5/28大阪で講演会「フリージャーナリスト安田純平氏が語る、拘束体験を通してみたイラク戦争・占領−−ファルージャの状況を中心に−−」
安田純平氏が語る拘束体験に170名の市民が耳を傾ける
ファルージャの純朴な農民達、生活に根ざした「自衛武装抵抗」の姿
−−「自衛隊派兵によって、日本とイラクの関係は友好から敵対に変わった」−−

 5月28日6時から大阪天満橋のエル大阪に於いて「フリージャーナリスト安田純平氏が語る、拘束体験を通してみたイラク戦争・占領−−ファルージャの状況を中心に−−」と題し、イラクで拘束された後、無事に解放された安田純平さんを迎えて、私たち署名事務局の主催で講演会を開催した。集会には170名を超える多数の市民が参加、立ち見、床に座るなど、会場が溢れるほどに席が埋まった。参加者の皆さんにはご迷惑をかける形になったが、今回の「人質事件」「拘束事件」とイラク戦争に関する関心の高さを示した。
 講演会は、(1)安田さんの講演を中心に、(2)ヒューマンシールド神戸の吉村さんからのイラク医薬品カンパの呼びかけ、(3)緊迫するイラクとサマワの新しい情勢のもとでの自衛隊撤退を求める新署名の提起、という内容であった。

■2人のフリージャーナリストが銃撃され死傷」の第一報を聞く−−橋田さんと小川さんの気骨を語り、声を詰まらせる。
 講演は緊張の中で行われた。前日、イラクで橋田信介さん、小川功太郎さんら2人のフリージャーナリストが銃撃された報道が流れたからである。参加者は2人の安否を気遣いながら、「武装勢力」に拘束されながらも解放された安田氏の講演を聴くことになった。先の今井さん、高遠さん、郡山さんら3人、安田さんと渡辺さんの2人は解放された。しかし、情報は錯綜しているものの27日に銃撃された2人の死亡は、この時点でほぼ間違いない情勢であった。

 講演の冒頭で安田さんは、橋田さんと小川さんへの襲撃事件に言及し、「物盗りとは考えにくい、日本人が狙われる理由は、戦争支持と自衛隊派遣しかない」と、今回の事件の背景を語った。橋田さんはベトナム戦争時代からの戦場カメラマンであるが、彼はフセイン政権下でも、他人のビザをカラーコピーして入国するという大胆さと執拗さでイラクを取材していたこと、多くのジャーナリストがパレスチナホテルに滞在しフセイン政権が用意したバスに乗って取材に回っていたのに対して、橋田さんは自前の行動で市民の生活をきちんと取材していたことなどを紹介し、プロのジャーナリストとしての気骨を語った。そして「橋田さんは大先輩」「一緒に仕事をしていた、残念です」と声を詰まらせた。


■状況がさらに悪化。自衛隊派兵が原因で、「日本人」がいきなり殺害される新局面に。
 また安田さんは、「私が解放されたのは銃を持っていなかったから」と実体験を語られたが、素直に戸惑いも見せられていた。なぜなら、今回の橋田さんらも銃を持っていない中での事件だからだ。もちろん事件があった場所が違うこともあるのだが、ファルージャの大虐殺、アブグレイブの拷問・虐待・虐殺の発覚、そしてナジャフ・カルバラ・クーファなど中南部一帯での米軍の攻撃を経て、現地の状況は4月初めの時点から更に変化した。安田さんらが拘束された時期と比べても悪化したと考えられるのだ。「日本からきた」「日本人」というだけで「武装勢力」のターゲットになり殺害される局面に入ったのではないだろうか。いずれにしても、安田さんが強調されたように、「自衛隊派兵によって、日本とイラクの関係は友好から敵対に変わった。」イラクの市民の日本人への見方が一変したことは間違いない。 

 日本政府と自衛隊があれだけ札束をちらつかせ大宣伝し、現地に期待を持たせながら、しかし現実にはまともな人道復興支援活動を一切していないことについては、橋田さん自身がその矛盾を指摘していた。要塞に閉じこもり何もしない「派兵のための派兵」。日本政府の対米追随政策によって2人の貴重な命が犠牲になったのである。

■3人の人質事件の取材でイラク民衆から厳しい詰問:「お前は日本人の人質しか関心がないのか」。
 安田さんがイラクに入ったのは今回4回目。当初、日本人3人の人質事件についてイラク人の声を聞くため、まずサドルシティでインタビューを取って回った。サドルシティは貧民街、シーア派の住民が多数住む町である。

 法学者協会が非難の声明を出したこともあり、イラクの人々は、日本人3人の人質の安否について気遣っていた。しかし実際インタビューして回るうち安田さんは衝撃を受ける。「お前は日本人の人質のことだけを問題にするが、我々イラク人は毎日大勢の人間が殺されている」「ファルージャで1週間に何百人も殺されている状況をどう思うのか」「人質の3人とイラク人では命の値段が違うのか」という厳しく問い返されたのである。

