やんばる・ヤマトだより
2002年9月21日 NO.73
敗戦50周年を問う教職員の会
 中條佐和子

高まる反米の声−−韓国の反基地闘争に接して

 2人の少女が米軍装甲車にひき殺されてからちょうど3ヶ月目にあたる9月14日に、“追慕文化祭”が韓国のキョンヒ大学で開催された。韓国の反基地闘争に直接触れたい、米軍基地に対する韓国の人々の考えを知りたいと思い、急遽韓国に行った。

ソウル市内のあちらこちらでビラまき
 “追慕文化祭”は14日の午後6時からだったので、それまでソウル市内を見て回った。うろうろしている間、あちらこちらでビラをまく人々に出会った。ソウル駅前で、公園周辺で、繁華街で、駅の階段で、ホームで黙々とまいていた。署名活動をしている所もあった。ビラを受け取った人々が真剣に読んでいる姿が印象的だった。ハングル文字のビラなので、当然何が書いてあるか全くわからなかったが、“追慕文化祭”の会場に着いてそれが何だったのかわかった。“追慕文化祭”のポスターと同じ写真がビラにはあった。朝からあちらこちらでまかれていたのは“追慕文化祭”参加を呼びかけるビラだったのだ。朝から夕方まで一斉に多くの場所でビラまきをする熱心さと、組織力に触れた。

暴行をした米兵を捕まえて直接抗議する人々
 午後6時10分ごろ、会場近くのフェギ駅に着いた途端、大きなシュプレヒコールが聞こえてきた。改札口に行こうと駅の階段を見上げると、2,30人の人々が何か抗議をしていた。駅の外にでたら、知人が「米兵が暴行をしたらしいよ。その米兵を捕まえて抗議しているところだよ」と教えてくれた。そうこうしているうちに、怒号と共に、群衆が目の前をどんどん通り過ぎていった。1人の米兵が4、5人の韓国青年に捕まえられ引っ張られていく。またもう1人、さらにもう1人と米兵が引きずられていく。怒鳴り声、パトカーのサイレン、顔面蒼白で引きつった顔の米兵。突風が吹き抜けるようなあっという間の騒動を、ただただ緊張しながら見送った。
 帰宅してから事件の概要をインターネットで知った。学生が電車内で“追慕文化祭”のビラをまいていたところ米兵と口論になった。暴言を吐いている米兵に対して制止をしようとした汎国民委員会の共同代表を米兵が殴り、鼻の骨を折るなどの大けがをさせたそうだ。
 暴行をした米兵は、自分たちで捕まえる。犯罪を繰り返す米兵への怒り、米兵の犯罪を助長するSOFAへの怒りが凝縮したような一場面だった。

“追慕文化祭”1万人の熱気



 会場の大学野外音楽堂に一歩入って驚いた。「参加者は2、3千人かな」と聞いていたのでそのつもりにしていたのだが、7、8千人はいるのではないかと思った。会場にはどんどん人が入ってきて、軽く1万人は超えていたと思う。6月13日の事件以来、最大の参加者数だ。
 韓国の若者たちの間で大変人気のあるアーティストたちが次々に登場した。歌の合間に「ヤンキーゴーホーム」と言うと、会場も「ゴーホーム」とうなる。1万人の声とその熱気に圧倒されっぱなしだ。韓国トップの歌手がこの“追慕文化祭”に参加し自分なりのメッセージを送っている。これは、韓国内で基地被害や米軍犯罪を追及する雰囲気が一般に浸透してきたということではないだろうか。 
 舞台のスクリーンには、途切れることなくスライドやビデオが映し出されていた。映像だけのメッセージだがそれがとても心に残った。2人の遺影が大きく映し出される。「Happy birthday」、現場に残された少女の靴、白い菊と14という数字、「Last birthday」−−友達の誕生日会に行く途中で殺された少女たち。14歳だった彼女らの誕生日も二度とやってこない。演説するブッシュ大統領、星条旗、自由の女神、赤い「殺」の文字と横たわる鶏−−2人の少女も含めてブッシュの戦争によって殺された人々を象徴しているように思われた。少女のお茶碗、現場を振り返る母親、握り拳−−悲しみと悔しさ、怒りが伝わってくる。
 ワールドカップと事件の経過を織り交ぜたビデオも大変印象的だった。ワールドカップで熱狂する若者たち、亡くなった少女を前にして絶叫する遺族や友人たち、歓声と悲嘆、声援と抗議・・・ワールドカップでみなさんが浮かれていた時に、こんな悲惨なことが起こったのですよと訴えかけているような映像だった。ナレーションで主張することもなく事実だけを伝える映像だったが、この時だけは歌もなく、1万人がスクリーンを凝視し、会場は静かになった。会場にいる若者のほとんどがワールドカップに熱狂しただろう。そして2人の少女の悲惨な死と遺族の必死の訴えに気づくのは遅かったにちがいない。多くの人々がその時の自分自身を振り返りながらこの映像を観たのではないだろうか。
 参加者のほとんどが若者ではないかと思うぐらい、とにかく若者が多かった。この中のどの程度が人気アーティスト目当てなのだろうか。トップシンガーといわれる人が終わった途端、やはりぞろぞろと出て行く若者たちはいた。でも出て行った若者は限られていた。ふと気がつくと若者と入れ替わるように労働者たちが次々と入ってきた。反戦・反基地闘争を支え、労働運動を担っていると思われる人々が、出て行った若者の代わりに舞台前を陣取っていった。最初からいた若者たちもほとんどの人が残り、最終的にはさらに参加者が増えたように思えた。会場を見渡して、韓国の反戦、反基地闘争の幅の広さ、層の厚さを実感した。

