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12・14 韓国史上最大の反米集会に参加して
11月20日の米兵無罪判決以降、韓国で反基地・反米闘争が日に日に拡大していく様子がインターネットニュースで伝わってきた。毎日どこかで蝋燭集会が催されている。参加人数がどんどん膨れあがっている。多様な抗議行動が展開されている。リボン、インターネット上のサイバーリボン、メールを使っての抗議、アメリカ製品の不買運動、映画のボイコット、そして蝋燭集会、署名活動。誰もが気軽に手軽に参加できる方法がインターネットで提起され続けている。歌手、映画監督、文化人等々も歌や様々なパフォーマンスで運動に参加し、若者たちに「地位協定改定運動に参加しよう」「ブッシュの公開謝罪を求めよう」と訴えている。2人の少女がひき殺されてから半年後にあたる12月13日ごろに何かあるかなあと思っていたら、12月14日に10万人集会を行い、運動の山場をつくるという。そこへの結集が呼びかけられはじめた。う〜んと悩んだ末、韓国の反基地・反米闘争の渦の中に入ってみたいと思い、12月14日に韓国へ飛んだ。
バスでソウル市庁まで行ったのだが、青瓦台からソウル市庁までの大通りの両側を警察・機動隊の大型バスがずらっと並んでいた。アメリカ大使館の周りを、警察車両が2重、3重に囲んでいる。街角には機動隊が何列にも固まってじっと立っている。物々しい雰囲気に驚いた。
ソウル市庁に近づくと、もう音楽やシュプレヒコールが聞こえる。友人に電話で無事ソウルに着いたことを告げ、市庁前の様子を話したら「もう始まっているの?3時からでしょ。・・・まあ集まったら誰も黙っていられないものね。」まだ2時すぎ。人も集まっていて十分集会になっている。市庁前の道路には大胆にも5車線分“SOFA改定”と小麦粉で大きく書いてあった。「すご〜い!」
3時近くになると人がどんどん集まってきた。プラカードや風船を持ったり、追悼のリボンや抗議のバッチをつけていたり、周囲の人にバッチや蝋燭セットを配っていたりとなかなかにぎやかだ。3時の集会“本番”になると群衆が壇上を集中して見つめ、歌声もシュプレヒコールも拍手も一つになった。寸劇でブッシュが韓国青年を蹴飛ばすと大きな抗議の声、努力の結果韓国青年がブッシュをやっつけるとさらに大きな歓声があがる。群衆の中にいて、圧倒されっぱなしだ。
4時に写真家のKanさんと出会い、「上から写真を撮ることはできないものでしょうか」と尋ねると、市庁の目の前にあるホテルの屋上に連れて行ってくださった。記者証がなければ入れない所で、はしごをよじ登ってかなりお転婆をしながら行った。足を滑らしたら死んでしまう!所で集会を最後まで観せてもらった。30階ぐらいあるホテルだろうか。その屋上まで人々の声が聞こえる。下の方から歌声やシュプレヒコールが沸き上がるように聞こえてくる。人が途切れることなく群衆の中に入っていく。「すごい」「すごい」を連発しながら見入った。
「もうすぐ星条旗が動きますよ」と言われて、楽しみに待っていた。周囲の写真家のみなさん、カメラマンたちが一斉に寝っ転がってビルから身を乗り出してカメラを構えた。ふと下を見ると丸められていた7枚の星条旗が人々の頭上で広げられた。そして、だんだん切り刻まれて群衆の中に消えていった。星条旗が消えるとあちらこちらで蝋燭が灯された。その光の中を1枚の太極旗がアリランの大合唱に送られながら群衆の中を突き進んでいった。あっという間の出来事だった。じっと見入った。感動した。5万人によって演じられたこのパフォーマンスにどんな思いが詰まっているのだろうか。どんどん増える蝋燭の灯火。5万の灯が波のように揺れる。寒さも怖さも忘れて黙って見つめた。Kanさん、すばらしい瞬間を見せてくれてありがとう!!
「下りて食事でもしましょう。」まだ集会は続くのに・・・と思っていたら「食べないともちませんよ。10時ぐらいまで続くのだから。」びっくりした。早い人は2時から来ているのに(私も2時半に来たのに)10時まで続くなんて!!
写真家のKanさん、Sinさん、Kukさんに連れられて食事をした。キムチ鍋と「今問題になっている」部隊鍋。いろいろなキムチも卓上に並んで、とってもおいしかった。お腹の中からぽかぽかして体全体が暖まった。「さあこれから僕たちは仕事ですから」とみなさんお仕事をされる厳しいお顔をされて、蝋燭集会の中に入り込まれた。私も蝋燭を持って人々の中に入っていった。
上から見たのとは違って、今度は集会に参加している一人ひとりの顔を観ることができた。蝋燭を握りしめた小さな子どもを連れて歩く若いお母さん、お父さん。恋人同士。中学生、高校生。会社帰りだろうか背広を着たお父さん。おしゃべりをしながら、蝋燭の灯を見つめながら、時には真ん中から聞こえてくるシュプレヒコールと一緒に声をあげながら、歌をいっぱい歌いながら、思い思いに参加している。地下鉄の切符売り場前では、机を並べて署名活動をしている。通路には写真パネルが並べられている。人々が次々と署名をしていく。運動に参加している人々の層の厚さ、幅の広さを実感した。国民的な運動になっていることがよくわかった。
うれしかったことがある。8月の女性会議で知り合った方に昼間の集会で偶然出会った。そして蝋燭集会では後ろの方から「Japanese!!」と声をかけれらた。9/14に一緒にお酒を飲んだ民主労働党の方だ。5万以上もいる中でこの方たちと再会できてうれしかった。
行ってよかった。この歴史的現場に立つことができてよかった。米軍とアメリカに対する、生き生きとした、エネルギーあふれる闘争に触れることができてよかった。さあ、このエネルギーを大阪に、日本に持ち帰るぞ!沖縄に伝えるぞ!!
「やんばる・ヤマトだより」バックナンバー
2002年9月21日 NO.73 高まる反米の声−−韓国の反基地闘争に接して
2002年9月 8日 NO.72 拡張工事が進む岩国基地を訪れて その2
2002年9月 1日 NO.71 拡張工事が進む岩国基地を訪れて その1
2002年8月27日 NO.70 米軍は演習をやめろ!/沖縄をめぐる動き(2002年8月24日〜8月29日)
2002年8月21日 NO.69 梅香里を初めて訪れた。そして初めて実弾演習を見た。
2002年7月31日 NO.66 新海兵隊航空基地、リーフ上埋め立て決定糾弾!
2002年6月29日 NO.65 紹介 沖縄の声 〜有事法制に関する市町村決議〜
2002年6月15日 NO.64 沖縄・復帰30周年を迎えて
2002年5月25日 NO.63 元気に怒る! 沖縄の女性たち
2002年5月21日 NO.62 沖縄からみた有事法制 その2
2002年5月10日 NO.61 沖縄からみた有事法制 その1
2002年5月 6日 NO.60
事故・事故・事故。米軍による事故が連続して起こっている。・・・
2002年4月28日 NO.59 日米安保・サンフランシスコ講和条約発効50周年を迎えて
2002年4月27日 NO.58
米によるフィリピンへの軍事介入反対!アメリカは沖縄を支援基地にするな。
2002年3月28日 NO.56
阿波根昌鴻さんが亡くなられた。・・・・
「生活が第一で、闘いが二番目。同時に生活を守るためにも闘いが一番目。」
−−−伊江島闘争のあしあと−−−
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