 そこで、安田さんは、3人の人質事件の根本的な背景を探るためにファルージャに行く決意をする。現地へ行くと、停戦合意が結ばれていたと言われていたが実際には攻撃が行われていた。また、米兵は地元住民がファルージャに送ろうとしていた荷物を1つ1つ破壊し、中身を調べ、事実上支援物資が届かないようにしていた。安田さんは、親戚が機銃掃射を受けて女性や子どもが殺され、号泣し続ける男性や、おととい爆撃で25人がなくなり庭に穴を掘って埋めたなどという、ファルージャの凄惨な状況を見聞きした。そしてファルージャだけでなく、その周辺も含め広範に掃討作戦をやっていることを理解した。

■拷問事件の舞台アブグレイブで拘束される−−連行された先は「農民の仕事と生活の場」。
 安田さんらは、バグダッドからファルージャへの道の途中であるアブグレイブに向かった。今や世界中で有名になったあの拘束者拷問・虐待スキャンダル事件の舞台である政治監獄がある街である。最強の米軍でさえ襲撃されているのだから護衛を連れて行くなど論外だと考え、ファルージャへの支援物資を運ぶトラックの車列に紛れて移動した。

 安田さんの拘束体験談はここから始まる。トラックの車列にうまく紛れたつもりが、あっさりこのアブグレイブの街で拘束されてしまったのである。連行された先は「生活の場」だった。そこでは、誰も銃は持っていない。拘束したのは「地元の農民」だったのである。拘束されたところにはちびっ子もいて、隣ではお母さんの怒る声が聞こえる。拘束は周りの住民が周知の事実なのだろうと確信し、また、終始ゲスト待遇であったことも語った。
安田さんは「米軍がイラクの人々を殺しているというので見にきた。米軍は『殺しているのはテロリストだ』と言っている。本当のことを知りたい」と、拘束した者たちにイラク滞在の目的を訴えたという。

 会場の興味を引いたのは、安田さんが拘束され、命の危険にさらされながらも楽天的に振る舞い、また、卑屈にならずに拘束したメンバーたちとの心の交流をすすめ、また彼らの村の風習や掟などをつぶさに観察していたこと、そしてそれらに対する深い共感を表現したことである。
 安田さんら2人を上座にし、序列の高い順に座り、客人が自分より身分の高い場合は立って出迎え、低い場合は座って出迎える、10歳くらいの子どもが末席にすわり水を持ってくるなどの雑用をさせられているが、客人とは必ず握手をさせてもらい大人として扱われる、そうやってイスラムの部族社会の習慣を身につけていく・・・等々。

 安田さんは、彼らに牛の乳搾りを頼み込み断られたというエピソードも紹介した。「冗談じゃない。おまえが外に出たら米軍がおまえを殺しムジャヒディンがやったと言うだろう。」ならば覆面をして乳搾りをしたいというと、「それなら本当にムジャヒディンとして撃たれるぞ」と言われた。その直後、本当に米軍の戦闘機が飛ぶ音が聞こえ、冗談ではなく米軍にいつ殺されるか分からない戦場であることを実感したと言う。

■「ファルージャの農民達が銃を取ってまで守ろうとしたのは、かけがえのない豊かな生活なのだ」。
 安田さんが特に強調したのは、互いに笑い合う関係を作ることだった。犯人グループとの間に沈黙が流れると「こいつは面白くないやつだと思われてしまう。」と場を和ませるために覆面の仕方を教わり、来客が来るたびにやってみせ笑いを誘っていたという。会場でも安田さんは素早く「ゲリラ」風の覆面をして参加者の拍手を浴びた。

 もともと安田さんの関心はイラクの人々の普通の生活を取材することにあった。イラク中で戦争と殺戮が行われているかのようなイメージではなく、イラクの人々にも生活があることを伝えたいというのである。その意味で彼自身が「ファームステイ」と表現したようにイラク住民の生活の中に入ったのはイラク入りの目的と合っていたのだろう。

 ランプの光りの中での幻想的なイスラムの日没のお祈り。夜、蒸し暑い家から外に出て絨毯を敷き、車座になって満天の星空を眺める。−−そのような普通のイラクの農民達の一見平穏に見える生活が一瞬にして戦場と化すのである。彼らが銃を取ってまで守ろうとしたのは、こうしたかけがえのない豊かな生活なのだ、と安田さんは語った。

■「なぜおれ達が米軍を憎むかわかるか!」−−武装抵抗のもう一つの源泉としてのアブグレイブ政治監獄。
 しかし、そのような「ファームステイ」の生活は拘束3日目に一変する。スパイとしての本格的な尋問と厳しい拘束が行われたからだ。「地元の農民」から「地元の武装勢力」に引き渡されたのだ。もちろん「農民」も「武装勢力」も相互に信頼し合い、両方とも「地元の農民達」という感触を安田さんは持つ。

 「生き延びるためには、目の前の人と仲良くなるしかない」。この一変した厳しさの中でも安田さんは、特に敵意に満ちた目をした若者たちとも心を通わせていく。「おまえはFBIか」「CIAか」と問い詰めた若者が言う。「何でおれ達が米軍を憎むかわかるか。」「おれは町を歩いていて米兵に拘束された。収容所では番号で呼ばれ、殴る蹴るの暴行を受けた。そして服を脱がされて、辱められたのだ・・・」。

