神奈川県は沖縄に次ぐ基地県だ。横須賀の話をする前に、元気のでる話をしたい。 @苫小牧市が非核都市条例を作った。横須賀には非核市民宣言運動ヨコスカがある。74年にミッドウェーが横須賀を母港にしたときに、毎日デモを行った。今は毎月1回の定例デモをお粉手いる。その運動の中心になっている人が、自治体には力があるのだ、自治体が拒否すればできないのだと説いて回った。その話を聞いて北海道の方も元気を出して、非核都市条例をつくろうとがんばっている。苫小牧市で非核条例ができ、4月から発効した。ブルーリッジが苫小牧に入港しようとしたとき、「なんだかんだかんだ」と言って入港させなかった。「なんだかんだかんだ」しか私たちにはない。でも「なんだかんだかんだ」と言ってバースの延長工事を遅らせたり、入港を拒否したりできる。「なんだかんだかんだ」は何でもいいのだが、ツボを押さえなければならない。苫小牧でも自治体には力があるというツボを押さえて条例をつくることができた。 A横浜市の瀬谷区の人々が土地を返せと米軍に迫っている。他の艦はみんな出ていっているのに、ブルーリッジだけが横須賀に残って指令を発信する事が今はできる。それならば通信所のあった瀬谷の土地はいらないのではないかと、返還運動が始まっている。市民も市が米軍に返還要求をしないのは自治体の怠慢だと監査請求を同時に行っている。沖縄の反戦地主の方々が「なんだかんだかんだ」とやってきた。あちらこちらで「なんだかんだかんだ」とやることがいつかは力になっている。 B昔の話だが、ベトナム戦争の時、労働者と市民、自治体の長ががんばってベトナムへ搬出しようとした戦車を引き返させた。搬出を2週間とめた。止めたのは2週間だったが、2週間止めたということが今の私たちに力として残っている。 横須賀の基地をめぐって。非核市民宣言運動ヨコスカは毎月デモを行っている。平和船団を組んで監視活動をしている。日曜日にプラカードを持って黙って立っている。9/11からいつまでするのかと思いながら始めたが、未だにアフガニスタンでの戦争が終わらないから、今も続いている。横須賀地区労がまだ健在だ。地区労がやっていることを何らかの形で残していかなければならない。全駐労横須賀支部は「基地を返せと言ったら、自分たちの仕事はどうなるのか」と思いながらも闘っている。全駐労の葛藤を忘れてはならない。毎年ピースフェスティバルを実施している。この時船を出して、基地見学をしてきたが、9/11以降船主が「米軍との紳士協定だ」と言って、基地の近くまで寄れなくなっている。 横須賀が軍艦を止めないから、厚木の空はうるさいといわれたことがある。今は、県民共闘会議ができて、横須賀と厚木が一体となって運動を進めている。横須賀のデモに「厚木に静かな空を返せ」というシュプレヒコールが生まれた。 97年に横須賀の12号バース延伸工事の予算がついた。私たちは当然「なんだかんだかんだ」といって中止を求めている。93,94年に米海軍が地下汚染の実態を調べたら、水銀、鉛、PCBがでてきた。PCBは米軍しか使わないので米軍が汚染した証拠になる。バースの汚染防止工事をしていたら、先端が崩れた。その後、おできのできたハゼが発見された。ハゼというのは湾の底にしか住まないので汚染状況を調べるのに適している。バースが崩れたことによって汚染物質が海に流れ込み、ハゼの異常が急激に出た。つまりバースは汚染されていることになる。基地は環境を破壊するものだということがよくわかる。 相模湾では、原潜が訓練をしているはずだ。ハワイ沖で事故にあったえひめ丸は人ごとではないと思う。 **最後に署名の紹介があった。できるところでは是非、取り組んでいただきたい。 2002年4月29日 アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動交流集会
筧璃恵子さん(原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会)のお話より (文責:中條) |
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