やんばる・ヤマトだより
2003年1月7日 NO.80
敗戦50周年を問う教職員の会
 中條佐和子

韓国女性の熱い思いに触れて

 「破滅に向かって突き進んでいるような暗い世界に、差し込んだ一筋の光明が韓国の大統領選挙でした。」−−尊敬する新崎盛暉先生からの年賀状にはこう記されていた。まさに、その通りだと思った。新大統領を誕生させた韓国の運動は、閉塞状態で窒息してしまいそうになる私たちに勇気と希望を与えてくれた。韓国の反米闘争が、米日による北朝鮮への挑発行為、敵視政策に痛打をあびせかけ、日本の軍国主義的流れに歯止めをかけた。ブッシュ大統領とアメリカに矛先を向けた運動が韓国で日々拡大する様子を観て、心躍る思いがしたのは私だけではないだろう。いろいろな分野で日々苦悩している多くの方が韓国の運動に“一筋の光明”を見いだしたのではないだろうか。
 その韓国の運動から学びたいと思い12月28日に駐韓米軍犯罪根絶運動本部事務局長の李韶熙さんをお招きして講演会を行った。講演会を計画した9月には予想できなかったほど反米闘争が盛り上がっている最中に、来ていただくことになった。当日は、年末であったにもかかわらず、在日の方、沖縄出身の方々をはじめ韓国の熱い闘いに直接触れ学ぼうと思う人々が大勢来てくださった。
   
 李韶熙さんは、李さんたち駐韓米軍犯罪根絶運動本部の地道な活動ついて丁寧にお話してくださった。   
 事件はワールドカップ開催という時期に起こった。マスコミも、誰も見向きもしなかった時に、事件翌日一人で現場を訪れ、家族に会い、周辺の人にインタビューをし、インターネットニュースで第一報を流したのが李さんだった。凄惨な事件であったにもかかわらず、事件当初、韓国政府もマスコミも意図的にもみ消そうとした。そのような中でこの事件が広く韓国民に知られ大きな運動につながったのは、遺族と、李さんのように初期から事件にかかわったごく少数の人が、粘り強く米軍を追及し抗議し情報を流し続けたからだ。経過を知らなければ自然発生的に運動が高揚したように思いがちだが、今の韓国の運動は、地道な活動によって導き出さされたものなのだ。そのことが李さんの講演でよくわかった。
 李さんのお話を通して、駐韓米軍犯罪根絶運動本部の活動の一端を知ることができた。事件が報道されたり、運動本部に通報があったりしたら、現場にかけつけ、徹底した調査を行う。時には検死にも立ち会うそうだ。被害者に寄り添い、数ヶ月から数年間一つの事件を追い続けるという。犯罪を犯した米兵の追跡調査も行う。被害者のことも、加害者のことも忘れないためにだ。米軍と韓国政府によって事件がうやむやにならないようにあらゆる努力をしている。日常的に米軍問題について訴えるために毎週司令部前で行う金曜集会を行い、02年12月には400回目を迎えた。ここに来れば米軍問題について語れる、共に考えられるという場を提供し続けているのである。
 今回はいくつかの条件が重なり反基地闘争が爆発的に広がっているが、ここに至るまでには、たくさんの悔しい思い、悲しい思いがあった。いくつもの事件事故がありその追及があり、多くの人に知られないまま埋もれてしまった被害者が多くいるとのことだった。泣き寝入りを強いられた被害者やその家族のためにも、今、SOFA改定と米軍犯罪根絶のために一生懸命運動されているのだと思う。 
 李さんは、今自分たちが取り組んでいることは、米軍が駐屯する全ての地域、国にとっても重要な問題であることを意識され、だからこそ、どんなに困難であっても要求を実現させるために努力すると力強く言われる。地位協定(SOFA)の改定の核心である公務中の事件・事故の裁判権委譲問題は、アメリカと地位協定や相互軍事補給協定などを結んでいる80カ国共通の問題だ。米・日・韓政府が、地位協定を改定しない理由は「世界のどのSOFAにも前例がない」ということのみだ。ならば、米軍が駐屯する地域・国が一丸となって地位協定を問題にすることが必要だと思った。