 ここで、アブグレイブの拷問スキャンダルとファルージャの武装抵抗とが密接に結び付いていることを、私たちは初めて安田さんの口から聞くことになった。家族や親類や友人達が米軍に殺されただけではなく、彼ら地元の若者達は、現在明るみになっているような屈辱的なわいせつ行為を米軍に強要され、プライドがずたずたにされたのだ。「人生は終わりだ」と語り、「おまえが同じ目にあったらどうする」と彼は安田さんに詰め寄った。大量虐殺事件と拷問・虐待事件−−これが米軍の占領支配の2つの現れであることが分かる。

■再会を誓う会話に出た若者達の武装抵抗の悲壮感。
 安田さんは言う。イラク人の政治的立場や見解はわかりにくい。フセイン政権の下ではフセインを支持し、米軍が入ってきた後は米軍を歓迎する。イラク人の政治的発言はころころ替わるように見える。しかし底流に流れる感情は押し隠すことは出来ない。安田さんは端的に言う。「怒っている人はウソを着かない」と。アメリカが戦争と占領支配の中でおこなった大量殺戮と拘束者の虐待・拷問がイラク人の怒りと闘争を燃え上がらせ拡大しているのである。

 そして解放されるとき、最後に安田さんはその青年と、現在のファルージャに住む農民達、若者達の究極の状況、究極の覚悟を表す貴重な会話をして分かれることになる。−−「また来るよ。」「いつ来るんだ。」「3ヶ月後だ」「その頃、もうこの辺にはイラク人は居ないよ。」明るく交わされたこの短い会話の中に全てが言い表されている。圧倒的な軍事力で襲いかかってくる米軍の残虐極まりない大量殺戮とその犠牲の大きさ、そしてそれに民族の誇り、人間としての誇りをかけて立ち向かう若者達の悲壮感・・・。

■「これまでイラクと日本は戦ったことがなかったが、自衛隊を派兵したので今や日本人は敵になった。」
 犯人グループとの話は、日本の自衛隊派兵にも及んだ。なぜ日本は米国を支持するのかと詰問されたのである。安田さんは、「それは必ずしも正確ではない」と反論しながら、「日本にも占領軍として米軍が駐留している」「米軍の要請を拒否することは出来ない」と答える。イラク同様、「be occupied」の立場にある国としての共感というものがイラク人にはあるという。それは、広島・長崎のことが大きく影響している。反米教育の一環として中東ではヒロシマ・ナガサキが教育され、米国によって被害を受けた国として日本に対する深い共感があるというのである。人質事件で犯人グループの声明にヒロシマ・ナガサキが言及されていたのは偶然ではなかったのである。

 「これまでイラクと日本は戦ったことがなかったが、自衛隊を派兵したので日本人は敵になった」という厳しい言葉も突きつけられた。しかし、安田さんが、「フセイン政権崩壊後イラク人の全員がアリババでなかったように、日本人も全員が自衛隊派兵に賛成しているわけではない。国という単位でだけ考えるのはナンセンスだ」と反論すると、犯人の若者は「うーん」と真剣に考え込んでしまったという。安田さんは、本当に「素朴なヤツ」だったと振り返る。

■「解放されたのは武器を持っていなかったから。」
 安田さんらは、アラビア語の片言を理解できる、空手をやっているなど様々な理由から米軍のスパイ容疑をかけられたが、最終的に解放されることになった。「いろいろあるが、結局解放されたのは武器を持っていなかったからだ」と確信したという。2月に私たちが開催した豊田直巳氏の講演会でも、「丸腰が一番安全」「非武装こそ最大の防衛手段」と強調していたことを思い出す。「人道支援」と称して、重武装の自衛隊を派兵することの欺瞞性を、改めて確認した。

■米軍を歓迎したイラク人が次々と米軍によって殺される事実。
 講演の最後に安田さんはいくつかの映像を映し出した。1つ目はイラクの市場。果物や野菜など店先に山積みされている写真である。物は豊富で意外と豊かだという。秋葉原のような電気街の写真もあった。韓国製が中心で、家電製品の看板があふれている。韓国人に対して友好的なのはビジネスの関係が強いからではないかという。安田さんは、“民間レベルの交流”の必要性を強調した。政府がやらない劣化ウランの調査などもそのような活動だと語った。

 2つ目の映像は昨年の4月10日、米軍によって殺された男性の写真である。4月9日のフセイン政権崩壊時の騒ぎの中で、腐臭の漂う遺体が死後3日たって息子に引き取られた。父親は車の後ろから56発も撃たれていた。やったのは米軍である。息子はフセインが倒れてもぜんぜんよくない。むしろフセインのほうがよかった。批判したら殺されたが、批判さえしなければ暮らして行けた。今は無差別に殺される。絶対に米軍に復讐しようと思ったと語った。ところがその検分に立ち会った医者は、その息子の前で、「アメリカはよくやった」「おれは戦争を待っていた」と語ったという。しかし、その一週間後にはその医者も米軍に殺された。米軍の戦争と占領の行く末を暗示させる事件であった。

