|
|
拡張工事が進む岩国基地を訪れて その1
岩国基地の拡張工事が進んでいる。拡張費用は、当初の1600億円から2400億円に増額された。工期も3年延長された。岩国基地で何が起こっているのか、“9・11”を受けて岩国基地はどう変わったかを知りたくて岩国に行き、市議の田村さんに案内をしていただきながらお話を伺った。(お忙しい中時間をさいてお話してくださった上にたくさんの貴重な資料をいただきました。心より御礼申し上げます。)
田村さんから学んだことはたくさんあるが、一番強く心に残ったのは、岩国基地と名護の新基地との関係である。岩国基地を観て、お話を伺って、今の岩国基地は名護新基地の未来の姿だと思った。今名護の新基地建設にしっかり反対しなければならないと改めて思った。そして、岩国基地の現状や現在抱えている問題から名護新基地に反対する根拠がさらに豊かになるのではないかと思った。
機能強化が進む岩国基地
現在の岩国基地の面積は575haで、普天間飛行場(480ha)より広い。日本政府と米軍はこの岩国基地を1.4倍拡張し、機能強化を図っている。2400億円を投じて、海を213ha埋め立て現在の滑走路よりも1km沖合に滑走路を新たにつくる。水深13m長さ360mの巨大岸壁もつくる。ヘリポートも増設する。岩国基地は、滑走路が2本あり、強襲揚陸艦や輸送船なども出入りできるような巨大な基地に生まれ変わる。海兵隊の出撃基地としての能力を高めることになる。
岩国市民は、岩国市街地と隣接している岩国基地の滑走路を移設してほしいという願いを30年以上も前からもっていた。1968年に市議会が移設促進決議をあげた時から移設を繰り返し国に要望した。92年に防衛庁が1km沖合移設推進を決定し、97年に移設事業が始まった。30年間の地元の動きはすべて「移設」を願ってのことである。でも現在進められているのは「増設」である。未だに古い滑走路の返還や、閉鎖は決まっていないそうだ。米軍は、市民の願いをうまく利用して、2本の滑走路と港湾施設をもった巨大な基地を手に入れようとしている。
基地があれば拡張も機能強化も自由自在
1度基地を建てれば、日本政府と米軍はいくらでも増設や機能強化できるということだ。岩国基地の拡張・機能強化について、政府は大きな問題にさせなかった。「移設なんだ」「民間機も利用できるんだ」と言いながら、市民をだまして基地の拡張と機能強化を図ってしまった。地元では反対運動や懸念の声が高まったが、基地の拡大・強化という大きな問題が大きな問題として扱われないまま、事態が進んでいる。(これだけの機能強化になる拡張工事が簡単に進んでいることに驚いた。また知らなかったこと、関心をもっていなかったことを反省した。)
岩国基地から離れるが、今、ホワイトビーチでも基地の機能強化が進められようとしている。桟橋の幅を24mから40mに拡張する。し尿処理施設を新設し処理能力を現在の7倍にする。空母や原子力潜水艦の寄港条件を整え、寄港数を増加させるつもりだ。これらの拡張工事の手続きも簡単である。日米合同委員会で決定し、思いやり予算から支出すればいいのである。地元自治体や軍用地主に了解をとることはしない。そこに基地さえあれば基地の拡張・強化は自由にやれると日米両政府は考えているようだ。歯止めがない。
岩国基地は外海に基地を拡張させている。名護に新基地が造られたらどうなるだろうか。新基地とキャンプ・シュワブの間の内海が埋め立てられるようなことにならないだろうか。最終的に米軍はキャンプ・シュワブと新航空基地を地続きにしたいと思っているのではないだろうか。
山を崩し海を埋め立てる
海を埋め立てるための2200万?もの土砂をどこから持ってくるのか。国は山口県と岩国市に土砂の供給を要請した。山口県と岩国市は、愛宕山を住宅団地に造成することによって土砂を生み出した。海のそばの山を崩し、3kmもあるベルトコンベアーで海に運んでいる。山を崩す費用も、ベルトコンベアー(上の写真)の建設費用・運転費用もすべて県と市が負担しているという。愛宕山が大きな住宅団地となり、広島市から人々が移住することを期待しての事業だという。
この岩国での埋め立ての方法を名護でもするのだろうと思った。名護市は振興策として辺野古や豊原一帯に様々な計画を立てている。高専の創立に始まって、情報・学研都市、リゾートタウン、臨空型関連産業拠点造りをするつもりだ。辺野古・豊原などの山々を崩してこれらを造るのだろう。緑の山を崩して、基地のために海を埋め立てる。振興策はそのためにもあるのかと思った。
このやり方は大阪府が関西空港を造るときにもした。今、関西空港周辺はどうなったか。空き地だらけである。そして大阪府はどうなったか。莫大な借金を抱え破産寸前。泉佐野市は再建団体転落の危険性を常に抱えている。岩国市も、土砂の費用の負担が増え、あてにしていた住宅団地も当初の見積もりより安くしか売れず、しかも完売は不可能な状態となり、莫大な借金を抱え込もうとしている。大阪府や泉佐野市の二の舞になりそうだ。名護はどうなるのだろうか。国が保証をするから大丈夫と言い切れるのだろうか。
