反占領・平和レポート NO.26 (2003/2/5)
Anti-Occupation Pro-Peace Report No.26

イスラエル総選挙の敗北と対イラク戦争の切迫−−−−−−
リクード大勝に意気消沈せず闘い続けるイスラエル平和運動
Despite the triumph of Likud, Israeli peace camp keeps its own struggle without losing courage.

平和のための闘いは終わってはいない
それは再び始まる
なぜなら、それなしには我々に未来はないのだから
       (イスラエル総選挙後の「グッシュ・シャロム」による新聞広告より)

THE STRUGGLE FOR PEACE IS NOT OVER
IT BEGINS AGAIN
FOR WITHOUT IT, WE HAVE NO FUTURE
(From the Gush ad of this week)


■今は大衆的な支持を得られなくとも信念を貫いて闘い続ける
 1月28日に行われたイスラエル総選挙は、事前の予想通りにシャロン率いるリクードの大勝に終わりました。この選挙結果について、イスラエルの平和ブロック「グッシュ・シャロム」が1月29日付で、「女性連合」のギラ・スヴィルスキーさんが1月31日付で、相次いでコメントを世界に発信しました。私たちをも元気付けてくれる素晴らしいコメントです。それをここに翻訳紹介します。

 今、イスラエルの反占領平和運動は、ブッシュの対イラク戦争を目前に控え、イスラエルの民衆がイラクの「攻撃」を恐れる中で、「冬の時代」とも言える厳しい状況の中にあります。

 これまでも幾多の辛苦をくぐり抜けてきた彼ら反占領運動も、さすがに落胆の気分は否めないようです。それが痛いほど伝わってきます。しかし、「グッシュ・シャロム」や「女性連合」が牽引するイスラエル平和運動は、意気消沈することなく毅然とした姿勢を前に出しました。たとえ今は大衆的な支持を得られなくとも孤立を恐れず、信念を貫いて不屈の精神で闘い続けることを表明しています。かつてない逆風の中での彼らの決意に、私たち自身も身が引き締まる思いです。

■「我々は既にこれまで暴風雨の中をくぐり抜けてきた」(グッシュ・シャロム)/「この政府も必ずや過去のものとなる」(ギラ・スヴィルスキー)
 「グッシュ・シャロム」は、こう述べています。「議会主義ではない平和運動グループとして、私たちは、既にこれまで暴風雨の中をくぐり抜けてきました。私たちは、言わねばならないことを声を大にして言い続けます。−−そのことによって私たちが大衆的になるか否かにかかわらず。」と。
 そして早速、当面する課題として、労働党が連立に参加しないようにあらゆる手段を動員して圧力をかけることを提起しています。そこでは、「シャロンの背後には国民的コンセンサスがある」という神話に終止符を打つことの重要性を強調しています。

 「女性連合」は1月30日に会議をもちました。会場が満杯になるほどの熱気あるものであったようですが、さすがに選挙結果には落胆の気分が否めなかったことを、ギラさんは率直に述べています。しかし、早速、向こう6か月の活動計画を3時間にわたって議論したといいます。そして、6月の占領36周年に大規模な国際行動を行おうと決めたことを報告しています。さらに翌日1月31日には、エルサレムで「黒衣の女性たち(Women in Black)」の大規模なヴィジル(監視抗議行動)が行われました。
 ギラさんは、こう述べています。「そう、私たちは実のところ本当に落胆する気分です。でも、そんな中で、私たちが今日エルサレムで‘黒衣の女性たち’の特別大きなヴィジルを行い、昨夜は‘女性連合’の会合を会場満杯で行なったということは、たぶん驚くべきことなのでしょう。」「政治地図は、今は全く良くはありません。でも、この政府もまた、必ずや過去のものとなります。」と。

 落胆するような気分の中にあっても、自分たちのやるべきことをやり続けようとするパッションとエネルギーに感嘆しないではいられません。

■中東全域を親イスラエルに変えることを夢想しているネオコン=イスラエルロビー=リクード
 昨秋からイラク問題の陰に隠れるような形で、パレスチナ問題が国際的な関心からはずれた状況が続いてきました。しかし、アメリカの対イラク戦争は、イスラエルと密接に結びついています。対イラク戦争は、石油略奪のための戦争であり、アメリカ帝国の石油浪費構造を温存し継続するための戦争であり、石油メジャーと軍産複合体を潤すための戦争であることと合わせて、中東全域を親イスラエルに変えることを夢想するネオコン=イスラエルロビーの構想でもあります。

 署名事務局のパンフ『イラク:石油のための戦争−−ブッシュはなぜイラクを攻めたいのか−−』の第4.部で明らかにされているように、ブッシュ政権の中枢を占めているネオコンたちは、イスラエルロビーでもあります。対イラク戦争が始まれば、周辺諸国は動揺と崩壊の危機に立たされ大変な混乱状態に陥るということが、しばしば論じられています。しかし、ネオコンたちにとっては、それはまさに望むところであって、それを機に一挙に中東全域を「民主化」(=親イスラエル化)してしまおうと夢想しているのです。

