3.23イラク戦争開戦5周年学習討論会報告
□講演を通じて、「集団自決」に追い込んだ日本軍の住民支配と総動員態勢の残虐性が浮き彫りに
□沖縄県民集会への連帯行動として開催


 3月23日、大阪浪速区で「3.23イラク戦争開戦5周年学習討論会 軍隊は住民に牙を剥く〜沖縄『集団自決』軍強制の真実から学ぶ」が署名事務局主催で行われた。40名近くの市民が参加した。冒頭、この討論会が、沖縄で行われている「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」に連帯する行動として開催されており、署名事務局からも代表を派遣していることが報告された。
 討論会は、「集団自決」の証言を取材した朴壽南監督の映画「ぬちかふぅ」の予告編の上映で始まった。現在最後のロケが沖縄で行われており、署名事務局でも上映会を準備している。
 続いて「イラク戦争開戦5周年にあたって」が提起された。イラク戦争が泥沼化していること、アメリカでは新たに帰還兵らが残虐行為の証言を開始していること、経済危機と財政危機がイラク戦費を圧迫し駐留の足かせとなっていくだろうことなどイラク戦争の新たな事態とあわせ、日本では日米軍事同盟と戦争国家化最優先の政策がとられているもとで、軍が人民に犠牲を強いる本質を「集団自決」から学ぶことが提起された。
 伊賀正浩さん(子どもたちに渡すな!あぶない教科書大阪の会)の講演「沖縄『集団自決』軍強制の真実と沖縄の怒り」では、歴史改ざん勢力が「集団自決」軍強制を標的に教科書問題を狙ってきたいきさつや「集団自決」に関する新証言と全体像、「軍隊長の命令があったかどうか」という狭い範囲ではなくトータルに日本軍の住民支配と「軍官民共生共死」の押しつけや沖縄住民に強いた「強制集団死」を捉える必要があること、教科書改悪反対の闘いが米軍再編反対とも重なりあって進んでいることなどが詳細に報告された。(別途レジュメ参照)
 討論では、「集団自決」や住民虐殺を問題にすることは重要だが、米軍が艦砲射撃などで多数の沖縄人民を殺したという事実そのものを問題にしなければならないのではないかという問題提起があった。これは、在日米軍基地問題、沖縄と日本の戦後を考える上でも非常に重要な問題である。その上で、教員の立場から、やはり日本軍が沖縄住民を支配し「集団自決」に追いやり住民を虐殺したというのは、加害の歴史として非常に重要だ、アジアの人民にやったのと同じ事を沖縄の人たちにも行った、それを問題にするのはこれまで日本の運動や教育の中で弱かったことだから強調しすぎても強調しすぎることはないという発言があった。また、なぜ11万人6千人もの沖縄の人々が結集したのか、苦悩を抱えながらも新たに証言に立ち上がったのかを真剣に考え、本土においてこそ啓蒙、教育、運動を強めなければならないことが強調された。
 沖縄では教科書改悪反対を闘った人たち自身が3/23の米兵の犯罪と米軍基地に抗議する沖縄県民集会を準備しており、二つの問題は決して切り離すことはできないことは講師からの提起でもあった。講演内容である沖縄戦と「集団自決」の具体的中身についても提起されたレジュメをもとにしっかりと学び、とりわけ沖縄での証言を真摯に受け止めていきたい。
 軍による人命軽視が集中的に表れたものとして、あたごによる漁船沈没事故についての報告があった。インド洋派遣やMD訓練など「戦える自衛隊」への変貌の中で不可避的に生み出されている事件であることが強調された。
 最後に、6月21日に開催される「つながる歌、つながる舞、つながるいのち 〜戦争と女性の人権博物館建設のためのチャリティーコンサート〜」が紹介され、李政美の歌と安聖民のパンソリの映像が上映された。

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 討論会の途中で、沖縄県民集会参加代表から電話があった。暴風雨の中で、数えられないほどの人が集まり、怒りが爆発していること、地位協定の運用改善などではなく、抜本的対策、基地の縮小が問題になっているとの報告が入った。
[沖縄集会参加者からの緊急報告メール]
 「大雨大風の中、参加者6千人。 オーストラリア人の被害女性がカミングアウトし舞台にたって証言したとき、涙なしには聴けなかった。6年間心の傷が癒えず、裁判をたたかっても、犯人は日本にはいない。それでも米兵による性犯罪がやむことなく、その都度自分が傷つけられるようだと。「悪くないワタシ!悪くないオキナワ!」とのアピールに、大きな拍手がわきました。」

