反占領・平和レポート NO.39 (2004/5/30)
Anti-Occupation Pro-Peace Report No.39

ラファはまだ終わっていない。再侵攻を狙うイスラエル軍に監視の目を!
−−今後まだ2000戸もの家屋破壊が予定されている−−
“Rafah " Is Not Off the Agenda.Keep an eye on IDF watching a chance for re-invasion!−−Intended to demolish still more 2000 houses.


■依然として予定表からはずされていないラファ
 イスラエル軍は、5月24日夜、ラファでの今回の軍事作戦は終了したと発表しました。しかし、再侵攻を狙っているということを隠そうともしていません。5月25日の「イディオト・アハロノト」紙に、副参謀長が次のように語ったと伝えられています。
 「我々は、フィラデルフィ・ルートを確保し保持しなければならない。ラファで約2000戸の家屋を破壊して『フィラデルフィ』を拡張する計画も、もちろん予定表からはずされてはいない。ガザ地区でイスラエル兵士に新たな攻撃が加えられるという出来事があれば、あるいは『報復の必要』があるような他の出来事があれば、この計画は再浮上するだろう」と。(5月25日付「グッシュ・シャロム」配信メールより)

 今回のイスラエル軍によるラファ侵攻に対しては、シャロン政権と軍首脳の予想をはるかに超えた国際的な非難の高まりがありました。それを背景に、5月19日、イスラエルに家屋破壊と暴力行為の停止を求める国連安保理の決議が採択されました。これまで、イスラエルに要求を突きつける安保理決議は、ことごとく米国が拒否権を行使して葬り去ってきました。しかし今回ばかりは、米国も拒否権を行使できず棄権したことで採択されたのです。そのため、シャロン政権とイスラエル軍は、作戦行動を縮小せざるをえませんでした。これは、国際的な抗議行動の成果に他なりません。私たちも抗議の呼びかけを行い、それに加わりました(「ガザ地区で緊急事態」)。
 再侵攻の機会をうかがっているシャロン政権とイスラエル軍を、世界中が監視し批判し続けることが重要です。

■ラファ侵攻の真相:シャロンや軍部の保身・延命
 イスラエル政府は、今回の大規模侵攻の目的を「武器密輸トンネルの摘発破壊」のためと言いますが、それは口実です。エジプトとの国境線を完全にイスラエルの軍事的コントロール下に置こうとして、イスラエル軍は系統的に国境の町ラファの家屋を破壊してきました。

 「ガザ撤収案」そのものが、昨年秋以降の和平を求める世論の再度の高まり、政府の政策的手詰まり、首相の汚職疑惑が訴追されるかもしれないという政権の危機、経済的苦境と緊縮財政に対する国民の不満の高まり、等々の中で打ち出された苦しまぎれの提案でした。それを少数与党の連立政権のもとで通すことは、通常の手段では無理で展望のないものでした。その苦境を打開するために、西岸の大入植地をイスラエル領土として事実上併合してしまう「分離壁(Wall)」の完成と、ガザ地区および西岸の残りの部分の完全なバンツースタン化=強制収容キャンプ化をセットにして、“武断的和平派シャロン”を演出し、さらにブッシュ政権のお墨付きを先に得て、次いで党員投票で支持を得てから通常の手続きに乗せる、そして閣議決定へもっていこうとしたのです。それが、自らが育ててきた入植者とリクード党員の反逆によって頓挫してしまいました。

 焦ったシャロンは、汚名を返上するための方策を手当たり次第に摸索して、一方では無原則に提案をコロコロ変えて醜態をさらし、他方ではガザ地区への軍事的強行策をいっそうエスカレートさせて強さを誇示しようとしました。イスラエル兵士が5月12日に6人、14日に5人と、パレスチナ・レジスタンスによって殺害された事件は、そのような脈絡の中で起こったのです。今回の軍事侵攻は、この軍事的失態を糊塗するために、シャロン政権とイスラエル軍首脳が自国民に強さを誇示するための暴挙に走ったものに他なりません。さらにシャロンは、自らの「ガザ撤収案」を自党リクード党の党員投票で拒否されて、個人的な汚職疑惑も含めた極度の政治的苦境に陥り、それを乗り切るためにも、自国民受けする“軍事ショー”を必要としていました。いずれにしてもラファのパレスチナ住民が、シャロンや軍部の保身・延命のために“いけにえ”にされたのです。

 このようなこの間の諸事情を詳しく解説した論説が、イスラエル平和運動の「グッシュ・シャロム」を主宰しているウリ・アヴネリ氏から出されました。それを今回、翻訳紹介します。(また、昨年末の「ジュネーブ合意」が出されたころ以降の諸事情について詳細に論じた「The Other Israel」−−「グッシュ・シャロム」のスポークスマン、アダム・ケラー氏が主宰している季刊誌−−の編集論説を現在翻訳準備中です。出来次第報告します。)

