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梅香里を初めて訪れた。そして初めて実弾演習を見た。
梅香里に着いたのはちょうど12時。演習実施を示すオレンジの旗が揚がっていたものの米軍機の姿は見えなかった。米軍はランチタイムをしっかりとるようなので、お昼時には実弾演習は見られないかなあと45分ほどぶらぶらしていた。今日は無理かな、そろそろ帰ろうかと思いながら標的となっている農島を見たら、突然、爆音と共に水しぶきがあがった。私の視野に入らないところから砲撃したらしく戦闘機の姿は見えず、低空で鋭角に撃ち込んだ。畑と家屋の上を、人々が生活しているすぐ上を実弾が流れていった。その後、すぐに2機の戦闘機が現れ、島の上空を1回旋回、少し離れてから再び1機が島を旋回しながら爆弾(模擬弾)を投下。水しぶきが島の高さまで上がった。さらに1回廻って待機している戦闘機のところまで戻った。次に2機目が同様に、島を旋回して今度は島に投下。ドドッと地響き。投下地点の様子を確認するように旋回してから2機一緒にその場を離れた。その後は、2機一緒に旋回しながら爆弾を投下したり、1機ずつ投下したりと繰り返していた。私たちがその場を離れるまで15分ほどあったが、その間10発ほど撃ち込んでいた。戦闘機の爆音と、爆弾が撃ち込まれる音とその後の轟音、震動。さっきまでは静かな村だったのに、米軍戦闘機がやってきた途端に戦場になってしまった。
米軍機は、まるで獲物を狙う鷹のようだった。爆弾を撃ち込まれ続けて今はとても小さくなってしまった農島の上を、2機の戦闘機が小さな円を描きながら飛ぶ。獲物の様子を窺うようにさっと降下したり上昇したり、いなくなったり再び戻ってきたりと、貪欲な鷹のように見えた。とても不気味だった。
同時にああこれはまさに実戦なのだと思った。姿が見えないほどの遠方から実弾を撃ち込み、その後は2機1組で交互に投下する。投下した後の「成果」を確認するかのように旋回してからその場を離れる。それらを繰り返す。島を艦船に見立てているのだろうか、それとも地上の軍事基地に見立てているのだろうか。
とにかく一番驚いたのが、人々の頭上を実弾が飛んでいくことだ。しかも遠方から鋭角に、低空で。ちょっと間違えれば畑や家屋に実弾が飛び込んでいきそうだ。事故が起きない方が不思議だ。
米軍が「アジア地域で最高の射爆場」と主張する(だから手放そうとはしない)梅香里射爆場で、米軍は年間250日爆撃を行う。月曜日から金曜日まで毎日、1日平均11.5時間、編隊別に15分から30分間隔で600から700回行う。隔週ごとに日中・夜間の訓練が入れ替わる。チームスピリットのような韓米合同演習がある時は24時間爆撃が続くという(『駐韓米軍問題解決運動史・老斤里から梅香里まで』より)。700世帯4000人が住む頭上でこれだけの演習をやる米軍の無神経さに驚く。怒りがわく。米軍が来るまではきっとその名の通り梅が香る豊かな里だったと思う。海が目の前に広がり、島がぽこぽことあって、海の恵みも多かっただろう。なだらかな丘陵があり、田畑があり、心地よい風が吹き、穏やかな村だったはずだ。今も米軍演習さえなければ静かな村だ。そのような村を、人々が生活をしていることがわかっていて、一気に戦場に変えてしまう米軍に対して怒りを覚える。人を人とは思わないのだろうか。生活の場に実弾を撃ち込む米軍が許せない。
闘争本部事務所に全晩奎さんがいらっしゃった。言葉は通じないが、梅香里に来た目的を理解してくださったようで、にこにこと迎えてくださった。とても優しいすてきなお顔をされていたので、思わず写真を撮ってしまった。ビデオや講演会で見た険しい顔とはずいぶん違って穏やかなお顔だった。でもひとたび何かがあれば事務所の壁に大きく描かれた闘う顔に変わる。
事務所の窓には6月13日に米軍によって轢殺された2人の少女のポスターが張ってあった。大きなポスターだった。2人の亡くなった直後の生々しい写真が2枚もあってショックだった。私たちを連れてきてくださったタクシーの運転手さんが、そのポスターを指さしながら、身振り手振りで説明してくだった。多くの人々が怒りをもってこの事件に注目していることを実感した。
梅香里に行けて良かった。百聞は一見にしかず。梅香里での米軍実弾演習のひどさが実感できた。梅香里爆撃場では嘉手納基地の戦闘機や空母艦載機(横須賀基地からも行くのだろう)が飛来し演習を行う。米軍にとっては在韓米軍も在沖、在日米軍も一体のものである。私たちも、韓国で起こっていること、沖縄や日本で起こっていることを“ひとつ”のこととしてとらえていきたいと思う。
19日から韓米合同演習が始まっている。梅香里はさらに爆弾と爆音を浴びせかけられていることと思う。米軍演習反対! 梅香里射爆場を閉鎖しろ!!
「やんばる・ヤマトだより」バックナンバー
2002年7月31日 NO.66 新海兵隊航空基地、リーフ上埋め立て決定糾弾!
2002年6月29日 NO.65 紹介 沖縄の声 〜有事法制に関する市町村決議〜
2002年6月15日 NO.64 沖縄・復帰30周年を迎えて
2002年5月25日 NO.63 元気に怒る! 沖縄の女性たち
2002年5月21日 NO.62 沖縄からみた有事法制 その2
2002年5月10日 NO.61 沖縄からみた有事法制 その1
2002年5月 6日 NO.60
事故・事故・事故。米軍による事故が連続して起こっている。・・・
2002年4月28日 NO.59 日米安保・サンフランシスコ講和条約発効50周年を迎えて
2002年4月27日 NO.58
米によるフィリピンへの軍事介入反対!アメリカは沖縄を支援基地にするな。
2002年3月28日 NO.56
阿波根昌鴻さんが亡くなられた。・・・・
「生活が第一で、闘いが二番目。同時に生活を守るためにも闘いが一番目。」
−−−伊江島闘争のあしあと−−−
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