2008年3月24日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




沖縄「集団自決」軍強制の真実と沖縄の怒り
2008.3.23
伊賀正浩
子どもたちに渡すな あぶない教科書大阪の会


1.文科省・検定審議会は、「集団自決」(強制集団死)をどのように書かせたか?
  −−−日本軍の「強制」と「関与」をめぐって−−−


(1)割れた評価
 沖縄と本土のマスコミの評価の違いの中に、「集団自決」の本質をどのようにとらえるかの違いが現れていると思われる。

○マスコミ
  朝日「『軍の関与』記述復活」  毎日「『軍関与』が復活」
  産経「『再検定』で軍強制復活」
  沖縄タイムズ「『軍が強制』認めず」  琉球新報「『軍強制』認めず」
○歴史改ざん勢力
  つくる会    「考え得る限りの最悪の結果」と「怒りの記者会見」を行う。
  教科書改善の会 「ありえない措置」
○沖縄
  仲井真知事 「まずまずの結果」
  仲里県民大会実行委員長 「全体で80点」 
12/27 沖縄で緊急抗議集会(700名) 
       主催:6.9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会実行委員会
12/29 9.29県民大会実行委員会 
       「到底容認できるものではない」と要請決議をあげ、実行委の存続を確認

(2)日本軍強制の曖昧化を狙った文科省の「基本的とらえ方」(「指針」)とそれを運用して「軍強制」を削除させた教科書調査官

(3)訂正申請結果から見えてくるもの〜核心は日本軍の強制を明示するかどうか
@検定意見撤回の拒否
A「軍が強制」「強要」「強いた」は認めず、「日本軍の関与」「強制的状況」は認める。
B「背景・要因」はより詳しく。軍の責任は曖昧に。


2.「集団自決」とは、何であったのか?
  −−−「島ぐるみ闘争」の中で深められた認識を踏まえて−−−


(1)沖縄戦での「集団自決」の全体像



(2)「集団自決」の実相
@沖縄戦の縮図である慶良間諸島(3.26 米軍上陸)と伊江島(4.16 米軍上陸)で起こった「集団自決」
・慶良間諸島の海上特攻秘密基地化
 44.9 1000名の海上挺進戦隊と海上挺進基地大隊の駐留
「軍官民共生共死」・総動員態勢の徹底
    住民は、日本軍への住居の提供、兵舎建築、食料の供出、防衛隊への編入
    日本軍は機密保持をのために住民を絶えず監視し、住民を島内から出ることも許可制
・島内は日本軍の「合囲地境」(軍政)化
  軍・隊長は、村の行政組織を指揮下に組み込み全権を掌握
  軍の命令は、防衛隊長・村長・助役・兵事主任を通じて住民に伝達
・日本軍による「玉砕」訓示・指示
「鬼畜米英に捕まると女は強姦されてから殺され、男は八つ裂きにされる。その前に玉砕するように」
・捕虜禁止とスパイ防止
座間味島では、スパイ防止のため村民にスパイでないことを証明する布きれを常時身につけさせた。
  機密保持のため、村民に村外への移動を禁止。米軍に投降することも禁止。
・日本軍の住民虐殺の多発
  慶良間諸島での日本軍の組織的抵抗は数日で壊滅。以後、8月中旬まで、山中に立てこもったゲリラ戦に住民が巻き込まれてゆく。
渡嘉敷島赤松隊の降伏は、8月21日。この間、日本軍によって元教頭の防衛隊員、伊江島出身の住民6名、島の少年2名がスパイ容疑で軍刀で処刑されている。
  朝鮮人軍夫のスパイ容疑での処刑