■爆弾の暴力とは別の「自由競争の暴力」−−米軍が持ち込んだ「市場原理主義」とイラクの産業・文化の破壊。
 最後の映像は、イラクのペプシ工場の写真である。イラクは「ビール発祥の地」とも言われ、古代からからビールが作られてきたという。ところが米軍の占領によって関税が廃止され、輸入品に負けてしまった。ビール工場は閉鎖され、250人の内100人がリストラされ、ペプシ工場にかわった。メソポタミア文明の時代からのイラクビールの、アメリカの消費文化の象徴ペプシへの敗北。爆弾の暴力とは別の暴力−−自由競争という暴力の破壊力、グローバリゼーションのなれの果てがイラクにはあると語った。そして、安田さんは「それを見るためにイラクに通っている。またイラクに行ってみたい。」と講演を締めくくった。

■マスメディアの戦争報道のあり方に限界と疑問を感じ、長野の地元紙を退社し、イラクに飛び込む。
 講演後の質疑応答では、会場から次々と質問が飛び十分な形で議論が出来なかったが、ここでは9.11の安田さんにとっての意味と、信濃毎日新聞社をやめた経緯についての回答を紹介する。それは、9.11以降にマスメディアが陥った翼賛報道に対する抵抗というべきものである。

 安田さんは言う。「9.11は世界を変えた。『テロリスト』といえば誰でも殺せる、何をしても良い、戦争も出来る、という世界をつくった。」しかし「テロリスト」と言っても様々だ。現に、安田さんの拘束体験が語っているのは、米英占領軍当局や日本政府が好き勝手に使う「テロリスト」という言葉の実態が、実は生活し仕事する普通の農民達であるということ、その農民達が命がけで「自警団」を作って自分達の生活を守っているということなのである。
 安田さんは、そのようなイラクの実状を把握するために休暇をとってイラクに出かけていたが、休日に行くだけではダメだと思うようになった。ある時、勤務していた信濃毎日新聞社には、取材どころか休暇であっても「イラクに行くな」と言われたのだ。「我が社とイラクは関係ない」とまで言われ、会社を辞めることを決意した。若いうちに経験を積んでおきたかったというのもある。マスコミは戦争の真実を何も伝えていない。何人死んだ、どこで爆撃があったということだけを無機質に伝えているだけ。しかし大事なのは、その無機質な事象や数字の背後にある生々しい実情、生活、1人1人の命の声に耳を傾けることだ。安田さんはそう言う。会社をやめて2週間後には「人間の盾」としてイラクにいたというが、安田さんが、人間の盾を評価するのは、現場を見ているからだと語った。

■自己責任論について一言。
 いわゆる「自己責任論」について、安田さんは、「要するに政府は、『イラクに行くな』と言いたいのだ」と一蹴。ジャーナリストやNGOなどが「大護送船団国家」の枠内に収まって政府の許す範囲で行動するか、それに批判的な立場を取って自らの意志と責任で行動するかという問題だと述べた。
 おそらくこの講演会の参加者にとっては、現に安田さんが話した内容そのものが、自己責任を振りかざす一部の人達の愚かさへの鋭い批判になっていると感じたのではないだろうか。いわゆる「テロリスト」とは一体どんな人達なのか、どんな生活をしているのか等々を、日本にいる私たちが、体験者の口からその真実の姿を知ることが出来たという事実こそが、自己責任論への痛烈な批判だと言えよう。要するに自己責任論者は、真実を知ろうとしない人達であり、知りたくない人達なのである。(講演会アンケートを参照

■ヒューマンシールド神戸の吉村さんからイラク医療支援カンパの訴え。
 ヒューマンシールド神戸の代表で、昨年4月に「人間の盾」としてイラクに入り、安田さんと出会った吉村誠司さんが簡単な挨拶をした。
 その中で、吉村さんは、イタリアのNGOと日本のJVCが連携してファルージャの家1軒1軒にローラー作戦を行い、どこの人が死んだ、どこの人が行方不明だ、どこが激しい空爆を受けた、そしてどこの橋が落ちたとしらみ潰しに調査をしていることを報告した。
 劣化ウランについての重要な話もあった。NGOのスタッフが帰国して体調を崩している。自身も3日間下痢に悩んだ。ウラニウム医療研究センター(UMRC)のドラコビッチ博士に、「劣化ウランの影響か」と尋ねると「イエス」と言われた。また、同僚の帰還米兵が劣化ウランで次々に死んでいくのを見て「人間の盾として」イラクに入った元米兵の話を紹介した。
 そしてイラク占領監視センター(オキュペーション・ウォッチ)を通じたイラク医療品支援カンパ活動を紹介した。これに応じて集会でカンパを呼び掛け、83,000円のカンパが集まった。