 大統領選が終わり、12月31日の蝋燭集会が終わったとたん、韓国警察は「待っていました」というばかりに、運動の弾圧に乗り出した。年が明けた1月1日午前6時に、1ヶ月間続いた“追慕座り込み”を強制排除し9人を連行した。警視庁長官は、これ以上反米闘争を見過ごすことはできないと、今後、道路や交差点、アメリカ大使館から100m以内での集会を禁止し、集会の「首謀者」を逮捕するという通知を出した。経済界や右派勢力も「SOFA改定はすべき。ブッシュの大統領の公式謝罪は要求すべき。だけど反米はいけない。」と反米闘争を敵視したキャンペーンを行いだした。これらの動きに合わせて、インターネット上でも蝋燭集会の性格とそのあり方が大論争になっている。「反米」ではなく、「反戦・平和」の集会にすべきであり、汎国民対策委員会が主催する蝋燭集会とは別に、「反戦・平和」を掲げた蝋燭集会をするという。「汎国民対策委員会に反対するものではない(インターネットで蝋燭集会を提起した人)」「多様な蝋燭集会があっていい(汎国民対策委員会)」と、蝋燭集会が分裂したのではないことを主催者側は主張する。しかし、朝鮮日報、東亜日報、中央日報などの韓国主要マスコミは、ここぞとばかり、「蝋燭集会が2分」「(1ヶ月続いた蝋燭集会が)初めて中断」などと蝋燭集会の分裂と衰退を必死に書き立てている。任期がわずかとなった金大中大統領の最大の仕事は、反米闘争の鎮圧であり、そのためにあと1ヶ月を費やすことになる。
 汎国民対策委員会は、1月1日の強制排除に対し、即座に抗議行動を行った。翌日には再度座り込みを行い、抗議の一人デモも始めた。毎月1回、自主・平和大会を行うことを決めた。他方、新たな運動も始まりつつある。民主弁護士会は、ソウル行政法院に対して、れき殺事件捜査記録公開訴訟を起こす。れき殺事件の真相を明らかにすること、SOFAの問題を浮き彫りにし改定の方法を模索することを目的にしている。
 今後、連日多数が集まって蝋燭集会等をすることは少なくなるかもしれない。これからは、事件の真相解明とSOFAの具体的な批判、新大統領への要請行動など地道な活動に重点が移るのかもしれない。しかし、韓国の人々は、5万、10万人が結集した、1ヶ月連続した行動をしたという成果と自信をもとに、果敢に新たな運動を切り開いていくことと思う。李さんもまた奮闘されることと思う。

 “一筋の光明”である韓国の反米闘争をつぶさせてはならない。日本でも、どんなに小さくても、対北朝鮮敵視政策に反対し、対イラク戦争に反対する反米闘争をつくりださなければならないと思う。
 新崎先生からの年賀状は、こう続いている。「対等・平等・公正・平和を求める韓国の民衆運動をどれだけ支持できるか、これとどの程度連帯できるか、わたしたちの今年の課題になるでしょう。」この大きくて重たい課題をしっかり受け止めて、どんなに微力であっても、自分にできることをコツコツと地道に着実にしていきたいと思う。気持ちだけは李さんに負けないように・・・。



紹介 韓国からの声
写真家 姜龍求さんからの写真とメール

(大統領選についてご感想を聞かせてください。)
 先ず、盧武鉉さんが大統領に当選した事については私個人としては良かったと思います。今の大統領が5年間やって来た色々な政策について盧武鉉氏はもっと良い代案を出して行くだろうと思うし・・・。
 53年間韓国を統治して来た米国が選んだ人とか軍人ではない人が始めて大統領になって5年間自分一人で何かをしようとした事がDJ政府であったら盧武鉉氏はDJ政府で経験した事を基本にしてもっと良い国作りをするだろうと思います。
 私が選挙の日まで願ったのはハンナラでな無ければ誰でも良いと思うくらいハンナラ党が選ばれる事を心配していました。それが盧武鉉氏が選ばれてほっとしました。

(お写真を載せてもよろしいでしょうか。)
 私から送った写真については何所でも使っても良いです。その写真が誰の写真である事を確実に表記すれば良いと思うし、その写真が使われることが我々が運動している目的に合っていたら反対する事は何もありません。だから何所にも自由に使って下さい。そして何もない私の写真を使って下さって心から感謝しています。
 お互いに頑張って我々の子どもたちの世界では、戦争も戦いもないそんな世の中で住めるようにしましょう。


KANG Yong-Guさん、Chung Sung-Junさん撮影(12月14日10万人集会にて)





「やんばる・ヤマトだより」バックナンバー

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2002年12月21日 NO.78 12・14 韓国史上最大の反米集会に参加して

2002年9月21日 NO.73 高まる反米の声−−韓国の反基地闘争に接して

2002年9月 8日 NO.72 拡張工事が進む岩国基地を訪れて その2

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2002年8月27日 NO.70 米軍は演習をやめろ!/沖縄をめぐる動き(2002年8月24日〜8月29日)

2002年8月21日 NO.69 梅香里を初めて訪れた。そして初めて実弾演習を見た。

2002年7月31日 NO.66 新海兵隊航空基地、リーフ上埋め立て決定糾弾!

2002年6月29日 NO.65 紹介 沖縄の声  〜有事法制に関する市町村決議〜

2002年6月15日 NO.64 沖縄・復帰30周年を迎えて

2002年5月25日 NO.63 元気に怒る! 沖縄の女性たち

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2002年5月 6日 NO.60
 事故・事故・事故。米軍による事故が連続して起こっている。・・・


2002年4月28日 NO.59 日米安保・サンフランシスコ講和条約発効50周年を迎えて

2002年4月27日 NO.58
 米によるフィリピンへの軍事介入反対!アメリカは沖縄を支援基地にするな。


2002年3月28日 NO.56
 阿波根昌鴻さんが亡くなられた。・・・・


 「生活が第一で、闘いが二番目。同時に生活を守るためにも闘いが一番目。」
 −−−伊江島闘争のあしあと−−−