☆渡嘉敷島の実態
・渡嘉敷村役場職員だった吉川勇助さんの新証言
「米軍の上陸直前に、日本軍が役場を通じて17歳未満の少年を対象に、一発は攻撃用、もう一発は自決用と言って、手榴弾を2発ずつ配った。昭和20年3月28日の集団自決の直前に、住民が西山に集められた後、赤松隊長がいた西山陣地の中から出てきた防衛隊員が「伝令」と叫びながら古波蔵村長のもとに行き、村長の耳元で軍からの命令を伝え、その伝達事項を聞いた村長が何度も頷いた後、「天皇陛下万歳」を三唱するよう住民に呼びかけて、住民が万歳三唱し、古波蔵村長の「発火用意」との号令をきっかけにして住民が手榴弾を爆発させて自決が始まった。私も防衛隊員であった姉の夫と一緒に手榴弾で自決を図った。手榴弾で自決できずにパニックになった住民たちが軍陣地になだれ込もうとしたが、赤松隊長が大声を出して怒り、住民を陣地内にいれなかった。」
  
・「集団自決」の体験者である金城重明さんの証言、当時兵事主任の富山真順さんの証言と合わせて事実の整理をすると
 3.20 赤松隊の伝令が富山真順さん(当時兵事主任)に役場職員と17才以下の少年を役場に集めるよう命令。その場で兵器軍曹が手榴弾を2個ずつ配布し「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの1発で自決せよ」と訓示。
 3.27 赤松隊長から兵事主任の富山さんに「住民を軍の西山陣地近くに集結させよ」という命令が伝えられる。
 *西山は、渡嘉敷島の北端であり、普段人が足を踏み入れることのない、食糧もない場所であり、かつ日本軍陣地のすぐそばで逃げ場もない。 
 3.28 村の指導者を通じて村民に軍の自決命令が出たと伝えられる。
 軍の兵士である防衛隊員が赤松隊長がいた軍の陣地から出てきて自決用の手榴弾を住民に配り、そこで「集団自決」がおこなわれた。
 赤松隊軍陣地には、「集団自決」できなかった住民がなだれ込んだが、赤松隊長に怒鳴られ、追い返された。赤松隊長は、住民が集団自決をしているすぐ側らの陣地にいて、住民が軍陣地内になだれ込む現場にいながら、「集団自決」の発生を止めようとしなかった。




☆座間味島での実態
・3月25日に何があったのか。続々と出てきた新証言
○兵事主任兼防衛隊長であった宮里盛秀助役の妹である宮平春子さんの新証言
「昭和20年3月25日の夜のことでしたが、盛秀が外から宮里家の壕に帰ってきて、父盛永に向って、『軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するように言われている。まちがいなく上陸になる。国の命令だから、いさぎよく一緒に自決しましょう。敵の手にとられるより自決したほうがいい。今夜11時半に忠魂碑の前に集合することになっている』と言いました。そして、皆で玉砕しようねということになり、私が最後のおにぎりを作って、皆で食べ、晴れ着に着替え、身支度を整えました。盛秀は、自分の子どもたちを抱き上げ、『こんなに大きく育ててきたのに、手にかけて玉砕するのか。生まれなければよかったね。許してね』『これからお父さんと一緒に死のうね。皆一緒だから恐くないよ』と頬ずりし、抱きしめました。そして、父盛永に向って、『お父さん、生きている間は十分に親孝行ができなかったので、あの世で会うことができたら親孝行します。ごめんなさい』と言い、盛永と水杯を交わしました。このときのことを思い出すと本当に胸が苦しくなります。」

○「軍から命令」死を覚悟 宮平春子さんの妹、宮村トキ子さんの新証言
 「忠魂碑に集合する時間が近づいた。座間味村内川山の家族壕を、兵事主任で助役の宮里盛秀が家族を連れて、出ようとした時。末妹の宮村トキ子(75)の目前で、父盛永が盛秀を呼び止めた。「盛秀、もうどうにも生き延びられんのか」。最後の望みを託した問い掛け。盛秀は「お父さん、軍から命令が来ているんです。いよいよですよ」。納得させるように言い含めると、再び歩みだした。」沖縄タイムズ 2007.9.2