■対イラク戦争に便乗してパレスチナ人の虐殺をエスカレートさせるシャロン
 シャロン政権は、国内でイラクからの攻撃の恐怖を過度に煽って、戦時体制を維持し、挙国一致体制を再構築しようとしています。そして、イスラエル軍によるパレスチナ人の殺戮は日常化しています。

 イスラエル軍は、総選挙投票日の少し前1月25日の深夜に、これまでにない規模でガザへの軍事侵攻を行いました。攻撃ヘリに支援された戦車40台でガザの旧市街など中心部に侵攻し、市場や住宅を破壊したのです。少なくとも12人のパレスチナ人が殺され65人以上が負傷しました。1月26日には、自治区全域を総選挙終了まで再封鎖し、それに反発するパレスチナ人を各地で攻撃しました。
 さらに、選挙直後にも、ヘブロンで市場の破壊がおこなわれました。これは、後で翻訳紹介しているギラさんの報告に述べられていますが、イスラエル軍は、ここ3か月の間に22人のイスラエル人が殺されたことへの報復だと説明しました。しかしその同じ期間に155人のパレスチナ人が殺されているのです(イスラエル人権団体ベッツェレムの調査統計による)。毎日1人〜2人殺されてきた勘定になります。

■対イラク戦争反対の闘いと対パレスチナ戦争反対の闘いの結合を!
 昨年4月のイスラエル軍による西岸自治区への大規模侵攻は、それに先立つ言わば予行演習ともいえる小規模な一時的侵攻の繰り返しによって準備されました。昨秋から、ガザ地区への小規模な一時的侵攻が繰り返されています。イスラエル軍による西岸地区での事実上の占領強化と殺戮の日常化と並んで、ガザ地区への大規模侵攻の危険性が高まっています。そしてそれは、アメリカの対イラク攻撃に便乗して、そのドサクサに行なわれるかもしれません。
 対イラク戦争反対の闘いと、イスラエル糾弾、パレスチナ連帯の闘いとを結びつけて闘う必要性を、再度強調したいと思います。

 今、「グッシュ・シャロム」のウェブサイトに、「NO! Stop the War on Iraq」のコーナーがつくられています。今年になって新設されたものです。まずは、第二次大戦終結の中で確立された「ニュルンベルク原則」を中心に、アメリカの対イラク戦争がいかに国際法に違反しているかを明らかにした論説が掲載されています。極度に右傾化を強めているイスラエルの国内にあって、「暴風雨」をものともせず、公然と対イラク戦争反対を掲げています。それがどれほど勇気のいることか、想像だにできません。
 「グッシュ・シャロム」や「女性連合」をはじめとするイスラエル平和運動の勇気ある闘いに、固く連帯したいと思います。

2003年2月5日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



【翻訳紹介(1)】
インターナショナル・リリース(by グッシュ・シャロム)
2003.1.29

 それ(選挙結果)は、ほとんど驚くようなことではありませんでした。この1か月にわたって、世論調査は、シャロンが新たな信託を手に入れるだろうと一貫して予測していました。この国が過去2年にわたる彼のリーダーシップの下で突入したメチャクチャな状態にもかかわらず、です。テルアビブ郊外の選管で投票が数えられるにつれて、リクードの得票の山が他よりもずっと多くなっていくのを見るのは、やはり落胆する気持ちにさせるものでした。その映像は、後に、深夜テレビ画面の前にすわって結果が開示されるのを見て、確証されました。

 労働党の25議席から19議席への後退は予測されていましたが、「メレッツ」の10議席から6議席への低落は予期されていたよりも悪いものでした。「ハダッシュ」と「バラッド」は、各1議席増やして、3議席から4議席へ、2議席から3議席へそれぞれ増えました(訳注:確定結果では、これら2議席は、リクードと国家宗教党のものとなりました)、−−逆に、2議席減らした「統一アラブリスト」は2議席になるでしょう。全体として、平和陣営には大きな打撃でした。そして、多くの投票が「リクード」だけでなく「シヌイ」(6議席から15議席へ増加)にも向かったということは、ほとんど慰めにもなりません。
 シヌイは、極右ユダヤ教正統派を寄生虫として攻撃することで、労働党とメレッツから離れた票を引きつけることに成功しました。これらの人々の間では、神学校の生徒たちが享受している兵役の免除についての不満がかなりあります。しかし、シヌイには政治綱領がなく、また多くの未経験者を議会に送り込みます。そのリーダーであるポピュリストのトミー・ラピッドは、イスラエル・パレスチナ紛争に関しては、シャロンとさほどかけ離れてはいません。

 議会主義ではない平和運動グループとして、私たちは、既にこれまで暴風雨の中をくぐり抜けてきました。私たちは、言わねばならないことを声を大にして言い続けます。−−そのことによって私たちが大衆的になるか否かにかかわらず。