200億円は地元を潤わさない
岩国基地の拡張費用は思いやり予算から出ている。毎年200億円が投じられている。公共事業費が削られる中で、軍事予算は「聖域扱い」だから、建設業関連の人々は基地の建設・拡張工事に大きな期待を寄せるそうだ。「当初ちまたでは移設工事が始まったら大変な経済効果が生まれると期待したが、毎年200億円の税金が砂漠の水のようにどこかに消えてゆく」と田村さんはおっしゃる。「毎年200億円が下りてきた街にみえますか。」結局大手企業が請け負い、大手企業がカネをとっていってしまうそうだ。「残るのは市民も道連れの基地強化だけ」という実体験から出てくる田村さんの言葉には重みがある。
「基地建設も振興策の一環だ」と政府は豪語する。それが嘘であることは岩国をみればよくわかる。
基地が街の発展を阻害する
田村さんは、岩国基地をいろいろな角度からみせてくださった。市街地の中から、岩国基地を一望できる山から、そして海辺から。岩国基地が街の発展を阻害していることがよくわかった。地図でみるとよくわかるのだが、岩国基地は錦帯橋で有名な錦川の河口にある。ちょうど三角州のようになっている一番海よりのところに基地がある。海辺からみると、市が海にむかって発展してきているのを基地が塞いでしまっているように見える。岩国基地は岩国市の市街化区域の4分の1を占めるという。この基地がなければ、山を崩さずにひろびろとした所に住宅を建てることもできるだろうし、バイパス道路なども造れるだろうし、工場地帯も整備することができるだろうと思った。
山があり、海がある。この岩国基地の光景は、名護東海岸と重なるものがある。新たな基地は街を食いつぶすものになるのではないだろうか。
岩国の次は名護新基地
田村さんは、名護新基地計画は岩国基地の増設工事を参考にしたものではないかと言われる。埋め立て工法や規模は岩国とよく似ているそうだ。現在岩国の工事に関わっている人も、次は名護と意識しているそうだ。確かに岩国を見て回って、これは名護の新基地と同じだという思いを持った。
現在、岩国基地の増設は思いやり予算でしている。名護新基地も誰にも何にも文句言われない思いやり予算の中でするのではないかと田村さんは言われていた。岩国と名護の費用を同時に出すことはできないだろうから、岩国が終わってから名護に着手するのではないだろうかということだった。もしそうだとすれば、岩国の拡張工事が3年延長された(「名護新基地では環境アセスメントに3年必要」というのは偶然の一致なのだろうか)ことは、岩国の方に申し訳ないが、私たちにとっては好都合なのかもしれない。まだ時間がある。名護の新たな基地建設をストップさせるための時間がまだまだあるということだ。ありがたい。
一人でもがんばる。
田村さんは興味深い話をたくさん聞かせてくださった。いろいろな話をしながら、「基地に反対している人はどれだけいるのでしょうか」と尋ねてみた。個々に思いはあったとしても運動団体ができるほどの反基地闘争というものは難しいようだ。でも田村さんが市議としていらっしゃるということが、基地はイヤだという多くの人の気持ちを表しているのではないかと思った。大きな組織を当てにせず自分でできることをやり通す田村さんの姿にも共感した。有意義な半日だった。ぜひ名護の方々に岩国基地をみてもらいたいと思った。
岩国基地正門。ものものしい警備態勢が今も続く。黄色い線を勝手に越えると連行されることもあるという。
「やんばる・ヤマトだより」バックナンバー
2002年8月27日 NO.70 米軍は演習をやめろ!/沖縄をめぐる動き(2002年8月24日〜8月29日)
2002年8月21日 NO.69 梅香里を初めて訪れた。そして初めて実弾演習を見た。
2002年7月31日 NO.66 新海兵隊航空基地、リーフ上埋め立て決定糾弾!
2002年6月29日 NO.65 紹介 沖縄の声 〜有事法制に関する市町村決議〜
2002年6月15日 NO.64 沖縄・復帰30周年を迎えて
2002年5月25日 NO.63 元気に怒る! 沖縄の女性たち
2002年5月21日 NO.62 沖縄からみた有事法制 その2
2002年5月10日 NO.61 沖縄からみた有事法制 その1
2002年5月 6日 NO.60
事故・事故・事故。米軍による事故が連続して起こっている。・・・
2002年4月28日 NO.59 日米安保・サンフランシスコ講和条約発効50周年を迎えて
2002年4月27日 NO.58
米によるフィリピンへの軍事介入反対!アメリカは沖縄を支援基地にするな。
2002年3月28日 NO.56
阿波根昌鴻さんが亡くなられた。・・・・
「生活が第一で、闘いが二番目。同時に生活を守るためにも闘いが一番目。」
−−−伊江島闘争のあしあと−−−
![]()