■主催者・署名事務局からの提起:「イスラエルの蛮行に抗議する特別決議」「自衛隊の即時撤退を求める新署名」。
 最後に事務局から、イスラエルのガザ地区ラファへの攻撃に抗議する決議(別添資料参照)、ファルージャやナジャフなどへの攻撃と結婚式に対する大虐殺事件、アブグレイブ収容所での虐待拷問虐殺など米軍の戦争と占領支配の批判についての簡単な報告(別添資料参照)があった。そしてイラクからの自衛隊即時撤退を要求する新しい署名の提起(署名用紙及び呼びかけはここをクリック)を行った。


やすだじゅんぺい:1974年3月生まれ。信濃毎日新聞記者を経て、昨年1月にフリージャーナリストとして独立。イラク戦争の開戦時には「人間の盾」となった人々とともに、バグダッド南部の浄水場に滞在。これまでに4回、イラクを取材、今回は、3月16日に入国し、バグダッドを拠点にサマワ、ナジャフなど各地を訪ねた。
※ 安田純平氏の手記が東京新聞に連載され、WEBサイトでも読むことができます。参考にしてください。
      「緊急手記 拘束の3日間 安田純平



パレスチナ特別決議(案)
シャロン政権はラファでの家屋破壊と殺戮をやめよ!
イスラエル軍はガザの包囲を解き今すぐ完全撤退せよ!

(1) 私たちがイラク情勢に目を奪われている真っ最中に、パレスチナで中東紛争史上でも例を見ない残虐行為が進行しています。イスラエル軍が5月18日未明からガザ地区ラファへの大規模侵攻を開始し、3日間で40人以上の住民を殺害したのです。すでに5月11日から開始されていた新たな大規模家屋破壊では、10日間で190戸以上が破壊され、2000人以上の人々が叩き出されました。あたり一面に広がる廃墟、建物の残骸、更地のような跡は、ジェニンでの大虐殺を思い起こさせるものです。

 そして遂に5月19日、前代未聞の虐殺事件が起こりました。ラファでパレスチナ人住民数千人が怒りと抗議のデモを行なっていたところへ、イスラエル軍が武装ヘリで空からミサイルを打ち込み地上から戦車で砲撃したのです。20人以上が死亡し、50人以上が負傷しました。犠牲者のほとんどは子供や若者達でした。非暴力のデモ行進に重火器で襲いかかるなど、非人道的行為、国際法違反などを通り越した、かつてない残虐行為です。デモ隊のど真ん中から立ちのぼる黒煙と逃げまどう民衆、抱きかかえられ救出される血塗れの子供達−−身の毛がよだち体中が震えるような怒りを抑えることができません。シャロン政権とイスラエル軍の蛮行を断じて許すことが出来ません!

 イスラエル政府は、ラファから「撤退した」と発表しましたが、これはウソです。騙されてはなりません。国際的な非難を受けたので、包囲網を後退させただけで、依然軍事的包囲を続けています。いつでも再侵攻できる態勢をとり続けているのです。私たち一人一人が、そして世界中がシャロンの蛮行を監視し批判することこそが、パレスチナ住民の命を守るのです。目を離さず、シャロンに圧力を加え続けましょう!

(2) シャロンの真の狙いは、ガザ地区に残る唯一の外界との境界、エジプトとの国境線にある町ラファを軍事的に制圧し完全に封鎖することです。イスラエル政府が言う「武器密輸トンネルの摘発破壊」など口実に過ぎません。
 現にシャロンの「ガザ撤収案」では、陸海空すべてにわたってガザ地区を軍事的に包囲することが目論まれています。この方針に沿ってイスラエル軍は系統的にラファの家屋をずんべらぼうに破壊してきたのです。すでにガザは、一方はイスラエル領、他方は海で閉ざされています。こんな状況で、ラファまでが封鎖されてしまうと、人とモノの流通が完全に遮断されてしまいます。−−まさに“巨大な強制収容所”の完成です。

(3) シャロンの暴走に承認を与え促進してきたのはブッシュ政権です。イラク戦争・占領の残虐行為がシャロンの残虐行為を鼓舞しているだけではありません。「テロとの戦い」「自衛権」を口実に直接支持を与えているのです。今回も5月18日、ブッシュがユダヤ系団体の会合で演説し、「イスラエルはテロから自国を守るあらゆる権利を有する」と述べ、イスラエル軍の武力行使を正当化しました。ラファの虐殺が起こったのはその翌日でした。
 5月18日以降の軍事侵攻は、ハマス指導者ヤシン師およびランティシ師暗殺の容認、西岸の入植地をとり込む形での「分離壁」建設強行をカムフラージュする「ガザ撤収案」の賛美、それを通じての入植地の公然たる容認と領土併合の承認、パレスチナ難民の帰還権の公然たる否認等々、一連の流れの中に位置するものです。そのたびに、ブッシュ政権は、「イスラエルには自衛の権利がある」と繰り返してきたのです。

 米国による国際舞台での政治的庇護と軍事的経済的援助なしに、イスラエルというこの凶暴な侵略マシーンは成り立ち得ません。私たちは、ブッシュ政権のイスラエル擁護、シャロン政権支持・支援を断固糾弾します。