高揚する反基地闘争。さらなる発展の予感。
 “追慕文化祭”に参加しながら、95年10月21日沖縄で行われた8万5千人集会を思い起こした。10・21は、沖縄の怒りをひとつにし、代理署名拒否、強制収用拒否闘争へと運動を発展させたものだった。今回の“追慕文化祭”も韓国での反基地闘争のさらなる発展を予感させる。沖縄の10・21は、8万5千人が集まっているにもかかわらず、静かな集会だった。韓国の集会は、様々なパフォーマンスがあり大変にぎやかだった。対照的な2つの集会ではあるが、そこにいる人々の怒りと基地をどうにかしたいという気迫、熱意は同じだと全身で感じることができた。
 駅で遭遇した米兵への直接的な行動も、反米、反基地の意識の高まりを象徴するできごとだと思う。これらの積み重ねが沖縄ではゴザ暴動を引き起こしたのだと、ふと思った。
 韓国の反基地闘争は、これからますます高揚するだろうと確信をもった。運動の前進は容易ではないだろうが、SOFAに擁護された米軍と米兵は事件事故を繰り返すだろうし、韓国の人々は米軍追及をねばり強く行っていくだろう。

エネルギーあふれる人々
 “追慕文化祭”の会場であるキョンヒ大学の横に大学病院がある。その病院の門にはたくさんの警察・機動隊が立ちはだかり、門内では病院職員が、門外では支援の労働者たちがシュプレヒコールを繰り返していた。この大学病院では長期にわたってストライキが続行されているのだが、そこに12日警察500人が突入し、職員が逮捕された。その後警察・機動隊が居座り続けていたので“追慕文化祭”の開催も危ぶまれていた。汎国民対策委員会は当日朝から開催に向けて全力を注いだ。集会内容も警察による弾圧を考えてコンサート的な“追慕文化祭”にしたようだ。
 そのような緊張した大変忙しい中、駐韓米軍犯罪根絶運動本部の方が、ハングルも英語もわからない私を、案内してくださった。多大なご苦労をおかけしてしまったと反省している。運動本部の方とお話をして(通訳の方をつけてくださった)、ひとときに共にして、エネルギーあふれる方だと思った。2人の少女ひき殺し事件についても、SOFA改定についても、運動の進め方や目標等についてもちろん悩みはある。でも自分がしていることに自信を持って、エネルギッシュに活動されている。韓国内で運動するのは日本とは違う厳しさが伴うと思うのだが、周辺に気を使いながらも生き生きと活動されている姿に感銘した。
 エネルギーあふれる労組の方にも出会った。“追慕文化祭”が終わりかけたころ、「ちょっと飲みませんか」と声をかけていただいので、会場すぐそばの屋台入ったら組合の方と一緒になった(もちろんみなさんも“追慕文化祭”に参加されていた)。飲みながら大学病院に警察が突入した様子などを怒りをもってお話してくださった。“追慕文化祭”が終わると、これから病院に行ってストライキの支援をしてくると言われた。そして、ちょっと飲んで、さっそうと出かけられた。あれだけの警察・機動隊がいる中に入っていくのかと、ドキドキしながら見送った。
 「学生運動が生きている。」労働運動が健在である。米軍基地がいたるところにあり社会問題になっている。「南北の交流が急速に進み、分断されていることが一番の問題」と認識され始めている。このような中で反基地闘争が高揚しないはずがない。エネルギーあふれる人々によって、エネルギーあふれる運動が構築されていくだろう。そのエネルギーを私たちもいただいて、共に反基地闘争に取り組みたい。在沖米軍基地、在日米軍基地の新増設に反対する運動をつくっていきたい。




「やんばる・ヤマトだより」バックナンバー

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2002年8月27日 NO.70 米軍は演習をやめろ!/沖縄をめぐる動き(2002年8月24日〜8月29日)

2002年8月21日 NO.69 梅香里を初めて訪れた。そして初めて実弾演習を見た。

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2002年6月29日 NO.65 紹介 沖縄の声  〜有事法制に関する市町村決議〜

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2002年5月25日 NO.63 元気に怒る! 沖縄の女性たち

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2002年5月10日 NO.61 沖縄からみた有事法制 その1

2002年5月 6日 NO.60
 事故・事故・事故。米軍による事故が連続して起こっている。・・・


2002年4月28日 NO.59 日米安保・サンフランシスコ講和条約発効50周年を迎えて

2002年4月27日 NO.58
 米によるフィリピンへの軍事介入反対!アメリカは沖縄を支援基地にするな。


2002年3月28日 NO.56
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 「生活が第一で、闘いが二番目。同時に生活を守るためにも闘いが一番目。」
 −−−伊江島闘争のあしあと−−−