○「日忠魂碑前で日本兵が手榴弾を配った」宮川スミ子さんの新証言
 「宮川さんは当時、座間味国民学校五年生。米軍が座間味島を空襲した四五年三月二十三日に、母のマカさんとともに家族で造った内川山の壕に避難していた。二十五日夜、マカさんが「忠魂碑の前に集まりなさいと言われた」とスミ子さんの手を引き壕を出た。
 二人は、米軍の砲弾を避けながら二十―三十分かけ、忠魂碑前に着いた。その際、住民に囲まれていた日本兵一人がマカさんに「米軍に捕まる前にこれで死になさい」と言い、手榴弾を差し出したという。スミ子さんは「手榴弾を左手で抱え、右手で住民に差し出していた」と話す。
 マカさんは「家族がみんな一緒でないと死ねない」と受け取りを拒んだ。スミ子さんはすぐそばで日本兵とマカさんのやりとりを聞いた。二人はその後、米軍の猛攻撃から逃れるため、あてもなく山中へと逃げた。
 聞き取りが当時の大人中心だったため、これまで証言する機会がなかった。スミ子さんは「戦前の誤った教育が『集団自決』を生んだ。戦争をなくすため、教科書には真実を記してほしい」と力を込めた。
 宮城さんは「日本軍が手榴弾を配ったことが、さらに住民に絶望感を与え、『集団自決』に住民を追い込んでいった」と話している。」沖縄タイムズ 2007.9.29

・「母が遺したもの」(宮城晴美)証言と裁判での梅澤元隊長陳述の矛盾




☆伊江島
・東洋一の陸軍飛行場を建設。飛行場建設と防衛隊に住民を根こそぎ動員。
・4月16日から6日間の激しい戦闘で日本軍は全滅。住民も竹槍や手榴弾を持って、切り込みに参加(幼児をおぶった母親も切り込みに参加)するなど徹底した住民動員。伊江島島民3000人のうち約半数が犠牲。

○守備隊が防衛隊や消防団に「いざとなったら潔く自決するように」と、手榴弾やダイナマイト、毒薬が渡されていた。

○防衛隊の場合、部隊が崩壊すると家族のもとに逃げ帰り、支給されていた手榴弾やダイナマイトで家族で自爆したケースが多かった。

○アハシャガマには、約120名が避難。そこに米軍に追われた防衛隊員らも逃げ込み、軍民の混在するガマとなった。ガマの入り口を攻撃されて、パニックに陥り、防衛隊員の持っていたダイナマイトを爆破させ、一瞬にして100名以上の住民が犠牲となった。

○日本軍による住民虐殺
・米軍に保護された住民や長くガマに隠れていた住民をスパイ容疑で処刑するケース 

→日本軍と住民が混在する中で、日本軍によって配られた手榴弾・ダイナマイトを使って「集団自決」が起こった。




☆「集団自決」が起こらなかった離島(慶良間諸島の中でも阿嘉島や前島、久米島、沖縄本島の伊計島や平安座島、浜比嘉島など)
・日本軍のいなかった地域では、ほとんど「集団自決」は起こっていない
 より正確に言えば、日本軍が存在しないことによって、軍による住民を支配する強制状況が相対的には弱くなり、自らの判断で投降することが可能となったのである。




A米軍上陸地点で多発した「集団自決」
○住民を追い詰めたのが、住民を置き去りにして南部へ撤退した日本軍の持久作戦
 4月1日、圧倒的な米軍の読谷・北谷上陸に対して、日本軍は持久作戦をとり南部に撤退。米軍の前に数千の住民が取り残された。

○日本軍の意志を代弁した元軍関係者(中国従軍兵士と中国従軍看護婦)がチビチリガマでの「集団自決」を主導
・元中国従軍看護婦
  「軍人は本当に残酷な殺し方をする。だから自分たちで死んだ方が、きれいに死ねる。」
・元軍関係者
  「自決すべきだ。それが立派な日本人の取るべき路だ。」
  「サイパンやフィリピンででもこうして死んだんだ。」
・住民
  「日本軍が中国などでやったように、捕虜になったら惨殺されると思い、誰一人でなかった。」
  「いやでも何でも天皇陛下万歳して、死ぬほかなかったんだ。」

○83名の犠牲者のうち12才以下の子どもが41名を占めるチビチリガマでの「集団自決」
・子どもたちは、自分の意志で「自決」したとは考えられない。実行者は、母親であり家族の場合が多数。→皇民化教育の責任の重さ




B沖縄本島南部での無数の「集団自決」
○沖縄戦末期に、米軍から逃れて南部へ南部へとやってきた家族や小グループでの「集団自決」が多発。

○軍民雑居の中で日本軍から配布された「手榴弾」で「自決」したケースが多い。

○事例:米須地域のカミントウガマでの「集団自決」
 ガマに防衛隊員が逃げ込んできて、その後米軍の攻撃を受ける。米軍は「出てこい」と呼びかけたが、防衛隊員の持っていた手榴弾で「自決」が行われた。