■欺瞞そのものの「ガザ撤収案」:西岸入植地併合のカムフラージュとガザ地区の“巨大強制収容所”化
 「ガザ撤収案(Disengagement Plan)」は、昨年末にわかに持ち出されて以降、その詳細は何度も変わりましたが、4月の訪米へ向けて内容が確定されていきました。ガザ地区の入植地をすべて撤去して軍を撤退させるという触れ込みで、「ロードマップ」に沿う歴史的なイニシアティブだと宣言されました。しかし、この計画は、「分離壁(Wall)」で西岸地区のほとんどの入植地を事実上イスラエル領に併合し、壁で完全に包囲した“巨大な強制収容所”の中にパレスチナ人を押し込めようとすることが主たる目的で、「ガザ地区から撤退する」というのは、西岸での国際法を完全に無視した帝国主義的暴挙をカムフラージュするものでした。そして、さらに厚顔無恥なことには、「歴史的イニシアティブ」とされる「ガザ撤退」と引き換えに、パレスチナ難民の帰還権を放棄させ、イスラエル建国時の計画的なパレスチナ人の大量追放についてのイスラエルの責任と義務を否定しようと画策したのです。
 その上さらに、「ガザからの撤退」そのものが、まやかしのものであるということが次第に明らかになりました。入植地の撤去と軍の撤退の具体的計画は一切なく、まずは、ガザ地区の陸海空のすべてについてイスラエルが完全に軍事的に管理し、必要があればいつでも軍が自由に侵攻できる体制を確保すること、これこそが「ガザ撤退」の現実的な中身なのです。このことからすると本当に入植地の撤去と軍の撤退が行われるかどうかも、極めてあやしいものなのです。

■ブッシュ政権による「ガザ撤収案」の賛美:シャロンの暴走へのゴーサイン
 4月14日、ブッシュ=シャロン会談が行われました。ブッシュ大統領は、「ガザ撤収案」を「歴史的かつ勇敢な行動」と賞賛することで、シャロン政権の暴走に拍車をかけました。

 3月22日のヤシン師暗殺の際、ブッシュ大統領はイスラエルを非難しなかっただけでなく、「どの国にも、テロから自国を守る権利がある。イスラエルもそうだ」と論評して、積極的にこれを容認しました。そして、この「ガザ撤収案」の賛美の直後、ランティシ師暗殺が行われました。ブッシュ政権は、ライス米大統領補佐官、マクレラン大統領報道官、ブラック国務省テロ対策担当官らが次々と「イスラエルには自衛の権利がある」と繰り返しました。このとき朝日新聞は、「米国が暴走を許した」という社説(4月19日)で、ブッシュ=シャロン会談が「まるでランティシ師殺害にお墨付きを与えたようなものである」と論評しました。それほどブッシュのシャロン支持・擁護は露骨でした。
 今回のラファ侵攻の際にも、ブッシュ大統領は5月18日、ユダヤ系団体の会合で演説し、「イスラエルはテロから自国を守るあらゆる権利を有する」と述べ、イスラエル軍の武力行使を正当化したのです。数千人の非武装のデモに武装ヘリでミサイルを打ち込み、戦車から砲撃するというラファの虐殺が起こったのは、その翌日でした。

 5月18日以降の軍事侵攻は、ハマス指導者ヤシン師およびランティシ師暗殺の容認、西岸の入植地をとり込む形での「分離壁」建設強行をカムフラージュする「ガザ撤収案」の賛美、それを通じての入植地の公然たる容認と領土併合の承認、パレスチナ難民の帰還権の公然たる否認等々、苦境に陥ったシャロンへのブッシュの全面支援・支持という一連の流れの中に位置するものです。そのたびに、ブッシュ政権は、「イスラエルには自衛の権利がある」と繰り返してきたのです。
 米国による国際舞台での政治的庇護と軍事的経済的援助なしに、イスラエルというこの凶暴な侵略マシーンは成り立ち得ません。イスラエルに対する抗議、批判、監視と並んで、米国に対しても厳しく批判し抗議しなければなりません。

 窮地に陥って凶暴化しているシャロン政権の暴走を許さない、国際的な反戦平和運動の責務は、ますます重大になっています。パレスチナおよびイスラエル現地での闘争と連帯し、末期症状を呈しているシャロン政権を追いつめなければなりません。

2004年5月30日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



[翻訳](「グッシュ・シャロム」5.23配信メールより訳出)
ザ・レイプ・オブ・ラファ
The rape of Rafah
(「Zネット」に「シャロンのやり方(Shron's Method)」として掲載)
ウリ・アヴネリ
04.5.22


 国中から召集されたイスラエル軍の計り知れないほど巨大な力が、極貧のガザ地区の中の、小さな辺境のパレスチナの町を攻撃した。戦闘員も非戦闘市民も含めてパレスチナ人が数十人殺され、家屋が大規模に破壊された。逃げまどう住民の光景は、1948年の記憶を甦らせる。

 このすべては、いったい何のため?

