石川真生"ヘリ基地建設に揺れる町"写真展のご案内
日時 2002年1月19日(土)20日(日)午前10時〜午後6時  入場無料
場所 堺市立文化会館(与謝野晶子文芸館・アルフォンスミュシャ館)ギャラリー
         JR阪和線堺市駅前・ベルマージュ堺二番館2階



「賛成、反対、両方の思いを伝えたい。特にヤマトの人々に。」(石川真生)

 2月3日、名護市長選では、新たな基地建設を最大の争点として、反対派宮城康博さんと、推進派岸本現市長とが激しくぶつかり合います。海兵隊新航空基地の是非を真っ正面から問う選挙です。
 この市長選を前にして、政府と岸本名護市長が慌ただしく動き出しました。12月27日は、新海兵隊航空基地の建設位置を決めてしまいました。建設場所が決まれば工法も絞られます。政府は3月末までに基本計画を策定しようとしています。このまま名護に新しい米軍基地を建ててしまっていいのでしょうか。
 97年12月21日、名護の人々は市民投票ではっきりと新基地に対してNO!という答えをだしました。にもかかわらず、岸本市長と政府は、4年間かけてじわじわと名護の人々に基地受け入れをせまってきました。市長選は事実上、基地建設賛成か、反対かを再度名護の人々に迫るものになります。人口5万という小さな市の人々に、日本全体の問題を選択させようとしています。
 96年12月、静かに暮らしていた名護の人々に政府は突然、新海兵隊航空基地を押しつけました。その後、名護市民は基地建設の是非をめぐって真っ二つに割れ、身内どうしで、友人で、親類で、近所で仲の良かった関係がくずれていきました。賛成派の人も、反対派の人も共に、名護の将来をどうするか、自分たちの生活環境と美しい自然をどうするか、悩み苦しんでいます。そんな名護市民の姿と思いを沖縄県の女性カメラマン石川真生さんが撮り続けてきました。
 石川さんは、普天間代替施設の移設先に名護市の名前が浮上してすぐ、1996年末から名護市に入り込んで、時には名護東海岸に住んで取材を続けています。"ヘリ基地建設に揺れる町"はウチナンチューであり6年間地元に密着し続けた石川真生さんでしか撮れない写真です。新航空基地建設に向けて、名護市長と政府が大きく動き出している今、是非多くのみなさんに観ていただきたいと思います。


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 9月11日のテロ事件とその後のアメリカの報復戦争は沖縄の人々の生活に大きな影響を与えています。米軍の厳戒態勢は長く続き、武装した米兵がすぐ隣にいます。演習も激しくなり爆音などの被害が増えています。「本土」の修学旅行、団体旅行のキャンセルが相次ぎ、莫大な損失を受けています。観光業関連に従事している人々は、週休3日制や1日4時間労働による賃金カットや、月給制が時給制になったり、無期限自宅待機、リストラと苦しい状況が続いています。
 ヤマトンチュー(本土の人)は沖縄を気軽にキャンセルしますが、ウチナンチュー(沖縄の人々)は「危険だ」と言われる沖縄をキャンセルできませんし、しません。米軍基地が集中するために「本土」の人々が「危険」と考えている沖縄で、ずうっと生活し続けています。私たちは危険な基地を沖縄に押しつけるのをもういいかげんにやめて、沖縄の人々と共に基地をなくす方法を考える時期にきているのではないでしょうか。
 今、沖縄・名護市に新たな基地建設が計画されています。せめて新たな基地建設はストップさせたいと思っています。"ヘリ基地建設に揺れる町"の人々の思い、願いを知ってください。

会場地図




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