(3)住民を「集団自決」に追い込んだ要因は何か?
 「集団自決」の要因を極限状態での直接的な軍命令の有無だけに切り縮めて考えてはならない。日本軍が沖縄に駐留し、住民支配と「軍官民共生共死」・総動員態勢の徹底の中で明らかにしなければならない。

@国体護持のための時間稼ぎとしての沖縄戦。「軍官民共生共死」・総動員態勢の徹底と軍民一体となった持久作戦。最初から「玉砕」を方針化。

A捕虜になることを恥、投降することを裏切り者とする皇民化教育。沖縄差別の裏返しとしての徹底した「日本人化」。方言撲滅。

B米軍に対する極度の恐怖心の植え付け。アジア太平洋地域で残虐行為(住民虐殺や捕虜の惨殺、性暴力など)を行った日本軍の経験と思想が、沖縄に持ち込まれた。
 cf 第32軍司令官の牛島や参謀長の長勇は、南京大虐殺に参加し、日本軍を指示。
中国山西省でのすさまじい性暴力を引き起こした部隊が沖縄に配置。

C「集団自決」と「住民虐殺」の相関関係
 「集団自決」のあるところ「住民虐殺」があった。「捕虜になるものはスパイと見なし処刑する」(日本軍)を住民に通達し、恐怖による住民支配の中で「集団自決」に追い込んだ。

D日本軍が住民に「自決用」にと手榴弾を配っていたという無数の証言の存在。


3.戦後沖縄での「集団自決」認識の深まり

(1)「集団自決」の特異性=戦後長い間、誰も口を開かなかった
・肉親同士で殺し合わざるを得なかったその有り様の特異さの持つ意味

・チビチリガマの調査が住民の協力の下で始められたのは戦後38年目。アハシャガマでの遺骨収集が行われたのは、戦後26年目のことである。

・「新版 母の遺したもの」(高文研)の取材
 それともう一つ、春子さんに会う前に多くの住民から「集団自決」の再調査を含めた取材を重ねてきましたが、とくに親族を亡くした方からの取材は非常につらいものがあったことです。私が訪ねる前日、あるいは数日前から夢見が悪かったという方や、話したあと、遺体収容のときの親きょうだいや幼子の姿を思い出したり、「玉砕」を止められなかった自分を責めるなど、トラウマを抱えた方が何人もありました。私の訪ねた後、一週間ほど毎日泣き暮らしたとか、食事がのどを通らない、眠れないと訴えた方もあり、家族から「もう来てくれるな」 とクレームがついたことも何度かありました。
 実際、春子さんも、兄の盛秀さんが子どもたちを抱きかかえて「お父さんと一緒に死のうね」と話す場面などは、顔をゆがめて溢れる涙をぬぐいつつ、声を詰まらせながらやっと言葉を絞り出すという状況でした。「集団自決」 の体験を語ってもらうということは、それぞれの抱える心の傷を再びえぐり出すことに等しいのです。こうした気持ちの重さもあって、連絡がとれないまま、春子さんからの聞き取りを断念し、本書初版を出版してしまったのでした。

(2)「集団自決」認識は、歪曲・隠蔽との闘いの中から深まってきた
@「鉄の暴風」(1950年発刊):沖縄で初めての住民の取材をもとにした「戦記」

A82年の教科書問題。文部省による「日本軍による住民虐殺」記述の削除と記述復活を求めた全県的な運動。記述の復活を勝ち取る。

B第3次家永教科書裁判で深められた認識(84年提訴〜97年判決)
○83年度教科書検定。文部省は住民虐殺を認める一方で、「犠牲者の最も多かった集団自決の記述を加えなければ、沖縄戦の全貌はわからない」と修正意見。文部省の狙いは?