(4) パレスチナ民衆の怒りの声は、数千人が抗議デモを行なったラファだけではありません、ガザ地区、西岸地区のいたるところで上げられています。またアラブ世界・イスラム世界全域でパレスチナ民衆への連帯行動が進められています。
 苦難の中にあるイスラエルの平和運動も行動を開始しました。まだ少数ですが、イスラエルの民衆も立ち上がり始めています。今回のイスラエル軍の軍事行動が開始された5月18日の朝、40人のイスラエル女性たちが体を張って阻止行動を行おうとガザに向かいました。彼女たちは、イスラエル軍に阻止されましたが、検問所で野営して抗議行動を続けています。イスラエルの他の平和運動と人権擁護運動の諸組織が、40人の女性たちに続いて、5月22日に700人を現地に送り、抗議行動を行ないました。とうとうイスラエル国内からさえも「ホロコースト」「戦争犯罪」という声が上がり始めました。

 国際的な非難の声も大きくなっています。全世界で抗議行動が行われています。eメール、ファックス、電話などを通じた草の根からの抗議の声が、イスラエル政府、イスラエル軍、米国政府、および各国政府、各国のイスラエル大使館、米国大使館に大量に寄せられ、大きな圧力となっています。米国のANSWER連合を中心として提起されている6月5日の反戦平和行動のスローガンにも、ラファでの虐殺への抗議が盛り込まれました。

(5) 国連安保理は5月19日、パレスチナ人の住宅破壊停止と暴力の終結をイスラエルに求める決議を賛成14、棄権1で採択しました。米国も今回ばかりは拒否権を行使できず棄権しました。これは国際的な抗議行動の成果です。
 日本政府はラファの虐殺について沈黙することで、米国の顔色をうかがい、事実上イスラエルを支持しています。小泉政権は、ラファやガザ地区で強行している家屋破壊と殺戮の中止をイスラエル政府に強く要求すべきです。
 私たちも、それぞれにできる方法で抗議し、声を上げ、パレスチナ民衆に連帯し、イスラエルの平和運動に連帯し、国際的なパレスチナ連帯運動に合流しましょう!

 私たちは要求します。
●イスラエル政府はラファでの家屋破壊と殺戮を即刻やめること。
●イスラエル軍は見せかけの撤退ではなく包囲を解きラファから完全撤退すること。ガザ地区全域およびヨルダン川西岸を含む全占領地から即時無条件に全面撤退すること。
●ガザ地区から全ての入植地を撤去すること。全入植地を無条件完全撤去すること。
●西岸地区での「分離壁(Wall)」の建設を即時中止すること。これまでに建設した「Wall」をただちに解体撤去すること。
●米国政府はイスラエルに対する軍事的経済的援助を即刻中止すること。シャロン政権の支持と擁護を即刻止めること。
●日本政府は、ラファやガザ地区で強行している家屋破壊と殺戮の中止をイスラエル政府に強く要求すること。

2004年5月28日
「フリージャーナリスト安田純平氏が語る 拘束体験を通してみたイラク戦争・占領」講演会参加者一同




■ 5/28安田純平氏講演会 アンケート

○「この生活を守りたいんだ」という所が、当たり前ですが、すごい納得させられました。
 自衛隊派遣には反対ですが、今の日米関係を考えると、「自衛隊派遣できない」ということは可能だったのか疑問です。
 ジャーナリストの方がいないと事実はわからないですが、今回の拘束では本当に日本中大騒ぎでした。ジャーナリスト、NGOの意思→国家としての責任、他の国の政府がどういう対応をされるのか知りたいと思いました。今日はありがとうございます。もっといろいろお話を聞きたいです。(女性 10歳代)

○安田さんの冷静かつ愛情ある話とてもよかった。目の前にいる人と仲良くするしかないというのもよかった。ありがとうございました。(女性 30歳代)

○現地の生の声を聞かせて頂いてありがとうございました。
 3人の人質が解放されるまで、ファルージャの状態などをメールで読んで、人質を捉えた人たちがテロリストではなく住民であること、アメリカ軍に家族を殺されてやむを得ず武装勢力になって抵抗しようとしたレジスタンスであることを教えられました。
 だから3人がイラクのために働きたいとした人達であることが判って、彼らが殺されることはないと思いました。安田さんも相手と話し合い、困難をのりこえて帰ってこられたことを心から喜びたいと思います。
 自己責任論について、御本人は危険を承知で入っている、しかし国として3人がつかまった時、「3日以内に自衛隊を撤退しなければ殺す」といったのに即座に「撤退しない」といった冷たさに唖然としました。私達の税金をむだ使いばかりしているのに、この際自己責任だの負担白など、もってのほかだと思います。(女性 70歳以上)

