彼の思考方法の総体、彼が学んできたことのすべてが、この中心的任務に敵対しているのである。ナポレオンは、軍事的天才であったが、スペイン(そこではゲリラ=小戦争という言葉がもともと作り出されたのだが)で自由を求める戦士を打ち負かすことに失敗した。ベトナムにおける最もおろかな米国の将軍たちは言うまでもないことである。

 ある軍高官は、特別任務を遂行すべく訓練された技術者である。その任務は、表向きの妥当性にもかかわらず、解放運動との闘いとは無関係である。家のペンキ塗りは絵の具を扱うが、そのことで彼が肖像画家になれるわけではない。傑出した水圧技師が熟練した配管工になるわけではない。将軍は、民衆蜂起の本質を理解していない。したがって、その法則をつかみとることができない。

 たとえば、将軍は、彼の成功を殺した敵の数ではかる。しかし、地下組織の闘いは、人民に示すことのできる戦士の死者の数、つまり殉教者の数が、増えれば増えるほど強くなる。将軍は、戦闘に備え、それに勝利することを学ぶ。しかし、彼の敵、ゲリラ戦士は、概して戦闘を避けるのである。

 聖像チェ・ゲバラは、典型的な解放戦争が通過する諸段階を見事に規定している。「まずはじめに、遠く離れた場所でたどり着くのが難しい所[または私が加わったような都会の人口密集地]に隠れ住み不十分にしか武装していない一群の部隊が登場する。それは、幸運に恵まれたとき当局に一撃を与えることができ、不満を持った農夫や若い理想主義者などから若干の補充をえる。それは、 ...住民と接触をとり、そして軽いヒット・エンド・ランの攻撃を行う。新たなリクルートで隊列が増大するにつれて、敵の中心的な柱に闘いを挑み、その主導的要素を破壊したりする...。次には、この一群の部隊は、半永久的な野営キャンプを設営し、 ...そして、ミニチュア版の政府の特徴をおびるようになる。」等々。

 蜂起者たちにとって、個々の活動で成功をおさめるためには、人々の情熱をかきたてるという考えが必要である。人民が彼らのまわりに結集し、援助の手を差し延べ、隠れ家や情報を提供する。この段階からは、占領当局が行うあらゆることが蜂起者たちに手を貸すことになる。自由のために闘う戦士が殺されるとき、それ以上の者が進み出てその隊列を増強する(私も若いときにそう行動した)。占領者が住民に集団懲罰を課すとき、住民は憎しみをいっそう強固なものにし、相互の助け合いを強化する。占領者が解放闘争の指導者を捕まえたり殺したりすることに成功するときには、他の指導者がそれに取って代わる。――ギリシャ神話のヒドラがハーキュリーズに刎ねられた首の一つ一つから複数の新たな頭を再生させたように。

 占領当局が、自由のために闘う戦士たちの間に分裂を引き起こすことに成功することがしばしばある。そしてこれを主要な勝利と考える。しかし、分裂したすべての部分が、それぞれ別々に、競い合いながら占領当局と闘い続ける。ファタハとハマスが今まさに行なっているように。

 ポークがイスラエル・パレスチナ紛争に特別の章をささげなかったのはことのほか残念であるが、それは実際必ずしも必要ではない。我々自身が、我々の理解にしたがってそれを書くことができる。

 40年にもわたる占領を通じて、我が国の政治的および軍事的指導者たちは、パレスチナ人のゲリラ戦争に対する闘いに失敗してきた。彼らは、先人たち――インドネシアのオランダ人、パレスチナの英国人、アルジェリアのフランス人、ベトナムの米国人、アフガニスタンのソ連人――よりもいっそう愚かだというわけでもないし、いっそう残忍だというわけでもない。我が国の将軍たちは、その傲慢さにおいてだけはすべてに抜きんでているかもしれない。――自分たちは最も賢くて、「ユダヤ人の頭脳」というものは、あらゆる国民・民族が考えつくことのできない新案特許の数々を発明するのだという信念において。

 ヤセル・アラファトがパレスチナ人の心をとらえ、占領から脱したいという燃えるような思いのまわりにパレスチナ人を団結させることに成功したときから、この闘争は、すでに決着がついたのである。もし我々が賢明であったなら、そのときに彼とのあいだで政治的解決に到達したことであろう。しかし、我が国の政治家たちと将軍たちは、他のすべての先人たちよりも賢明であるわけではなかった。そして、我々は、殺し続け、爆撃し続け、破壊し続け、追放し続けている。もしもう一撃さえあれば、切望している勝利がついに実現するだろう、というバカげた信念をもって。――それは、暗いトンネルがよりいっそう暗くさえあるトンネルへと我々を導いたということを知る結果になるだけなのだが。

 いつも起こるように、最初に登場した解放闘争の組織がその目的を達成できないときには、別のもっと極端な組織が、それと並立するかまたはそれに取って代わって湧き出てきて人民の心をつかむ。ハマスのような組織が、ファタハのような組織に取って代わるのである。植民地体制は、より穏和な組織と適時に合意に到達しなかったら、もっと過酷な条件で合意することをついには余儀なくされる。

 チャールズ・ド・ゴール将軍は、そういう段階に達する前にアルジェリアの反逆者たちとの和平に成功した。125万人の植民者たちは、ある朝、フランス軍はしかるべき日に荷造りして帰国する予定であると聞かされた。植民者たちは、多くが第4世代であったが、補償もなにもなく命からがら逃げ帰った(2005年にガザ地区から立ち去ったイスラエル人とは違って)。しかし、我々には「ド・ゴール将軍」はいない。我々は、無限に進行し続けることを強いられている。

 我が国の政治家たちや将軍たちの痛ましい無力さは、もしそれが日々目撃する恐ろしい悲劇の数々をもたらすのでなかったら、彼らがどこから自分たちの“救済”が訪れるのかもわからずに走り回っている様子を微笑んで見ていることができるだろうに。どうすべきなのか? 彼らすべてを飢えさせればいいのか? それは、ガザ・エジプト国境の壁を崩壊させるということにつながった。彼らの指導者を殺せばいいのか? 我々は既に、シェイク・アフメド・ヤシンやその他の数え切れないほどの指導者を殺してきた。「グランド・オペレーション」を実施して、ガザ全土を再占領すればいいのか? 我々は既に、ガザ地区を二度も征服した。今度はもっと能力のあるゲリラに遭遇すること必然である。彼らは住民によりいっそう根付いているにちがいない。あらゆる戦車、あらゆる兵士が、標的になるだろう。本当にハンターが獲物になることだろう。
 そこで、我々がこれまでにしてこなかったこととして、一体何ができるだろうか?

 何よりもまず第一に、すべての兵士と政治家にウイリアム・ポークの本を読ませることである。アルジェリア闘争についての良書の一つとともに。

 第二に、全人民が立ち上がったすべての国で、すべての占領体制が最後には行なったことをすべきである。すなわち、双方がともに生き、そこから利益を得ることができる政治的解決に到達し、そして出て行くことである。

 結局、結末は疑いの余地はない。唯一の問題は、占領者が免れることのできない避けがたい結論に到達するまでに、どれだけ多くの殺戮が、破壊が、苦しみが、引き起こされねばならないかということである。

 流される一滴一滴の血は、すべて無駄に流される一滴である。