○「集団自決」の本質を巡る論争
・「集団自決」と「強制集団死」
 ここで、「集団自決」という言葉について説明しておきたい。『鉄の暴風』の取材当時、渡嘉敷島の人たちはこの言葉を知らなかった。彼らがその言葉を口にするのを聞いたことがなかった。それもそのはず「集団自決」という言葉は私が考えてつけたものである。島の人たちは、当時、「玉砕」「玉砕命令」「玉砕場」などと言っていた。「集団自決」という言葉が定着化した今となって、まずいことをしたと私は思っている。この言葉が、あの事件の解釈をあやまらしているのかも知れないと思うようになったからである。 沖縄タイムズ1985年5月11日

・日本軍の強制か、住民の自発的な「殉国死」か   
 「自決」という場合には、「死をえらぶ人の自発性・任意性」が前提となります。乳幼児が自決をすることはありえませんし、肉親を自発的に殺す者もいません。
 「親が幼子を殺し、子が年老いた親を殺し、兄が弟妹を殺し、夫が妻を殺す」といった親族殺しあいは、天皇の軍隊と住民が混在した戦場で起きています。戦闘に即して言うと、米軍が上陸してきても、そこに日本軍がいなかった地域では起きていません。皇軍の圧倒的な力による押しつけと誘導がなければ起きることがらではありません。防衛庁の記録に「戦闘員の煩累を絶つための犠牲的精神によって集団自決をとげ、皇国に殉じた」(「沖縄方面陸軍作戦」252頁)とありますが、事実に反しています。戦場の住民は、自主的に死を選択したのではありません。
 幾多の複合要因があるとは言うものの、基本的には皇軍の強制と誘導によって、肉親同士の殺しあいを強いられたのです。肉親同士の殺しあいを強制するということは、皇軍による住民殺害と同質同根です。ですから言葉の本来の意味において、沖縄戦では「集団自決」はなかったのです。住民の「集団的な死」は自発的な意思によるものではなく、この実態を「集団自決」と表現することは不適切であり、真相を正しく伝えることを妨げるものです。                    安仁屋 政昭

・靖国思想が込められる文科省の「集団自決」
 「集団自決」体験者を積極的に戦闘参加者・協力者と見なし、援護法を適応し、靖国神社へ。
 *八木秀次「特別のご高配」「本土防衛の盾になった沖縄戦の犠牲について、感謝と共感を示す表現」 

○97最高裁判決
「集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体のあり方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するには当たらない」「集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切でない」

D2007年春からの「島ぐるみ闘争」による新たな証言の掘り起こしと認識の深化
 削除されたことへの怒りから「決意の証言」へ。そして9.29県民集会への参加へ


4.「集団自決」から日本軍の強制を削除させる論法
−−−日本軍「慰安婦」正当化論との共通性−−−


(1)被害者・住民の証言は信用しない。 「県史は一級資料ではない」(教科書調査官)

(2)直接の軍命令の証拠がないことだけを取り出し日本軍の強制を全面的に否定
  ・「沖縄戦と民衆」(林博史)を都合よく歪曲
  ・岩波・大江裁判の存在 

(3)「援護法の金ほしさに軍命をでっちあげた」(藤岡信勝)


5.沖縄教科書検定撤回の闘いはまだ終わっていない

(1)9.29県民大会と「島ぐるみ闘争」の意義と成果
@「集団自決」認識の深まりから 
  〜日本軍の「関与」ではなく「強制」の実相〜
A歴史歪曲勢力への重大な打撃
B政治介入を自由に行ってきた教科書検定制度の問題点を浮き彫りにした
C高校教科書だけでなく、中学校教科書での沖縄戦記述の深まりの手がかりをえた

(2)検定意見の撤回と教科書記述の回復を目指して
@9.29県民大会実行委員会の存続と闘いの継続
A社会科教科書執筆者懇談会の継続と11月再度の訂正申請の動き
B「集団自決」認識の深まりの記録化と教材化の動き

(3)「軍隊は住民を守らない」−−−日本軍の加害責任追及と在日米軍再編・自衛隊の強化反対との結合

@中学生暴行事件、フィリピン人女性暴行事件等の立て続けに起こる米軍犯罪に対して
3月23日、「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」を開催
・昨年の9.29教科書検定撤回県民大会実行委員会参加団体を中心に県民大会を組織化・自民党以外の県議会各派、平和人権センターと連合沖縄、市民運動、中部地区の5市町 村の行政を中心に「県民大会」に結集

A影の争点として辺野古への普天間移設問題

B米軍再編による自衛隊機能の強化と日米一体化の促進
・キャンプハンセンの日米共同使用




イラク戦争開戦5周年にあたって