○イラクで戦っている人達が、ほとんどが民間人なのかと感じた。事実、多くの民間人が米軍を憎み、戦っているのだと思う。米軍がイラクにいる限り、多くの民間人(兵士たち)は殺されるだろう。一刻も早く、米軍をイラクから撤退させなければならないと感じた。米軍を支援する国々(日本も)一刻も早くイラクから撤退させなければならないと感じた。
 そのための署名や。運動には少しでもかかわらなくてはと感じた。
米軍の犯罪的攻撃(劣化ウラン弾問題)などを早期にあばき、イラクの民間人(子供たち)を一刻も早く助ける(本当の支援)を越さなければならないと感じた。
 あなた達のようなフリージャーナリスト達が活躍し、その報道が多くの人達に伝わることが、非常に重要だと感じた。(男性 40歳代)

○臨場感にあふれる、しかも暖かい貴重な報告ありがとうございました。
 ひとつ疑問なのですが、自衛隊self defense forcesという存在を、イラク、また米国もどう考えているのか、軍隊でなく自衛、人道支援の為に日本が行っているということがわかりません。何かの機会に教えてください。
 人と人との軟らかい部分の関わりを大切にされる活動に大変共感します。今後のご活躍を期待しております。(女性 60歳代)

○いろいろな貴重な体験話をしてもらってよかったと思います。(女性 40歳代)

○農家の人は農業を、子供は学校に、普通のことを普通にできる社会になるよう願います。日本の平和の中にどっぷりつかっている私でも、いろいろ考える機会を与えていただき、少し成長した気がします。事実を事実としてしっかり受けとめて、大きな目で社会を見ていきたいと思います。
 ジャーナリストの人たちに「気をつけて」と言っても、どうしようもできない状況ですので。「運の女神」がたくさんまわりに来ます様に願うのみです。ありがとうございました。(女性 40歳代)

○ホームページなどで見ていたが、じかに聞くと、戦争の無意味さ・アメリカ軍の身勝手さ・それを無自覚に追随する日本の犯罪がよく分かりました。そしてその犯罪性、これ程はっきりするのに、アメリカ政府よりのマスコミがまだまだ大きく影響を与えている。でもこういう風に、フリージャーナリストやNGOがどんどん入って行って、現実を明らかにしていくことで、だんだんアメリカの化けの皮が剥がれてくること、また市民レベルでの交流が必要というのを実感しました。そしてできることかrやっていきたいと思っています。(女性 50歳代)

○現場に行かなければ分からないようなことを教えてもらったと思います。自分とそうたいして年齢が変わらない安田さんがしている仕事に社会的意義を感じます。今回の様な死に直面するようなことがあるかもしれませんが、自分の将来について考えさせられる時間でした。(男性 20歳代)

○経験したことを淡々と語られたことの中に(やや話が平板で疲れた身体はネムケをもよおして失礼しました)、すごい真実がちりばめられていることを感じました。最後にご自分の意見、感想を述べられたことで、イラクに何故行かれたかが分かりよかったです。
 ☆丸腰だから安全だった。
 ☆イラクの現地では、よくぞアメリカがフセインを倒してくれたという声を聞いた。
 ☆しかし、アメリカ軍に民間人が殺されて、国の体制(特に治安、経済システム)が破壊されて、複雑な思いをしている。
 昨年の今頃、私の周辺で(知人)フセインも悪い、フセインが悪いという意見を言わないのですかと質問された。
 ・自己責任という意味で、私の友人が最近のパラグライダーの人を救出したが、これこそ自己責任で遊んでほしいと言ったことがおもしろかったです。(女性 60歳代)

○テレビやインターネットなどとは違い生の声を聞くと言う事は何か全然違うものがあるな−と思いました。今のこの日本で私はどう動いていいのか分りませんが、何かパワーをもらえたような気がします。ありがとうございました。(30歳代 女性)

○直接声を聞くことに意味があると思いやってきました。現地に入ることの意義や、自己責任論は私にとって新しい見地が得られた事が収穫だと思います。これをきっかけに自分の考えを形成していかなくてはと感じてます。今はとにかく頭がいっぱいです。冷静に、感情に任せず話してくださりありがとうございました。(20歳代 女性)

○安田さんのお話の中で、解放された理由に銃を持っていなかったこと、があげられていました。暴力に向かって暴力を使うことは、不幸しか呼ばず、自衛隊が派遣されている、武器をもって援助だと言っていることのおかしさをさらに再確認しました。拘束するのはおかしいけれど、その裏にある原因を知ると、みんな人間で、当たり前だけど、生きるために必死である事を感じ、なぜか涙ぐんでいました。(20歳代 女性)

○安田さんの貴重なお話が聞けました。イラクの人達はテロリストなんかではなく、普通の生活を望んでいる人々だということがここまで露骨に知ることが出来て興味深かったです。(20歳代 男性)

○安田氏の話を聞く中で、武装勢力と呼ばれるイラク人が単なる「テロリスト」や「反米勢力」という言葉のイメージから受ける無味乾燥な人間像とは違う、生身の人間を感じた。米軍の暴力というものが、イラクの人たちの心までも踏みにじっているんだと感じた。無差別な殺りくが繰り返される中で、イラクの人たちが活き々と生きているんだと感じ、強い人たちだと感じた。(20歳代 男性)