 まさに今、私たちのような平和運動陣営に属する人々にとって、一つの新しい課題が提起されています。それは、あらゆる可能な手段方法を使って、政府に参加しないという労働党の決定を強化することです。議会の10分の1の勢力であってもきっぱりと反対する労働党は、少なくとも、「シャロンの背後には国民的コンセンサスがある」という神話に終止符を打つことになるでしょう。このことは、パレスチナ人の絞殺を終わらせるために−−米国ではないにしても−−少なくともヨーロッパに、その持てるテコを活用するよう促すかもしれません。



【翻訳紹介(2)】
幾多の選挙の後にも実生活がある(by ギラ・スヴィルスキー)
2003.1.31


 友人の皆さん、

 今朝のニュースで、選挙開票最終結果がもたらされました。最後の投票が数えられて、さらに2議席を右翼政党が獲得しました。リクードは38議席になり、国家宗教党は6議席になりました。一方、アラブ・ユダヤ・ハダッシュ党と労働者統一国家党で2議席を失いました。そして、労働党は、貧弱な18議席を保持するだけとなりました。

 あたかも、この事態が前ぶれとなって今後起こる恐ろしいニュースの例証を、私たちが必要としているかのように、昨日、ヘブロンのパレスチナ人食料品市場の破壊がありました。これは、この都市の植民者たちがやってきたことが行き着いたものです。彼らの10代の若者たちが、定期的にパレスチナ人の露店をひっくり返しては、それをあざ笑ってきました。兵士たちが見物している中で、です。まさにヒトラーの青年隊のグロテスクなイスラエル版です。実際、今回の破壊は、この市場の2度目の破壊です。1994年に、植民者バルフ・ゴールドシュタインが、ヘブロンで祈りを捧げていた29人のイスラム教徒を射殺したとき、イスラエル当局は、破壊された市場があった通りへのパレスチナ人の出入りを禁止することで応えました。今回は、昨夜の急襲の後の軍の説明によれば、ここ3か月の間にヘブロン地区で、22人のイスラエル人がパレスチナ人によって殺されたためにやったことだといいます。彼らが述べていないことは、その同じ期間に155人のパレスチナ人がイスラエル人によって殺されたということです(www.btselem.org を参照)。今週だけでも25人です。それはともかくとしても、イスラエル人を殺害したのはトマトの行商人ではなかったことは明らかです。

 もし労働党が「挙国一致政府」の連立に加われば、平和運動活動家はゾッとするだろうということには、何の不思議もありません。反対勢力は、たった33議席(120議席中)に縮小してしまいます。ペレスとその一派が第一次シャロン政権の間にリクードに提供したイチジクの葉は、高潔さや民主主義、道徳性、平和へのあらゆる希望を掘り崩し、人種主義の魔神が瓶から出て暴れまわることを許しました。

 今もし尋ねられれば、そう、私たちは実のところ本当に落胆する気分です。

 でも、そんな中で、私たちが今日エルサレムで「黒衣の女性たち」の特別大きなヴィジル(監視抗議行動)を行い、昨夜は「女性連合」の会合を会場満杯で行なったということは、たぶん驚くべきことなのでしょう。その会合では、誰も選挙結果について語りたいとは思いませんでした。もっとも、それはもちろん第一の議題であったのですが。そのかわりに、私たちは、向こう6か月の活動計画を作成するのに3時間を費やしました。いかにして私たちの見解をメディアに(テレビ、ラジオのトークショー、新聞などに)のせるか。人種主義と闘い平和の信念を支持するポスターにどんなメッセージを入れるか。入植者の生産物のボイコットをどのようにして深めるか。その他、ここ数週間に私たちが計画している諸行動について議論しました。
 そして、この選挙結果に対する公然たる反抗の壮大な意思表示として、私たちは、6月−−占領の記念日−−に大規模な国際的イベントを行なおうと決めました。イスラエルで、パレスチナで、そして国際的に、テレビ会談でお互いに結びつけて同時に開催して。これは、イスラエルとパレスチナの平和運動活動家たちの声を、広範な人々に届かせるのを可能にするものとなるでしょう。その多くの人々は、このような平和運動活動家たちの存在を知って驚くことでしょう。想像してみて下さい、巨大なスクリーンでお互いが目に見える形で同時に開催される大衆集会を。そして、イスラエルとパレスチナの演説者が生で「私たちは敵であることを拒否します。」と宣言するところを。それは息をのむようなすばらしいことではないでしょうか。

 私は、昨夜の会合と今日のヴィジルの後で、すぐれない気分が回復しました。そして思い起こすことがあります。つまり、ほんの3年前の1999年には、貧弱な19議席しかとれなかったのが、まさにリクード党だったということです。政治地図は、今は全く良くはありません。でも、この政府もまた、必ずや過去のものとなります。

シャローム/サラーム エルサレムより
ギラ・スヴィルスキー