 一見したところでは、この作戦行動全体がバカげたものにみえる。アリエル・シャロンは、ガザ地区のすべてからの一方的撤退を提案した。彼のもともとのプランでは、エジプトからガザ地区を切り離す緩衝地帯「フィラデルフィ・アクシス(またはフィラデルフィ・ルート)」の撤去も含まれていた。このことは、彼がこの部分全体をイスラエルの安全保障にとって必要だとは考えていなかったということを意味する。彼によれば、ガザ地区は、軍事的また人口統計学的な重荷であり、できるだけ早くそこから出るほうがいいのである。
(訳注:シャロンの「ガザ撤収案」は、昨年末、オスロ合意の立役者たちによる「ジュネーブ合意」が強烈なインパクトを与えたことに対抗して、場当たり的に出されて、次々に内容が変更されていった。ここではその最初の案のことを述べている。4月にシャロン=ブッシュ会談で提示された案では、「フィラデルフィ・ルート」をイスラエルが軍事的に完全掌握することが明記されている。)

 前の参謀総長、現在の国防長官シャウル・モファズは、もっと明瞭であった。この卓越した思想家は、ガザ地区が「我々の家督」の一部ではないということ、そこでの入植地は最初からまちがいだったということを、明らかにした。しかしこれは、次のことを意味する。彼の命令の下にそこで殺された兵士たちは、無駄に、誤って死んだのであり、今そこで殺される兵士も皆、無駄に死につつあるということである。

 しかし今、さらに多くの兵士たちが命に関わる危険の中に置かれ、何十人ものパレスチナ人−−その中には女性や子どもたちがいる−−が、誤って殺されている。

 これは狂気の沙汰に聞こえるだろうか。首相と参謀総長は、どんな邪悪な精神にとりつかれて、もういつでも軍が立ち去ろうという地域で大軍事作戦を始めたのだろうか。

 この狂気の沙汰には、なんらかの筋道があるにちがいない。この猛攻撃の本当の理由は何であろうか。

 公的に表明された目的は、「フィラデルフィ・アクシス」で「トンネルを破壊する」ことである。しかし、トンネルは何年もの間そこにあったのである。軍は、そのようなトンネルをこれまでに98も破壊したことを誇っているが、この軍事作戦では、たったひとつのトンネルが発見されただけであった(訳注:軍のその後の報道では3つ発見されたとしている)。どんな軍事作戦もトンネルにキリをつけることはできない、ということは明らかである。たとえ軍が、このアクシスを拡張するためにもっと多くのパレスチナ人の家屋を破壊しても、新たなトンネルがもっと長くなるだけだろう。

 トンネルは、口実である。では、痛ましい小さな町への残虐な侵攻の本当の理由は何であったのか。

 第1の理由は最も単純である、つまり復讐への渇望である。イスラエル軍は、痛みをともなう2つの打撃を被った。そのときの指揮官たちは、恨みを晴らしたいと思っている。13人の我が兵士に対して数十人のパレスチナ人が殺され、破壊された2台の兵員輸送車に対して数百の家屋が破壊される。

 これに加えて、士気の問題がある。このことをあけすけに語った軍高官もいる。失敗の後でまだ傷心している兵士たちの士気を高めるための、イスラエル軍の優越性をきわだたせるような印象的な軍事作戦、と。

 兵員輸送装甲車輛に不適切に大量の爆発物を積んで、兵士たちを死地に赴かせた指揮官たちの、罪の意識を指摘することもできる。ちゃんとした軍の、責任ある士官なら、−−不運な参謀総長に率いられているとしても−−数時間以内に辞職したことであろう。しかし、イスラエル軍にあっては、物事はそのようにはなっていない。反対に、もし失敗したとしても昇進を期待することだってできる。

 純粋に軍事的な観点からして、「フィラデルフィ・アクシス」(名前は適当にコンピューターからつくられる)は狂気の沙汰である。それは、残虐な殺戮を行うことなしには、あるいはほとんど戦争犯罪であるようなことを行うことなしには、防衛することができない。それは、ろうそくの火が蛾を引き寄せるのと同じように、ゲリラを引き寄せる。しかし、それを考案した軍首脳たちは、その愚を決して認めはしないだろう。