○貴重な体験を聞けてよかったです。テロリストと一かたまりにまとめてしまうのでなく、それぞれの活動にはそれぞれの理由があるという事、日本人、イラク人も一人一人の人間ととらえるべきだという事、大変共感できました。(40歳代 女性)

○イラクの厳しい状況を聞きました、詳しいイラクの国の事等、私は今年のカレンダーの空白の場面に今年こそ平和の文字を書き入れました。墨の大字で(祈りを込めて)念願はそれが第一です。有難うございました、貴重な体験をされて大変な思いをされて又続けられるとのことですが、無地を祈っています。(69歳代 女性)

○安田さんの心の温かさが伝わって来るよいお話でした。強い信念と優しさをお持ちなの で、これからもお身体を大切になさって、良いお仕事をなさって頂きたいと思います。日本中の心ある人が全員安田さん達を応援しています。私もその一人です。頑張ってください。私も平和の為に何かにたずさわっていきます。(40歳代 女性)

○生きた報告を拝聴できて、大変有意義でした。安田さんが解放された時に「武器を持っていなかったことが命をつないだ」旨を言っていたことがとても印象に残っていました。つくづく示唆に富んだご感想だったなと思います。日々のニュースでは実感の伴わなかったことに肉付けがなされてよかったです。質疑は私もさせて頂きましたが、訊きたいことは一杯で、それに手短に尋ねようと焦って、舌足らずな質問になってしまって、それが残念です。改めてイスラム社会の”グローバル”さ(横のつながりの深さ)を思ったのですが、その辺もう少し知りたかったです。インティファダー以降なのか、ユダヤ入植が顕著になった頃なのか。(このころは今のようなあからさまな攻撃はしてなかったと思うのですが)
東亜日報でベテラン記者が安田さんについて書いておられて、その文は優れて印象に残ったんですが、彼とのいきさつや関わりもおたずねしたかった。残念です。(30歳代女性)

○イラクからの本当の情報をもっと知りたい。死んでいく人(イラクの人、アメリカの兵士)からの目線で戦争をとらえたい。(50歳代男性)

○イラク人質事件から最近の拉致家族の発言に対するバッシング等、政府・小泉首相に対して批判的なことを言う人に対する風当たりの強さやそういう風潮がひたすら恐いです。安田さんお元気そうでよかったです。(50歳代女性)

○農民との交流の話が意外でおもしろく、日本で実態が伝えられないことがよくわかった。文化的話はとても参考になった。聞いてよかったです。(20歳代女性)

○イラクの事がよくわかりました。とてもわかりやすいお話でした。ステキな人でした。(20歳代女性)

○実際にイラクで体験された事を話していただき感謝しています。「現場」とのズレが出てきてしまう「平和」とは何なのか、というご指摘、胸に突き刺さる思いです。イラク人に「日本人(の命)はEXPENSIVEだ」と言われたことがとてもショックです。ジャーナリスト最も大切にされるべき「現場」主義が大手メディアではないがしろにされている現状にもショックです。(30歳代男性)

○一部の組織ジャーナリズムによる「自己責任」論の展開があったが、そのような本社デスクで「自己責任」を社説で論じる記者と安田さんのような現場にはいらなければ始まらないと考えるフリージャーナリストとの間に横たわる壁があると考えられるのか?今回の拘束事件で浮き彫りになったことは組織ジャーナリストとフリージャーナリストの隔絶感だった。その隔絶の要因として考えられることは何なのか?(40歳代女性)

○イラクの石油を売ってお金をつくつている。ペプシが地場ビール会社を買収(?)してしまった。NGOに日本市民からの支援がない。なんで反米教育か〜イスラエル問題。イラクの人たちの人生。教えられることがたくさんありました。聞きに来ようと思ったのは”自己責任バッシング”の薄気味悪さにどう対したらよいのかという思いです。仲間が帰国して劣化ウランで死んでいく。NGOが被曝している。映画ヒバクシャを観た後だけに汚染の怖さを感じます。森住さんが言っていたことが現実。(50歳代男性)

○笑いあえる関係をつくるという言葉が印象的だった。私も市民同士のつながりを考える基点だと思います。それにつけても「日本の世論」がどうやって形づくられるのかを考えなければならないと思っている。日本政府がアメリカの傀儡政権なのだとスッキリ教えた方がわかりやすいのだとある意味納得した。(50歳代女性)

○アメリカは軍事力で侵略を繰り返して世界中の国々を苦しめているのは許せない。フセインの独裁も悪いが、アメリカを裁くことができないのは全くおかしい。我々が小さなスピード違反のようなことでも、厳しく裁かれているのに、アメリカだけがやり放題はどうしてだ!日本の法務省等は弱いものいじめをやめて、アメリカを裁くことに力を尽くすことだ。子供にもしつけができない。おろかな悲劇を繰り返さない世界にするために、世界の防衛(軍需)産業を平和産業に換える努力をしたい。みんなで力を合わせて!ベトナム戦争時のマクナマラ国防長官も、回想録で「誤りだった」と自己批判している。(50歳代男性)