やんばる・ヤマトだより
2002年6月15日 NO.64
敗戦50周年を問う教職員の会
 中條佐和子

沖縄・復帰30周年を迎えて

 5月15日、沖縄復帰30周年を迎えた。
 沖縄が切り離された講和条約発効50周年については、地元紙以外、まともに問題にしたところはほとんどなかったが、復帰30周年については、「本土」マスコミも大々的に取り上げた。でも、この復帰30周年の取り上げ方、迎え方は大いに気になった。
 政府は、初めて沖縄県と共催の式典を開くことができた。72年5月15日復帰当日でも東京と沖縄で別々にしか開けなかった式典を、30年目にしてようやく共同開催することができた。25周年式典にはなかった「君が代」も登場し、首相と知事が並んで歌った。政府と稲嶺県政が共同で“沖縄”の舵取りをすることを確認する(政府が県を従属させたことを確認した)場となった。
 小泉首相は、式典の場で淡々と文章を「音読」した。沖縄が抱えている問題を何とかしようという熱意は一切ない。気持ちもない。振興策も、基地政策も「すでに決まっている、これ以上文句あるか」とでも言いたげな、憮然とした表情だった。「沖縄の基地がアジア太平洋の平和と安全に大きく貢献している」と在沖米軍基地の存在を評価することも忘れなかった。
 知事は、首相の1.5倍ほどの時間をかけて、必死に?恐る恐る?首相に「直訴」した。「県民は戦後57年の長期にわたって過重な基地の負担を強いられている」「沖縄の米軍基地問題は沖縄だけの問題ではなく、国民全体にかかわる問題である」「沖縄の基地問題も国政の重要課題である」ことを強調し、沖縄を忘れてくれるなと訴えた。いくら政府の「出先機関か」と揶揄されている稲嶺知事でも、沖縄県の知事である以上、基地問題については県民の前で言及しなければならなかった。米軍事故は後を絶たず、基地の重圧は何ら変わることないのだから。
 アメリカのベーカー駐日大使は、日米同盟が重要であること、「強力かつ効果的な同盟をつくるために沖縄が重要な存在である」ことを強調した。そして、「アメリカ軍を受け入れてくださった沖縄の人の友情に感謝したい」「9・11以降の支援に対してお礼をいいたい」「一緒に闘ってくださることに感謝したい」と感謝の言葉を並べた。自国の軍隊が沖縄にどれだけの負担をかけているか、9・11以降沖縄が在沖米軍のためにどれだけの犠牲を払ったかについては一切触れずにである。米軍と沖縄の『共生・共存』を言いたいかのようなベーカー発言は、生中継で聞いていてもうんざりした。この発言については沖縄の人々の怒りは大きかったようで、翌日知事が「沖縄は感謝されることを望んでいない」と駐日米主席公使に抗議せざるを得なくなった。
 復帰30周年式典で、日米両政府は、沖縄県との「蜜月」を演出し沖縄の基地問題は『解決済み』『終わった』と言いたかったようだ。でも、沖縄県民はそれを許しはしなかった。30周年式典会場周辺や県庁前広場で、前日から市民団体が抗議の座り込みと、集会、デモなどを行った。「布令・布告で沖縄の人の土地を取り上げた米軍と日本政府のやっていることは同じで、基本的人権と抵抗権を奪っているのが復帰30年の現実だ」「復帰は沖縄の望みとは相いれないものだった。政府による基地の押しつけで不条理な構造的差別を生んでいる」と政府批判の声は強い。復帰30年経っても在沖米軍基地は沖縄に居座り続け、事件事故も多発している。「30年」は祝うものではなく、沖縄の基地問題を30年も放置し続け、さらに基地を新設しようとしている政府を追及する日となった。

 テレビ局も復帰30周年特集を組んだ。一番よかったと思ったのが、ニュース23。“有事法制と沖縄”をテーマにした特集で、沖縄戦の教訓から有事法制を批判していた。一番腹立たしかったのがNHK。「自主的に基地を受け入れた」キャンペーンをした。「初めて自主的に基地を受け入れた名護」とその市長を取り上げ「アメリカ軍にとっては沖縄の基地の重要性は変わっていない。それなら、主体的にかかわっていくことで基地のあり方を変えていこうという新しい沖縄のあり方」を「クローズアップ」させていた。復帰30年たってこんなに沖縄は変わりましたよと言いたげな番組で、観ていてだんだん腹が立ってきた。
 誰が「自主的に」「主体的に」基地を受け入れたのだろうか。ごり押しをして失敗してから(市民投票で政府は敗北)、政府は金を街の隅々までばらまき、綿密なシナリオを描いてゆっくりと着実に知事や市長を取り込み、「地元の意向」「地元の意志」を繰り返し繰り返し言い続け、人々が疲れ諦めるのを気長に待った。その結果として、市長の「受け入れ表明」があり、岸本市長の再選となった。地元の人々が5年間も苦しみ悩んできたことを単純に簡単に「自主的」「主体的」受け入れとは絶対に言えない。名護市民は推進派でさえ「基地が来ないにこしたことはない」と言う。基地は、政府とアメリカに押しつけられたものなのだ。
 ついでに、番組によると、岸本市長は、以下のような基地使用協定を考えているという。@住宅上空の飛行禁止、A夜間の離着陸を一切禁止、B戦闘機の離着陸禁止、C飛行場を使用する機種と機数の限定、などなど。この協定案は基地の機能そのものを制限しようというものだ。現在普天間飛行場で行っている訓練や名護周辺で始めた演習は、この協定下ではできない。さて、これが今の日米の力関係で、沖縄と政府との力関係で実現可能なのだろうか。どう考えても無理だ。これまで結ぶことができなかった協定を基地受け入れによって日米両政府に認めさせようという「強気の市長」とNHKは描いていたが、茶番としかいいようがない。基地建設推進のためのポーズにすぎない。
 このような番組が30周年特集として報道されたことで、誤った情報が全国に流れたことが大変気がかりだ。これから代替協での基本計画策定が本格化する。「本土」の人々に「沖縄が受け入れたのだからいいんじゃない」などと言わせたくない。




「やんばる・ヤマトだより」バックナンバー

2002年5月25日 NO.63 元気に怒る! 沖縄の女性たち

2002年5月21日 NO.62 沖縄からみた有事法制 その2

2002年5月10日 NO.61 沖縄からみた有事法制 その1

2002年5月 6日 NO.60
 事故・事故・事故。米軍による事故が連続して起こっている。・・・


2002年4月28日 NO.59 日米安保・サンフランシスコ講和条約発効50周年を迎えて

2002年4月27日 NO.58
 米によるフィリピンへの軍事介入反対!アメリカは沖縄を支援基地にするな。


2002年3月28日 NO.56
 阿波根昌鴻さんが亡くなられた。・・・・


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