家族ぐるみで準備した小さな写真展
     パレスチナ・アフガニスタン写真展 報告     

■ こうした写真展を企画することになった動機は、やはり、昨年の9.11事件とそれを契機にアメリカがアフガニスタンへの「報復」戦争を行ったことでした。ついに戦争の時代が始まる! その時以来、何かをせずにはおれないという気持ちがふくらんでいくのが自分でもよくわかりました。
 今回の企画の賛助者となってくれた人も、9.11の直後、ブッシュ大統領に手紙を送りました。彼女は、クリスチャンとして、聖書に手をおいて宣誓をしたブッシュ大統領が「報復」などという聖書の教えに反した行動をとろうとすることに非常な怒りを感じたからです。
 今回の写真展も、緊迫するパレスチナ情勢を目の当たりにして何かできることはないかということで、彼女との対話の中から、生まれたアイデアでした。
  パレスチナの惨状を一人でも多くの人に知らせ、アフガニスタンで粘り強い活動を続ける中村医師への基金を集めながら、有事法制に反対する署名運動をしようという一石三鳥を狙った欲張りな計画でした。

■ まずは、様々なHPから、写真を集めました。許可が必要であると書かれているHPについては、問い合わせをして、承諾をいただくところからはじめました。そうして集めた写真を大きく引き伸ばして、カラープリンターで、写真用の用紙に打ち出して、展示用の写真を作りました。
 ジェニンの惨状や、パレスチナでの日常的な軍事的抑圧をとらえた写真に加えて、イスラエルの軍務拒否をした人々がHP上に公開した顔写真を全部集めて、一枚一枚を大きくプリントアウトして、並べて貼りだしてみました。なかなか壮観でした。実のところ、この準備作用をしている間、楽しくて仕方がありませんでした。にこやかな笑みを浮かべている人もいれば、いかつい顔の人もいます。お花畑を背景にしている人もいれば、認識票の無愛想な顔写真をそのまま貼り付けている人もいます。憂いに満ちた初々しい顔つきの若者もいれば、百戦錬磨のベテランらしい面構えの人もいます。これら、さまざまな経歴、いろいろな性格を持った個人が、投獄をはじめ数々の不利益をも恐れず、占領地での軍務を拒否するという一点で結びつき、そして、全世界に自分の名前と顔写真を公開しているのです。これらの写真を見ていると、彼らの度胸のひとかけらなりとも、自分の中に入ってくるような気がしました。(それで、大胆にも、ミニ・チャリティ・コンサートまでやってしまったわけです。クラシックの音楽家の協力を得て、伴奏のカラオケを作ってもらい、子どもといっしょに歌ってみました。)
         
 ペシャワール会と中村医師の写真も、厳しい状況にもかかわらず、勇気と楽天性に満ちたものが多く、これも大いに励まされました。中村医師の著書を読むと、この現在の日本で、様々な活動をしていく上での困難や障害が、実にちっぽけなものに思えてくるのです。


■ 写真展と合わせて、「兵役拒否−イスラエル18歳の決断−」と「パレスチナ少女・交流の記録」のビデオ上映もしました。
 兵役拒否をしているヤイール君が軍に出頭しなければならず、着替えを用意するのに、そろいの靴下がないとあわてるシーンが、私はとても面白いと思いました。ヤイール君が、けっして、スーパー高校生ではなく、普通のどこにでもいるような若者であることに、とても親近感を抱きました。
 「パレスチナ少女・交流の記録」は、レバノンとパレスチナ、二つの地域の難民キャンプの同じ年頃の少女たちの交流を描いたものです。文通に始まって、国境での交流、それから、インティファーダへの参加・・・少女たちの目から見たパレスチナとイスラエルの現状がつぶさに描かれています。見た人の中には、涙ぐんでいる人がいました。

■ また、小泉首相やアメリカ、イスラエル大使館宛の抗議葉書も作りました。小泉首相宛の葉書のデザインは、私達で、亡き父がかつて軍国少年であったころの日記をヒントにして、独自に漫画を作成してみました。
 静かな住宅街の中、大した宣伝もせずに、このようなささやかな写真展を開いて、どれだけの人が来るのか正直なところあまり期待していませんでした。しかしながら、署名運動のHPをご覧になって、電車を乗り継いで、遠くから来ていただいた方もあり、大変感激しました。都合が合わずに来られなかった方からも、激励のお葉書をいただいたりもしました。参加された方々や、有形無形の援助をしてくださった方々に、あらためてお礼申し上げます。また、20370円をペシャワール会「緑の大地基金」に送ることができました。皆様のご協力感謝いたします。


  アルト総合マネージメント (大阪 木村 奈保子)

小泉首相宛の抗議ハガキ

〒100-0014
東京都千代田区永田町2-3-1首相官邸
内閣総理大臣 小泉純一郎様