 この軍事作戦には、もうひとつ別な理由がある。将軍たちは、「意気揚々と」ガザから離れたいのである。彼らは、パレスチナゲリラが武力で彼らを追い出したと主張するのを、許すことができない。レバノン撤退のとき、ヒズボラがまさにそう主張したのである。

 子どもじみた議論ではあるが、独特の軍事的メンタリティーを反映したものである。ラファの後には、まさに正反対のことが起こるだろう。この軍事行動は、パレスチナ人に、彼らの英雄的な抵抗がイスラエル軍を追い出したのだということを確信させるだろう。誰がそのことを否定できるだろうか。

 しかし、ラファへの猛攻撃の指令は、名声を博するような軍事ショーを必要としていた政治指導部から出された。一部の大衆の原始的な感情を満足させるために、大量の殺戮と破壊をともなった軍事ショーである。その単純思考は、こうである。彼らは我々を傷つけた、だから我々は彼らを10倍傷つけてやる、目には10倍の目を、歯には10倍の歯を。そうやって選挙に勝つのだ、というわけである。

 アリエル・シャロンにも、ラファの狭い路地でこのような輝かしい軍事的キャンペーンを命じる、いたって個人的な理由がある。リクード党員投票で敗北した後、彼は、八方ふさがりで行き詰まっていた。彼の党内と政府内の反対派は、あらゆる方面で彼を妨害した。

 リクード党員投票の2日後、グッシュ・シャロムは、「警告!」という見出しで次のような政治広告を出した。
 「シャロンは今や手負いの雄牛に似ている。
 「手負いの雄牛は危険な動物である。
 「彼の計画は死んだ。彼はたったひとつの入植地さえ解体することができない。彼は別な計画を承認させることもできない。
 「彼の唯一の出口は目を見張るような軍事的冒険を命じることである。
 「彼が生き残るために今やりかねない流血行為には歯止めがなくなっている。」

 この警告は、5月7日に「ハ・アレツ」紙に公表された。それから2週間もたたないうちに、今回の軍事作戦が始まった。

 将軍たちの復讐への渇望とならんで、この軍事行動は、シャロンの個人的関心事に資するように考えられている。ラファでの劇的な出来事があらゆる紙面を満たし、シャロンの政治的失敗を論じ報じる余地がないように。再び彼は、グローバルな舞台での役者であるように。そして、全世界が彼を非難しようとも、これはただ、選挙民の間での彼の身の丈を大きくすることに役立つのみであるように。

 それで、反対派の方はどうか。1週間前(訳注:5月15日)、15万人の平和を求める人々がテルアビブのラビン広場で集会とデモを行い、現在の状況に対する嫌悪感を表明し、変化を要求した。何人かの政治家が、これらのすばらしい人々の指導者として自らを任じ、彼らに歪曲された矛盾したメッセージをふりまいた。だが、これらの演説者のうちの誰一人として、この週のラファでの残虐行為に反対する声を上げる者はなかった。ラディカルな平和運動は、またもや現場に取り残され、ひとり奮闘しなければならなかった。ラファでの非武装のデモ参加者殺戮の2時間後、これらのラディカルな平和運動活動家たちは、テルアビブの通りで警察と対峙していた。そして、昨日(訳注:5月21日)彼らは、ラファの近くの検問所で騒然としたデモを行なったのである。

 ラファ侵攻は、ジェニン侵攻が成功しなかったのと同じように、もちろん成功しないだろう。正規軍は、それがどれほど強力であっても、必死の思いの住民に支えられたゲリラを鎮圧することはできない。反対に、軍が強力であればあるほど、その成功の可能性は小さくなる。数十人数百人を殺すことはできる、近隣を大規模に破壊することはできる、大量の人々をその家から追い出すことはできる、小規模な「ナクバ」を引き起こすことはできる。だが、それは役に立たないだろう。ゲリラ戦は、歩み寄りと平和的解決によってのみ終わらせることができる。

 ちょっと思い起こしてみよう。「ゲリラ」(小さな戦争)という言葉は、スペインでナポレオンに反対する闘いの中でつくり出された言葉である。フランスは、ゴヤのショッキングな絵で永久に証言されていく極度の残虐性で応えた。だがそれは、フランス人の助けにはならなかった。多くの歴史家が確信しているように、スペインのゲリラは、ナポレオンの世界帝国に致死の一撃をくらわせたのである。それは惨憺たるロシア侵攻よりも前の話である。

 シャロンは、彼がどう信じていようとも、ナポレオンなどではない。彼は、ラファを去ることになるだろう、そこに入ったときと同じように。何も変わらないだろう、ひとつのこと以外は。ラファは、ジェニンとならんで、パレスチナ人のきたるべき数世代の精神的支柱となるような国民的叙事詩の中に、その位置を占めるだろうということである。